「別離のトラウマ」の破壊力 映画「寝ても覚めても」('18) ―― その「適応・防衛戦略」の脆弱性  濱口竜介

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1  震災が、うまく折り合えない二人の関係を溶かし、親愛感を強化していく

 

 

 

「朝ちゃん、あれはあかん。一番あかんタイプの奴や。泣かされてるのが目に見えてる」

「バクっていうの、麦って書くねん。妹さんがマイって言うねん。米って書いて、マイ。お父さんが北海道で、穀物研究してんねん。いい名前やない?麦って書いて、バク。あたしは、すごく、いい名前と思った」

 

その麦に一目惚れした朝子が、彼女を心配する親友の春代と、クラブで踊っている時の会話である。

 

そんな春代のアドバイスにも拘らず、朝子は麦とツーリングしたり、共通の友人たちと遊んだりして、楽しく過ごしていた。

 

舞台は大阪。

 

ある日、朝子は、麦が居候中の岡崎の家に泊りがけで遊びに行った。

 

夜になり、パンを買いに行くと言って出かけた麦は、翌朝になっても帰って来なかった。

 

心配する朝子を尻目に、岡崎は麦が一週間くらい帰って来ないのは、よくあることだと言う。

 

不安になった朝子が、家を飛び出していくや、麦が帰って来た。

 

抱きついた朝子に、麦は言う。

 

「朝ちゃんのところに、必ず帰って来る」

 

「半年後、麦は靴を買いに出かけると言って、そのまま帰らなかった」(朝子のモノローグ)

 

2年と、少し後。

 

そんな朝子が、失踪した麦と瓜二つの亮平に会ったのは、東京で喫茶店に勤めてからだった。

 

隣のビルの酒造メーカーに、コーヒーポットを取りに行った際、大阪から転勤してきたばかりの亮平を見るなり、麦と思い込み、衝撃を受ける。

 

しかし、名前を言ってもピンときていない様子の亮平に、立て続けに発問していく。

 

「東京は初めてなんですか?」

「いや、出張では何度かありましたけど、住むのは初めてです」

「出身は?」

「姫路です。大学から大阪で」

「ご兄弟は?」

「一人っ子です。これ、何のアンケートですか?」

「お名前は?」

「丸子亮平」

「麦やん…」

「え?俺が、まさか、バクに似てるって言うてんの?」

 

その反応を耳にするや、朝子は部屋から走り去った。

 

亮平は、奇妙なことを口走る朝子のことが気になり、彼女に近づこうとするが、朝子は拒絶的な態度を崩さない。

 

ある日、亮平は会社帰りに、写真展の前で立っている朝子を見つけ、声をかける。

 

そこに朝子のルームメイトのマヤが遅れてやって来て、入店を断られるが、亮平が取り成して、何とか3人で写真展を見ることができた。

 

その写真展こそ、最初に麦と出会った同じ作家の作品展だった。

 

その後、3人で喫茶店に入り、亮平とマヤの話は盛り上がるが、朝子は相変わらず口数が少ない。

 

突然、「もう帰る」と言って、朝子は一人で帰宅してしまう。

 

帰り際に自宅に来るようにマヤに誘われた亮平は、後日、同僚の串橋を連れて、朝子とマヤの家を訪ねる。

 

女優志望のマヤの舞台のビデオを4人で観ていたが、串橋は突然帰ると言い出し、険悪なムードになった。

 

マヤに理由を聞かれた串橋は、マヤの演技を安っぽく、自分に酔っているだけだとと誹議(ひぎ)し、「これでは誰にも届かない」と持論を展開するのだ。

 

それに対し、朝子はマヤを擁護する。

 

「ちゃんと、私には届いた。一つのことを、ずっと続けているマヤちゃんを凄いと思う。自分にはできないって、いつも思う。尊敬してる」

 

見かねた亮平も、マヤに謝るように促すと、串橋はそれに応じる。

 

「すいませんでした。言うべきじゃなかった…嫉妬したんだと思います。自分が諦めたことをずっと続けている人がいて、その人が輝いていて、それで、言ってしまいました」

 

亮平の仲介によって、この場はそれで収まり、4人の交流は続いていく。

 

翌日、いつものようにコーヒーポットを受け取って戻ろうとする朝子を、亮平が追って呼び止めた。

 

「何で、君はいつも、僕から逃げんねん。何かの勘違いなら申し訳ないけど、君かて、俺のこと、気になってんのちゃうか。初めて会ったとき、何か、感じたんとちゃうか。俺は、ずっと君のことが気になってる…俺は多分、君のことが好きなんやと思う。もっと、段階踏めたらいいんだろうけど、いつも話にならんし、でも、俺、多分、君が思うてるような奴やないで。そんな怖い奴でも悪い奴でもない…俺のこと、ちゃんと見てくれ。俺は、君が好きや」

 

朝子は俯(うつむ)いたまま話を聞いていたが、亮平の差し伸べた手に朝子も応え、二人はそこでキスする。

 

亮平はマヤの舞台があることを知り、夜の部に行くと言うが、朝子は昼の部にしてくれと言う。

 

「すみません、もう無理です。もうお会いできません。私のこと、忘れてください」

「ちょっと、急に何で?」

「ごめんなさい」

 

唐突だった。

 

突然、朝子から亮平に携帯がかかってきたのだ。。

 

折り返しかけても、不通の状態。

 

亮平は、マヤの舞台を昼の部に変えて行くが、朝子が翌日に変更したことを知る。

 

そして、舞台が開幕する直前に、突如、強い地震が起こり、公演は中止となる。

 

東日本大震災である。

 

交通機関はストップし、歩行者で溢れる東京の街を、亮平も歩いて会社に戻っていく。

 

路傍に座り込み、涙する女性に声をかける亮平。

 

亮平の優しい性格が透けて見える。

 

日が暮れて、なお歩き続ける、無数の人々が群れを成している。

 

亮平の足が止まり、その先に、朝子の姿があった。

 

ひしと抱き合う二人。

 

「亮平」

 

初めて、その名を呼んだ朝子の眼には涙が滲んでいた。

 

未曽有の災害の恐怖が、朝子の中枢を襲い、凍てついた感情が一気に溢れ出してしまったのだ。

 

震災が、うまく折り合えない二人の関係を溶かし、親愛感を強化していったのである。

 

以下、人生論的映画評論・続: 「別離のトラウマ」の破壊力 映画「寝ても覚めても」('18) ―― その「適応・防衛戦略」の脆弱性  濱口竜介  より