1 「私の意見」の初発点で拾い集められなかった情報価値が、「ストローク交換」の収斂過程で修正されていく
一般に、意見や態度が見境なく移り変わるのは、好ましくない現象と言われる。
その浅慮(せんりょ)の故に、脇が甘いと思われるのだ。
この視座から言い表せば、初期の「マチウ書試論」(「マタイ伝」のこと)の中で、「人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである」と言い切って、吉本隆明が提示した、「関係の絶対性」という概念と同義であるか否か不分明だが、少なくとも、件(くだん)の「関係」の有りようが、周囲の状況や他人の意見に攪乱(かくらん)され、早合点や思い込みの激しさによって軽率な判断を犯しやすくなり、意見の知的能力や性格傾向を包み込むに足る、遥かに、人間性の問題に及ぶ低評価を受けやすくなるだろう。
言葉に宿る霊力・「言霊」(ことだま)に包括され、慢心の片鱗(へんりん)が読み取れれば悪いことが惹起すると決めつけ、何某(なにがし)かの宗教的色彩を有する「言挙げ」(ことあげ)のような強い感情表現ではなくとも、個人のいかような行動様態をも、私たちは「関係状況」=「関係幻想」に囲繞される宿命から逃れられないのである。
テーマから些(いささ)か逸脱するが、「関係幻想」に囲繞される宿命から逃れられないが故に、個我の形成・成長を対人関係の変容の中で確保する心理療法・「交流分析理論」=「ストローク理論」を構築した、カナダの心理学者・エリック・バーンが定義した、「時間の構造化」の理論に無関心ではいられなくなる。
因みに、相手の存在を認知し、自らの「人生脚本」(ストーリー)をより良く、自立的に構築・変容させていく「交流分析理論」で言う「ストローク」とは、「肯定表現性」・「否定表現性」のいずれのケースであっても、特定・非特定他者への様々な反応のことで、理論のコアと言える。
この細分化したカテゴリーを、簡単に説明していくと、以下の通り。
「ストローク交換」がない状態 ―― これが「閉鎖」である。
政治活動・社会運動や、家事や仕事など、目的的な行動にまで振れる段階が「活動」。
以上のブリーフィングをフォローする限り、形式的な羅列(られつ)の印象を受けるが、「ストローク交換」の複合性が、解(ほど)けない糸のように絡み合っている「関係状況」の様態の中で、一切の心的事象を原因と結果の連鎖と見做(みな)し、自分なりの生き方を見つけていく「力動的心理療法」の結晶系が内化されていく。
「関係幻想」の中で手に入れた相対的価値を適正にコントロールし、自らの能力のサイズを仕立て上げていく。
ここに、葛藤が生まれる。
「私の意見」が、それを支える強力な「確証バイアス」(自分に都合がいい情報選択)によって膨張することで、葛藤状態を解消し、首尾一貫性を確保するが、自らの「人生脚本」(ストーリー)をポジティブに書き換えるという、「ストローク交換」の複合性の収斂過程の中で、人格の微分裂の範疇を介して、バイアスが削り取られていく。