こちらあみ子('22)   小さなスポットに置き去りにされた感情を共有できな無力感

1  「うぉー!これで赤ちゃんとスパイごっこができる!」

 

 

 

「のり君、知らん?」

 

放課後、友達に訪ね歩く小学生5年生の田中あみ子(以下、あみ子)。

 

見つからず家に帰ると、母が開いている書道教室を覗くと、そこにのり君がいた。

 

生徒の一人の坊主頭が、「あみ子だ!」と指を差す。

 

「あみ子さん、あっちで宿題してなさい」

「入ってらんもんね。見とっただけじゃ」

「いけません」

「あみ子も習字する」

「宿題終わってないのに、お習字してはいけません」

「じゃ、見とく」

「いけません。ちゃんと宿題して、毎日学校にも行って、先生の言うことも、ちゃんと聞けるんだったらいいですよ。できますか?授業中に歌を歌ったり、机に落書きしたりしませんか?ボクシングも裸足のゲンもインド人も、もうしないと約束できますか?できるんですか?できますか?」

 

あみ子は母の話はうわの空で、母の口元もの大きなホクロを見つめている。

 

道教室が終わり、のり君を捕まえ、金魚たちの墓参りに誘う。

 

のり君は儀礼的に誘いに応じ、さっさと帰っていく。

 

その日はあみ子の誕生日で、父がプレゼントを渡すや、包装紙を乱暴に剥(は)がすと、あみ子が欲しがっていたトランシーバーが入っていた。

 

「うぉー!これで赤ちゃんとスパイごっこができる!」

 

更に父は、生まれてくる赤ちゃんの写真を撮ってあげるようにと言って、あみ子にインスタントカメラをプレゼントする。

 

早速、そのカメラの練習で、父母と兄・孝太の写真を撮るが、母が手鏡を持っ髪を直すのを待ってと言ったにも拘らず、そのまま撮ってしまうので、母は気分を害す。

 

母があみ子の好物の五目御飯を用意したが、「こっちがええ」と、父が買って来たクッキーを食べ始める。

 

クッキーのチョコレートだけをペロペロ舐めながら、ずっと母のホクロを見つめるあみ子。

 

そのことで、孝太に「じろじろ見過ぎるな」と注意され、「うん」と答えるあみ子だが、今度は兄の十円ハゲを見たいと、無理やり兄の頭を掴む。

 

翌日、のり君に一方的に話をして絡み、チョコと言いながらチョコのついていないクッキーを食べさすのだ。

 

大雨の日、母の陣痛が始まるが破水し、孝太と共に母を抱え、父が病院へ連れて行った。

 

留守番するあみ子は、兄を相手にトランシーバーの練習をするが、兄からの応答がない。

 

一旦帰って来た父が孝太に話をした後、その足で病院へ戻ってしまった。

 

「赤ちゃんは?どこにおるん?」

「どこにもおらん」

 

退院して布団で横になっている母に、おやつを運んだり、手品を見せたりするあみ子。

 

母と一緒に近所の公園へ行き、お弁当を食べる。

 

「孝太さんに貰ったお箸を使って、あみ子さんと一緒に作ったお弁当を食べて、お母さんほんと、嬉しいわ」

 

道教室を再開する話をし、あみ子も一緒に参加することを許可する母。

 

「今日から習字教室が始まるよ!」

 

帰りの会」の最中の教室に大声で呼びかけ、教師に注意されるあみ子。

 

そこに坊主頭が、のり君に投げキッスするあみ子とのり君を囃し立てると、のり君は「わー!」と叫び、下を向く。

 

それでものり君は、あみ子と一緒に帰り、あみ子は嬉しくてたまらない。

 

「僕、お母さんから頼まれとるだけじゃけぇね。“孝太君の妹は変な子じゃけど、虐めたりしちゃいけんよ”って。“何か変な事しようとしたら、注意してあげるんよ”って。じゃけぇ一緒に帰ってあげとんじゃ」

 

嫌がるのり君に、弟の墓の字を書いてもらうあみ子。

 

あみ子は母の手を引き、自分が作った弟の墓を見せるや、母はその場に蹲(うずくま)り号泣してしまう。

 

その声を聞きつけてやって来た孝太が、「何これ?」と墓のプレートを引き抜き、ちょうど帰って来た父が母を連れて行く。

 

その翌日、のり君が泣きながら父親に連れられ、謝罪しに来た。

 

学校であみ子は「お前のせいで怒られた」とのり君に蹴飛ばされる始末。

 

家に帰ると、変な臭いがすると騒ぐあみ子に、父は孝太がタバコを吸っているんだろと答える。

 

あみ子は孝太にやめさせようと圧(の)し掛かるが、反対に投げ飛ばされる。

 

「うっさいんじゃ!お前、死ね!」

 

タバコを吸っている孝太を咎めない無気力な父親。

 

道教室の生徒は激減し、勝手にゲームをしているが、母はうな垂れ注意もしない。

 

土足で上がって来た孝太が母に金をせびり、月謝を奪い取ろうすると、教室を覗いていたあみ子が阻止しようとして叩き飛ばされる。

 

孝太は既に不良仲間に入り、バイクを乗り回しているのだ。

 

例の一件以来、この家庭は内部から壊れ切っているようだった。

 

  

人生論的映画評論・続: こちらあみ子('22)   小さなスポットに置き去りにされた感情を共有できな無力感  森井勇佑 より