<「一期一会」と「余情残心」 ―― 「今」・「この時」を丁寧に生きていく>
1 「日日是好日」の要諦を内化し、地に足をつけて呼吸を繋いでいる
二人の女子大生がいる。
一方は、田舎から出て来て、東京で一人暮らしを謳歌し、何事につけても能動的で、決意したら一気に動く美智子。
もう一方は、「一生を懸けられるような何かを見つけたい」と考える、理屈っぽく、努力家で、生真面目な性格の典子。
共に20歳。
従姉妹の関係にある。
そんな二人が茶道教室に通うことになる。
通う先は、「只者じゃないわよ」と、典子の母が太鼓判を押す武田先生の教室。
「只者じゃない」根拠は、「普通のお辞儀だけど、違う」というもの。
典子の母の強い推奨で美智子が反応し、引き摺られるように、典子も通うことになる。
いきなり、教えられたのは、袱紗(ふくさ)の折り方。(因みに、袱紗が朱色だから表千家であることが分かる)
懐紙(かいし)の上に和菓子を乗せて食べる二人。
先生が点(た)てた抹茶を飲む。
最後に、音を立てて抹茶を飲む「吸い切り」という作法を教えられ、「お茶って変ですね」と笑う美智子。
翌週は、「割稽古」(わりげいご)という基本動作。
その翌週は、お茶を点てる「お点前」(てまえ)で、その基本の「薄茶(うすちゃ)点前」。
「水指」(みずさし)(茶道具の1つで、水を蓄えておくための器)の持ち方。
炉から柄杓(ひしゃく)で水を汲む作法。
ここまで習って、疲弊する二人。
「初めに形を作っておいて、その入れ物に、あとから、心が入るものなのね」と武田先生。
「形だけなぞるって、形式主義じゃないんですか…なんか、意味でもあるんですか?」と美智子。
「何でも、頭で考えるから、そういう風に思うんだね」
武田先生の一言で、茶道の難しさを思い知らされる女子大生。
2か月後。
「頭で考えちゃ、ダメ。習うより、慣れろって言うでしょ。稽古は回数なの。そのうち手が勝手に動きます」
『何かに操られているみたいに、手が動いた。それが不思議に、気持ちいい。やった!』(典子のモノローグ)
『お茶って、なんだか凄い大変。赤ちゃんになったみたいに、何も知らない。武田のおばさんが、手の届かない遠くに行ってしまって、武田先生になった。私、続くかな…』(モノローグ)
二人は今、浜辺で戯れ合っている。
息抜きである。
典子が話しかける。
「子供の頃ね、『道』っていう映画を観たの。でも、全然分かんなかった。でね、この間もう一回見たら、凄い良い映画だった。この映画で感動できない人生なんて、勿体ないって思ったくらい」
「ふーん、それで?」と美智子。
「それで?」と典子。
「もしかしたら、お茶って、そういうものだったりして。あんた、お茶、好きでしょ」
「好きじゃないよ」
「素直じゃないな…天邪鬼!」
海辺でじゃれ合う二人。
そんな複雑な思いを引き摺っても、稽古に通う日々を繋ぐ二人だが、大学卒業後、二人の進路は分かれていく。
美智子は商社に就職するが、典子は出版業のアルバイトとして働くことになる。
それでも、お茶の稽古は継続されるが、決断力が早い美智子は、商社での仕事にアイデンティティを見出せず、時を移さず退社するや、実家に帰り、縁談を経て結婚し、円満な家庭を築いていく。
「美智子は地元で開業医と結婚して、子供を産み、家庭にしっかりと根を張って生きている」(典子のモノローグ)
自分にない行動力を美智子に感じつつ、出版業の正社員になるための試験が不合格になり、フリーライターとして身過ぎ世過ぎを繋ぐ典子の日々。
その間も、教室に通う典子が被弾する二つの蹉跌(さてつ)。
もう、30歳になっていた。
一つは、武田先生から「ごつい」と言われ、批判されたこと。
これは、相当、精神的に堪(こた)えた。
10年も茶道教室に通っているのに、「ごつい」と一蹴されたのだ。
これは、ナイーブな典子が、布団に包(くる)まってしまうに足る被弾であっただろう。
そして、もう一つ。
結婚する予定の恋人との関係が、挙式2カ月前に破綻してしまったこと。
「相手の裏切り」(典子の言葉)だった。
号泣する典子。
意気阻喪し、応戦能力を失った典子は今、フルボッコにされ、身動き困難な閉塞状態に捕捉される。
典子の被弾は大きく、茶道教室を休むことになる。
典子が始動したのは、3カ月後だった。
まもなく、一人暮らしを始めた典子に恋人ができた。
典子が変容していく。
そんな典子の身近で、あってはならないことが起こった。
温厚な父親の急死である。
衝撃を受けるが、共に哀しみを共有してくれる茶道の恩師がいた。
武田先生である。
何より、今の典子には、それを受容できる精神的強さがあった。
決して断念しなかった茶道の稽古を通して、物事に泰然として構え、浩然の気(こうぜんのき)を養ってきたのだろう。
2018年。
典子は今日も、「日日是好日」の要諦を内化し、年老いていく恩師の身近に心を預け、「一日一生」の精神で、地に足をつけて呼吸を繋いでいる。
そう、思わせる括りであった。