「時間」の心理学

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1  「内的時間」の懐の此処彼処に、「タスク」への問題意識を詰め込んでいく
 
 
「自由」とは何か。
「生きる」とは何か。
「人生」とは何か。
「人間」とは何か、等々。

唐突に聞かれても、軽々(けいけい)に答えられない人生の難問について、多くの同世代の若者たちと同じように、真剣に考える時期が、私にもあった。
 
 
それに腹が立った。
 
胡乱(うろん)なレトリックで捲(まく)し立て、機先を制したつもりになる厚顔さでピンチを脱しても、「答えられるようで、答えられない現実」に腹が立つのは、内側で増すばかりだった。
 
年相応の、技巧を駆使しての「状況脱出」という「現象」それ自身が、堪(たま)らないのである。
 
私は何も知らないのだ。
 
しばしば、非武装の「空気」の後押しで饒舌(じょうぜつ)になるが、その饒舌充填(じゅうてん)する知性の欠如は隠し切れなかっ
 
一切が根源的で、厄介な「懸案」「タスク」なる。
 
ペンディング(保留)にする外になかった。
 
この類(たぐ)いの「タスク」が増えていく辺りが、不備不足を露呈する青春期の泣き処(なきどころ)なのだろうが、それを打ち遣(や)る懦弱(だじゃく)さに腹が立つのだ
 
累加される一方の「タスク」を片付けていかなければ、青春期が中空(ちゅうくう)に浮遊し、何某(なにがし)かの活動に挺身(ていしん)ていても、至要(しよう)たる人格総体の自律性・自立性・主体性・能動性が脆弱になり、隊伍(たいご)の外縁(がいえん)から弾かれて、いつしか、「進軍不能」の状態になっていた。
 
そんなが、「矛盾撞着」(むじゅんどうちゃく)の臨界点にまで押し込まれ、「進軍」を断ち切ったのは、それ以外に、厄介な「懸案」の「タスク」片付ける方略がなかったからである。
 
あらん限り時間を、「タスク」処理、即ち、「教養漬け」の日々に、自らメリ込ませる。
 
流れの中で決断した。
 
20代の初めの時だった。
 
青春期一時(いっとき)を、相応の目的意識を持って、「モラトリアム」の時間に変換したの
 
没我(ぼつが)と言えば、聞こえが良い当時の私には、それ以外の選択肢がなった。
 
気取りなく、「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々は、2年間続いた。
 
あっという間だった。
 
「時間」が足りない。
 
そう思った。
 
時間大切さ。
 
それを実感した。
 
思えば、道徳的理想の実現のため、守るべき徳目を定め、それを日常的に遂行していった、18世紀アメリカのオールラウンドプレーヤーとして知られる、ベンジャミン・フランクリンの自伝には、広く世に知れ渡った、「時間を空費するなかれ」(「時は金なり」)という徳目があり、これだけが、今でも、私の脳裏に焼き付いている。
 
功成り名遂げたマルチ人間の胡散(うさん)臭い説教と言うより、「𠮟咤激励」という意味合いで受容したからだろう。
 
「𠮟咤激励」と言えば、18世紀アメリカの思想家・エマーソンほど、私を鼓舞した歴史的人物はいない。
 
「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々の中で、最大の「啓蒙家」と言っていいかも知れない。
 
「自己を信頼して生きよ」
 
この言葉は勤勉で、徹底的な合理主義精神を有し、近代的人間像を体現したフランクリンが言い放っても、大して心に響かないが、エマーソンは違った。
 
26歳で牧師になっても、教会の形式主義に反発し、本来の自由信仰の故に牧師の職を迷いなく捨て、ヨーロッパ旅行に打って出るような独立独歩の行動的思索者。
 
「トランセンデンタリズム」(「超越主義」という理想主義運動)を指導し、自らの拠って立つ思想の基盤を独自の個人主義に据え、理想主義的な生き方を求め続けた男の表現の営為は、劣化が目立ち、ビンテージものの「エマソン選集」に読み耽っていた時期の、最強の活力源となった。
 
