<暴力の連鎖を断ち切って、今、ここに、自己完結する>
1 浴槽に沈みつつある女が蘇生する
ドイツ、ハンブルグ。
刑務所から出所する一人の男。
それを待つ、花嫁姿の女性。
男の名はヌーリ。
トルコからの移民者である。
麻薬取引で投獄されていた。
女性の名はカティア。
ドイツ人である。
このオープニングシーンから、数年後。
二人の間にロッコという息子が生まれ、幸福な日々を繋いでいた。
そんなある日、カティアは親友のビルギットと共にスパ(温泉)へ行き、リフレッシュして帰宅したが、カティアを待っていたのは、信じられないような途轍もない災禍(さいか)の猛襲だった。
トルコ人居住区にある、ヌーリの会社の事務所が爆破されたのだ。
この爆破事件で、一瞬にして、カティアは夫と子供の命を奪われてしまったのである。
甚大な衝撃に絶叫するカティア。
この凄惨極まりない状況を受け止められず、混乱するばかりだった。
当然過ぎることである。
この状況下で、担当捜査官レーツ警部はカティアに問いかける。
「ご主人はイスラム教徒でしたか?」
「宗教に無関心よ」とカティア。
「クルド人で?」
「政治活動はしてましたか?資金集めなどは?」
「いいえ、夫は政治とは無縁よ」
「ご主人に敵は?」
「敵って何?」
「ご主人の会社の前で爆弾が爆発したんです」
「何?」
「ご主人を狙ったと思われます…お二人を最後に見たのは?」
「今日の午後、息子を夫に預けたの」
「何か異常は?」
「女が自転車をすぐ前に停めてたわ。鍵をかけるように言ったの。新品の自転車で、荷台にボックスが載っていた…二人に会わせて」
もう、これ以上反応する気力を失っていた。
遺体の損傷が激しく、バラバラの状態であることを聞かされ、気を失いかけるカティア。
その直後、ベッドに横たわるカティア。
「二人は苦しんだ?」
最も肝心なことを口にするカティア。
「きっと一瞬だったわ」
カティアに寄り添い続けるビルギットの、精一杯の反応である。
「ロッコは自分のバラバラの体を目にしたのよ。怖かったはず」
「即死だから、きっと何も気づいてないわ」
カティアを抱きしめるビルギット。
「ネオナチだわ。それ以外にない」
数日後、友人の弁護士ダニーロを訪ねた時のカティアの言葉である。
「息子と孫をトルコに連れて帰りたいんだ」
「私の孫でもあるのよ」とカティアの母。
「家族を二度も奪われたくない。絶対にイヤ。渡さないわ」
そこだけは毅然と言い切るカティア。
警察の家宅捜索を受け、カティアはレーツ警部に積極的に協力する。
「犯人の見当はつきますか?」
「ネオナチよ」
「根拠は?」
「あそこはトルコ人街だった」
「嫌がらせは?」
「知らないわ」
「ご主人との出会いは?」
「学生の時、彼から大麻を」
大学の専攻から、年収、仕事の内容、家のローンの収入減など、事細かに質問され、苛立つカティア。
「夫を犯罪者に仕立てたいの?薬物犯罪者に」
「警察がマークする人物が、ご主人と何度も電話をしています」
「夫は犯罪者の通訳もしたの。電話で話すのも仕事よ」
レーツ警部は、裏社会との関係のトラブルで報復されたと決め付けている。
絶望の際に陥り、遂に浴槽で自殺を図るカティア。
「やはり、犯人はネオナチだった。犯人が捕まった」
浴槽に沈みつつあるカティアの耳に、このダニーロの留守電のメッセージが入り、カティアは浴槽から這い出て、繰り返しダニーロの留守電を再生する。
ギリギリのところで、カティアは蘇生したのだ。
【なぜ、こういうハリウッド的な描写をインサートするのか。正直、「奇跡の生還」というシーンには辟易(へきえき)しているので、偶然性に依拠し続けない方がいい。これが、後半で炸裂するので、2章以降の展開にシビアな視線が鈍磨してしまう。こういう重いテーマの作品に、「ハラハラドキドキ」のハリウッド的な娯楽的要素は削り取って欲しいと、私は思う】