PTSDの破壊力に圧し潰されつつ、人間の尊厳を死守せんと闘う伊藤詩織さん ―― その逃避拒絶の鼓動の高鳴り

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1  「意識のない原告に合意なく性行為をした」ことへの当然なペナルティ


「一晩の出来事でしたが、4年近く苦しんでいます。家に例えたら、性は土台。土台を傷付け、家自体が動いてしまった。修復には時間が掛かります。これで終わりじゃありません」

ジャーナリストの伊藤詩織(30)さんが、元TBS記者・山口敬之氏(53)から性暴力を受けたとして、1100万円の損害賠償を求めた訴訟での勝訴後の、記者会見での言葉である。(エキサイトニュース 「伊藤詩織さん、『勝訴』判決受けて会見『一晩の出来事に4年近く苦しみました』より)

刑事手続きでは山口氏は不起訴となっており、判断が分れていたが、鈴木昭洋裁判長は「意識のない原告に合意なく性行為をした」と認め、山口氏に慰謝料など330万円の支払いを命じた。
判決で鈴木裁判長は、伊藤さんがホテルに着いた時点で酩酊(めいてい)状態にあり、自らの意思で入室したとは言えないと認定。

被害をすぐ周囲に相談し虚偽申告する動機もないなどとし、伊藤さんの主張を認めた。

山口氏は「同意があった」と反論したが、判決は「供述に不合理な変遷があり、信用性がない」と指摘。

山口氏が伊藤さんの著書などで社会的信用を失ったとして賠償を求めた訴えについては、「性犯罪被害者の環境改善が目的で、名誉毀損には当たらない」とし、請求を棄却した。

訴状によると、伊藤さんは2015年4月、就職相談で山口氏と飲食中意識を失い、都内のホテルで性的暴行を受けた。

東京地検は16年7月、準強姦容疑で書類送検された山口氏を嫌疑不十分で不起訴とした。検察審査会も「裁定を覆す事由がない」として、不起訴処分を相当と議決した。(時事ドットコム 「元TBS記者に賠償命令 伊藤詩織さん勝訴、性暴力認定―東京地裁」より)

また、この判決は、性行為を強要され暴力によって恐怖を感じ、「フラッシュバックやパニックが生じる状態が継続している」ことで肉体的・精神的苦痛を被ったとしたという一文で重要なのは、PTSDによる症状が、性暴力によって発現することを認知したことで画期的でもある。
重要なことなので、この点について付言しておきたい。

朝日新聞が社説(「伊藤氏の勝訴 社会の病理も問われた」2019・12・20)でも言及していたが、「本当の(性暴力)被害者は会見で笑ったりしない」と言い放った、判決後の記者会見での山口氏の、それが人権侵害と認識できない発言が内包する傲岸(ごうがん)さ。

正直、怒りを禁じ得ない。

これが、性暴力へのハードルが低いと思わざるを得ない、我が国の一般的な男性サイドの本音なのか。

事件後、詩織さんが抱え込んできた、強烈な心的外傷体験への理解の致命的欠如。

この山口発言に典型的に見られた、人間の心理の複層性に鈍感な者たちの平均的な感情傾向であると、感受せざるを得ないのだ。

被害者にも責任があるという、例の「公平世界信念」を引きも切らず見せられて、うんざりする。
因みに、この社説は一部から批判(「ひどくアンフェアな朝日新聞社説〜伊藤氏によりそう『角度』を持って報道する一部メディアの偏向性について」)されているが、朝日新聞は以下のように言説を結んでいる。

「苦しみを抱え込み、下を向いて生きていくのが被害者の正しい姿だ、と言うに等しい。こうしたゆがんだ認識が、過酷な傷を負いながらも生きていこうとする人々を、追い詰めてきたのではないか。勇気をふるって告発すると、『あなたにも落ち度があった』などと責められ、二重三重に傷つく。性暴力を受けた人は、その体験に加え、声を上げることの難しさにも苦しんできた」

