断片でなければ、現実は理解できない ―― 『71フラグメンツ』・映画の構造を提示するハネケ映像の圧倒的な凄み

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<断片でなければ、現実は理解できない。断片からでなければ、現実は理解できない>

 

 

【震えを覚えるようなハネケ映像の大傑作。本稿では、71に断片化し、提示された映像を順繰りに追っていく】

 

 

1  無差別乱射事件を起こした大学生 ―― その収束点に集合する人々の断片的行路

 

 

「93年12月23日。19歳の大学生マキシミリアン・Bは、ウイン市内の銀行で3人を射殺、直後に頭を打ち抜いて、自殺した」

 

これは、本篇冒頭のキャプションである。

 

1993年10月12日。

 

川を泳ぎ、オーストリア密入国した少年が、トラックの荷台に乗り込む。

 

ここで、クレジットタイトルが出る。

 

その日、軍の武器庫に忍び込んだ男が、拳銃を盗み出した。

 

一転して画面は明るくなり、中年夫婦の朝の風景。

 

39度の熱を出した赤ん坊の泣き声に、嗚咽する母親マリア。

 

ウィーンに潜入した少年は、ゴミ箱で食べ残しを漁っている。

 

そして、パズルゲームで、ルームメイトとの賭けに負けた大学生マキシミリアン。

 

次に映像が提示したのは、児童養護施設を訪問したブルンナー夫妻。

 

「ブルンナーご夫妻です。アンニに会いに」

 

子供に恵まれないが故に、養子縁組のために訪れたのである。

 

そのアンニという名の少女は、俯(うつむ)いたままで挨拶に応えない。

 

一言も発せずに、妻が渡そうとした服を奪うようにして、走って持ち去った。

 

「すぐには打ち解けません。あれで普通ですよ」

 

施設の職員の言葉。

 

戸惑う妻。

 

先の中年夫婦の夫は、銀行に現金を運ぶ警備員の仕事をしている。

 

その銀行では、年金受給の老人たちの行列ができていた。

 

先頭の老人は、受付の女性の父親で、短い会話を交わす。

 

マキシミリアンが、寮の窓から飛び降り自殺した同僚学生の落下場所を確認する。

 

ホームレスの少年が雑誌を万引きした。

 

既に、常習化していた非行犯罪である。

 

卓球練習マシーンで、繰り返しラケットを振るマキシミリアン。

 

ハードな練習に顔も歪んでいる。

 

それが止め処(とめど)なく続くのだ。

 

武器庫から拳銃を盗んだ男は、盗難事件の車両検問を受けた。

 

男が、医務班の任務を負う兵士だったことが判然とする。

 

学食で、ルームメイトとの賭けパズルに負けた学生が支払いを拒否すると、発作的に食器を引っ繰り返すマキシミリアン。

 

ウィーンに来てもドイツ語が話せないために、誰ともコミュニケーションを取れない少年は、話しかけた男に煙草を貰い、火を点ける。

 

1993年10月26日のテレビニュース。

 

10人の犠牲者を出したIRAの爆弾テロ、エールフランス従業員のデモ、トルコに拠点を持つクルド人組織PKKのゲリラ戦略での犠牲者は42人、等々。

 

その犠牲者たちの悲しみの様子が画面に広がる。

 

学食での賭けで負けた学生が、拳銃を盗んだ男にカフェで会い、金を払う。

 

リボルバー(回転式連発拳銃)を手に入れたのだ。

 

そのリボルバーは、学食の賭けで買ったマキシミリアンのルームメイトの手に渡った。

 

相変わらず、ホームレスの状態を延長する少年は、地下鉄のホームで、線路を挟んだ向こう側でパフォーマンスする少年をトレースしている。

 

線路の淵を歩く危険な遊びである。

 

列車に飛び込むパフォーマンスを見せる少年。

 

一方、リバルバーを手に入れたルームメイトの学生は、それをマキシミリアンに渡すのだ。

 

マキシミリアンは拳銃を手に入れたのである。

 

そこに特別な意図がないようだった。

 

自分の部屋を見せてもらい、動物園に連れて行かれても、暗い表情のアンニは、引き取られる予定のブルンナー夫妻の家庭に、相変わらず馴染めていない様子。

 

「お前は言い訳だらけだ。とにかく、前に出すぎだ。球に食らいついていけ」

 

卓球の試合でミスをしたビデオを繰り返し流され、マキシミリアンはコーチから執拗に叱責される。

 

そして、年金受給者の老人の娘との電話。

 

元々、老人が娘に長々と電話(内容は後述)したのは、身の回りのことができなくなった隣の老人が、“施設に入るぐらいなら自殺する”と言って、子供と同居するに至ったという、自らに関わる身の上話を聞いてもらいたかったからだ。

 

その後も、娘の亭主を案じたり、孫のシシーを呼び出したりして、延々と話を繋げようとする老人。

 

「愛してるよ」と夫。

「どうしたのよ」と妻マリア。

 

これは、病気の赤ちゃんを持つ、中年夫婦の夕食での会話の端緒である。

 

「酔ってるの?」

「うん?なぜだい。少し酔ってる」

「一体、何のつもり?狙いは何よ」

「何とかしたい」

「何をよ」

 

その瞬間、突として、妻の頬を叩く夫。

 

無言の「間」のあと、妻は夫の左手に優しく添える。

 

無言のまま、夕食は続く。

 

