その手に触れるまで('19)   ダルデンヌ兄弟

f:id:zilx2g:20210430100230j:plain

<内実の乏しい観念系で武装した少年が、その曲線的展開の中で決定的に頓挫する>

 

 

 

1  「僕は大人だ。大人のムスリムは女性に触れない」

 

 

 

「さよならの握手は?」

「さよなら」

「私と握手するなと、導師(イマーム)に言われた?」

「僕は大人だ。大人のムスリムは女性に触れない」

「他の子は握手する」

「間違ってる」

 

イネス先生に、帰り際に呼び止められたアメッドは握手を拒否し、そのまま急いで教室を出て行った。

 

兄ラシッドと共に、アメッドは食品店を経営する導師の元に向かい、いつものように、教徒たちが店の裏の部屋に集まり、祈りを捧げる。

 

帰宅すると、先生と握手しないことで、母親がアメッドを叱りつけた 。

 

「イネス先生は、識字障害克服の恩人よ。毎晩、読み書きと計算を教えに来てくれた…導師に洗脳されて以来、部屋で祈ってばかり」

「僕の意思だ」

「一か月前はゲーム三昧だった。それが急に…袖の短いTシャツまで嫌がり始めた。お前たちの従兄みたいな、あんな最期は絶対に嫌よ」

 

しかし、アメッドは聞く耳を全く持たず、母親を〈飲んだくれ〉とアラビア語で呟き、反抗する。

 

アラビア語の歌謡曲」の授業を、イネス先生が提案していると導師に伝える。

 

「あの教師は背教者だ。預言者の聖なる言葉を、歌で学ぶなど冒涜的だよ」

 

ラシッドは、イネス先生の説明会にはサッカーを理由に、「行けない」と答えるが、この辺りがアメッドと切れている。

 

「信仰よりもサッカーか?あの教師の目的は何だ」

 

導師がラシッドを問い詰める。

 

無言だった。

 

「僕らをコーランから遠ざける」

 

代わりに、アメッドが答えた。

 

「我らの宗教が消え、ユダヤや異教徒と混ざり合う」

 

導師は説明会に参加して、反対の声を上げさせたいのである。

 

「歌を通じて、使える単語を増やしたいの。コーランに出てこない日常的な単語を学ぶ」

 

イネス先生は、参加者に歌の授業の目的を説明した。

 

ここで、参加者から様々な意見が噴出する。

 

アラビア語を学ぶのは、いい信徒になるため。それ以外のことは、あとでいい」

「カイロにいる姉の子は、モスクと学校両方で学んで上達した」

 

そこで、ラシッドが言葉を挟んだ。

 

イスラム教が廃(すた)れてしまっても、イネス先生はどうでもいいんだ」

 

その意味をイネス先生が追求すると、ラシッドは下を向いて答えられない。

 

ここでも、アメッドが代弁する。

 

「先生の新しい彼氏は、ユダヤ人でしょ」

「何が言いたいの?」

 

イネス先生の問いに答えず、二人は説明会から出て行ってしまう。

 

ラシッドはサッカーへ行き、アメッドは導師の食品店の手伝いに行った。

 

導師は、「殉教」したアメッドの従兄を引き合いに出して言い切った。

 

〈邪魔者は殺せ〉

 

あろうことか、アメッドにイネス先生の殺害を示唆するのだ。

 

イネス先生が食品店にやって来て、アメッドを外に呼び出したのは、その時だった。

 

コーランは、他の宗教との共存を説いてる。私は父から、そう教わったわ」

ユダヤ教キリスト教は敵だ」

「握手しなくていいから、放課後クラスに来て」

 

イネス先生の殺害を決意したアメッドは、自宅でジハード決行のシミュレーションを立て、ナイフを靴下に挟んで、イネス先生のアパートへ向かう。

 

イネス先生の部屋に入ると、〈アラーは偉大なり〉とアラビア語で呟き、ナイフで刺そうとするが、ドアを閉められ、呆気なく頓挫する。

 

アメッドは走って逃げ、導師の元に向かった。

 

「殺せとは言ってない…警察が来る前に自首しろ」

「どこかに逃がして」

「急には無理だ…お前が教師を襲ったのは、ネットの導師の影響だ」

 

導師は無責任に言い逃れ、かくてアメッドは自首して、少年院での収容生活が開かれていく。

 

 

 

2  「“努力して、真のムスリムになってほしい。そうすれば僕を誇りに思ってくれるはず”」

 

 

 

二度目の面会にやって来た母は、導師が逮捕されたことを伝え、泣きながら訴える。

 

「変わらなきゃダメよ。これが現実なんて思えないし、夜も眠れない」

 

その後、アメッドは収容当初辞めてしまった、農場での「更生プログラム」に復帰し、会いたいと伝言してきたイネス先生と会うことを母親に電話で伝えた。

 

その電話を受けた母親は笑みを湛(たた)えつつも、落涙する。

 

担当の教育官が酪農家に連れていき、宗教上の理由から、犬との接触を避けるアメッドだったが、その農家の娘・ルイーズと共に、家畜の世話に専心していく。

 

