<「トラウマ」を克服し、「愛情」を得て、「尊厳」を奪回していく>
1 「僕にした仕打ちを母さんに後悔させるまで、絶対に死なないから!」
「小学生の頃、僕と姉は、こっそり母の姿を観察するのが好きでした。いつも母は奇麗で、いい匂いがして、そして、ちょっとだけ、寂しそうに見えました。僕が育ったのは、東京の川向う、この町にたくさんあった小さな工場の一つが、父の経営していた工場で、その2階が僕の住まいでした。母は頭の回転が速く、おしゃべりも上手だったので、いつも取り巻きがたくさんいて、光り輝くカリスマでした。色々な大人が母を褒め称(たた)えてくれたけど、母の一番の信者は、この僕でした。その母が僕のために手間をかけて作ってくれた混ぜご飯は、世界一なのです」(主人公タイジのモノローグ/以下、モノローグ)
モノローグが続く。
「母には、もう一つの顔がありました。人目のないところでは、どこか不安定で、機嫌が悪く、いつもピリピリしていて、僕は戸惑いを覚えていました」(モノローグ)
「プライドの高い母は、他人から意見されることを嫌い、逆らう人を決して許しませんでした。そんな母の宿敵は父で、夜になると激しく争っていました…お互い傷つけあっているようでした。母が僕に冷たく当たることがあっても、疲れた背中を見ると、母が消えていってしまいそうで、胸が潰れそうになりました。でも、子供の僕には何もしてあげられません」(モノローグ)
「僕が産まれる前から、工場で働いていた女性がいて、血は繋がっていませんが、僕は“ばあちゃん”と呼んで、懐(なつ)いてました」(モノローグ)
母の虐待を案じるばあちゃん(以降、読みやすいように、「バアちゃん」に改める)に、いつでも、タイジは答えるのだ。
「僕が悪いの。僕って、何やってもブタなんだよね。ハッハハ」
「タイちゃんは、ブタじゃないよ」
常々、バアちゃんの、このハートフルなランゲージ(言葉)が、タイジを救う得難いメッセージになっていた。
「バアちゃんさえいれば、僕はどんな辛いことがあっても、平気だったのです」(モノローグ)
通信制の大学を出て、社会人になったタイジは、会社の昼休みに、一人で弁当を食べているところに、同僚のカナが近寄って来て、同年齢(23歳)ということもあり、会話も弾み、打ち解けていく。
何より、カナは「社会人劇団員求む」のチラシを拾ったことで、タイジに興味を持ったのである。
タイジはその劇団に入り、その中心メンバーのキミツという、金持ちで、心安く接して来る気障(きざ)な男とも親しくなっていく。
「羽ばたけ!」と叫びながら、舞台稽古に参加するタイジ。
時系列が前後する物語は、殆どネグレクトに近い母子関係を映し出していく。
両親の不仲が炸裂した日から、数日後のこと。
「幼い僕の小さな世界が、足元からガラガラ崩れていくような出来事が襲いかかってきたのです」(モノローグ)
あろうことか、母・光子の一存で、肥満児や喘息の子を矯正する千葉の施設に、タイジを一年間、入所させることを決めてしまったのだ。
タイジの異変に気づいたバアちゃんは、事情を聞き及び、光子に激しく抗議する。
二人の言い争いを耳に入れたタイジは、居た堪(たま)れずに、自ら施設に行くと言い出す外になかった。
タイジが施設に向かう日に、バアちゃんはクッキーの缶を渡した。
「寂しくなったら、開けてね」
そう言って、送り出してくれたバアちゃんから渡された缶を車内で開けると、バアちゃんの宛名を書き込んだ、沢山のハガキと手紙が入っていた。
「タイちゃんは、ひとりじゃないからね。いやなことやこまったことがあったら、ハガキに書いて、ポストに入れてね」
それを読んだタイジは、泣き崩れてしまう。
一年後、笑みを湛(たた)えて帰って来たタイジを待っていたのは、離婚した母が、姉を連れ、家を出ていくという唐突な事態だった。
タイジはバアちゃんと会うことが叶わず、タクシーに押し込められた。
離婚に起因する転居は、家族の風景を変えていく。
母・光子の虐待がエスカレートしていくのだ。
「父の家を出てから、母は次第に荒れていきました。母は僕を叩くことで、不安定な気持ちを取り繕(つくろ)っていたのかも知れません……17歳になった僕は、まるで主婦のように、料理や洗濯をこなす術(すべ)が身についていました。つつがなく家事を切り盛りさえしていれば、僕はこの家にいてもいいと思えたからです。僕は何年も、息が詰まるような毎日を、じっと耐えていたのです」(モノローグ)
仕事や男関係で上手くいかないディストレス(強度のストレス症状)を、光子はタイジに向かって炸裂させる。
挙げ句(あげく)の果てには、タイジに向かって包丁を持ち出して、迫って来るのだ。
「死んでよ!頼むから死んでよ!」
「殺せるもんなら、殺しなよ!」
「あんたなんか、産まなきゃよかった!」
そう言うや、包丁でタイジの腕を斬りつけてしまう母・光子に対して、毅然とプロテストする。
「そんなに僕が嫌い?でもね、僕は死なないから!僕にした仕打ちを母さんに後悔させるまで、絶対に死なないから!」
魂の絶叫だった。
「出てって!二度と、顔見せないで!」
ここまで突きつけられたタイジは、未知なる人生行程を開くべく、果敢に出立(しゅったつ)するイメージと乖離し、石もて追われるようにして、母との決定的な別離を具現化する。
「このままここにいたら、自分が壊れてしまう。僕は母の金を盗み、荷物をまとめ、独りで行くことを決めたのです」(モノローグ)
それ以外の選択肢がなかったのだ。
青春期の初発点にある、17歳の時だった。