1 「これはあくまで、ただのビザです。無事に逃げ切れる保証はありません。厳しい道のりとなるでしょう。ただ、諦めないでください」
一人の男が外務省を訪ね、「センポが我々に、その命をくれたのです」と言って、杉原千畝(「ちうね」と読みづらいので、「せんぽ」と呼ばせていた)の居所を聞きに来たが、省内の記録には残っていないと言われ、帰っていく。
ソ連の諜報活動を目的に満洲国外交部属していた杉原千畝は、満洲国を私物化する関東軍と対立し、満洲国外交部に辞表を提出して帰国する。
【この帰国の一因は、妻・杉原幸子(ゆきこ)の 『六千人の命のビザ』によると、中国人に対する露骨な差別への不快感があったとも言われる】
その後、在ソ連の日本国大使館への赴任を命じられるが、北満鉄道譲渡交渉を有利に進めるための諜報活動によって、当のソ連から「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる外交官)の烙印を押され、入国拒否をされてしまう。
友人の妹・幸子と出会って結婚したのは、この頃である。
1939年、新設されたリトアニアのカウナス領事館に幸子を伴い赴任する。
赴任目的はソ連の動向の調査。
ここから、千畝の奇跡的活動が開かれていくが、彼の前に立ち塞がったのが当時の欧州の厄介な状況だった。
赴任直後、千畝の視界に入ってきたのは、ソ連がナチス・ドイツとの独ソ不可侵条約と締結と、1939年9月1日に勃発した、ドイツによるポーランド侵攻。
第二次世界大戦が開かれたのである。
外交官のパーティーで、オランダ領事ヤンと挨拶を交わす千畝。
その場で、千畝は「ペルソナ・ノン・グラータ」と噂されていた。
この間、千畝は二人の男を雇用する。
一人は、現地でドイツ系リトアニア人のグッジェ。
もう一人は、亡命ポーランド政府の情報将校ペシュ。
前者は領事館の職員となり、後者は運転手として雇用することで、情報活動を共有していく。
日独伊三国同盟の締結のために奔走する駐独大使の大島浩から「ソ連の状況を報告したまえ」と命じられ、「フィンランドが落ちた今、次はリトアニアだな」と言われる。
ペシュの故郷ポーランドでは、既にSS(ナチス親衛隊)によるユダヤ人の虐殺が始まっていた。
ドイツからの迫害を逃れて来た多くのユダヤ人は行き場を失ってしまった。
彼らはドイツと同盟を結ぶソ連から逃れるために国外脱出を図るものの、各国領事館はソ連軍によって次々に閉鎖されていく。
かくて、脱出に必要な査証を受け取ることができなくなってしまうという事態に直面する。
オランダ領事館は既にドイツに占領されていて、押し寄せて来たユダヤ人を追い返すが、苦肉の策として、オランダ領事ヤンはオランダの植民地・南米スリナムのキュラソー島への入国のビザを不要にすることを付言する。
ユダヤ人が最後に縋ったのは、ソ連側から退去命令が来ていた日本領事館だった。
しかし、日本からの返答は条件を満たさない者へのビザ発給は認めないというもの。
煩悶する千畝はペシュから直截に言われる。
「ビザを発給すれば、外交官としてのあなたは終わりです」
領事館に群がるユダヤ人を見る千畝と幸子。
見るに見かねて、「彼らの話を聞こう」とグッジェに伝えた後、「リトアニアは二週間後にソ連に正式併合される。
「ここもじきに閉鎖しなければ」と、その理由を述べた。
ニシェリを含むユダヤ人の5人の代表に会って、日本の立場を話す千畝。
「ビザ発給には渡航ビザであっても、渡航費と日本での十分な滞在費。そして、最終目的地の入国許可が必要です」と説明した後、最終目的地を尋ねる。
彼らが提出したのは、オランダ領事ヤンが発給した、オランダ植民地・南米スリナムのキュラソー島へのビザなし入国を認める書面だった。
しかし、ヤンが大量に発給したビザでは、ドイツが支配する西ヨーロッパへの脱出は不可能であるから、ただの紙きれ同然だったのだ。
夜になっても、領事前に立ち尽くすユダヤ人たちを見て、幸子は尋ねる。
「あなたは今でも世界を変えたいと思ってますか?」
「常に思ってる。全て失うことになっても、ついて来てくれるか?」
そう答える夫に「はい」と言って頷く妻・幸子。
翌朝、グッジェは、立ち尽くすユダヤ人たちに千畝の決断を伝える。
「ただいまから、ビザの発給を開始いたします」
大歓声が上がった。
それを見つめて涙する幸子。
「これはあくまで、ただのビザです。無事に逃げ切れる保証はありません厳しい道のりとなるでしょう。ただ、諦めないでください」
ニシェリにそう言って励ます千畝。
「ありがとうございます」とニシェリ。
重い言葉である。
「またいつか、お会いするのを楽しみにしています」
この反応も重い。
実現可能性が低いからだ。
握手して別れる二人。
次々にビザを発給していく千畝に、「パスポートに怪しい点が」と言って耳打ちするグッジェ。
千畝は、偽造パスポートを渡す女性に「どうしても必要なんですね?」と尋ねる。