それでも、祈りは熱心に欠かさず行うアメッド。

 

教育官は心理士との面会で、イネス先生と会うのはまだ早いとアメッドに伝えた。

 

アメッドは酪農家を去る際に、歯ブラシを隠し持って少年院に戻った。

 

そして、金属探知機を避け、持ち込んだ歯ブラシを擦(こす)り、尖(とが)らせる作業を行うのだ。

 

アメッドは、自分が変わったと見せかけ、イネス先生と会い、再び、殺害を決行しようと考えているのである。

 

しかし、この「ジハード」もまた、時期尚早だった。

 

2度目の心理士の面会で、再び、「被害者と会うのはまだ早い」と告げられ、面会は延長される。

 

ペンを教官から借り、母親に出紙を書くアメッド。

 

「“努力して、真のムスリムになってほしい。そうすれば僕を誇りに思ってくれるはず”」

 

アメッドは何も変わっていなかったのだ。

 

後日、アメッドは担当判事らの立会いの下、イネス先生と面会する場が設定された。

 

警察のボディーチェックを逃れ、トイレで先の尖った歯ブラシを靴下に忍ばせる。

 

イネス先生は部屋に入り、アメッドの顔を見るや、取り乱して泣き出したので、担当判事が即座に退出させてしまった。

 

「君の行為の結果だ。分かるね」

「また会えますか?」

 

心理士に連絡すると答えた担当判事は、アメッドを諭した。

 

「農場の仕事を続けなさい。あれに助けられる若者は多い」

 

かくて、農場での生活が続く。

 

真面目に農作業に専念するアメッド。

 

一緒に働くルイーズはアメッドに好意を持ち、休憩中にアメッドの眼鏡を外した顔を見たり、眼鏡を借りてアメッドを見たりして、物理的に最近接する。

 

「こっち見て。キスしたい」

 

そう聞くと、ニコリを笑ったアメッドにメガネを返した。

 

「ビーツの畑を見る?」

 

「アメッドを信じる」と、担当教育官の許可を得て、二人だけで畑に向かった。

 

畑に蹲(しゃが)んで話しながら、ルイーズは再びキスをしようとすると、アメッドは立ち上がって避ける。

 

それでも立ち去らないのは、本当はキスしたいからだと、ルイーズは言って、アメッドと口を合わせるが、アメッドは立ち上がって遮断する。

 

農家に戻って来たアメッドは、洗面所で何度も口を濯(ゆす)ぎ、礼拝を始めた。

 

「僕は罪を犯しました。二度と繰り返しません」

 

その直後、アメッドはルイーズの部屋を訪れた。

 

帰り際の挨拶を待っていたと言うルイーズ。

 

「あなたが来た最初の日から、特別な気がしてた。あなたは?」

 

アメッドも小さく頷いた。

 

ムスリムになる気はある?今日、畑でしたことは罪だ…」

「無理強いしたなら、ごめん」

「君が改宗すれば、罪が少しはマシになる。結婚前ってことには、変わりはないけどね…改宗する?」

「断ったら、私とは終わり?」

「うん」

「じゃ、さよなら」

 

ルイーズはそう言うや、その場を去っていった。

 

アメッドは施設に帰る際、教育官に嘘をつき、ルイーズがいる納屋へ行った。

 

「僕が好きなのに、なぜ改宗しない?」

「強制は嫌い」

「僕は地獄行きだ」

「天国も地獄も存在しない」

 

それを聞くや、アメッドは「不信心者!」とルイーズを突き飛ばした。

 

「出て行って!」

 

叫ぶルイーズ。

 

二人の関係が終焉した瞬間である。

 

帰宅途中、アメッドは隙を狙って走行中のドアを開け、車から飛び降りて林へ逃げて行った。

 

教育官はアメッドを追い駆けるが、アメッドは林を抜け、バスに乗り込んで去って行く。

 

そして、向かった先は放課後教室。

 

アメッドは教室に入る前に、鋭利な凶器を探し、花壇を吊るすフックを抜いて胸ポケットにしまい込んだ。

 

しかし、教室には鍵がかかり、建物の中に入れない。

 

アメッドが犯した未遂事件の影響が、そこに読み取れる。

 

外壁を登り、屋根に上がったアメッドは、更に、外壁を伝って窓から侵入しようとするが、その瞬間、背中から落下してしまった。

 

地面に仰向けになったまま、体を起こすことができないアメッド。

 

脊髄か骨折か、判別しにくいが、重傷を負ったのだ。

 

「ママ…ママ…」

 

左腕の力で這い、フックで金属を叩いて音を出し、助けを求めるアメッド。

 

中からイネス先生が出て来て、寝転んでいるアメッドに気づく。

 

「アメッド、聞こえる?」

「うん」

「救急車を」

 

立ち上がろうとするイネス先生の腕を掴むアメッド。

 

「イネス先生…先生…許して。ごめんなさい」

 

そう言って、アメッドはイネス先生の手を強く握るのだった。

 

印象深いラストシーンである。

 

人生論的映画評論・続: その手に触れるまで('19)   ダルデンヌ兄弟 より