<人間の性(さが)に揺さぶられ、葛藤し、突き抜けていく>
1 浮浪生活の果てに
これは真実の物語(冒頭のキャプション)
【インド カンドワ 1986年】
「サルー!やったぞ。今日は、たくさん石炭を取った」
いつものように、サルーは兄グドゥのリードで貨物列車に乗り込み、石炭泥棒をする。
奪った石炭を市場で牛乳に替え、母の元に届ける。
その牛乳を分け、妹である乳児のシェキラにも飲ませるのだ。
母はその牛乳をどこで手に入れたかを兄弟に聞くが、答えない。
母はそのまま、仕事に出かけていった。
そして、グドゥはシェキラの世話をサルーに頼み、「1週間の大人の仕事」に出ようとするが、サルーはどうしても一緒に行くと言う。
2人は夜の街に繰り出し、列車に乗り込む。
駅に着き、眠り込んで起きないサルーをベンチに置いて、グドゥは仕事を見つけに行った。
待っているように言われたサルーだが、目が醒めてグドゥを探しているうちに、回送列車に乗り込み、遥か遠くに運ばれてしまったのである。
この悲哀に満ちた実話ベースの物語の起点である。
聖女マザーテレサの活動拠点・カルカッタの駅に着くと、大量の乗客が乗り込んで来て、そこでサルーは、漸(ようや)く列車から降りることができた。
大勢の人たちに揉(も)まれながら、当て所(あてど)なく彷徨うサルー。
水飲み場で一緒だった少女の後をつけ、地下道へやって来ると、段ボールを敷布団にして、同じ年頃の子供たちが屯(たむろ)していた。
その一角に段ボールを敷き、眠っていると、得体の知れない大人たちがやって来て、子供たちを捕捉していくのだ。
サルーは必死に走って逃げていく。
カルカッタの夜の街に出たサルー。
路上に眠り、朝を迎える。
線路の上を歩いていると、ヌーレという女性に出会い、彼女の家に連れられ、食事をご馳走になる。
そこに、ラーマという男がやって来て、サルーの身体検査をする。
「あの子なら合格だ」
ヌーレにそう囁(ささや)くラーマもまた、人買いだったのだ。
身の危険を察知したサルーは、ヌーレの家を飛び出し、走り去っていく。
【それから2カ月】
浮浪生活を続けるサルーは、一人の青年と出会い、警察に連れられて行く。
「ヒンディー語しかしゃべれないんです。“家はどこ?”と聞いても、“ガネストレイ”と言うだけ…母親の名前は?」
「母ちゃん」
まもなく、孤児院に収容されるサルー。
「ここは、とってもひどい所よ」
最初に知り合った、アミタという少女の話である。
そんなサルーが、ミセス・スードの斡旋で里親を紹介される。
オーストラリアの南方海上に位置するタスマニア島(注)に住む、ジョンとスー夫妻だった。
「運がいいわ。オーストラリアは、いい所よ」
アミタの言葉で、サルーは決心がついたのか、明るい表情で、ミセス・リードのテーブルマナーや英語を学ぶのだった。
飛行機に搭乗し、オーストラリアへと旅立った。