流浪の月('22)  小さくも、誰よりも清しい愛が生まれゆく

1  「お父さんは、お腹の中に悪いものができて、あっという間に死んじゃった。お母さんは彼氏と暮らしているよ…私、ずっとここにいていい?」

 

 

 

10歳の少女・家内更紗(以下、更紗=さらさ)が、公園のベンチで本を読んでいると、大粒の雨が降ってきた。

 

更紗は、そのまま本を読み続けていたが、そっと傘を差し伸べてきた見知らぬ青年に随伴する。

 

更紗は今、ファミレスに勤務し、恋人の中瀬亮(以下、亮)のマンションに同棲している。

 

亮の祖母の具合が悪いというので、田舎に様子を見に行くように促す更紗。

 

更紗も一緒にどうかと誘う亮。

 

「二人ともさ。田舎の人間だから、更紗の過去を知ったら驚くだろうけど、それで結婚は反対しないと思うよ。ちゃんと説明したら許してくれるよ」

 

更紗は、日曜日はシフトが入っていて、一緒に行けないと断る。

 

「もしかして、怒ってる?結婚の話」

「ううん。ただ、ちょっと驚いただけ」

「俺は、前から考えてたよ。だから、更紗は何も心配しなくていい」

 

二人はベッドで睦み合う。

 

「ねえ、亮君。私、亮君が思ってるほど、可哀そうな子じゃないと思うよ」

「うん、分かってる」

 

回想。

 

傘を差し伸べてくれた青年の名は、佐伯文(以下、文=ふみ)。

 

その文のベッドで寝入っていた更紗が起きると、文がじっと見つめていた。

 

「いつもあんなに寝るの?」

「最近、よく眠れなかったから。お父さんとお母さんと住んでる時は普通だった。今は、伯母さんちの厄介者だけどね」

「両親は?」

「お父さんは、お腹の中に悪いものができて、あっという間に死んじゃった。お母さんは彼氏と暮らしているよ…私、ずっとここにいていい?」

「…いいよ」

 

現在。

 

バイト仲間たちと飲みに行った帰り、同僚の佳菜子(かなこ)に誘われ、1階がアンティークショップで2階がバーらしきに店に入ると、そこはコーヒーしか置いておらず、マスターは愛想がなかった。

 

その男の声は明らかに文だったが、文が更紗と気づいたかは判然としない。

 

その夜、更紗はうなされる。

 

更紗は、再びその店を訪れ、アンティークグラスを見た後、2階のカフェで本を読む。

 

文が淹(い)れたコーヒーをじっくり味わう更紗。

 

そこに亮から電話が入り、慌てて帰宅する。

 

次の日、更紗は店長から、昨日、亮が電話で更紗のシフトを聞いてきたと知らされ、本当に彼が恋人なのかと案じているのだ。

 

それでも、更紗は文の店を訪ね、コーヒーを飲み、本を読む。

 

回想。

 

寡黙な文との生活を愉悦する更紗。

 

そこにテレビから、更紗が行方不明となっており、事件に巻き込まれた可能性を示唆するニュースが流れる。

 

テレビを消す文。

 

「私、帰ろうか?」

「帰りたいなら、いつでも帰っていいよ」

「ここにいたい」

 

頷く文。

 

「文、逮捕されちゃうかも。いいの?」

「よくはない。でも、色々なことが明らかになる」

「明らか?」

「皆に、バレるってこと」

「何が、バレるの?」

「死んでも、知られたくないこと」

 

晩ご飯の際に、更紗が伯母の家で、息子のタカヒロ性的虐待を受けていることを告白するのである。

 

「止めてって頼んでも、無駄だから。早くいなくなればいいのにって、それだけ考えてた」

 

そこまで回想した更紗に、コーヒーを運ぶ文。

 

突然、亮が店に入って来た。

 

更紗にカフェ巡りの趣味があるとは知らなかったと、本格的なマシンを買おうとスマホで調べ始める。

 

「亮君、お店に電話したでしょ。何で、私に直接聞かなかったの?」

「最近、更紗、変だから。心配でさ」

「変って、どこが?」

「急に仕事頑張り出したり、カフェにハマったり」

「それって、変な事なの?」

「変だよ。らしくない」

「亮君は、私の何を知ってるの?」

「更紗、変わったな。前は、そんな口答えしなかったのに」

 

亮が会計をして帰る二人を見つめる文。

 

その夜、亮が激しく更紗の体を求めてくるが、拒絶してしまうのだ。

 

回想。

 

傘を差し伸べた亮は、更紗に「大丈夫?」と声をかける。

 

「帰らないの?」

「帰りたくない」

「家、来る?」

「うん。行く」

 

現在。

 

あの時と同じように雨が降る中、傘も差さずに文の店を訪ねると、中から女性が出て来て、二人で傘を差して歩き出した。

 

