非言語コミュニケーションが異文化交流の困難さを突破する

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1  非言語コミュニケーションのメッセージ性の豊富さ
 
 
 
ヘブライ語を全く話せない他国の中東民族が、ヘブライ語を話せる「アラブ系」が定住する国家=イスラエルにやって来て、英語という、言語コミュニケーションというツールによってのみ補填していく、一本のイスラエル映画がある。
 
「非言語的コミュニケーション」の底力。
 
これが、私の問題意識の中枢にある。
 
決して日本人特有の文化ではない、「察し」・「察せられる」・「判じられる」という、「非言語的コミュニケーション」の底力を描いた映画が面白かった。
 
イスラエルのエラン・コリリン監督の「迷子の警察音楽隊」である。
 
迷子の警察音楽隊」という、コメディタッチのタイトルをつけた映画の粗筋は至って簡単である。
 
イスラエルのアラブ文化センターでの演奏を依頼されたエジプトの警察音楽隊が、バスを降車した場所は、アラブ文化センターの賑わいとは無縁な殺風景な土地だった。
 
完全に道を間違えてしまったのだ。
 
演奏の予定を明日に控えて、宿泊するホテルなど全くない警察音楽隊の苦境を救ったのは、食堂の女主人・ディナだった。
 
ディナは、8人の音楽隊を3か所に分宿させるように差配したのである。
 
―― 以下、批評。
 
「間」と「展開外し」の手法を駆使する、オフビートコメディという枠では括り切れないヒューマンドラマの、その絶妙な味付けに素直に共感できる映画だった。
 
この映画は、異文化交流の困難さを、ほぼ「万国共通語」と化す、英語という言語コミュニケーションというツールで補填し、最も肝心な心的交流の困難さを、国境を容易に超える、音楽に象徴される非言語コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)が内包する「万国共通」の底力で突破する物語である。
 

だから私は、この映画の本質は、異文化交流の困難さを、音楽のみならず、様々な非言語コミュニケーションによって、心的交流を柔和に具現するという一点にあると考えている。その非言語コミュニケーションは、会話や文字の言語コミュニケーション(バーバルコミュニケーション)と比較すると65%になるという研究結果があるが、ただ、非言語コミュニケーションと言っても、あまりに多くのものが包括されている事実を知らねばならない。

 
非言語コミュニケーションのメッセージ性の豊富さは、音楽や美術らの芸術文化表現にとどまらず、身近なところで言えば、身振り、手振りなどのジェスチャー、表情、顔色、沈黙、触れ合い、アイ・コンタクトと目つき、性別・年齢・体格などの身体的特徴、イントネーション・声色等々の周辺言語、更に、空間、時間、色彩などに至るまで、言語以外の様々な手段によって伝えられ、対人コミュニケーションが図られている現実を知れば、その包括力の大きさに驚きを禁じ得ないだろう。
 

心の風景「非言語コミュニケーションが異文化交流の困難さを突破する」よりhttps://www.freezilx2g.com/2019/02/blog-post_11.html