叫びを捨てた事件記者と、事件の加害性で懊悩する仕立て職人が交叉し、化学反応を起こす 映画「罪の声」('20)   土井裕泰

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1  深淵の中に消え去った事件を追う二人の男

 

 

 

この映画のフレームにあるのは、自らが関わった幼児の死に接して、メディアスクラム(集団的過熱取材)に嫌気が差し(注1)、「メディア・正義」を振り翳(かざ)す事件記者を辞めた男・阿久津(あくつ/大日新聞大阪本社の文化部記者)が、事件の加害性で懊悩する仕立て職人・曽根俊也(としや/注2)が交叉し、化学反応を起こす過程の中で、事件に翻弄された子供たちの悲哀と絶望が炙り出されていく陰惨な風景である。

 

(注1)

 

【瀬戸大橋をバックに、阿久津が曽根に吐露するシーンが印象深い。

 

事件記者として親にインタビューする愚昧さに自己嫌悪を吐き出すシーンである。

 

曽根の、阿久津に対する信頼性を決定づける描写だが、「叫ばない事件記者」を貫流する男の人間性が浮き彫りにされているばかりか、メディア批判のモチーフも包摂(ほうせつ)し、とても良いシーンだった。

 

以下、阿久津の吐露。

 

「小さな子供が死んでしまって…その親にね、聞くんですよ。『どんな子でしたか?優しい子でしたか?写真はありますか?誕生日のエピソードは?』。『ケーキを切る前に、あの子が小さな手をクリームに突っ込んでしまった』『それはいいお話ですね』…悲しい顔で相槌(あいづち)を打ちながら、頭の中では考えているんです。あと一つ話を引き出せれば、紙面は埋まる。他の新聞に勝てる。何のために…一度、考え始めたらもうダメで。30で社会部を離れました。今はもう、記者の矜持(きょうじ)も、世の中に訴えたいことも、何にもありません」

 

阿久津の心の風景の、その「現在性」が垣間見えるシーンだった】

 

(注2)

 

【天袋に隠されていたカセットテープと、英語で書かれた手帳を見つけた曽根は、そこに、自分の声が吹き込まれている事実を知り、驚愕する。

 

「きょうとへむかって、1ごうせんを 2きろ、バスてい じょうなんぐうの、ベンチの、こしかけのうら」

 

その声こそ、「ギン萬事件」の加害者によって利用された、3人の子供の声の一つだったからである】

 

言うまでもなく、「ギン萬事件」とは、「日本の阪神間大阪府兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件」(ウィキ)=「グリコ・森永事件」のことで、現在、除斥期間(ほぼ時効と同義)が経過し、民法上の損害賠償請求権も消滅している。

 

この事実に衝撃を受けた仕立て職人・曽根は、事件の加害性で懊悩することになる。

 

ここから、自らの加害性を浄化させるための曽根俊也の行動が開かれていく。

 

最初に訪ねたのは、父・光雄の代から親交のある仕立て職人・河村。

 

手帳の主を知りたかったからである。

 

その河村は、手帳の主が光雄ではなく、光雄の兄・達雄、即ち、俊也の伯父であると推し計る。

 

死没したとされる達雄が、警察にマークされた過激派のため、「姿を消した」と言うのである。

 

達雄が「ギン萬事件」に関与していたという証拠はないが、充分に疑う余地があった。

 

次に訪ねたのは、柔道仲間で、曽根兄弟(達雄と光雄)の幼馴染の藤崎。

 

ここで明らかにされたのは、衝撃的な事実だった。

 

食品会社に勤めていた藤崎の元に達雄が訪ねて来て、食品会社の株の値動きを聞きに来たと言うのである。

 

その食品会社こそ、「ギン萬事件」で「くら魔てんぐ」のターゲットにされた会社だった。

 

これで、俊也の伯父・達雄と「ギン萬事件」の関係について、疑問の余地がなくなったのだ。

 

一方、「かすかすの記事」と揶揄される文化部の記者・阿久津が、心ならずも、世間の耳目を集めることのない「ギン萬事件」に駆り出され、調査を進める中で、自らも事件の調査を続けている曽根と遭遇する。

 

阿久津と曽根という、毛色の異なる二人の獅子奮迅(ししふんじん)の活躍で、「ギン萬事件」の真相に迫っていくのである。

 

「ギン萬事件」の容疑者グルーブ9人が集ったという、割烹し乃板長・佐伯との繋がりで、事件の情報を共有していくことになるが、以下、阿久津と曽根が出会うまでの個々の行動をフォローしていく。

 