更紗は二人の後を追い、文に声をかける。

 

「あの!私…」

 

振り返った文は、「最近、よく店に来てくれてますよね」と返すのみ。

 

二人はまた歩き出す。

 

「誰?」

「お客さん」

 

更紗は後を付け、二人がマンションに入っていくのを見届けた。

 

「良かった…」と嗚咽交じりで帰り、雲間の月を見上げるのである。

 

回想。

 

「ねえ、文、ロリコンって辛い?」

ロリコンじゃなくても、人生は辛いことだらけだよ」

 

湖で二人が補足された時のテレビ映像。

 

「文!」と叫ぶ更紗が、無理やり引き離されていくのだ。

 

現在。

 

雨に濡れて亮の元に戻ると、「祖母が倒れた」と震えながら言うや、更紗の腕を強く握り、一緒に行かないと田舎に帰らないと迫るのだ。

 

結局、祖母は無事で、農家を営む親族に二人で行き、早々に結婚の話が進んでいく。

 

顔を洗っていると、亮の従妹が声を掛けてきた。

 

「更紗さんの、その(腕の)アザ、亮君でしょ。うちの親も、おじいちゃんも、皆、気づいているよ…何だか、身内、皆で騙してるみたいで嫌だから言うけどさ、亮君、前の彼女の時も、そういう噂があってさ。まあ、更紗さんほどじゃないけど、前の彼女も結構、複雑な家庭で育ったみたいで。なんか、亮君、いつもそういう人、選ぶんだよね。そういう人なら、母親みたいに自分を捨てないって、思ってんじゃん」

「そういう人?」

「いざって時に、逃げる場所がない人?大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ」

 

笑顔で返す更紗。

 

回想。

 

更紗はベッドで泣いている。

 

「止めて、止めて」

 

目を覚ますと、文が傍に立っていて、安堵する更紗。

 

店の同僚とカラオケに、更紗が遅れて入ると、ネット情報で、誘拐事件の際の更紗の顔写真と共に、当時の犯人の顔写真と喫茶店で働く近況の目撃情報の画像を見せられ、近所にいるからと不安視される始末だった。

 

もう、限界だった。

 

文に会いにいくのである。

 

その足で更紗は、文の住んでいる古いマンションへ行き、ドアを叩くが反応がない。

 

亮がマンションに戻ると、真っ暗な部屋に更紗がうな垂れている。

 

食事の用意をしていない更紗が、コンビニへ行こうとすると、亮が佐伯の所へ行くのかと問い質す。

 

「何で、あいつなんだよ。しれっと、マスターなんか気取りやがって」

「亮君、文のこと知ってたの?」

「あんな奴が、いつまでも隠れていられる訳ないだろ。そのうち、ネットでバラされるのが落ちだって。更紗、いい加減、目覚ませよ。ちゃんと現実受け入れよう、な?」

「もしかして、亮君?文の写真。亮君が撮ったの?」

 

返事がない更紗が「嘘だよね?」と聞くが、やはり反応がない。

 

更紗は亮を睨み、胸倉を掴んで壁に体を押し付け、泣きながら叫ぶのだ。

 

「どれだけ文が辛い思いしてきたか!亮君!自分のやってること、分かってる?やっとだよ!やっと文が手に入れた幸せなのに。何で?おかしい…」

 

ガタガタと小刻みに震える亮は、思い切り、更紗の顔面を殴り倒した。

 

「文、文、文って、うるせいな!お前ら、どうなってんだ?あいつは、お前を誘拐した変態のロリコン野郎だろうが!」

 

亮は何度も更紗を蹴り飛ばし、激しく叩き続ける。

 

「何でだよ!お前も裏切んのか!お前も俺を捨てるんか!」

 

更にクッションで叩きつけ、蹲(うずくま)る更紗。

 

我に返った亮が近寄り、抵抗する更紗を暴力的に犯そうとする。

 

必死に掴んだスタンドで亮を殴り、更紗は家を出て、傷ついた体で裸足のまま街を彷徨するのである。

 

回想。

 

亮が見守る中、水に浮かぶ更紗は、昼間の月を見る。

 

「文、見て!月」

 

返事はなく、文が見ている方向には、警察とマスコミが迫っていた。

 

「逃げて!早く!」と亮の手を掴み訴える更紗の手を、文はしっかりと握り返す。

 

「更紗は、更紗だけのものだ。誰にも、好きにさせちゃいけない」

 

二人は引き離され、文は警察に逮捕されるに至る。

 

青年と児童が今、邂逅(かいこう)し、束の間のハネムーンが閉じていくのである。

 

  

人生論的映画評論・続: 流浪の月('22)  小さくも、誰よりも清しい愛が生まれゆく 李相日 より