ペイン・アンド・グローリー('19)   ペドロ・アルモドバル

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<冥闇なる物理的時間を穿ち、内的時間が動き出していく>

 

 

 

1  苦痛と恐怖の〈現在性〉に捕捉された男の時間の重さ

 

 

 

プールに潜り、幼い頃の母との思い出を回想するスペインの映画監督・サルバドール。

 

プールから上がると、ホテルのラウンジで、旧友のスレマに声をかけられた。

 

「執筆も撮影もせず、何を?」

「ただ生きてる」

「私は演技なしには生きられない」

「アルベルトは、アルゼンチンに?」

「メキシコよ…彼に会った?」

「『風味』のプレミア以来、会ってない」

「あれから、30年も経つのよ」

「32年だ。あの映画を、先週やっと見直した…自分の作品だが、感動したよ…シネマテーク(フィルムアーカイブ)がネガを、レストアして、上映するそうだ。アルベルトと、作品を紹介したい」

「恨んでないのね」

「奴は脚本を無視して演じた。殺したかったよ。でも、あいつを恨んではいない」

 

サルバドールは、スレマにアルベルトの連絡先を聞き出した。

 

(回想)

 

聖歌隊ソリストに選ばれて、練習に励む児童期のサルバドール。

 

歌の練習のために、最初の3年間は学校の授業を全く受けず、毎回、試験もパスした。

 

「学校は私を無知にし、全科目、試験なしで進級させていた。長じて私は映画監督になったが、監督作の宣伝ツアーで、スペインの地理を学んだ。私は成功し、旅を重ねた…自分の肉体を痛みと病によって知った。30歳までは、ほぼ無意識に過ごしたが、やがて、自分の“頭”と、その中身に目覚めた。喜びと知識の源であるが、苦痛への無限の可能性を持つ。不眠症になり、慢性咽頭炎や、中耳炎、逆流症、潰瘍、内因性喘息に苦しんだ。神経痛…特に坐骨神経痛、あらゆる種類の筋肉痛、腰椎、背部の痛み、両ヒザと肩の腱炎。そして、耳鳴りにも悩まされていた…それらに加えて、私の専門は頭痛だった…背中の痛みもだ。脊椎固定術により、背骨の大半が動かなかくなり、私の人生は、脊柱が中心なのだと悟った。椎骨の一つ一つ、筋肉や靭帯の数も意識した。神秘なる肉体を構成する要素だ…だが、すべてが身体的ではない。抽象的な困難にも苦しむ。パニックや不安など、心の痛みは、苦痛や恐怖をもたらす。当然ながら、何年間も鬱病を抱えている。夜、様々な痛みに襲われると、私は神を信じ、祈りを捧げる。昼、単純な痛みだけだと、私は無神論者だ」(サルバドールのモノローグ)

 

以上が、映画監督・サルバドールの〈現在性〉だった。

 

【逆流症とは、胃酸が食道に逆流する「胃食道逆流症」のことで、胸やけを起こす。腰椎(ようつい)の大半が腰痛症状】

 

(現在)

 

そのサルバドールは、アルベルトの自宅を唐突に訪問する。

 

中に入ると、映画のポスターが目についた。

 

「嬉しいね。『風味』が飾ってあるとは」

「なぜ、来たんだ?」

「この映画と和解するのに、32年かかった」

「なぜ、32年も経って、俺に会いに来た?」

シネマテークが『風味』をレストアして、古典と認定した」

「なぜ今頃、一緒に作品を紹介する?当時は、やらなかった。君が“やるな”と」

「だからこそ、今、一緒にやるべきだ」

 

庭でヘロインを吸うアルベルトに、自分も吸うと言う初体験のサルバドール。

 

【ヘロインは強度の「ダウナー系」(麻酔作用)で、血液脳関門を容易に通過するので、その過剰摂取死において「最強最悪の麻薬」と言われる】

 

(回想)

 

父親を訪ねていく、母ハシンタとサルバドール。

 

辿り着いた家は、何と洞窟だった。

 

「掃除はしたんだ」

「私たちが来て、うれしい?」

「もっといい家を…洞窟なんて俺も、つらい。他になくて」

「大丈夫よ。私が家らしくするから」

 

(現在)

 

いつものように頭痛に苦しむサルバドールの元に、今度はアルベルトが訪ねて来た。

 

ここでもまた、ヘロインを吸引し、易々と眠りに落ちる。

 

その間、アルベルトはサルバドールのパソコン内に保存された脚本を読み、その濃密1さに圧倒された。

 

そのタイトルは「中毒」。

 

アルベルトは目を覚ましたサルバドールに、この作品を舞台で演じたいと懇願するが、断られる。

 

後日、「風味」を上映する日に、二人は映画館へ行かず、自宅にいた。

 

ヘロインを吸引していたのである。

 

上映後、二人の登場を待っている観客の質問を、主催者から携帯電話から受け、それに答えるサルバドール。

 

アルベルトの演技について聞かれたサルバドールは、酷評する。

 

