「その日」限定の時間を大切に生きる純愛譚の威力 映画「静かな雨」('19)

1  純愛譚の初発点

 

 

 

古い一軒家で、一人暮らしをする行助(ゆきすけ)は、不自由な左足を引き摺りながら、自炊し、バスで勤務先の大学の研究室へ通う。

 

行助の楽しみは、露天の骨董品屋で見つけた気に入った物を買い、たい焼き屋の香ばしいたい焼きを食べること。

 

この日も、大学からの帰り道にたい焼き屋に寄ると、酔っぱらいの客が若い女店主・こよみに話しかけていた。

 

よろけて招き猫の置物を落として割り、尻もちをつく客を、こよみと行助が起き上がらせると、酔っぱらいは自転車を次々に蹴飛ばして倒していった。

 

こよみが叱り飛ばし、酔っぱらいを退散させる。

 

「強いですね」と行助。

 

行助は骨董品屋で招き猫の置物を買い、たい焼き屋へ届けた。

 

「どうしてこんなに美味しいんですか?たい焼き。ちょっと、今までに食べたことないくらい美味しかったから」

「腕によりをかけるの。最初は全然上手くいかなかったんだから…あれこれ試行錯誤して、でも結局は、一生懸命作るだけ。魔法なんてないから」

 

そして、お互いの名前の書き方や、行助の名前の由来の話などをする。

 

「行(ゆき)さんは、いっぱい愛されて育ってきたんだね」

「そうなのかなぁ。母が小学校に上がる頃に死んじゃったから、話は姉に聞いたんだけどね」

 

帰りが遅くなり、たい焼き屋は店を閉めるところだった。

 

焦げて売れ残ったたい焼きを、ベンチに並んで座って食べる二人。

 

翌日、研究室の仕事が早く終わり、こよみの店へ行くと準備中だった。

 

町を歩いていくと、こよみがコンビニの前で、先日の酔っぱらいの男が酒を買っているのを見ていた。

 

一緒に酔っぱらいの後をつけ、公園で休んでいるのを遠くで見て、二人は観察して想像したことなど、他愛の話をする。

 

初めてのささやかなデートである。

 

「何の話?これ」

「…世界の話…あの人のことが知れて良かったって話かな」

 

二人は、石段のところで別れていく。

 

「今日はありがとう。楽しかった」

「じゃあ」

 

石段を上り始めたこよみを呼び止め、行助は電話番号を書いたメモを渡す。

 

こよみは、行助の額にそっとキスをする。

 

こよみの後ろ姿を見送り、しばらく立ち竦む行助は、降り出した静かな雨の中で、一歩一歩石段を上る。

 

ふと空を見ると、満月が輝いていた。

 

その夜、行助が待ち望んでていた携帯が鳴った。

 

こよみの事故を知らせる電話だった。

 

病院へ行くと、医者から「意識が戻ったとしても、何らかの障害が残る可能性があります」と説明を受け、衝撃を隠せない行助。

 

病室には、こよみの母親が来ていた。

 

行助をこよみの彼氏と決めつけ、「ちゃんとしたってな。面倒看たってね」と一方的に言い放ち、何かあったら連絡するようにと、名刺を渡して帰って行く。

 

気持ちが沈むばかりの行助。

 

「僕は毎日、つまらないよ。お腹も空かない。たい焼き屋が閉まっていて、何を食べても味がしない。肩は凝るし、洗濯物は溜まるし、よく眠れない。もう少し、親しければ、色々できたかも知れないのに、目を覚まさないまま、もう2週間が過ぎたんだよ。何かしてあげられることはあるのかな。何か、してもらいたいことはないかい?僕は、こよみさんのことを、何にも知らなかったんだな」(モノローグ)

 

こよみの病室で、その日も黙々と付き添っている行助。

 

「行(ゆき)さん」

 

こよみが目を覚まし、病室から帰ろうとする行助の名を呼んだのだ。

 

「大丈夫?」

「雨、上がったんだね」

 

最後に別れた日のことを言ってるのだ。

 

担当医の言葉。

 

「古い記憶はしっかりしてます。ただ今のところ、残念ながら、新しい記憶は残らない可能性があります。短い時間しか、新しい記憶を留めておけないようです」

 

退院したこよみに付き添い、家まで送る行助。

 

新しい記憶を持ち得ないこよみから電話があり、行助が行くと、石段の途中のベンチに座っていた。

 

「あの日は雨が降っていたのに、月が出てたね」

「そう。それがとっても綺麗だったから、もう一度見に行ったの」

 

短い沈黙の後、行助は自分の思いを表現する。

 

「こよみさん。僕の家に引っ越して来ませんか?」

 

場面展開は早く、テンポがいい。

 

薄暗い家にこよみを上がらせ、コーヒーを沸かす行助。

 

行助は最初から、こよみの部屋を用意していた。

 

こよみはアパートを引き払い、行助の家へ引っ越して来ることになる。

 

ここから、二人の共同生活が開かれるのだ。

 

それは、障害を持つ二人の純愛譚の初発点だった。

 

 

人生論的映画評論・続: 「その日」限定の時間を大切に生きる純愛譚の威力 映画「静かな雨」('19)  中川龍太郎 より