1 “先生には敬意を払いなさい。未来に触れることのできる人だ”
祖母と二人暮らしで、友人たちと都会の生活を満喫するウゲンの夢は、教師を辞め、オーストラリアで歌手になること。
常にヘッドフォンで音楽を聴き続け、全く教師の仕事をやる気のないウゲンに、ブータンで一番の僻地・ルナナへの転属が役所から言い渡される。
冬まで頑張れば、教員の5年の義務期間が終わるので、それまで我慢のつもりで、ウゲンはルナナへ行くことにした。
友人や祖母に見送られ、標高2800メートルのガサまでバスで向かう。
夜にガサに到着し、ルナナの村長の代理で来たミチェンに迎えられ、一泊して朝一番で村へと出発するが、そこから7日間の険しい山登りを前にウゲンの気力が萎えてしまう。
幾つかの渓谷を越え、テントを張って夜を過ごし、8日目にしてやっとルナナに到着する。
村の入り口から2時間前の処で、村民総出がウゲンを出迎えた。
ルナナの村長アジャがウゲンに挨拶をする。
「ルナナの村民、全員を代表して、心から歓迎します」
村長がウゲンを案内し、お茶を振舞われた。
「先生、村の子供たちに教育を与えてください。村の仕事はヤク飼いや、冬虫夏草を集めることですが、学問があれば別の道もある」
【冬虫夏草(とうちゅうかそう)とは、昆虫に寄生してキノコを作る菌のこと】
ルナナ村 人口:56人 標高:4800メートル
村民たちに随伴し、ようやく村に辿り着いたウゲン。
学校へ案内されると、何もない教室に動揺を隠せないウゲン。
次に寝泊まりする部屋に案内されると、ウゲンは思わず村長に訴えた。
「村長、正直に言います。僕には無理です。ここは世界一僻地にある学校だ。前の先生も、きっと苦労したと思う。僕には、できない。すぐにでも町に帰りたい…教師を辞める気だった」
「ミチェンやラバを、数日休ませたら、先生を町まで送らせます」
「でも村長、村には教員が必要です」とミチェン。
「いいさ。無理強いはできない」
翌朝、ドアを叩く音に目を覚ましたウゲンが出て行くと、女の子が挨拶をする。
「クラス委員のペムザムです。授業は8時半からで、今は9時です。先生が来ないから、様子を見にきました」
「分かった」と答え、ウゲンは着替えて教室へ向かう。
初めての授業で自己紹介することになり、それぞれの名前と将来の夢を聞いていく。
「ペムザムは何になりたい?」
「歌手になりたいです」
ウゲンに促され、歌を披露するペムザム。
「君の名前は?」
「サンゲです。将来は先生になりたいです」
「どうして?」
「先生は未来に触れることができるからです」
「君が先生になったら、町から先生を呼ばなくてすむね」
教室の外から、“ヤクに捧げる歌”が聴こえてきた。
村で一番の歌い手のセデュの歌声である。
ペムザムは、8時半と3時に鳴らす学校の鐘をウゲンに渡す。
翌朝、ミチェンが村人からの米とバター、チーズを届けに来た。
ウゲンが火を起こせずにマッチで紙につけていると知ると、ミチェンは村では紙は貴重品なので、ヤクの糞を使っていると話す。
その付け方を教えるために、二人はミチェンの家に向かった。
道すがら、仕事もせずに、酔いつぶれて横たわっていペムザムの父親に、ミチェンは声をかけるが反応はなく、言っても無駄だと置き去りにする。
ミチェンの家で妻を紹介され、上がり込んでヤクの乾燥した糞の火のつけ方を教わるウゲン。
「村長が、いつも言います。“先生には敬意を払いなさい。未来に触れることのできる人だ”」
「教職課程では教わらなかったな」
ウゲンが教わったヤクの糞で火を点けようとすると、外で子供たちの声が聞こえ、外に出ると、ペムザムがいた。
「両親は離婚して、お父さんは、ずっとお酒と賭け事です。お母さんは、ヤクを連れて遠くにいます。家には、おばあちゃんが…」
ウゲンは、前任者が置いていったトランクから教科書を出し、教室を掃除して机を並べた。
鐘を鳴らし、子供たちを整列させる。
ペンザムが旗を揚げ、皆で国家を歌うのである。
教室で紙と鉛筆を生徒に配り、黒板がない代わりに壁に炭で字を書き、授業が始まった。
ウゲンがヤクの糞を拾いに行くと、セデュの歌声が聞こえてきた。
近づいて声をかけるウゲン。
「いつも、ここで歌を?どうして?」
「歌を捧げてるの」
「歌を捧げてるって、どういうこと?」
「歌を万物に捧げているのよ。人、動物、神々、この谷の精霊たちにね…オグロヅルは鳴く時、誰がどう思うかなんて、考えない。だた鳴く。私も同じ」
「僕にも教えてくれないかな」
その直後、明日の授業の準備をしているウゲンの元に、村長とミチェンがやって来た。
「ガサに戻る準備ができたので、知らせに来ました。いつでも出発できます」
「しばらく、ここに残ります。子供たちを残していくのはつらい。途中で帰ったら、政府に怒られますしね」
喜びを隠せない二人。
純朴な子供たちやセデュとの触れ合いで、深く心を動かされたウゲンは、冬が来るまでこの地に留まることを決めたのである。
ミチェンとウゲンは黒板を作り、早速、授業に使っていく。
人生論的映画評論・続: ブータン 山の教室('19) パオ・チョニン・ドルジ 村民への優しい眼差しをリザーブした青年教師の精神浄化の物語 より