「リズムを殺す。力強く、滑稽で、毒舌家のコカイン中毒者を、彼は軽妙に演じなかった。正反対のドラッグ、ヘロインをやっていたからだ。演技のリズムは鈍重で、脚本のユーモアが消えてしまった。だが、今になれば、彼の演技の深刻さが、役に似合うし、重みが…」

 

我慢しつつ、ここまで耳にしていたアルベルトが激怒し、サルバドールの携帯を弾き飛ばす。

 

「なんて奴だ!」

「言いたくなかったが、言った」

「俺を甘く見るな。二度と侮辱させない」

「だが、真実だろ。撮影中はヘロインをやるなと…いつか、言いたかった」

イカれ野郎が!」

 

そう言い捨て、アルベルトは出て行った。

 

心身のバランスを崩し、家に籠りっきりのサルバドール。

 

アシスタントのメルセデスがやって来て、家政婦にサルバドールの様子を聞き、アドバイスする。

 

サルバドールは、とうとう、街頭の薬の売人に接触するようになっていく。

 

(回想)

 

街の階段に座り、本を読んでいるサルバドール。

 

それを見た通りすがりの女性が手紙の代筆を頼むと、ハシンタは一緒にいた識字能力のない左官職人エドゥアルドに対して、サルバドールが読み書きと算術を教える代わりに、家の壁や流しの修繕を頼み込み、「知識」と「技術」の「交換取引」は落着する。

 

かくて、サルバドールは洞窟の自宅で、エドゥアルドに熱心に文字を教えていく。

 

鉛筆の持ち方まで、自ら手を添えて教え、文字を書かせるのである。

 

奨学金で学校教育を受けさせるために、神学校行きを勧める母に反発するサルバドール。

 

神父になることを頑として拒むのだった。

 

(現在)

 

喧嘩別れしたアルベルトの家に、「中毒」を演じる権利を渡すと告げに来たサルバドール。

 

その代わり、自分の名は出さないで欲しいとアルベルトに頼む。

 

「告白的な内容だ。特定されたくない」

 

程なくして、「中毒」が小劇場で上演された。

 

そこで語られたのは、マルセロとの愛の物語。

 

「人の多い洗面所で、マルセロに会った…その晩、軽く触れあった後で、彼が好きだと自覚した。週末は彼とベッドで過ごし、気づくと、1年経っていた。お互いなしでは生きられない。1981年のこと…マドリードは僕たちのもの」

 

ヘロイン漬けのマルセロを案じつつも、二人は享楽する日々を過ごす。

 

そして、「マドリードから逃れるための旅」。

 

「ヘロインから…。あの旅が僕にとって、豊かな発想の源となり、数年間、多くの物語を生み。輝かしく彩った。だが、旅だけでは生きられない。再びマドリードへ。地雷原の街。未来などない。絶望的だどうすべきか…繰り返すだけ…愛の力で、彼の中毒に勝てるだろうと。でも、ムリだった。愛だけでは不可能だ…。だが、マルセロと僕自身を救おうと。彼は僕から離れ救われた。僕はマドリードに残り、映画に救われた」

 

フランコ独裁体制下のスペインは、フランコ死後も専制支配が続き、軍部のクーデター未遂事件が発生したのが1981年。左派政権が誕生し、民主化されたのは1982年のこと】

 

演劇が終わり、鳴りやまぬ拍手。

 

アルベルトの楽屋に、マルセロこと、フェデリコが訪ねて来た。

 

「僕はフェデリコ。作品の“マルセロ”だ…彼は、生きてる?」

 

言うまでもなく、「彼」とはサルバドールのこと。

 

自宅でベッドに伏しているサルバドールに、フェデリコが訪ねて来たことを携帯で知らせるるアルベルト。

 

早速、フェデリコから電話が入る。

 

「もう落ち着いたが、打ちのめされて、劇場を出た。『中毒』を観たんだ」

 

サルバドールは翌日の約束を待てず、自宅に呼び、再会を果たす。

 

「でも、安心したよ。“彼の面倒を見ながら、作家、監督として、より進化した”と。本当に、そう感じたか?」

「君を邪魔に思ったことは一度もない。その反対だ。僕の人生を何よりも、誰よりも豊かにしてくれた」

「…君の映画は、どれも僕の人生の“祝祭”だ。世界中の成功が誇らしいよ」

 

ここから一転して、話はコアの部分に入っていく。

 

「新しい相手は?」

「いるよ。君は?」

「いない。男?女?」

「女だ。男は君が最後だよ」

 

そこで、二人の息子の写真を見せるフェデリコ。

 

そしてフェデリコは、現在、住んでいるブエノスアイレスに訪ねて来るようにと誘う。

 

別れを惜しむ二人。

 

フェデリコが帰ったあと、ヘロインをトイレに流すサルバドール。

 

サルバドールに変化が見える。

 

苦痛と恐怖の〈現在性〉に捕捉された男の時間が、今、変容していくのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: ペイン・アンド・グローリー('19)   ペドロ・アルモドバル より