<「日常性」の只中で〈私の状況〉を維持し、自己運動を繋いでいく>
1 「白紙のページに広がる可能性もある」
“愛の詩”
我が家には たくさんのマッチがある
常に手元に置いている
目下 お気に入りの銘柄は オハイオ印のブルーチップ
でも以前は ダイヤモンド印だった
それは見つける前のことだ
オハイオ印のブルーチップを
その すばらしいパッケージ
頑丈な作りの小さな箱
ブルーの濃淡と白のラベル
言葉がメガホン型に書かれている
まるで 世に向かって叫んでいるようだ
“これぞ世界で 最も美しいマッチだ
4センチ弱の 柔らかなマッチ材の軸に
ざらざらした濃い青紫の頭薬
厳粛に すさまじくも 断固たる構え
炎と燃えるために
おそらく
恋する女性の煙草に
初めて火を付けたなら”
韻を踏まない、この散文的言語の集合は、路線バス運転手パターソンの詩である。
感興(かんきょう)の赴くままの詩作を趣味にする彼の住む街は、ニュージャージー州パターソン市。
居住する街と同じ名を持つ彼にとって、その日常性は詩の世界に満ち溢れている。
愛妻ローラと愛犬マーヴィンと暮らす生活の情景は、穏やかな幸福感で充溢していた。
「あなたの詩、何とかしたらいいのに。世に出すべきよ」とローラ。
「世に?脅かさないでくれ」とパターソン。
「真剣よ。おバカさんね」
この夫婦の会話で分かるように、パターソンにとって、詩作はどこまでも趣味でしかないのだ。
彼の一日は、殆ど規律正しく循環しているかのようである。
夜の散歩にマーヴィンを連れ出し、バーに入る。
「時間通りだな」とマスターのドク。
ここでビールを飲み、帰宅する。
月曜日が閉じ、火曜日の朝がやってくる。