毒気なき「絶対反戦」のメッセージを異化する映画「小さいおうち」('14) ―― その異様に放つ「切なさ」   山田洋次

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<毒気なき「絶対反戦」のメッセージを異化する映画の、異様に放つ「切なさ」>

 

 

 

1  「坂の上の小さいおうちの恋愛事件が幕を閉じました」

 

 

 

いつものように、毒気のない反戦メッセージが随所にインサートされているが、思いの外、「基本・ラブストーリー」の映画の感動は大きかった。

 

同時に、残酷な映画でもあった。

 

―― 物語の基本ラインをフォローしていく。

 

赤い瓦屋根の「小さいおうち」で起こった恋愛事件。

 

それを「事件」と把握しているのは、おもちゃ会社の常務をする平井家(「小さいおうち」)で、女中として奉公するタキのみ。

 

「事件」を起こしたのは、平井の妻・時子。

 

相手は、おもちゃ会社に入ったばかりの板倉。

 

日中戦争や米国の動向など、戦況に無関心で、芸術を愛する板倉と価値観を共有する時子が、有能な独身青年に惹かれていくのは是非もなかった。

 

戦況の悪化で、中国での販路拡大にブレーキが掛かり、おもちゃ会社の再建に白羽の矢が立てられた若い板倉に、早々と所帯を持たせんとする会社の意向で、平井は時子に板倉の縁談話を、「業務命令」として指図する。

 

既に、相思相愛の関係に発展しつつあった板倉が、時子経由の縁談話を拒絶するのは自明のこと。

 

それにも拘らず、この縁談話は、時子にとって好機となった。

 

板倉との逢瀬(おうせ)を具現できるからである。

 

和服を着て、その板倉の下宿に通う時子。

 

「奥様の帯が解かれるのが、その日、初めてではないのではないかと思うと、私の心臓は妙な打ち方をした。それから二度、奥様は出かけた。二度とも洋装だった」(タキの晩年期の回想シーン/以降、「回想シーン」)

 

同時に、その事態は、「小さいおうち・絶対」の女の心を、激しく揺動させる。

 

タキである。

 

下宿に通う時子を見て、「小さいおうち」の破綻を案じるのだ。

 

「私、どうしたらいいか、分からないんです」

 

そう言って、時子の女学生時代の同級生・睦子に対して、嗚咽しながら吐露するのだ。

 

秘密の情報を共有する二人が、「小さいおうち」の一角にいる。

 

解決不能な状況下で懊悩するタキの自我が、小刻みに震えていた。

 

何より、タキにとって、建てられて間もない赤い瓦屋根の「小さいおうち」こそ、小児まひに罹患した一人息子・恭一の不自由な脚を、日々のマッサージで治癒する彼女の「女中人生」の全てだった。

 

「私、お嫁になんか行かなくていいんです。一生、この家に暮らして、奥様や坊ちゃんのお世話をしたいと思っています」

 

年の離れた初老の男との縁談を嫌がるタキが、その思いを受容する時子に吐露した際の言葉である。

 

だから、「奥様」時子のラブアフェア(情事)をスルーするわけにはいかなかった。

 

しかし、「奥様」時子のラブアフェアに、愈々(いよいよ)、歯止めが効かなくなる。

 

「そして、遂にあの日がきた」(回想シーン)

 

太平洋戦争末期、板倉に召集令状が届いた日である。

 

灯火管制(とうかかんせい)のシビアな状況下、「嵐の夜」(ラブアフェアの初発点)を思い出す時子に、召集令状を見せる板倉。

 

「似合わないわ、兵隊なんて…」と反応する時子に、動揺を隠す何ものもない。

 

「ダメです。死んじゃいけません!」

 

死を覚悟して帰路に就く板倉に向かって、叫ぶタキ。

 

もう、時間がなかった。

 

雨が止んだ翌日のこと。

 

板倉と会うために、「ちょっと出かける」と言って、忙しなく出かけて行こうとする時子の前にタキは、立ち開(はだ)かった。

                            

「奥様、およしになった方がよろしゅうございます」

「何のことを言ってるの?」

「板倉さんとお会いになるの、およしになった方が…」

「お餞別(せんべつ)を、お渡しするだけよ」

「それなら、私が参ります」

「今日のタキちゃんは、意地悪だわ。どいて頂戴」

「どきません」

「タキちゃん、私に指図するの。いつ、そんなに偉くなったの」

 

そう言うや、時子は玄関から出て行こうとする。

 

後方から、言葉を投げかけるタキ。

 

「こうしましょう。お手紙、お書き下さいまし。今すぐ、私が届けに参ります。今日のお昼過ぎ、お会いしたいので、お出かけ下さい。そう、お書き下さいまし」

「どうして、そんなことしなくちゃいけないの」

「板倉さんの下宿のご主人は、酒屋のおじさんの囲碁仲間なのです。酒屋さんは、奥様の姿を板倉さんの下宿で見かけたことがあると言うんです。このことが、旦那様や坊ちゃんに知られたりしたら、大変なことになります。…そう、なすって下さいまし。お願いです」

 

思いを込めた言葉を放つタキを振り払って、そのまま、足早に家内に戻り、手紙を書き、それをタキに渡し、時子は、「私、お待ちしてますからって、そう申し上げて」と言い添えた。

 

「しかし、板倉さんは、その日、お出でになりませんでした。日の暮れまで待ち続ける奥様のために、私は声をかけようもありませんでした。そして、坂の上の小さいおうちの恋愛事件が幕を閉じました」(回想シーン)

 

タキの又甥(またおい)・健史(たけし/大学生)に強く勧められ、ここまで自伝を書いて、閣筆(かくひつ)する晩年のタキの涙が、大学ノートに滴(したた)り落ちる。

 

そこに、健史が入って来て、大叔母を見て、柔和な言葉を投げ入れる。

 

「何で泣いてるの?…」

「私…長く生き過ぎたの…」

 

晩年のタキの涙が乾かない中で、回想シーンが繋がっていく。

 

「その日から暫く、奥様は生気を失ったようにぼんやりされていました。戦争は益々厳しくなり、女中を置くという贅沢は許されなくなってきて、私は山形の田舎に帰ることになりました」(回想シーン)

 

「待ってるわ」

 

元気を取り戻したような時子の言葉を受け止めて、嗚咽を漏らしながら、タキは帰郷するに至る。

 

それは、「小さいおうち」でのタキの、かけがえのない至福の日々の終焉を意味した。

 

  

人生論的映画評論・続: 毒気なき「絶対反戦」のメッセージを異化する映画「小さいおうち」('14) ―― その異様に放つ「切なさ」 山田洋次

 より