息を呑む圧巻の心理的リアリズム 映画「瞳の奥の秘密」の凄み  フアン・ホセ・カンパネラ

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1  「瞳は語りかける。瞳は雄弁だ」

 

 

 

【現在】

 

「1974年6月21日 モラレスとリリアナの最後の朝食。モラレスはこの朝を生涯忘れない。休暇の計画を立て、咳に効くレモンティーを飲んだ。角砂糖は、いつも通りひとつ半。以来、ベリージャムは食べてない。花柄のパジャマ。そして彼女の笑顔。目覚めたばかりの笑顔。左の頬に朝日が降り注ぐ。そして…」

 

そこまで書いた小説の原稿を破り捨てた男。

 

寝る間際に、「“怖い”」と一言メモに残す。

 

男の名は、ベンハミン・エスポシト(以下、ベンハミン)。

 

元連邦最高裁判所調査官である。

 

定年退職したベンハミンは、25年前に担当した、強姦殺人事件を題材にして、小説を書こうとしているのだ。

 

当時、判事補で、自分の上司だったイレーネを訪ね、当該事件について話を聞きに来る。

 

【過去】

 

判事補のロマーノに否応なしに、その殺人事件を担当させられ、現場に行って遺体を見たベンハミンは衝撃を受ける。

 

被害者の名はリリアナ・コロト(以下、リリアナ)。

 

23歳で教師のリリアナは、新婚直後だった。

 

銀行員の夫の名は、リカルド・モラレス(以下、モラレス)。

 

二人の職人が犯人として逮捕されたが、拷問による自白の強要であることを知り、ベンハミンが担当のロマーノの不正を訴えたことで、ロマーノブエノスアイレス郊外にあるチビルコイに左遷されるのとになる。

 

その後、モラレスを訪ねたベンハミンは、彼から質問を受ける。

 

「犯人が捕まったら、どんな刑を?」

「暴行殺人は終身刑だ。この国に死刑はない」

「死刑には反対だ」

「私も反対だ。ただ少しでも気が治まるかと」

「気が治まる?奴を暴行し、殺すのか?違うだろ。注射で永遠に眠らせるだけだ。羨ましいくらいだ…犯人には、長生きして欲しい。空虚な日々を生きて欲しい」

 

ベンハミンがモラレスにリリアナのアルバムを見せてもらっていると、あることに気づく。

 

リリアナを見つめている男が写っていたのである。

 

その男の名は、イシドロ・ゴメス(以下、ゴメス)。

 

【現在】

 

小説に書かれたあらすじをイレーネに読んでもらった。

 

「写真の件は信じがたいわ」

「そうかもな。問題は、彼の眼差しだ。奴の彼女への想いは、瞳に表れている。瞳は語りかける。瞳は雄弁だ」

 

【過去】

 

モラレスは、ベンハミンの指摘から、ゴメスの実家に電話して、所在を確かめる。

 

ゴメスの母親にリリアナについて尋ねたら、「仲良しだった、大好きだった」という答えだった。

 

ゴメスがブエノスアイレスの建設現場で働いていると聞き出し、その情報を元に警察が向かうが、既に引き払った後だった。

 

ベンハミンは、同僚のパブロを連れ、ゴメスの母親の住む実家に入り込み、タンスの引き出しからゴメスからの手紙を見つけ出す。

 

持ち帰った手紙を分析するが、何にも手掛かりを掴めない。

 

判事に呼ばれたベンハミンとパブロは、実家のある連邦警察からの通報で、行き過ぎた捜査を知られ、叱責されるのだ。

 

イレーネから本件の撤退を告げられたベンハミン。

 

【現在】

 

ベンハミンとイレーネは、イレーネの婚約パーティーの写真を見ている。

 

その中の一枚に、イレーネを見つめるベンハミンが写っていた。

 

「瞳は雄弁だ」と吐露したベンハミンの言葉が想起される。

 

「別人みたいだ」

「いい小説になるわ。でも私は読めない。あなたは過去を振り返りたくても、私にはできない。毎日、仕事がある。これが“正義”かはわからない。でも“正義”のひとつよ。仕事を終え、帰宅して、夫との生活があり、子供たちがいる。私は常に前を向いてきた…厄介ね。変われないの」

 

【過去】

 

事件から一年経った頃、ベンハミンは駅で犯人を捜すモラレスに再会する。

 

「火曜と木曜がこの駅…他の曜日は別の駅で捜す。曜日は月ごとに変える。いつか通る。首都を警戒して、郊外にいるはずだ。事件から1年だが、捜査は続いてますよね」

「もちろんだ」

「異常に見えます?」

「心配はしない」

「忘れるのがつらい。努力しないと忘れる。事件の朝、レモンティーを飲んだ。彼女が作ってくれた。些細なことを思い出す。だが、それも曖昧になる。蜂蜜入りの紅茶だった気もする。記憶が薄れていくんだ」

 

その翌日、ベンハミンはイレーネを訪ねた。

 

