海を駆ける('18)   深田晃司

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<「さよなら。またどこかで」という理不尽な自然の挑発に、人は何ができるか>

 

 

 

1  「海から出て来た異体」と、若者たちとの緩やかな交流

 

 

 

2004年、インドネシアスマトラ島のバンダ・アチェに大津波(注1)が襲い、そこに一人の日本人が浜辺に打ち上げられた。

 

この津波の復興支援をするNGOで、バンダ・アチェにやって来た一人の日本人。

 

貴子である。

 

貴子の息子で、インドネシア人の父との間に生まれたタカシは、インドネシア国籍を選んでいて、日本を知らないが、日本語は堪能である。

 

以来、津波の復興支援をライフワークにした貴子は、タカシと共にアチェで暮らしていた。

 

貴子は早速、アチェの浜辺に打ち上げられた男に会いに行く。

 

男は記憶を失っていた。

 

一方、タカシは、日本から来た姪の大学生のサチコを空港に迎えに行き、その男を連れた貴子らと合流し、トラックの荷台に乗り込む。

 

そのトラックの荷台で、漂流した謎の男が、突然、歌い出す。

 

ラウ ―― 貴子が名付けた男の名である。

 

その意味は、インドネシア語で「海」。

 

貴子は、このラウを保護する役割を担ったのである。

 

「僕はインドネシア語も、日本語も完璧じゃない。だから僕は、日本人にも中国人にも思われる。時々、自分は一体、何なんだろうって考えます」

 

記者志望のイルマが、タカシにインタビューした際の動画での発言だが、自分のルーツに困惑し、アイデンティティークライシスに陥っているように見えるものの、当人は至って闊達(かったつ)である。

 

そのタカシが思いを寄せるイルマは、スマトラ沖地震で母親と家も財産も失い、現在、父親と復興住宅に住んでいる。

 

ラウの身元捜しをする貴子とイルマは、カメラマンとしてのタカシ、幼馴染のクリス、サチコを伴って出かけた。

 

宿泊名簿から、クロダという日本人らしき名前が浮上する。

 

最後に着ていた服と似ていると証言する女主人。

 

そんな情報しか得られず、結局、何も分からないまま。

 

一方、サチコは亡父が遺した写真を手立てに、遺言にあった遺灰を撒く場所を探している。

 

これが、サチコのインドネシア訪問の目的である。

 

その写真を見たクリスは、その場所を知っていると言う。

 

二人はその地に行き、海辺に立ってみたが、写真の場所に似ているものの、違うと答えるサチコ。

 

二人の会話は津波の話題に及び、優秀なイルマが大学に進めなかった不運について、クリスは同情含みに説明する。

 

ラウの身元調査を続けたが、一向に手掛かりは得られない。

 

帰り際、道に横たわる少女を、ラウが手をかざして救済するシーンがインサートされる。

 

ラウの超能力なのだろうか。

 

その様子をビデオカメラで撮影したイルマは、その映像を確認する。

 

ラウが手から水の球のようなものを作り、それを少女の口の中へ入れると、少女は目を覚ます。

 

イルマは、それを「海から来た男」というテーマで起筆し、アチェ新聞にメールを送るが、「手品」として片付けられ、採用されることはなかった。

 

―― アチェに集合した4人の若者。

 

タカシ、クリス、イルマ、そして、英文学を専攻しながら、何某(なにがし)かの事情で大学を中退したサチコである。

 

イルマに思いを寄せるタカシ。

 

サチコに思いを寄せるクリス。

 

イルマとクリスの付き合いは、宗教の違いで禁忌にされていたらしい。

 

「彼とは友だちのままでいたい」

 

イルマの吐露である。

 

そんな4人が、サチコの歓迎パーティーに集合した。

 

そこにやって来た貴子の友人、ジャーナリストのレニをイルマに紹介する。

 

アチェ紛争を取材中で、イルマの父親が「アチェ独立運動」(注2)の闘士だったからである。

 

その父は拷問され、脚に障害が残っている。

 

一方、サチコに思いを寄せるクリスは、直截(ちょくさい)に愛の告白をする。

 

「サチコ、ツキガキレイデスネ」

 

「月、見えないよ…ごめん、意味分からない」

 

拙い日本語で告白したクリスは、サチコに振られたと思い、努力虚しく、その場を立ち去っていく。

 

実は、「月がきれいですね」というのは、漱石がかつて「I love you」を訳した言葉だった。

 

これは、叔母から教わったタカシが、クリスに伝授した愛の告白だったのである。

 

翌朝、サチコが発熱で苦しんでいた。

 

そこにラウがやって来て、いつものように手をかざした。

 

海で泳ぐ夢を見るサチコ。

 

島のトーチカで、父親がカメラで写真を撮るのが見える。

 

翌朝、サチコの熱は下がっていた。

 

ラウの超能力の発現である。

 

クリスが見舞いにやって来て、サチコは夢で見たトーチカのある場所を訊ねた。

 

それは、アチェ北部のサバンにあると言う。

 

「そこが、私が探していた場所だと思う」

 

クリスが、その場所に連れて行くとサチコに約束した。

 

そのサチコが、テレビを見て仰天する。

 

レニがラウを同席させ、ジャカルタで記者会見を開き、イルマが撮った映像を紹介し、自分の取材であるかのように説明するのだ。

 

矢継ぎ早に質問する記者たち。

 

「日本人ですよね?なぜインドネシアに?」

「分からない。さまよってたら、アチェにたどり着いた」

「今ここで、水の球を出してください」

「何のこと?」

「ビデオで見ましたよ。手品ですか?」

 

ここで、レニが代弁する。

 

「手品ではありません。科学者が証明しています」

 

ラウが再現しようとするが、気乗りがしないのか、ラウは席を立つ。

 

「疲れた。もう帰る。さよなら。またどこかで」

 

すべてインドネシア語である。

 

そう言って部屋を出たラウが、瞬時に、アチェのサチコとタカシのいる部屋に入って来た。

 

まさに、「海を駆ける異体」だった。

 

(注1)【これは、スマトラ島北端に位置するバンダ・アチェアチェ州の州都)を震央にし、22万人の犠牲者を出した「2004年スマトラ島沖地震」のことで、地震の規模のエネルギー量を表す指標値である「モーメント・マグニチュード」(Mw)において、2011年「東日本大震災」の約1.4倍に相当すると言われる。因みに、近代地震学の計器観測史上で世界最大なのは、1960年に起こった「チリ地震」である】

 

(注2)【「アチェ独立運動」とは、インドネシアからの分離・独立を標榜して、1976年に結成された武装組織「自由アチェ運動」を主体にする反政府運動であり、スハルト政権下で30年間に及んで1万5千人の犠牲者を出した大規模な武装闘争だった。「ヘルシンキ和平合意」(2005年)において停戦に至った】

 

以下、人生論的映画評論・続: 海を駆ける('18)   深田晃司より