車上荒らしで手に入れたカメラで、凝視する通行人たちを撮っていると、警官の姿が目に入り、迷わず逃走するホームレスの少年。

 

警官に追いかけられ、少年はカメラを捨て、走り去っていく。

 

「いつから、あのうちに住めるの?」

 

夜、施設職員の部屋を訪れ、小声で尋ねるアンニ。

 

これが、アンニの率直な思いのように見える。

 

1993年10月30日のテレビニュースは、警察に逮捕された少年のインタビューだった。

 

テレビは、異国から来た少年に同情的な視線で、少年の置かれた状況の苛酷さを伝えていた。

 

そのインタビューで明らかになったのは、両親のいない少年が2年前に施設から逃げ出し、ホームレス集団に加わっていたこと。

 

友達が2人死ぬなど、施設の状況が厳しくなったことで、少年はルーマニアの首都ブカレストから不法入国を決行したのだった。

 

そのテレビを見ていた養子縁組を望むブルンナー夫妻は、薄幸の少年に対して深く思いを寄せる。

 

テレビが伝える不法移民の惨状に心を痛めたブルンナー夫人は、思わず嗚咽するのだ。

 

かくて、不法移民の少年に同情する夫婦が、アンニではなく、少年を養子に迎えることを決めるに至る。

 

同情的な視線で放送するテレビニュースの影響力の大きさを、観る者に見せつけるシーンだった。

 

1993年11月17日。

 

テレビでは、レバノン内戦でのイスラエル空軍の報復爆撃の様子を伝える。

 

続いて、ジェノサイド罪で被告となった、ユーゴ紛争時の独裁者ミロシェビッチ(当時、セルビア共和国大統領)らの、旧ユーゴユーゴスラビア国際戦犯法廷が開始されたニュース。

 

相変わらず、賭けに興じるマキシミリアンとルームメイトの二人。

 

マキシミリアンは実家の母に電話で近況を話し、父親にも宜しくと伝えた。

 

実家に帰省するようである。

 

1993年12月23日。

 

テレビでは戦闘が続く、サラエボのクリスマスの様子を伝える。

 

続いて伝えられたのは、マイケル・ジャクソンに関するニュース。

 

マイケル・ジャクソンが嘘つきかどうか、テレビ出演がファンの話題を呼んでます。加療中だった数週間の沈黙を破り、自宅から生放送で、児童虐待の疑いを否定」

 

「“罪人扱いしないで”マイケルは涙ながらに無実を訴えました。警察に性器まで取り調べられたそうです。虐待を受けたとする少年が述べた特徴と…」

 

早朝から、赤ちゃんにミルクを飲ませるマリア。

 

「行ってくるよ」

「帰りは?」

「6時過ぎだ」

「じゃあね」

「ああ」

 

小さな笑みを浮かべるマリア。

 

公衆電話で、実家に帰省する電車の到着時刻を伝えるマキシミリアン。

 

不法移民の少年を養子にしたブルンナー夫人は、車を運転しながら、少年にドイツ語の単語を教えていた。

 

出勤した警備員の男が、いつものように、銀行の金庫に現金の入ったトランクを交換する作業がモニターに映し出される。

 

その朝、年金受給者の老人が、銀行へ出かける支度をしている。

 

マキシミリアンは時間を気にしながら、渋滞の道路を外れ、給油所でガソリンを入れている。

 

移民の子を連れたブルンナー夫人は車を止め、銀行に入り、二人で順番の列に並ぶ。

 

ガソリン代のクレジット払いが使えず、機械での現金化を不愛想に言われて、苛立った様子のマキシミリアン。

 

老人が、バスで銀行にやって来た。

 

現金支払機が取り扱い中止なので、銀行を覗くマキシミリアン。

 

「300シリングくれないか」

 

マキシミリアンは、銀行窓口の男性に矢庭に声をかけた。

 

「お並びください」

「支払い機がダメで、車は給油所なんだ」

 

そう訴えたと同時に、その後ろで待っていた男が、マキシミリアンの体を荒っぽく押しのけた。

 

「並べよ!」

 

更に男は、マキシミリアンの体を壁の方に追いやり、暴力的に押し倒したのだ。

 

「出ましょう」

 

列に並んでいた少年を連れたブルンナー夫人は、そこから離れ、少年を車で待たせた後、銀行に戻った。

 

銀行を出たマキシミリアンは、一旦、車に戻り、気持ちを落ち着かせようとする。

 

そこに警備員が銀行窓口に現金のトランクを持ってやって来て、係の者からサインをもらう。

 

重なり合った躓(つまず)きの連射。

 

今や実家に帰省できず、身動きが取れなくなったマキシミリアン。

 

想定外の行動が、瞬時に惹起する。

 

車から外に出て、銀行に入ったマキシミリアンが、俄(にわか)に、リボルバーで客に向かって無差別に乱射したのだ。

 

銀行を出て、クラクションを鳴らす車に発砲しながら、通りを渡るマキシミリアン。

 

自家用車に戻るや、一発の銃声が鳴り響く。

 

斃れた警備員の体から、どす黒い血が床に広がっていく。

 

車の中に置き去りにされた少年もまた、養母を喪ったのである。

 

以下、 「人生論的映画評論・続: 断片でなければ、現実は理解できない ―― 「71フラグメンツ」・映画の構造を提示する、ハネケ映像の圧倒的な凄み」より