「自己信頼」 ―― 「エマソン選集 第2巻 精神について」(日本教文社)を貫流する基本的概念である。
 
一再(いっさい)ならず、攻め込んでくる軽鬱状態に陥(おちい)っていた時など、「自己信頼」という、特段に珍しくもない言葉が、私の精気を復元させる牽引力となっていた。
 
屈強な自我有し、「個人の無限の可能性」を主唱したエマーソンこそ、「アメリカ」という国民国家の知的体現者だった。
 
私には、とうてい届き得ない、屈強な自我を「武器」にする男の「一言一句」(いちごんいっく)が、「絶対孤独」の境地に潜り込んだつもりで、ヌケヌケと「欲望自然主義」と程良く折り合いをつけながら、「教養漬け」の日々を繋いでいった青春期の極点だったようにも思われる。
 
私の「モラトリアム」が終焉しただ。
 
「モラトリアム」が終焉し、私は旅に出た。
 
「進軍不能」の状態を脱し、新たな「進軍」を開いていく。
 
「自己信頼」へのメンタリティで武装したつもりになって、私の「時間」を決定的に展開させていく。
 
結局、約束されていたかのように、「存在」とは何か、「自由」とは何か、「生きる」とは何か、「人生」とは何か、「人間」とは何か、等々「タスク」を自己完結させることなく、引き続き背負って、〈私の時間〉を展開させていくが、挫折のリピーターと化しても、「進軍」を止めなかった。
 
この時、つくづく思った。
 
「モラトリアム」〈私の時間〉が、無駄になっていなかったことを。
 
「何か」を「履行する」。
 
とにかく、「動く」。
 
それは「移動」であり、「転位」であり、「内面的進軍」でもあったのだ。
 
だから、早い。
 
〈私の時間〉の経つのがい。
 
環境の変化の刺激を斉(ととの)える余裕を失うほど、〈私の時間〉の遷移(せんい)の早さを実感する
 
それは、自我の確立運動としての、「教養漬け」の青春期が安定軌道に乗ていくフェーズでの、「タスク」に追われる早さだった。
 
安定軌道に乗せていくか否か、それが全てなのである。
 
安定軌道は「予定軌道」ではない。
 
JAXA(ジャクサ)の打ち上げが、常に成功裏に終わらないように、H-IIAロケットを安定軌道に乗せ、その継続力が担保されるとは限らないのだ。
 
「予定軌道」として約束されていない、〈私の時間〉の「移動」を認知しながら、「安定軌道」に乗せていく。
 
その行程の推移の内堀を固めながら、〈私の時間〉が「転位」ていくのだ。
 
このように、〈私の時間〉という把握の内的構造こそ、「時間」が単に、物理学の範疇でのみ考察されるものではない現実を示している。
 
これは、時間」を体の運動の数量として捉えたアリストテレスの「時間論」と分れている。
 
だから、古代から20世紀の哲学にまで及んで、「時間論」が哲学の厄介な「タスク」になっていった。
 
 
同時に、「生理的寿命」=「限界寿命」、更に、「生活年齢」という「時間」の論意も、〈私の時間〉の表層に張り付いている。
 
〈私の時間〉の中で、〈私の状況〉を累加させて、貯留しつつ到達した、相対的な「安定軌道」の心的行程の総体を内的時間」と呼んでいい。
 
この「内的時間」の懐(ふところ)の此処彼処(ここかしこ)に、「タスク」への問題意識を詰め込んで、随伴させるから、この「時間」は、頻々(ひんぴん)と飽和状態になり、疲弊する。
一つの「タスク」終わっても、次の「タスク」が待機しているのだ。
 
「生活年齢」だけが累加されていく。
 
これだけは、どうにもならない。
 
こうして、人皆、年を重ねていくのだろう。
 
 
それが自己未完結であっても、〈私の人生〉に、「意味」を付与し続ける。
 
これが、〈生きる〉ということの内実である。
 


心の風景「「時間」の心理学」よりhttps://www.freezilx2g.com/2019/07/blog-post.html