「バカンス」を軟着させた青春の息づかい ―― 映画「ほとりの朔子」(’13)の素晴らしさ 深田晃司

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1  囲繞する大人社会のリアリティの「観察者」

 

 

 

8月26日 日曜日。

 

浪人中の朔子(さくこ)が、叔母の海希江(みきえ)と共に、外国旅行に出かける海希江の姉・水帆(みずほ)の家を訪れる。

 

水帆が留守の間、二人が夏の終わりを過ごすのである。

 

旅支度を終えた水帆を車で送るのは、海希江の幼馴染の兎吉(うきち)。

 

その娘・辰子(たつこ)を紹介され、朔子をヒロインとする「バカンス映画」の一日が開かれていく。

 

8月27日。

 

一人で海に入る朔子の二日目は、夏の海の波音の響きが構図に融和していた。

 

8月28日。

 

インドネシア語の研究をする海希江は、翻訳の小説に出てくる花、川辺に咲くフシグロセンノウの存在を、水帆の知人の敏江から聞き知り、それ見に朔子と徒歩で出かける。

 

途中、自転車に乗り、甥の孝史(たかし)を連れた兎吉と出会い、二人はそれぞれの自転車の荷台に乗り、川辺まで別の道を行く。

 

先に着いた孝史と朔子は、叔母たちを待つことになるが、いつまで経っても海希江らはやって来ない。

 

かくて、中期青春期の渦中にある、朔子と孝史は自然に会話を交わすことになる。

 

孝史は高校に行かず、兎吉のホテルで働いていると言う。

 

程なく到着した海希江は、早速、フシグロセンノウの写真を撮り、それに見入る朔子。

 

朔子は今、「ほとり」(大人と子どもの中間で、そのどちらでもないという意味=監督の言葉)

にいて、たおやかに佇んでいた。

 

8月29日。

 

兎吉が河原に忘れた麦わら帽子を届けるために、辰子がバイトする喫茶店に行く朔子。

 

闊達(かったつ)そうな大学生の辰子は、詩を自費出版したと言う。

 

帰り際に麦わら帽子を辰子に渡そうとすると、父と一緒に住んでいないというので、兎吉が経営するホテルへ届けに行く。

 

ホテルと言っても、その内実は、風営法で規制されている偽装ラブホテル

 

その偽装ラブホテルで働く孝史と再会した朔子は、その孝史から意外な話を耳にする。

 

過去に、兎吉と海希江が付き合っていて、結婚寸前まで行ったがダメになったという話である。

 

そんな話を含めて、二人の会話がプライバシーにも及び、その関係に一定の近接感が生まれていく。

 

朔子が家に戻ると、大学の非常勤講師である西田と、敏江とその友人たちが、海希江の元に集まっていた。

 

そこでも朔子は、兎吉と孝史についての噂話を聞かされる。

 

兎吉がチンピラであり、その甥の孝史は福島原発事故の避難民で、両親は仮設住宅に住み、孝史は疎開し、今、兎吉のところに住んでいるということ。

 

「変な仕事も手伝わされているみたいだし、あんな男に預けるなんて、よっぽど追い詰められていたんでしょうね、ご両親」

 

その話に聞き入る朔子だが、席を外して二階に上がる。

 

大人たちの溢れ出る世間話に囲繞され、何も起きない朔子の一日が閉じていく。

 

8月30日。

 

西田と共に、海岸に行く朔子と海希江。

 

泳ぎが苦手な西田は、砂浜で、二人が海で遊んでいるのを眺めている。

 

兎吉の娘・辰子が西田に声をかけたのは、そんな時だった。

 

大学の講師である西田を知っていて、著作も読んでいたので、それを話題にして話す二人。

 

そこに孝史もやって来て、朔子と海岸沿いを歩いていると、同級生の数人とすれ違い、卑猥な言葉を投げかけられ、孝史は冷やかされる。

 

朔子と孝史のもとに、同級生の一人・知佳(ちか)が戻って来て、彼らの冷やかしを謝り、その連作先を教える。

 

少しずつ、朔子のバカンスの日常が忙しなくなってきた。

 

8月31日

 

大学の西田の授業に出席する辰子。

 

授業終了後、辰子は西田に声をかけ、車で送ってもらうことになる。

 

その車内で、辰子は自分の身の上話を始める。

 

チンピラだった父親が母の死を機に、辰子を大学へ行かせるため、ラブホテルの支配人となったが、その大学では偽装大学追放のキャンペーンをしているのだ。

 

それが、辰子が父親を倦厭(けんえん)する理由だった。

 

妻子持ちの西田と海希江との関係を責め、父親のラブホテルを使えばいいと冗談を言う辰子。

 

その西田は辰子を誘い、関係を持つに至る。

 

一方、朔子は約束通り、孝史をランチに誘ったが、注文した直後に知佳から電話がかかり、この喫茶店に呼ぶように朔子は言い添えて、自分は店を出てしまった。

 

その直後、朔子は海岸へと足を運び、砂浜を走り、迷い歩く。

 

朔子の内面が、緩(ゆる)やかに漂動していた。

 

9月1日

 

辰子の誕生日の自宅での食事に、兎吉から呼ばれた海希江と朔子は、海希江の愛人である西田を連れ、兎吉の自宅を訪ねる。

 

辰子と関係を持った西田は、当然ながら乗り気でなかったが、兎吉が女性の好みや学生との関係について、執拗に聞いてくる卑猥な話題に嫌気が差し、席を外しまう。

 

海希江が心配していくと、西田は台所で不満を垂れる。

 

「正直言って、うんざりだ。お前のために、ここまで来たのに」

「ちょっと、私、来てくれなんて言った?」

「それが、勝手だって言うんだよ。汲み取れよ、僕の気持ちを」

「あのね、私はここに、仕事をしに来ているの」

「それが、どうだってんだよ。僕だって仕事があるのに」

「だから、仕事と恋愛は分けたいの。言ってるよね、前から」

 

なおも続く、世俗の臭気全開の諍(いさか)い。

 

「来なければ良かったよ。それにあのチンピラ、最低だよ。親も娘も。何だって君は、あんなのとつきあってんだ」

「古い馴染みなの、親友を悪く言わないで」

「親友以上なんじゃないか」

「そうよ、ばっか、そんな訳ないでしょ」

 

「汲み取れよ」という西田の言辞には、その思い入れの強度において「男性社会の象徴」(監督の言葉)でもある。

 

それが、直後のシーンで炙り出されることになる。

 

兎吉親娘がカラオケをしている部屋に戻り、東京に戻ることを西田が告げると、辰子がいきなり頬を叩いた。

 

「面白くねえよ!エロ親爺!」

 

それを止める父親をも叩いた気強い辰子にとって、男社会の異臭への倦厭を身体化せざるを得なかったのだろう。

 

笑み含みで、大人社会の現実を視界に収める朔子は、外に出て花火をしていると、孝史がデートから帰って来た。

 

孝史はデートではないというが、知佳にイベントに誘われた話をすると、朔子は頑張れと励ます。

 

朔子を囲繞する大人社会のリアリティは、いよいよ増幅していくようだった。

 

以下、人生論的映画評論・続: 「バカンス」を軟着させた青春の息づかい ―― 映画「ほとりの朔子」(’13)の素晴らしさ 深田晃司より