遺書を残し、「前線」に出ていく若者たち ―― 未知のゾーンに入った「2019年香港民主化デモ」

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1  「常在戦場」で呼吸を繋ぐ若者たちの「現在性」


香港の若者たちは、一体、何のために闘ってきたのか。

逃亡犯条例改正案に反対するデモが始まってから、半年が過ぎようとしている。

身の安全を守るため、デモ参加者はマスクで顔を隠す。

事態の本質を理解できない一般大衆から「暴徒」と非難され、香港政府も「香港の治安を守る」ために、デモ参加者を「暴徒」と呼び、彼らの破壊的暴力を断じて許さないと息巻く。

香港政府を動かす中国共産党政権は、「徹底した弾圧も辞さない」として、武装警察ばかりか、人民解放軍出動(兵士は軍服で街に出ることは原則として禁止されている)のパフォーマンスをも見せている。

こんな愚かなパフォーマンスに拘泥する習近平は、つくづく頭が悪いと思わざるを得ない。

米国の上下両院で、「香港人権民主法」を成立させるに至った香港問題ばかりではない。

「反テロ法」を作って、ムスリム少数民族ウイグルを「絶望収容所」(裁判を経由することなく、「職業教育訓練センター」という名の強制収容所)に送り込み、人権弾圧を加速する。

ハイテク監視装置(AIによるサイバー空間監視)の徹底した民族包囲網を駆使する、中国政府によるウイグル弾圧の実態を記した内部文書が明らかになったことで、国連も動かざるを得なくなった。

チベットと同様に、文化破壊を平然と断行する「共産主義政権」とは、一体、何者なのか。

コミンテルンの指導下で、1921年7月に、陳独秀、李大釗、毛沢東らが各組織を結集して、結成した中国共産党は、「上海クーデター」(4・12クーデター)による党存亡の危機⇒第二次国共合作国共内戦中華人民共和国の建国⇒文化大革命⇒改革開放路線⇒天安門事件を経て、今、「マルクス・レーニン主義毛沢東思想、鄧小平理論、『三つの代表』の重要な思想および科学的発展観」(中国共産党規約 第18次全国代表大会における、第一章 党員第三条)を基礎にする党規約を作り、そこに、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」(「習近平思想」)を盛り込んだ新たな党規約が、中国共産党第十九回全国代表大会(2017年10月)で確認された。

しかし現時点において、中国共産党の基本理念が、「共産主義の実現」を目標にしながらも、「共産主義を実現するための初級段階として(の)社会主義」を具現化するプロセスにあることを謳っている。

憲法に明記される「習近平思想」の骨子は、「経済強国」・「軍事強国」という、「強国・強軍体制」の確立・強化にあり、この始動が、既にウイグル問題のうちに露呈されている。

壮絶なウイグル弾圧に対し、「情け容赦は無用だ」と言い切った習近平を、日本政府は天皇陛下が最大級の応接をすることが求められる「国賓」として招待するのだ。

一貫して、ウイグル弾圧どころか、香港問題に何のコメントを発しない日本政府の、この腰砕けの姿勢に呆れて物も言えない。

周庭から批判されているように、我が国は、本気で人権を重視する国家なのか。

先の「香港人権民主法」に対し、習近平は、デモ隊を支援したとする複数のNGO(ヒューマン・ライツ・ウォッチフリーダム・ハウス)への制裁を含め、米軍の艦艇・航空機の香港での整備を認めない制裁措置を発表したが、米国との間で、理論上、未だに「相互確証破壊」が成立していないのだ。

大量の中国人を送り込んで「文化破壊」を強化するという、「強国・強軍体制」(DF-41=東風41ミサイル)に拘泥し続ける習近平の頭の悪さは、元スパイの告白による、他国の国益を蝕(むしば)む露骨なスパイ活動(オーストラリア政府は、高度な情報戦に特化した特別部隊を創設すると発表)や、亡命チベット人がいるネパールに5倍以上の経済援助を明示する、等々、「権力の使い方」の脆弱性に現れているので、今後、ダライ・ラマ14世(テンジン・ギャツォ)逝去後のチベットウイグル、そして、犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案に反対を機に惹起した、一連の香港問題(「2019雨傘運動」⇒「2019年香港民主化デモ」)にどのように反映されるか、大いに不安がある。

―― 「和理非」という3文字が、今、香港デモに参加する若者たちの間で使われている。

「平和的・理性的・非暴力的」ということだ。

「地下鉄や道路の正常な運行を妨害したり、“武器”を持って警察と衝突し、その過程で、あるいは結果的に香港市民と香港警察が“武力衝突”するような局面が繰り返されることは、香港市民が訴えてきた『五大訴求』を達成するのに不利に働くという『民意』を体現している」(ニューズウィーク日本版「香港情勢を現地報告、新スローガン「和理非」は打開の糸口となるか」)

要するに、国際金融センターとしての香港社会の地位を脅かすような行為は、大多数の香港市民を「敵」に回してしまうリスクを伴うから、それを防ぐために提示されたスローガンが「和理非」という3文字に凝縮されている。

因みに、「五大訴求」(「五大要求」)とは、(1)「逃亡犯条例」改正案撤回(2)警察の「暴力」を追及する独立調査委員会設置(3)暴動認定撤回(4)デモ参加者の法的責任免除(5)普通選挙導入。

