今年も、多磨全生園に春がきた。
今年の全生園もまた、サクラの美しいラインが群れを成し、都内の名所に負けないように、園全体を包み込んでいた。
ライムグリーンの彩りが鮮やかな広場にある施設の中に、お食事処「なごみ」がある。
映画「あん」を契機に、「なごみ」のスタッフが食堂を運営している。
「人生の大半を施設に閉じ込められ、恐ろしい者たちとみられ、自分でも肯定しきれないで生きるとは、どんな事なのでしょう。
私たちは、ここで、温かい人のつながりを作っていきたいと思っています」(ホームページより)
以下、「重監房資料館」について解説します。
【「重監房資料館」について】
かつて、日本のハンセン病療養所には「特別病室」と呼ばれる建物がありました。
しかし病室とは名ばかりで、その実態はハンセン病患者を対象とした懲罰施設であったといわれています。
正式な裁判によらず、入室と称して収監されたハンセン病患者たちには1日2回、わずかな麦飯や具の無いみそ汁などが食事として与えられました。
また、冬はマイナス20度近くまでなったといわれる環境下で、電燈も暖房もない四畳半ほどの板張りの8つの房に、分かっているだけでも93人が収監され、そのうち、23人が亡くなったといわれています。
1947年に行われた国会の調査などで、そのあまりの過酷さが明るみに出て社会に衝撃を与え、この特別病室は通称「重監房」と呼ばれるようになりました。
現在、この建物は取り壊されて基礎部分だけが、うっそうとした森の中に静かに残されています。
2003年、「栗生楽泉園・重監房の復元を求める会」が国に提出した10万7101人分の署名が契機となり、ハンセン病問題対策協議会において「重監房復元、重監房跡地の保存については、国の責任で行う」ことになりました。
【次に、ハンセン病の症状】
らい菌の増殖速度は非常に遅く、潜伏期間は約5年ですが、20年もかかって症状が進む場合もあります。
最初の兆候は皮膚にできる斑点で、患部の感覚喪失を伴います。
感染経路はまだはっきりとはわかっておらず、治療を受けていない患者との頻繁な接触により、鼻や口からの飛沫を介し感染するものと考えられていますが、ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人は自然の免疫があります。
そのためハンセン病は、“最も感染力の弱い感染病”とも言われています。
初期症状は皮膚に現れる、白または赤・赤褐色の斑紋です。痛くも痒(かゆ)くもなく、触っても感覚の無いのが特徴です。
現代では特効薬も開発されており完治する病気です。
治療をせずに放置すると、身体の変形を引き起こし障害が残る恐れもありますが、初期に治療を開始すれば障害も全く残りません。
【次に、ハンセン病の歴史】
また、古い時代から日本の患者には、家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」(映画「砂の器」)と呼ばれた方も数多くいました。
その後、明治時代に入り「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害されました。
第二次大戦後も強制隔離政策を継続する「らい予防法」が制定され、苦難の歴史は続きました。
療養所で暮らす元患者らの努力等によって、「らい予防法」は1996年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められました。