たかが世界の終わり('16)   グザヴィエ・ドラン

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<家族という〈抉られた傷痕〉への帰還 ―― 恐怖突入するゲイ作家の覚悟と沈默>

 

 

 

Ⅰ  「私たちは、あなたがくれる時間を恐れてる」

 

 

 

「あれから10年が過ぎた。正確には12年だ。12年の空白のあと、怖れを抱きながらも、僕はあの人たちに、再び会おうと決めた。人は様々な動機に突き動かされて、自らの意思で、そこから去る決断をする。振り返ることもなく、同じように、戻ろうと決意する理由も数多くある。こうして長い不在のあと、僕は決めた。自分が来た道をたどろうと。旅に出るんだ。僕の死を告げるために。彼らと向かい合って。他者に、そして自分に、最後に遺していく。僕という存在の幻想。その日が迫っても、自分であり続けたと。さあ、どうなるだろう」

 

これは、12年ぶりに実家に帰る劇作家・ルイの航空機内でのモノローグ。

 

すべては、ここから開かれていく。

 

知らされていたとは言え、突然のルイの帰宅に家族は当惑する。

 

その中で、兄の記憶が殆どない妹・シュザンヌが、ルイを抱擁して迎える。

 

「ルイ、素敵な髪型ね。よく見えないけど。タクシーなんて高いのに」

 

母のマルティーヌが、マニュキアをドライヤーで乾かしながら、甲高い声で第一声を上げる。

 

「ゲイは美しいものが好きなの」

 

ルイを迎えるその日の、母マルティーヌの言葉である。

 

そんな母の物言いにイラつくシュザンヌ。

 

次に、兄アントワーヌの妻・カトリーヌが紹介される。

 

彼女とは初対面である。

 

「中に入れてやれ。まるで子犬だ」

 

アントワーヌの皮肉交じりの出迎えの言葉。

 

「会えて嬉しいよ」

 

ルイがカトリーヌに挨拶する。

 

初対面であることに驚き、奇声を発する母。

 

「叫ばないでよ」

 

シュザンヌは、事あるごとに母に突っかかるが、母への愛情も強いように見える。

 

それが笑いに代わり、母も嬉しそうに話すのだ。

 

「私たちって、変わった人生を送ってる」

 

どこの家族もそうであるように、ルイを迎える家族もまた、必ずしも和やかで、順風満帆な風景を描いているわけではない。

 

そんな中で、心のこもった話を、退屈そうなルイに語りかけるのはカトリーヌ。

 

「退屈じゃない。子供の話を聞かせて」

「よかった」

「男の子とは僕と同じ名前ですね」

「ええ。ごめんなさい」

「すごく、うれしい。それを聞いた時は感動しました」

「今は6歳です。娘とは2歳違いなんです。でも分からないわ。話を続けていいのか…」

 

そこで、後ろ向きに立って二人の話を聞いていたアントワーヌは、突然振り返り、言い放った。

 

「俺を悪者にするなよ。話したけりゃ話せ。俺が邪魔しているような言い方はよせ」

「あなた、どうかしてる」

「話してやれ。聞きたがってる…」

 

嫌というほど捲(まく)し立てる、アントワーヌに口を挟んだのはシュザンヌ。

 

「いい加減にして」

「そうだな。すまなかった。悪気はなかった」

 

以下、ルイがシュザンヌの部屋に招かれた際の会話。

 

「あの頃の記憶は、ほとんどない。でも、皆からよく話を聞いた。ルイ兄さんのこと。いつも考えてる。出て行くなんて…間違ってた。私にとっても、ママたちにとっても。自分ではどう?後悔したことは?会いたかった?ごめんなさい」

「ここへ来たのは、それもある」

 

劇作家として活躍する兄をずっと慕い、待ち続け、裏切られ続けた思いを吐露するシュザンヌ。

 

「私たちはルイ兄さんを賞賛してる。私たちなりにね…本当に素晴らしい才能よ…でも、私たちのためには活かしてない。他人のためよ。あなたを知らない」

 

兄を赦す感情と責める感情が混交し、辛辣な言葉となり、巧みに表現できないシュザンヌにとって、兄の存在はどこまでも、家族内の未知なる成員としてのラインを越えられないのだ。

 

ルイもまた、立ち竦んだまま、一方的に話をする妹の言葉を何とか受け止めようとするが、その心理的距離は埋まらない。

 

まもなく、ダイニングキッチンに集まった家族。

 

母マルティーヌは、カトリーヌの知らないアントワーヌの学生時代の話を皮切りに、かつて愉悦した「日曜日」の思い出の日々について、滔々(とうとう)と話し続けていく。

 