「昨日、あることがあって、一晩中、眠れなかった。あなたのことを思った。現実を別の角度から見たんだ。他人を見て、自分の人生を見つめ直した…こう考えた。イレーネに話そうと。もしかしたら、殺されるかもしれない。だが試そうと」

 

そこに、パブロが加わった。

 

「駅でモラレスに会った。何してたと思います?」

「わからないわ」

「駅で毎日、犯人を捜してるんです。仕事の後、毎日ですよ」とパブロ。

「彼の愛は並みじゃない。感動的です。妻の死が、彼の時を永遠に止めた。わかります?彼の瞳を見るべきだ。あれこそ真の愛だ。想像できますか?日常に汚されず、義務感に縛られない」

「私とは無縁ね」

「彼にチャンスを与えたいんです」とパブロ。

「それで?」

「捜査を再開する必要がある」

「判事と私の署名入りの書類を破棄しろと?捜査は続いていると、内容を改ざんするの?」

「いい案だ」

「バカ言わないで」

 

その後、パブロは「好きなものは変えられない」と言うや、手紙の内容からアルゼンチンの国技と言っていい、彼のサッカーへの情熱の深さに注目する。

 

かくて、ベンハミンとパブロは、サッカー場に通い続け、遂にゴメスを見つけ出し、拘束するに至る。

 

ゴメスを追求するベンハミンだが、決め手はなかった。

 

そこに、証拠もなしに拘束することに反対するイレーネが入室して来た。

 

ベンハミンに話しかけるイレーネは、自分の胸を凝視するゴメスの瞳に気づく。

 

この時、イレーネが取った行動が、物語の本線を再構築していくことになる。

 

彼女は、この男が犯人じゃないと言い切り、被害者のリリアナの遺体写真を見せながら、犯人は「剛腕で強靭な肉体の持ち主」だったからと、ゴメスのひ弱な身体を揶揄する言葉を並び立て、挑発していくのである。

 

「この男のアレは、ピーナッツ程度よ」

 

そこまで愚弄されたゴメスは、立ち上がって自分のペニスを出し、イレーネを売女呼ばわりするのだ。

 

怯(ひる)まず、イレーネは挑発する。

 

「いいこと?高望みはしないで、おチビさん。精力もないくせに」

「勢力がないだと?どうやったか見せてやる!あの女。めちゃくちゃにしてやった」

 

そう叫び、イレーネを殴りつけるのだ。

 

ベンハミンがゴメスの胸倉を掴む。

 

「彼女に触れたら殺す」

 

拷問せずに、自白に追い込んだのである。

 

ベンハミンは、今日も駅で犯人を捜すモラレスに、ゴメス逮捕の知らせをもたらした。

 

【現在】

 

イレーネからの電話。

 

「小説、完成したら読ませて」

 

【過去】

 

結婚式が迫るイレーネだが、浮かない顔をしている。

 

テレビを観ていたモラレスは、あることに気づき、ベンハミンに電話をかける。

 

テレビを点けると、施設訪問する大統領のニュース映像に、大統領のボディーガードをするゴメスが映っているのだった。

 

直ちに、ベンハミンはイレーネと共に、かつて暴力的な自白強要をベンハミンに告発され、チビルコイの裁判所に左遷されたロマーノに会いに行き、行政命令によるゴメスの釈放について問い質す。

 

「君たちのいる世界は狭い。君たちは小鳥を追い、我々はジャングルで戦っている。ゴメスは、服役中に我々に協力し始めた。ゲリラの情報をつかんだりした。いい仕事をした。何か不満かね?」

「事態を理解してます?殺人犯なんですよ」とイレーネ。

「かもしれん。だが賢い勇敢な男だ…悪人も役に立つ」

「判事が逮捕を命じたんですよ」とイレーネ。

「俺への腹いせに釈放したな。バカにしてるのか」

 

怒気を荒げるベンハミンの言辞を無視し、ロマーノはこの件に関わらない方がいいと忠告する。

 

「何をやっても無駄ですよ…大学の知識がすべてじゃない」

 

反応できないイレーネ。

 

今度は、ベンハミンに問い質す。

 

「なぜ彼女と来る?自分を守るためか?彼女は、お前とは関係ない。彼女は法学博士だが、お前は高卒だ。金持ちと貧乏人。価値のある人間と、ない人間。彼女は守られてる。お前は違う。生きる世界が違うんだ。俺に文句があるなら、1人で来い」

 

何も言い返せないベンハミンは、イレーネと共に去る。

 

あろうことか、エレベーターに乗ると、ゴメスが入り込んで来た。

 

無言で、わざとらしく拳銃の引き金を引いて見せるゴメス。

 

挑発されて自白した男が、今度は挑発した者を挑発するのだ。

 

人生論的映画評論・続: 息を呑む圧巻の心理的リアリズム 映画「瞳の奥の秘密」の凄み  フアン・ホセ・カンパネラ より