神々と男たち(’10)   グザヴィエ・ボーヴォワ

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<死への恐怖、欺瞞・偽善と葛藤する時間を累加させた果てに、究極の風景を炙り出す>

 

 

 

1  クリスマスイブの夜、粛然と聖歌を唄う修道士たち

 

 

 

スンニ派イスラム教の共和制国家・アルジェリア

 

時代は、「暗黒の10年」と呼ばれるアルジェリア内戦の渦中にある1990年代。

 

この国の村の丘に建つ厳律シトー会(後述)の修道院

 

そこには、9人(ブリュノ修道士は別院で修道)のフランス人修道士が祈りの日々の中、手ずから牧羊・農耕に励み、イスラム教徒の多い村人たちと深く馴染み、穏やかな交流を続けつつ、自給自足の共同生活を繋いでいた。

 

中でも、高齢の修道士リュックは、院内にある村で唯一の診療所の医師として、分け隔てなく診察し、村人たちの様々な相談に乗っていた。

 

ある日、修道院長クリスチャンは、18歳の孫娘が殺されたという初老の男の相談を受けていた。

 

「バスの中で刺された。ナイフで心臓を一突き。犬のように投げ捨てられた。スカーフで髪を隠してなかったから…兄弟を殺す者は地獄へ行くと、コーランに書かれている」

「その男たちは信心深いふりをしながら、コーランも読んでない」と一緒に来た友人。

「フランスを見ろ。小学校がスカーフ問題で揺れている。世界はおかしくなった」(これは後に、サルコジ政権によって、顔の全てを覆うベールの着用を公共の場で禁じる「ブルカ禁止法」として施行された)

「彼らは指導者(イマーム)まで殺した」

「昨日、イマームが殺された。この先は?誰の仕業か、アッラーだけがご存じだ」

「もはや理解できない。誰が誰を殺す?」

 

その話を聞いたクリスチャンは、家族のために祈りを捧げようと答えるのみ。

 

イスラム教徒が唱える「インシャラー」(神の御心のままに)である。

 

ここで言う「その男たち」とは、1996年当時、アルジェリアの政府軍と内戦を続けていた武装イスラム集団(GIA)のこと。

 

そして遂に、カトリック教徒である12人のクロアチア人労働者たちが、GIAによって無残に虐殺される事件が起きた。

 

1993年12月のことである。

 

その事件で騒然とする村人たち。

 

クリスチャンの元にも、村人たちによって、その情報がもたらされた。

 

「喉をかき切られて、全員が」

 

戦慄するクリスチャン。

 

修道院は軍に警備させる」

「それはいけない」

「ここは殺害現場から、わずか20キロ。残虐行為はまた起こる」

「確かに、よく考えてみないと。ここには家族も住んでる」

 

地元自治体の首長と修道士たちの会話である。

 

しかし、クリスチャンはその申し出を一蹴する。

 

「結論は出てる。断る…19時半以降は門を閉めて、人を入れない」

「それで十分か?君は奴らを知らない」

 

クリスチャンは答えないまま、その場を去っていく。

 

かくて、修道士たちは聖歌を歌う。

 

“暴力の時にも 主は私たちと共にあるから 

いたる所に主を 夢見るのはやめよう 

急いで行こう 忍耐をあの御方へ向けよう 

苦しむ御方の元へ行こう…復活の日の暁のように 

私たちと共にあるから…”

 

祈りのあと、修道士たち全員が一同に会し、今回の件について議論を戦わせる。

 

セレスタン:「なぜ私たちに相談せずに決める?皆の命が危ないのに」

クリスチャン:「君ならどうする?」

セレスタン:「皆で話し合って、各自の意見を聞きたい」

クリスチャン:「何を答えるために?」

ジャン=ピエール:「答えは重要じゃない。君の態度によって共同体の原則が曲げられる」

クリスチャン:「では、今夜ここに軍隊を入れたい者は?」

ジャン=ピエール:「君は分かろうとしてない」

クリスチャン:「分かってる。我々の誰一人、軍隊に守られて生活したいとは思ってない」

ジャン=ピエール:「君一人に決定権はない」

クリストフ:「テロリストが来たら?黙って殺される?」

クリスチャン:「確かに危険だ。だが我々はここに遣わされた。この国の人々と生き、恐怖を共にする。この不可解な状況で生きるのだ」

クリストフ:「私は集団自殺しに来たのじゃない」

リュック:「テロリストが来たらどうするか、それぞれが決めればどうだ?」

 