「はい。死ぬほど」と答える相手に、「分かりました」と言うや、ビザを発給するのだ。
直後に、ソ連軍将校が千畝のもとにやって来て、撤退を勧告して帰っていく。
案じるグッジェに対して、「強制撤去まで一週間しかない」と言って、申請者を入れるように命じる千畝。
「大丈夫なのですか?こんな大量に発給をして」と尋ねるグッジェに明言する千畝。
「外務省は知らない。ビザ発給には様々な条件があり、中には特例も存在する。まず外務省に問い合わせ、返事がくる。また問い合わせをする。その間に、ビザ発給の時間ができる」
凄い言葉だ。
「それは詐欺です」
「そうかもしれない。だが、時間は稼げるはずだ。日本が大量発給に気づいた頃には、この領事館はない。最善を尽くそう」
その覚悟を知り、グッジェは感銘し、ビザの文面を映したスタンプを作り、それを千畝に渡し、一週間という時間限定が迫る領事館でのビザ発給を速やかに行えるようにした。
それまで、万年筆が折れ、ペンにインクをつけ、夜になって疲弊し切っても、時間の許す限りビザを発給し続けていた千畝を積極的に援助するのだ。
あとは全て、時間との闘いだった。
そして、やって来た領事館の閉鎖。
その後も、ホテルや駅で列車を待つ間にも、ビザを発給し続ける千畝。
そして、汽車の汽笛が鳴ると、千畝はビザのスタンプをグッジェに手渡し、「君に託そう」と言って、列を成すユダヤ人への発給を頼んで帰途に就く。
グッジェは汽車に乗る千畝を追い、ゲシュタポが接触してきたことを伝え、「あなたが救った命のリストです」と言って、そのリストを手渡す。
「これがなければ、私は“よき人”と感謝される喜びを知りませんでした。世界は車輪です。今はヒトラーが上でも、いつか車輪が回って下になる日が来るかも」
「車輪が回った時、お互いに悔いのなきよう努めよう」
そう言って、短期間で関係を紡いだリトアニア人と別れていく千畝。
―― この辺りについては貴重な資料があるので引用する。
「ホテル・メトロポリスで8月31日まで疲れ切った体を癒し、その間に訪れるユダヤ人のためにビザに代わる証明書を作成した。
領事館を去る時の張り紙にホテルの名前を書いておいたからだ。杉原が去るにあたり、<これからはモスクワの大使館ヘいって、ビザをもらってください>と張り紙を残していた。あらかじめ<モスクワにポーランド人が日本のビザをもとめて、モスクワへいくと思いますが、どうか、ビザをはっこうしてあげてください>とモスクワ大使館にいた友人に手紙を書いていたのだ。
9月1日朝早く、ベルリン行きの国際列車に乗り込む。駅にも、ビザの発行を受けたユダヤ人やまだ許可証を貰っていない人たちが見送りに来た。発車までの短い時間を使って次々に書い渡すが出発の時間となる。
「ゆるしてください、みなさん。わたしには、もうこれ以上、書くことはできません。みなさんの無事を、いのっています」
窓の外のひとたちに、深々とお辞儀をすると、「ありがとう、スギハラ!」と誰かが叫ぶ。
「スギハラ!わたしたちは、あなたを忘れない。もう一度、あなたに会いますよ!」と汽車と並んで泣きながら走って来た人が、何度もそう叫びつつけていた。(『杉原千畝物語』杉原幸子・弘樹/著 金の星社より)】
この映画のラストは、千畝とニシェリの再会シーン。
思いも寄らない再会だった。
ここで、ファーストシーンで「センポ」を訪ねて来た男がニシェリであることが判然とする。
彼は28年もの間、千畝を探し続けていたのである。
外務省を退官(人員整理という名目で退職通告されたが、外務省に背く発給行為へのペナルティだった)し貿易会社に勤務していた千畝が任地のモスクワで、千畝を探し続けたニシェリに声をかけられ、数十年振りの再会を喜び、二人でモスクワの街を歩いていく。
【千畝とニシェリの感慨深い再会については、イスラエル大使館の経済参事官として赴任したニシェリが、千畝を探し当て、28年ぶりに日本イスラエル大使館で再会したというのが史実である】
ラスト・キャプション。
1985年1月18日 イスラエル政府より「諸国民の中の正義の人賞」受賞
1986年7月31日 永眠(享年86)
2000年10月10日 外務省が公式に杉原千畝の功績を顕彰
杉原千畝の発行したビザで救われた人々の子孫は現在、世界中に4万人以上生存している
―― この梗概では、「命のビザ」の経緯を中心に紹介したため、エンタメとしての架空のキャラで、創作性の高い白系ロシア人のイリーナとの関係交叉を省略した。
また、イスラエルから受賞した事実とパレスチナ問題を絡めて千畝を批判する向きもあるが、千畝は未だ成立していない国家・イスラエルを救うためではなく、行き場のないユダヤ人にビザを発給し、彼らに〈生〉の希望を持たせたという行為に振れただけで、この類いの批判は、別々の事象を強引にリンクさせる「レベル合わせ」でしかない。
人生論的映画評論・続: 杉原千畝 スギハラチウネ('15) 迫りくる非常時の渦中で覚悟を括り、「命のビザ」を繋いでいく チェリン・グラック より