綺麗ごとが多く、共鳴できない言説も少なくない朝日新聞の社説だが、この一文だけは全面的に同意する。

話を進める。

更に、この判決で無視しがたいのは、「ドアマンの供述調書」を如何に評価するかという点である。

ここからは、当初から、事件に深く関与していた「週刊新潮」(デイリー新潮)の記事をフォローしていきたい。

陳述書の作成者は、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。

「裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ」たからだと陳述書で綴っている。

残念ながら、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。

つまり、今回の裁判官の判断に、ドアマンの陳述書は1フレーズも考慮されていない。

ここで、事件当日から、係争に至る経緯を駆け足で振り返っておく。

15年4月3日、TBSのワシントン支局長だった山口記者が、一時帰国した折、TBSに働き口を求めていた詩織さんと会食。

山口記者のホームグラウンドである東京・恵比寿で、2軒目までハシゴしたところから意識を失った彼女は、その後、タクシーに乗せられた。

タクシーはシェラトン都ホテルへ。

山口記者の部屋へ連れ込まれ、翌日未明、性行為の最中に目が覚めた。

4月30日に、警視庁高輪署が詩織さんからの刑事告訴状を受理。

捜査を進めた結果、裁判所から準強姦容疑で逮捕状が発布。

6月8日、アメリカから日本に帰国するタイミングで山口記者を逮捕すべく、署員らは成田空港でスタンバイ。

しかし、その直前に逮捕は中止。

捜査員は、目の前を行く山口記者を、ただ見つめることしかできなかった。

中止の命令は、当時の警視庁刑事部長で現・警察庁ナンバー3・官房長の中村格(いたる)氏によるもので、彼自身、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と週刊新潮の取材で認めている通りである。

中村氏は菅義偉官房長官の秘書官を長らく務め、その絶大な信頼を得てきた。

総理ベッタリ記者逮捕の中止命令をする一方、安倍首相元秘書の子息が仕出かした、単なるケンカに捜査一課を投入するという離れ業もやってのけている。

官邸絡みのトラブルシューター、守護神・番犬たる部長。

その命を受け、捜査の仕切り直しを担った警視庁本部からの書類送検を受けた東京地検は、ほぼ1年後の16年7月に不起訴を判断。

詩織さんは17年5月、検察審査会に審査申し立てを行なったものの、9月に「不起訴相当」の議決が出ている。

高輪署からドアマンに、「本件で話を聞きたい」とアプローチがあったのは、事件から少し経った頃だった。

まだ、逮捕状は出ていない。

やって来たのは、高輪署の強行犯係の刑事ら二人だ。

ドアマンの頭に当日の光景が生々しく蘇ってきた。

聞かれもしないのに、山口記者の風采(ふうさい)を話し出した彼に、捜査員は虚を衝かれたことだろう。

「記憶力があまり良い方とは言えない」――。

ドアマンは自身を分析し、捜査員にこう打ち明けている。

そんな彼がどうして、「15年4月3日のこと」を詳細に覚えているのか。

それは、「ドアマン生活の中でも忘れられない出来事だったから」だ。

二人が乗ったタクシーがホテルの玄関前に滑り込んで来た時、ドアマンは後部座席の左側のドアの方へ出向いた。

陳述書にはこうある。

「その時に手前に座っていた男性と目が合い、怖い印象を受けました。そして、奥に座った女性に腕を引っ張るようにして降りるように促していた」(陳述書)

詩織さんは運転手に「近くの駅まで」と言ったが、山口記者は「部屋を取ってある」と返し、タクシーは彼の指示に従ってここまでやって来たのだ。

「女性の方は(中略)『そうじするの、そうじするの、私が汚しちゃったんだから、綺麗にするの』という様なことを言っていました。当初、何となく幼児の片言みたいに聞こえ、『何があったのかな』と思っていたら、車内の運転席の後ろの床に吐しゃ物がありました」(陳述書)

山口記者は詩織さんの腕を引っ張って、無理やり車外へ連れ出そうという動きを取る。

「女性は左側のドアから降ろされる時、降りるのを拒むような素振りをしました。『綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ』とまだ言っていたので、座席にとどまって車内を掃除しようとしていたのか、あるいはそれを口実に逃げようとしているのか、と思いました。それを、男性が腕をつかんで『いいから』と言いました」(陳述書)

「足元がフラフラで、自分では歩けず、しっかりした意識の無い、へべれけの、完全に酩酊されている状態でした。『綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ』という様な言葉を言っていましたが、そのままホテル入口へ引っ張られ、『うわーん』と泣き声のような声を上げたのを覚えています」(陳述書)

「客観的に見て、これは女性が不本意に連れ込まれていると確信しました」(陳述書)

山口記者が主張する“合意の上だった”とは真っ向から対立する証言だ。

【以上、デイリー新潮 「伊藤詩織さん『勝訴』 連れ込む山口記者の姿を目撃…控訴審でカギを握る『ドアマンの供述調書』」「週刊新潮」2019年12月26日号掲載より】

付言する。

このドアマンの陳述書が、虚偽であるとは思えない相当程度のリアリティを認めざるを得ない。

被告の弁護人が疑うなら、法廷での証拠能力の是非の問題があるが、「記憶検査の一種」として、アメリカでの使用が一般化しているポリグラフを活用したり、ドアマンの精神鑑定を要請したりすればいいではないか。

控訴審でカギを握ると言われる、このドアマンの陳述書こそ、事件の核心であることは自明なので注視したい。

時代の風景:「時代の風景: PTSDの破壊力に圧し潰されつつ、人間の尊厳を死守せんと闘う伊藤詩織さん ―― その逃避拒絶の鼓動の高鳴り」より