「息子たちも、すっかり大きくなって、娘も生まれた。息子たちは自転車で出かけるようになり、家族の日曜日は終わった」

 

とどのつまり、マルティーヌは「家族の物語」の再生を希求しているのだ。

 

部屋に戻り、ルイが嘔吐したのは、この直後だった。

 

ゲイパートナーから携帯電話を受け、ルイは本音を吐露する。

 

「いや、まだだ。いきなり切り出せない…たぶん昼食のあとで、デザートを食べながら。その時が来たら、話したら帰るつもりだ。なんて言われるかな。誰も泣かないかも。すごく怖い。彼らが怖くて」

 

ディスコミュニケーションの不全感の中で、ルイは「妹との話すのは辛かった」とも表白する。

 

今度は、母マルティーヌの話を聞くルイ。

 

「一番の問題は、私たちは、あなたがくれる時間を恐れてる。私も怖いけど、長くいると思ってない。それでもいい。今はここにいる」

 

母の話は止まらない。

 

「もう戻らない気ね。2人の背中を押せるのは、あなたしかいない。私が励ましても、何の足しにもならない。勇気づけてあげて。望むようにやっていいと」

 

これが言いたかったのだ。

 

ほんの少し時が進み、昼食の場で、アントワーヌの饒舌が止まらない。

 

帰りの時間を気にしつつ、その場に溶け込めないルイを気遣うシュザンヌ。

 

彼女にとって、誹議(ひぎ)しつつも、ルイの存在はどこまでも憧憬に満ちた自慢の兄だった。

 

一方、ルイが昔住んでいた家に行きたいと言うや、間髪を入れず、アントワーヌは嫌味の言辞を投げつけた。

 

「気取り野郎の趣味に付き合えと?」

 

暴言を吐き下す兄と、それに反発する妹の口喧嘩が続き、二人とも席を立ち去っていく。

 

シュザンヌには、家を出ることしか考えていないようである。

 

物置小屋に入り、昔の私物に見入り、ルイは家を出る前の回想に耽っていた。

 

若き日のゲイ体験である。

 

そこに、デザートの時間を告げにカトリーヌがやって来た。

 

「あと、どれくらい?」

 

沈黙の小さな「間」の中から、問いかけるカトリーヌ。

 

驚いた表情のルイ。

 

「何がですか?」

「あと、どれくらいで…あなたは…アントワーヌは一人で上にいるので、話してきたら?」

「そうします」

 

それだけだった。

 

その直後、アントワーヌの元へ行き、二人でドライブに行くことが決まった。

 

車内で、ルイが空港から家までの足取りについて話をするや、アントワーヌは害意を剥(む)き出しにしていく。

 

「なぜ、そんな話を?何か言って欲しいのか」

「そうじゃない。ただ、知って欲しかった。大事な話じゃない。本当のことだし、話したいと思って」

「頼むから、やめてくれ…お前が早く来ようが、あとで来ようが関係ない」

 

そう言いつつ、発問するアントワーヌ。

 

「ここまで来たからって、世界が終わるわけじゃない。聞きたくなければ黙ってる」

「何を言ってる?ちゃんと聞いてるよ」

「よく分からないけど、兄さんが、今朝の話を聞いたら喜ぶと思った。空港のカフェにいた。覚えてるかい?待ってたんだ。夜明けに押しかけたら驚くだろ。シュザンヌが猟銃を構える姿が目に浮かぶ。いつもハイだから」

「話は終わりか?」

「待ちわびながら思った」

「“待ちわびる”?さすがだ。最高だ!」

「待ちながら、兄さんに話そうと思ったんだ」

 

ルイが如何に兄との距離を意識し、会話の糸口を探して思い悩んでいる様相が判然とする。

 

「相変わらずだな。もったいぶった話と空しい言葉。こっちは訳が分からなくなる。人を混乱させやがって」

「どうかしてる」

「何だと?イカれてるのはお前だ。その続きは聞かなくても分かる…」

 

延々と続く、厭味(いやみ)の氾濫。

 

「なぜ戻って来たのか。想像もつかない。誰にも分からない。だから厄介なんだ」

 

その後もドライブ中、ルイを嘲罵(ちょうば)する言辞が連射されるのだ。

 

「先週の話だが、ピエールがガンで死んだ…お前のピエール」

 

息が詰まる不快な状況の只中で、車を降りたアントワーヌが、助手席にいるルイに、思い出したように言い添えた。

 

復元困難な、澱み切った風景のくすみ。

 

これは、ここから開かれる「デザート破壊」の初発点に過ぎなかった。

 

以下、「人生論的映画評論・続: たかが世界の終わり('16)   グザヴィエ・ドラン」より