収拾がつかない最初の議論だった。

 

しかし、事態は混乱を極めていた。

 

危険が修道会にも迫っていたのだ。

 

そんな中、突然、GIAが敷地内に押し入り、歩いていたセレスタンに迫る。

 

GIAは修道会のトップであるクリスチャンの名を叫び、呼び出す。

 

「何の用だ。ここは平和の家だ。武器は持ち込めない。話があるなら置いてきてくれ」

「絶対に手放さない」

「では、外で話そう」

 

外に出たGIAのリーダーは、重症者がいるので医者を連れて行くと強要する。

 

「それはできない。リュック修道士は高齢で喘息がある。彼は診療所を訪れた人をいつも誰でも、分け隔てなく診察する」

「それなら、薬をよこせ」

「薬が足りない。毎日100人の村人を診てる」

「うるさい!選択の余地はない!」

「ある。私は選択する。無いものは与えられない。私たちは慎ましく暮らしている。大地で取れるものだけだ」

 

クリスチャンは、コーランの一節を唱え、私達は隣人であると伝える。

 

それを聞くと、GIAのリーダーは仲間を連れ、引き揚げて行く。

 

「今日は特別な日なんだ」

 

背後からそう語りかけると、GIAのメンバーは足を止め、振り返る。

 

「なぜだ?」

「今日はクリスマス。平和の王子の誕生を祝う日」

「平和の王子?」

「〈シドナ・アイサ〉」(ムハンマドも認める再臨したキリストのこと)

「イエスか」

 

リーダーがクリスチャンの元にやって来て、握手を求めた。

 

「すまん。知らなかった」

 

クリスチャンは握手で応えた。

 

クリスマスイブの夜、粛然と聖歌を唄う修道士たち。

 

以下、その直後の議論。

 

セレスタン:「ここに留まれば、日々、命の危険がある。生きるために修道士になった。殺されるためではない」

クリスチャン:「そのとおりだ。殉教するつもりはない」

セレスタン:「去るべきでは?せめて、もっと安全な場所に」

アメデ:「セレスタンは、よい事を言った。彼らはまたすぐにやって来る。要求を全て、はね付けたことは、宣戦布告と取られかねない。クロアチア人は殺された」

クリスチャン:「殺す気ならもう、とっくに殺されている」

ポール:「ファヤティア(GIAのこと)が引き揚げても、明日また別の者が来る。別の解決法がある。発つことだ。各自の良心に従って、決めるべきだと思う。フランスに帰るか。アフリカ内の安全な修道院に移るか」

ジャン=ピエール:「発つことは逃げること。この村を見捨てることだ」

セレスタン:「村人を不安にさせないよう、徐々に発つ」

ジャン=ピエール:「結局は変わらない。よき羊飼い狼が来ても、群れを見捨てない」

クリストフ:「各自の気持ちを述べよう」

ジャン=ピエール:「留まるべきだ。暴力には屈しない」

ポール:「発つべきだと思う。段階的に」

セレスタン:「私は病気だ。発ちたい」

リュック:「発つことは死ぬこと。私は残る」

ミシェル:「私を待つ人はいない。私は残る」

アメデ:「まだ分からない。もっと考える。そして共に祈ろう」

クリストフ:「私は発つべきだと思う」

クリスチャン:「アメデに賛成。結論を出すのは早い。助けは主の内に」

全員:「天地を創りし御方の内に」

 

最後に聖歌を唱和し、解散するに至る。

 

こうして、2度目の議論もまた、結論を持ち越すことになった。

 

人生論的映画評論・続: 神々と男たち(’10)   グザヴィエ・ボーヴォワ

より