1 「内的時間」の懐の此処彼処に、「タスク」への問題意識を詰め込んでいく
「自由」とは何か。
「生きる」とは何か。
「人生」とは何か。
「人間」とは何か、等々。
唐突に聞かれても、軽々(けいけい)に答えられない人生の難問について、多くの同世代の若者たちと同じように、真剣に考える時期が、私にもあった。
それに腹が立った。
胡乱(うろん)なレトリックで捲(まく)し立て、機先を制したつもりになる厚顔さでピンチを脱しても、「答えられるようで、答えられない現実」に腹が立つのは、内側で増すばかりだった。
年相応の、技巧を駆使しての「状況脱出」という「現象」それ自身が、堪(たま)らないのである。
私は何も知らないのだ。
ペンディング(保留)にする外になかった。
この類(たぐ)いの「タスク」が増えていく辺りが、不備不足を露呈する青春期の泣き処(なきどころ)なのだろうが、それを打ち遣(や)る懦弱(だじゃく)さに腹が立つのだ。
累加される一方の「タスク」を片付けていかなければ、青春期が中空(ちゅうくう)に浮遊し、何某(なにがし)かの活動に挺身(ていしん)していても、至要(しよう)たる人格総体の自律性・自立性・主体性・能動性が脆弱になり、隊伍(たいご)の外縁(がいえん)から弾かれて、いつしか、「進軍不能」の状態になっていた。
気取りなく、「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々は、2年間続いた。
あっという間だった。
「時間」が足りない。
そう思った。
それを実感した。
思えば、道徳的理想の実現のため、守るべき徳目を定め、それを日常的に遂行していった、18世紀アメリカのオールラウンドプレーヤーとして知られる、ベンジャミン・フランクリンの自伝には、広く世に知れ渡った、「時間を空費するなかれ」(「時は金なり」)という徳目があり、これだけが、今でも、私の脳裏に焼き付いている。
功成り名遂げたマルチ人間の胡散(うさん)臭い説教と言うより、「𠮟咤激励」という意味合いで受容したからだろう。
「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々の中で、最大の「啓蒙家」と言っていいかも知れない。
「自己を信頼して生きよ」
この言葉は勤勉で、徹底的な合理主義精神を有し、近代的人間像を体現したフランクリンが言い放っても、大して心に響かないが、エマーソンは違った。
「トランセンデンタリズム」(「超越主義」という理想主義運動)を指導し、自らの拠って立つ思想の基盤を独自の個人主義に据え、理想主義的な生き方を求め続けた男の表現の営為は、劣化が目立ち、ビンテージものの「エマソン選集」に読み耽っていた時期の、最強の活力源となった。
私には、とうてい届き得ない、屈強な自我を「武器」にする男の「一言一句」(いちごんいっく)が、「絶対孤独」の境地に潜り込んだつもりで、ヌケヌケと「欲望自然主義」と程良く折り合いをつけながら、「教養漬け」の日々を繋いでいった青春期の極点だったようにも思われる。
「モラトリアム」が終焉し、私は旅に出た。
結局、約束されていたかのように、「存在」とは何か、「自由」とは何か、「生きる」とは何か、「人生」とは何か、「人間」とは何か、等々の「タスク」を自己完結させることなく、引き続き背負って、〈私の時間〉を展開させていくが、挫折のリピーターと化しても、「進軍」を止めなかった。
この時、つくづく思った。
「何か」を「履行する」。
とにかく、「動く」。
だから、早い。
〈私の時間〉の経つのが早い。
安定軌道は「予定軌道」ではない。
「予定軌道」として約束されていない、〈私の時間〉の「移動」を認知しながら、「安定軌道」に乗せていく。
このように、〈私の時間〉という把握の内的構造こそ、「時間」が単に、物理学の範疇でのみ考察されるものではない現実を示している。
だから、古代から20世紀の哲学にまで及んで、「時間論」が哲学の厄介な「タスク」になっていった。
同時に、「生理的寿命」=「限界寿命」、更に、「生活年齢」という「時間」の論意も、〈私の時間〉の表層に張り付いている。
この「内的時間」の懐(ふところ)の此処彼処(ここかしこ)に、「タスク」への問題意識を詰め込んで、随伴させるから、この「時間」は、頻々(ひんぴん)と飽和状態になり、疲弊する。
「生活年齢」だけが累加されていく。
これだけは、どうにもならない。
こうして、人は皆、年を重ねていくのだろう。
それが自己未完結であっても、〈私の人生〉に、「意味」を付与し続ける。
これが、〈生きる〉ということの内実である。
心の風景「「時間」の心理学」よりhttps://www.freezilx2g.com/2019/07/blog-post.html