「サッチャリズム」とは何だったのか

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第二次大戦後,イギリスは労働党政権下で、石炭,電力、鉄鋼、鉄道、自動車産業、道路輸送などを国有化した結果(産業国有化政策)、国際競争力を失って、輸出が減少し、輸入が増加する事態を招来していく。
 
当然の如く、貿易収支は悪化していき、ポンドは切り下がり、国民一人当りの所得の低下は経済成長を停滞させ、スタグフレーション(不況であるにも拘らず、物価が上がり続ける状態)が発生し、眼を覆う惨状を呈した。
 

産業国有化政策の主体・英国労働党にとって、重要産業の国有化は社会主義政党としての当然の帰結だったのだ。 

 
経済学者・ウィリアム・ベバリッジによって提唱された、「ベバリッジ報告」に見られる社会保障制度拡充の報告は、先進各国の社会福祉政策の指針となったものの、「揺りかごから墓場まで」という英国労働党の掲げたスローガンに止めを刺す社会保障費の膨大な財政支出と、国民の勤労意欲の低下を必至にして、既得権益の発生等の経済・社会的問題が深刻になる事態を回避し得なかったのである。
 
国家予算の25%が投じられた「NHS」(国営医療サービス事業)による財政圧迫は、先進各国の社会福祉政策の指針となったものの、先進各国の社会福祉政策の指針となったものの、数ヶ月もの診療待ちを常態化した「医療崩壊」を招来するに至る。
 
世に言う、「英国病」である。
 
この「英国病」の蔓延は、オーストリアの経済学者・フリードリヒ・ハイエクの「リバタリアニズム」(他者の権利を侵害しない限り、各人の行動は基本的に自由であると主張する)の影響を受け、「小さな政府」を目指す、保守党のマーガレット・サッチャー政権の登場を不可避にしたと言える。
 
国家財政が破綻し、IMF国際通貨基金)から融資を受けることとなったのは、1976年のこと。
 
この政治の現実の様相が、財政支出の削減を余儀なくされ、世界中の人が羨ましがった「福祉先進国・イギリス」のあられもない風景だった。
 
思えば、国有化政策に対して基本的に反対のスタンスを確保していた英国保守党が、政権を担った期間(1951年から1964年、1970年から1974年)では、鉄鋼など一部の産業の民営化が実施されたものの、強固な勢力を誇る労組との対決を恐れるあまり、抜本的な改革の遂行にまで届かなかった。
 
イギリスの戦闘的な労組の最大の問題は、企業経営や国民総体の利益を無視し、要求貫徹まで長期ストを辞さないまでの対決姿勢への堅固な拘泥にあると言っていい。
 
英国資本が海外へ流出するのは理の当然だった。
 
製造業の設備投資の不足で輸出が減少し、輸入が増加する悪循環で、貿易収支が悪化の一途を辿るのもまた、当然至極だった。
 
英国の国家経済の地盤沈下が明瞭になっても、永らく、イギリス国民にとって、石炭は国の活力の象徴であったが故に、炭鉱労働者を無碍(むげ)に切り捨てることもできなかったのも事実。
 
それ故,石炭産業の斜陽化の流れが世界的に既成事実化しても、1980年代に踏み込んでもなお、炭鉱閉鎖に方向転換できなかった石炭産業の土手っ腹に、革命的な変換をもたらしたのは、英国病の主因であった労働組合改革、行財政改革を断行したマーガレット・サッチャーだった。
 
スト破り防止のための監視線・ピケットラインを超えても組合に制裁されない権利(ストの不参加権)や、労働者の賃金から組合費を控除し、労働組合に一括して渡す「チェックオフ」の停止権を労働者個人の権利として確立していく(1988年雇用法)。
 
更に、企業内組合が多い日本ではあまり見られないが、「クローズドショップ制」(特定の労組に加入している労働者のみを採用し、組合員資格を失ったときは解雇する制度)の廃止(1990年法雇用法)や、雇用に関係ない争議行為を禁止したり、労働争議の事前届出制に象徴されるように、サッチャー政権の意志の中枢には、既得権益を死守するだけの、産業を麻痺させる長期ストを武器とする、堅固な労働組合・「全国炭鉱労組」との戦いの風景が明瞭に見えることである。
 
労働組合を怖れて逃げ続けてきた、これまでの保守党政権で、誰かがやらねばならなかった、「英国病」の主因であった労働組合改革の断行。
 
これが大きかった。
 
高失業率(2015年の失業率は5.4%)や所得格差の問題など、毀誉褒貶(きよほうへん)が相半ばするサッチャーの最大の功績を挙げるとすれば、採算性の悪化を野放しにしていた国営企業の民営化という一点に尽きるだろう。
 


時代の風景「『サッチャリズム』とは何だったのか」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/03/blog-post_11.html