イングマール・ベルイマン ―― その映像宇宙のいきり立つ表現者

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1  「人生が絶望的でも、戦うことが人間の義務だ」


イングマール・ベルイマン(以下、ベルイマン)は、私にとって特別な存在である。

「人生の師」であると言ってもいい。

「人生が絶望的でも、戦うことが人間の義務だ」

これは、初期の「インド行きの船」(1947年製作)という映画の中でのセリフである。

風景の変わらない閉塞的な世界に閉じこもり、殆ど孤独の極みにあった恋人サリーに対し、その精神世界を復元させるために、主人公のヨハンネスが言い放った強烈な言葉である。

「人生が絶望的でも、戦うことが人間の義務だ。戦わなければ、障害はどんどん大きくなり、あとは窓から身投げだ」

正確に言えば、ヨハンネスは、こう確言したのだ。

烈(はげ)しい言辞である。

常識的に考えれば、戦うことができるなら、未だ「絶望」していないのだ。

神との関係を喪失したことで「真の自己」を失っている状態、即ち、「絶望」とは自己の喪失であり、「死に至る病」であると言い切ったのは、キルケゴールである。

然るに、神との関係とは無縁に、戦うことができない精神状態に搦(から)め捕られている人間に、「絶望的でも、戦え」と説くことが、如何に無謀で非合理的なことか、考えてみれば誰でも分るだろう。

それでも、ヨハンネスは「絶望」している恋人に確言した。

「君はまだ、戦う能力を失っていない。僕と共に戦っていこう」

そう、言いたいのだ。

神など、存在しない。

今の言葉で言えば、「レジリエンス(「心の自然治癒力」)を信じ、とにかく動くんだ」ということか。

ヨハンネスの青春とは、殆ど救いようがない父と子の葛藤の連鎖であり、その葛藤の中で露わになる愛憎と孤独の裸形の様態であった。

背中に障害を持つ息子ヨハンネスが生まれたことに悩み、充分に愛情を注げない父に対する反発から、既に、思春期前期から反抗的な態度を繰り返す息子。

父に嫌われる原因になったヨハンネスの障害は、「僕の背中は曲がっている」とサリーに吐露することで、年来の劣等感を相対化しようと努めているようにも見えたが、母の言うように、「顔を強張(こわば)らせて、怖い目」を身体表現する歪んだ関係を、実父との間に形成してしまっていた。

青年期に入ったヨハンネスは、父母と共にサルベージの仕事に従事するが、権力的で横暴な父親との関係が円滑に推移する訳がない。

「自分の父親を殴りたいと思ってる。でも結局、殴らんだろうな。なぜだと思う?こいつには度胸がないんだ。腰抜けさ。父親からの仕返しが怖いんだ」

ここまで愚弄されたヨハンネスは、精一杯の反撃を加えていく。

「この野郎、覚えてろ!女たらしのブタめ!」
「自分の父親に向かって、何て口を聞きやがる!いい加減にしろ」
「くたばっちまえ!」

この一言に切れた父は、息子を殴りつけた。

ナイフを握ったまま、部屋を出て行く父を睨むだけのヨハンネスが、そこに置き去りにされたのである。

父と子の歪んだ関係を延長させるだけの激しい相克が、遂に、決定的な対立を生むに至る。

事の発端は、港町の劇場の踊り子であるサリーとの三角関係。

そのサリーとの関係を知られ、父から殴られたヨハンネスは、思わず、その父に殴り返したのだ。

サリーと睦み合う関係を露わにしたヨハンネスに、愛人を奪われた父の憤怒を惹起させ、あろうことか、息子の命を絶とうとさえしたのである。

潜水夫に代わって海に潜ったヨハンネスに、命を繋ぐエアーポンプを駆動させていた父の手が止まったのだ。

この一件の後、「父さんは病気だよ」と言われても、攪乱した情動が収まらない父は自殺未遂を起こすに至る。

密かに用意された秘密の部屋に閉じこもって、絶望を一身に体現したような初老の男は、その部屋の窓から飛び降りた。

永久に変わり得ないと思わせるような、父子の相克が行きつくところまで行ったとき、この絶望的な閉塞性を克服するために、若者は旅に出る以外の選択肢がなかった。

それも、若者の自我を深々と覆う、くすみ切った風景を浄化し得るような、未知なる世界への大いなる旅に打って出る外になかったのだ。

今や、いずれかの者が物理的に消えない限り、収斂し切れない爛れ切った父と子の歪んだ関係だけが生き残された。

置き去りにされたサリー。

ヨハンネスは、そのサリーを残して、船員としての大いなる旅に打って出る。

サリーを捨てたのではない。

自分の帰還を信じて待つことを、世間の印象とは切れた、決してすれっからしではない、純朴な心を持つサリーに求めたのである。

その旅から帰還して来たヨハンネスは、サリーとの愛を復元させようと努めるが、彼女の心は深く傷ついていて、殆ど孤独の極みにあった。

先のヨハンネスの確言は、この時に発せられたものである。

先述したように、確かに、この言辞はアグレッシブな含みがあるが、動かなければ「絶望」の淵から復元できないのだ。

今、そこにいる、光が届かない海淵から浮き出ることができないのだ。

生還せよ。

ほんの少しの戦力を駆り出して、いきり立て。

これは、紛れもなく、若きベルイマンのメッセージである。

思うに、ベルイマンの息子ダニエル・ベルイマンが父の幼年期をテーマにした、知られざる秀作「日曜日のピュ」で描かれていたように、厳格な牧師の父エリックは、子供たちの他愛のない悪戯に対して、体罰を持って常に対応した。