以下、阿久津の行動

 

阿久津と曽根の二人の初発点は、阿久津に対する曽根への誹議(ひぎ)であった。

 

「あなたの自己満足ではないんですか?あなたはいいですよ。関係ないんやから。面白おかしく記事にして。けど、こっちはどうなります。妻も子供もいるんです。子供の未来はどうなるんです!」

 

しかし、阿久津の人間性に好感を持った曽根が、彼との距離を縮めるのも早かった。

 

忽(たちま)ちのうちに、二人は「ギン萬事件」に関わる情報を共有していく。

 

同時に、「ギン萬事件」を掘り起こす社会部の企画に違和感を持つ阿久津に対する、社会部事件担当デスク・鳥居は言い放った。

 

「俺は…『ギン萬事件』を追うことは、マスコミの責任を問い直すことやと思うてる。世間を煽(あお)って、スクープ合戦に明け暮れて、何しとったんや。新聞に罪はないんか。俺ら自身で総括せな」

 

しかし、この物言いに対する阿久津の反駁(はんばく)には、充分、エッジが効いていた。

 

「でもそれは、こちらの都合ですよね。マスコミの反省のために、何で曽根俊也が使われないといけないんですか。結局、この事件をエンタメとして消費していることになりませんか?」

 

この問題提起に対して、昭和最大の未解決事件を追う特別企画を立ちあげた鳥居は、「ご飯論法」(論点をずらし)で煙に巻くだけだった。

 

そこに見え隠れするのは、犯人捜しに拘泥する社会部と、「ギン萬事件」の総体を、被害者(テープに利用された3人の子供)の視座で関与する阿久津と曽根の基本スタンスの乖離である。

 

事件のハブである青木組組長・青木龍一(経済ヤクザ)が、主謀者である生島秀樹(後述)を殺害後、母子3人(中学生の望と小学生の聡一郎/後述)を拉致・監禁された事実を共有していく阿久津と曽根。

 

その曽根が阿久津に依頼したのは、何より、事件に利用された他の二人の捜索だった。

 

詳細は、後述する。

 

阿久津は、元証券マン・立花を介して紹介されたニシダ(仮名)から、「空売り」(保証金を払えば、取得しない株を高価格で売り、株価が下がれば低価格で買い戻す手口)をしていた容疑者像が浮き彫りになっていくが、結果的に頓挫し、関係者(吉高)が殺害された可能性が示唆される。

 

この「空売り」を仕切ったのが、頭の切れる吉高(大学時代に、ニシダから株を教えてもらう)であることを、突き止めていく阿久津。

 

空売り」で株価を大暴落させてリストラされた企業こそ、ギンガ製菓と萬堂製菓だった。

 

ここで、犯人グループを整理してみる。

 

空売り」を仕切った吉高、経済ヤクザの青木龍一、自動車窃盗犯で単なる遊び人の森本、キツネ目の男(ハヤシ)、産廃業者で働き、青酸ソーダを手に入れた山下、車両係の金田など、全部で9人。

 

この9人の中に、耳の潰れた男=元マル暴(暴力団捜査の担当刑事)の汚職警官・生島秀樹(いくしまひでき)がいる。

 

この生島秀樹こそ、「ギン萬事件」の中枢にいて、「あとは消化試合のようだ」(鳥居)と忼慨(こうがい)させるほどに、事件の風景を変えていく。

 

このことは、事件の風景の変化で、「警察庁広域重要指定事件」として捜査網を広げたにも拘らず、「くら魔てんぐ」と名乗っていた犯人グループを特定できず、翻弄されるばかりの警察の捜査能力の脆弱性を露呈させてしまうのである。

 

大阪府警京都府警とも滋賀県警とも、縄張り争いで揉(も)めとった」(元社会部記者・水島の言葉)

 

テリトリーの侵害を許さない、警察特有の陋習(ろうしゅう)を払拭できない弱みを晒してしまったのだ。

 

且つ、議論が分かれるだろうが、警察無線が傍受されていたり(暗号化されたデジタル方式へのシフトは、事件後のこと)、現金受渡し時に、一網打尽に逮捕する方針を採っていた捜査本部の戦略のために、「キツネ目の男」を視認しても泳がしてしまうという不手際もあった。

 

ともあれ、深淵の中に消え去った事件は、今、この「基本・エンタメ系」の映画の終盤で回収されていくことになる。

 

 

人生論的映画評論・続: 叫びを捨てた事件記者と、事件の加害性で懊悩する仕立て職人が交叉し、化学反応を起こす 映画「罪の声」('20)   土井裕泰 より