香港の若者たちを見殺しにしてはならない

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1  「我々にとっては、生きるか死ぬかの状況だ」


海外での仕事を辞めて、香港に戻って来た青年がいる。

目的は、ただ一つ。

香港の抗議活動に参加するためである。

「香港の将来のための、生きるか死ぬかの闘いだ」

そう言い切ったのだ。

黄之鋒(こうしほう)・周庭ら、10代の学生が指導した「学民思潮」(香港の学生運動組織)(のちに「香港衆志=デモシスト」に参加)の初心(うぶ)な学生運動が、「香港に、今ない民主主義」=「普通選挙の実施」を求めた「2014雨傘運動」の頓挫(とんざ)と切れ、これに対して今回のデモは、「今、あるものが失われようとしていることを食い止める」ための闘争の様相を呈している。

「今、あるもの」とは、「港人治港」(こうじんちこう/香港人による香港の統治)という、香港市民に与えられた絶対的特権である。(因みに、反意語は「京人治港」(「北京の人間が香港を統治する」)

これが壊される恐怖。

即ち、香港の書店関係者が、中国当局によって拘束された「書店員失踪事件」(「銅鑼湾書店事件」)によって沸点に達したが、「香港で国家分裂や反逆などを禁じる条文」として、常に問題化される「香港基本法23条」によって「逃亡犯条例」改正案が、「港人治港」を疑うことがない、ごく普通の香港市民に突き付けられたのだ。

刑事犯罪者(思想犯)を「反送中」(中国への強制送致)を可能にする、「逃亡犯条例」の改正案こそ、2019年6月から開かれた「2019雨傘運動」のコアにある。

「今、あるもの」さえ奪われる香港市民の怒りが、200万デモ、170万デモという、想像の域を遥かに超えた動員力のうちに爆轟(ばくごう)したのである。

冒頭の青年の話に戻す。

彼は、デモ隊の要求は受け入れられないと、改めて表明したキャリー・ラム行政長官の攻撃的姿勢や、香港の新界に隣接する深圳市(しんせんし)に中国の武装警察を駐留させている現状を知って、決断する。

「今しかない。だから香港に帰って来た。今回成功しなければ、香港は言論の自由、人権、全てを失う。抵抗しなくちゃいけない」

「『自分は役立たず』と言って、デモに参加でずに罪悪感に苦しむ香港人留学生」(ニューズウィーク日本版 2019年9月4日)が多く存在する中で、件(くだん)の青年を動かした香港の現実の大きな変容。

それは、実弾まで使用するに至った、香港警察の圧力による抗議活動の衰勢と過激化の風景だった。

また、ある教師は匿名を条件に訴えた。

「闘い続ける必要がある。一番恐ろしいのは中国政府だ。我々にとっては、生きるか死ぬかの状況だ」

逮捕者は、既に1000人以上。

それでも、香港の若者たちは怯(ひる)まない。

参加者の多くは、アパートの狭い部屋で、家族と暮らす生活を繋いでいる。(ニューズウィーク日本版 2019年8月31日「『生きるか死ぬか』香港デモ参加者、背水の陣」参照)

日経ビジネス」によると、香港市民の生活は決して豊かではない。

この事実は、所得分配の不平等さの指標である「ジニ係数」で現れている。

香港の「ジニ係数」をみると、返還直前の1997年では0.483、2006年には0.5、2011年には0.537までに達している。

0. 4が警戒ラインで、0.6以上が危険ラインとも言われる「ジニ係数」の数値のリアリティ。
 
「香港政府による土地供給に入札できるのは、実質的には財閥と呼ばれる巨大資本のみ。彼ら「持てる者」は土地高騰によって利を得るが、大多数の香港人にはその恩恵が届かない。持てる者と持たざる者の格差はますます広がっていく」

この「日経ビジネス」の記事は、香港デモの背景にある由々しき事実の一端を説明していると言える。

そんな状況下で、「立ち上がって政府を倒すか、政府のいいようにされるかだ。選択の余地はない」と言い切る若者がいる。

彼らの危機意識の根柢に、「中英共同宣言」(1984年)によって、返還から50年後の2047年に、香港の「高度の自治」が失効するという観念が覆(おお)っているのだ。

「時間はなくなりつつある」

この危機意識が、香港の若者たちを動かしているのである。

以下、「時代の風景:香港の若者たちを見殺しにしてはならない」より

https://zilgg.blogspot.com/2019/09/blog-post_9.html