自立する少女の身体疾駆が弾けていく 映画「いとみち」('21) ―― 心に残るエンタメの秀作 横浜聡子

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1  「まいねじゃ」と吐露する少女の鬱屈が今、開放されていく

 

 

 

青森県北津軽郡板柳町に住む高校一年生の相馬いと(以下、便宜的に「イト」とカタカナ表記)は、同級生との会話も成立しないほど津軽弁の訛りが強く、極度の人見知りになっている。

 

父・耕一は大学教授で、津軽三味線を弾いていた母を早くして亡くしたイトは、同じく、津軽三味線の名手である祖母・ハツエに育てられて成長した。

 

イトもまた、中学時代に津軽三味線の大会で受賞するほどの腕前を持つが、今は、三味線を弾く格好が恥ずかしいと、疎遠になっている。

 

そんなイトが、スマホでたまたま見つけた青森市内の「津軽メイド珈琲店」のアルバイトの募集に応募する。

 

店を探して辿り着くと、東京からUターンした店長の工藤に、「今日から手伝って下さい」と言われ、早速メイド服に着替えたイトは、先輩メイドでシングルマザーの幸子(さちこ)の指導を受ける。

 

「おかえりなさいませ。ご主人様」

 

メイド喫茶のこの決め台詞を、どうしても「ごすずんさま」と言ってしまうイト。

 

開店して客を迎え、フロアに出たイトだが、電柱のように突っ立っているだけで、同僚の智美(ともみ)に注意される。

 

通学電車の中で、「まいねじゃ」(ダメだ)と思わず吐露するイト。

 

ハツエにメイドカフェでアルバイトを始めたことを話したイトは、部屋に戻り、鏡の前で挨拶の練習を始めた。

 

そこに父・耕一が入って来るや、「面白いぞ」と言って、『英国メイドの生活』という本をイトに渡す。

 

店で食事を運ぶイトが、突然、尻もちを付いて転び、皿が割れるという事態が発生した。

 

セクハラである。

 

店長の工藤が割って入り、巧みにセクハラ男を追い返し、一件落着するが、この許すべからざる厄介な一件を契機に、自己主張できないイトの中で、少しずつ変化の兆候が見られるようになっていく。

 

その夜、久々に三味線を手にして、弾き始めたイト。

 

ところが、長年放って置いたので、三味線の皮が音を立てて破れてしまった。

 

ハツエにそのことを注意されたイトは、自分で直すと主張する。

 

口数が少ないイトに好意を持つ常連客が、「イト転協」を立ち上げると言う。

 

正式名称は、「イトさんのプライベートさ、立ち入ることなく、転ばないように見守り、かつ、痴漢の接近は、断固阻止する紳士協定」とのこと。

 

控室で、智美はイトに対する常連客の態度に嫌味を言い放すが、それがイトへの批判にまで転じていく。

 

「女慣れしてないモテない地元のオタクが考えそうなことだよ。守りますってさ、結局、女をバカにしてんじゃん…また沈黙だよ。ウケるな。よくそれでメイドカフェでバイトしようって思ったな。何、お金欲しいの?」

「うん…あと、話(はなし)っこ苦手だはんで…このめんこい制服、着でがったし…」

 

可愛い制服への憧憬の念を抱いていたという本音を吐露するのだ。

 

饒舌とは無縁であっても、どこまでも素直な少女である。

 

だから、常連客のアイドル的存在になったのだろう。

 

そんなイトを目の当たりにして、ストレートな智美は、自分の思いを吐露していく。

 

この店でお金を貯めて、絶対に漫画家になって東京へ行くと話すのだが、自分に自信を持てないイトへの批判も忘れなかった。

 

「そうやって、自分を蔑むの止めたら?楽したいだけじゃん」

 

この言葉は、イトの中枢に届くのに充分過ぎた。

 

学校の社会見学で、イトは「青森大空襲」の展示会を見に行った。

 

そこで、館員からイトの住む板柳町にも空襲があった話を聞き入り、暗澹(あんたん)たる気持ちで帰路に就く。

 

【「青森大空襲」は、1945年7月28日〜29日にかけて青森市に対する空襲で、甚大な被害を蒙った。そして、ここでも、時の政府の1941年と1943年の「防空法」の改正によって、青森県知事が住民の逃亡を禁じるという愚挙が被害を大きくしてしまった】

 

社会見学の帰路、イトは前を歩いている、いつも目が合い、気になっているクラスメートの早苗に思い切って声をかけた。

 

「電車、間に合わなねが」

「走れば、ぎりぎり」

「なんが、走りてくねぇ気分」

「うん、うじも。なんが、苦しくなっちゃった…戦争の話」

 

イトも頷き、早苗がいつもイヤホンで何を聴いているのか尋ねると、いきなり、イヤホンキャップをイトの耳に入れた。

 

弘前出身の「人間椅子」というバンドの曲だった。

 

一緒に、イヤホンで曲を聴きながら歩く二人。

 

イトの変容が具現化されたエピソードであった。

 

メイド珈琲店で初めての給料を受け取り、それを三味線のケースに保管するイト。

 

その後、オーナーの成田が、恒例行事でスタッフらを連れ、海辺に遊びに出て、皆の表情は弾け捲っていた。

 

キャンプファイヤーで踊る、幸子と娘や、スタッフたちを見つめながら、母の記憶を辿るイト。

 

縁側で三味線を弾く母に声をかけると、自分がその縁側に座り、母に髪を梳(す)いてもらう。

 

「奇麗な髪っこだな。黒くて、つやっつやどして」

 

ハツエに起こされて、夢から覚めたイトは、テレビのニュースで、違法なサプリメント販売で逮捕された成田オーナーの映像を目の当たりにする。

 

メイド珈琲店もあおりを受け、工藤はスタッフに退職金を払い、閉店せざるを得ないと皆に伝えた。

 

帰宅すると、耕一がイトに声をかける。

 

「何か、話すことないか?」

「メイドやめたぐねぇ」

「アホ!お前が辞めなくたって、店、潰れるに決まってんだろ。犯罪者がいる店で、娘働かせる親、どこにいる?もう、行くなよ」

「辞めねぇ」

 

メイドカフェの客を蔑み、時代錯誤な接客態度をさんざん愚弄する耕一。

 

「拝金主義の、詐欺師だろうが!」

 

その言葉を受け、怒りの表情で耕一を睨みつけるイト。

 

「言いたいことあるなら、言葉使え」

「…差別スギ(主義)のインツキ(インチキ)教授!」

 

イトは部屋で荷物をまとめ、三味線も抱えて家を出て行こうとする。

 

そこへ、父がリュックを背負って玄関に下りて来た。

 

「山へ行く。俺が出て行く。お前は、ばあちゃんの傍(そば)にいろ」

「わぁが出てく」

 

父と娘の意地を張り合いを見ていたハツエは、二人とも追い出してしまうのだ。

 

「表さ行って、あだま(頭)さ冷やして来い!」

 

かくて、二人は家を後にした。

 

 

人生論的映画評論・続: 自立する少女の身体疾駆が弾けていく 映画「いとみち」('21) ―― 心に残るエンタメの秀作 横浜聡子より