子供に対するエリックの罰には、子供の暗い衣裳部屋の中に閉じ込めてしまうという罰があった。

父の子供への折檻は、時と場所を選ばす、殆ど確信的に行われていたのである。

このような幼年期の経験は、相当の恐怖感を覚えるものとして、後々まで、その自我形成に、何某かの影響を及ぼすほどの過剰さを示していたことが容易に推測できる。

このような経験が、ベルイマンをして豊穣な想像力を育て上げ、それが、後世の職業選択に繋がったものと考えられる。

ベルイマンの自我の形成過程において、父の存在は、しばしば決定的なほどの敵対者だったのだ。

ベルイマンは女友達と半同棲のような生活を始め、何日も家に帰らなかった。それ以前から厳格な父エーリックに対する彼の憎しみは増大し、爆発寸前にまで達していたが、ある日父エーリックに女友達との関係を咎められるや、父と子の間の緊張感は絶頂にまで達した。ベルイマンは父を殴り倒し、家を飛び出て、スヴェン・ハンソンの所に駆けこんだ。それから何年もの間、ベルイマンは父エーリックと会うことはなかった」(「ベルイマン」小松弘著 清水書院刊より)

この一文でも分るように、彼の活発な女性遍歴は有名だが、明らかに、ベルイマンの行状は謹厳な父に対する戦意の渙発(かんぱつ)であると言っていい。

牧師という職業を決して選ばず、ベルイマンが、それとは無縁な演劇や映像の世界に、その身を投じた心理的な風景もまた、父との私的な関係史の中で俯瞰すると了解されるかも知れない。

若きベルイマンは、演劇の世界に入ることを父に拒まれ、その父が最も嫌ったはずの女性関係の縺(もつ)れなどで、積年の反発感情が炸裂した挙句、直接対決の修羅場を作り出してしまう。

「シュトルム・ウント・ドラング」とも言うべき、果敢な青春は、梃子(てこ)でも信念を変えない頑固一徹な父を殴り倒し、家出を敢行した。

そう考える時、疾風怒濤の攻勢で駆け抜けたベルイマンの作品のモチーフが、「神の不在」というテーマのみならず、人間関係が生み出す激しい確執・愛憎をも包括していたのは、彼のいきり立つ人生遍歴の所産でもあった。

因みに、ベルイマンの父エリックも、秀作「愛の風景」(ベルイマンの脚本で、「ペレ」のビレ・アウグストが監督)で描かれていたように、身分と育ちが異なる男女の関係をいかに修復し、その落差を乗り越えていくかという根本的テーマを内包する青春期を送っている。

貧しい神学校の学生である青年が、裕福な家庭の娘と恋愛関係に踏み込んだものの、周囲の反対と戦っていく青年の頑固な性格が、常に修復し難いネックになっていて、結局、自分の信念を決して曲げようとしない夫に、妻の心が離反していく悲劇を生み出していったのである。

「愛の風景」で描かれた風景は、まさに、様々な意識の落差を乗り越えられない、あまりに頑固なまでの男の精神世界の風景でもあった。

父と子。

その確執と、膨れ上がった厭悪(えんお)の広がり。

いきり立つ男は実存主義のスタンスを確保し、神を否定した。

父を否定したのだ。

「感情的な強請(ゆす)りは軽蔑する。自分で悟るべきだ。理解してくれ、許してくれというのなら、相手を間違えている。過去は既に解けない、謎の彼方だ。もういじくり回したくない。友だちではいよう。実際的な問題には手を貸すよ。話し相手にもなる。だが、感情的になるのは止めてくれ」

晩年、妻カーリン(ベルイマンの母)と別居していた、父エリックの孤独なる死の床を前に、ベルイマンが語った言葉である。

日曜日のピュ」の中で、ベルイマンの息子ダニエル・ベルイマンが、父(ベルイマン)と祖父(エリック)との関係の軋(きし)みと、和解への心的行程の一端を描いた峻厳(しゅんげん)なエピソードだが、どこまでも「映画の嘘」の世界に収斂されるだろう。

実際のところ、人間の複合的要素がデリケートに絡み合っているから、誰も分らない。

しかし、憎悪は、その対象と物理的・心理的距離を保持することで、関係を相対化し、和解する。

日曜日のピュ」で描かれた、父子の関係濃度の深まりと乖離こそ、いきり立つ映画作家ベルイマンの心象風景であったのかも知れない。

それにしても、「人生が絶望的でも、戦うことが人間の義務だ」という言葉は、私にはあまりに重い。

でも、これが正解だとも思う。

とにかく、「今」、「このとき」の辛さを抜けるには、これしかない。

動くしかない。

呼吸を繋いでいくしかない。

「まだ」、「私は」、「ここ」に生きているのだ。

そう、自らに叱咤していこう。

以下、人生論的映画評論・続: イングマール・ベルイマン ―― その映像宇宙のいきり立つ表現者より