この「五大訴求」の中で、「逃亡犯条例」改正案撤回には応じたが、キャリー・ラムは、これ以外は応じない態度を示していた。

香港デモの参加者が真っ先に拘泥するのは、「警察による暴行責任の追求」=警察の暴行をめぐる「独立調査委員会」の設立だったが、最近、「過激な抗議活動による社会不安の原因を探る」ために、識者らによる「独立検討委員会」を設立すると、キャリー・ラムは表明したものの、これには両者の思惑の埋めがたい乖離があり、依然、不透明な状態である。

―― 先の「和理非」というスローガンを掲げて、「2014雨傘運動」の抗議活動に参加した時は、まだ女子中学生だった。

その女子中学生を、「ニューズウィーク日本版」のように、「花ちゃん」と呼ぼう。

現在、「花ちゃん」が20歳になって、「2019年香港民主化デモ」に参加し、闘争の「前線」に立っている。

彼女は、「自分が次世代のために銃弾を受け止める」という覚悟を抱(いだ)き、責任を果たさねばならないと括ったのだ。

「花ちゃん」が、政府本部のバリケードの前にいたとき、年少の男子が1人で歩いてきた。

ニューズウィーク日本版」の記事によると、その男子は傘も持っていなかったので、「花ちゃん」は、自分の傍(そば)にいるようにと声を掛けた。

その瞬間だった。

バリケードの裏側にいた警察が、銃撃し始めたのだ。

香港警察の銃弾をまともに受けた少年が、顔を覆って痛いと叫んだ。

「本当に心が痛んだ」。

「花ちゃん」の述懐である。

この出来事に象徴されるように、今、多くの女性が前線に立っている。

デモ参加者の男女比率は、7対3か、6対4とも言われるが、女性が「前線」に立つのは危険なのだ。

警察による性暴力があるとの噂が広がっているからである。

そのため、デモ参加者の女性の多くは「前線」から身を引き、「消火隊」を引き受けている。

「前線」に立つ「花ちゃん」にとって、絶対、マスクは欠かせない。

香港民主運動に挺身(ていしん)する「花ちゃん」の相貌(そうぼう)から、マスクを外す時が来る日。

その時、香港の風景は、今まで誰も見たことがないランドスケープの情景を浮き立たせているだろう。

―― ここで、もう一人の女性の「仮面の告白」に目を転じてみる。

「北京の仕事を辞めて香港に戻り、『消火部隊』に入った」25歳の女性の告白である。

北京に行き、そこで就職した関係で、香港のニュースを正確に知ることは容易ではなかった。

そんな状況下で感じるのは、香港民主運動の打ち寄せる波浪の高まりだった。

異郷での独居生活に、居た堪(たま)れなくなった。

仕事を辞めて香港に戻ることを決意したのは、自然の理(ことわり)と言ってよかった。

香港に戻るや、どのように催涙弾を消すのか知りたかったので「消火隊」に入り、初めに使った消火ツールは、魚を蒸(む)す香港式のステンレス皿と水だけ。

消火器も持ってみたが、想像以上の重量感を感じ、手を引いた。

皿を催涙弾にかぶせ、それを足で踏んで、空気を遮断してから水をかける。

この「消火隊」の作業で、催涙ガスを食らったこともあった。

皮膚が痛み、帰宅後に体調を崩してしまった。

【痴漢撃退用の催涙ガススプレーが実用化されるほど、その即効性は有効な護身装備と言っていい。この催涙スプレーを顔面に噴射されると、皮膚や粘膜にヒリヒリとした痛みが走り、クシャミが止まらなくなると言われる。体験者の話によると、死ぬかと思うほど、立ち上がれないような苦痛を味わうと言う。顔中に針が突き刺さり、あまりの痛みに目が開かず、その激痛が数時間続き、言語を絶する耐え難さは、骨折のほうが遙かにマシであるとまで言うほどで、その威力はケタ外れと断言する。従って、香港デモの参加者にとって、マスクの着用は、単に「仮面」の役割(匿名性の確保)のみでなく、まさに、命を守る絶対的な防具なのである】

彼女は、ボランティアの救急隊員が目を撃たれたのと同じ日に、警察に囲まれ逮捕されそうになったと告白する。

走り続けて高速道路を越えたが、あと少しで逮捕されるところだった。

更に、彼女は言い切った。

真の普通選挙が実現できたら運動は終わると思うが、中国共産党がそう簡単に譲歩するわけがない。

その前にデモ隊200万人全員を監禁し、誰も立ち上がる勇気がなくなったら、運動は終わる。香港に希望を持っていないから、失望することもない。

離れることもできないから、立ち上がって「前線」に向かい、今できることをやるしかない。

―― 以上、壮絶な覚悟なしに、「前線」に立つことなど覚束(おぼつか)ないのだ。

多くのデモ参加者が、「絶望」という言葉を口々に発するが、このリアリズムこそ、まさに、「常時・最前線」=「常在戦場」で呼吸を繋ぐ若者たちの「現在性」そのものなのである。

「時代の風景:

時代の風景: 遺書を残し、「前線」に出ていく若者たち ―― 未知のゾーンに入った「2019年香港民主化デモ」より