1 「何も言わずに、皆、いなくなっていくからさ。置き去りにして忘れて行くからさ。勝手だわね」
裸で抱き合う男女。
「世界一周って何?遠洋の船?」
「マジェロ、トラック、ニューカレドニア、サンチャゴ、レシフェ、ケープタウン、ラスパルマス、カディス」
【それぞれ、マジェロ(マーシャル諸島共和国の首都)、トラック(西太平洋・ミクロネシア連邦のチューク諸島)、ニューカレドニア(オーストラリア東方の島)、レシフェ(ブラジル)、ラスパルマス(スペイン・カナリア諸島)、カディス(スペイン南西部の港湾都市)】
目を覚ました若松登美子(以下、登美子)は洗面所で顔を洗う。
外国からのペットボトルなどのゴミが打ち上げられた、誰もいない浜辺を歩く登美子が、緑のシーグラスを拾って見つめる。
佐渡の港町に暮らす登美子は、30年前に、突然、失踪した夫の帰りを待ちながら、水産加工場で働いている。
漁から戻った藤倉春男(以下、春男)がレジ袋を持って作業場に来て、黙って登美子の横に置いて出ていく。
仕事の休憩中、仲間の妙子が登美子に話しかける。
「春男さんに言われたんだって?“所帯持ってくれ”とかって。みんな知ってるからさ…断った?」
「返事してない」
「お節介かもしれないけどね。少し考えてみたら?…もう充分待ったんじゃないの?登美ちゃん。春男はイヤか?」
「そういうことにしといてよ」
軽自動車で実家に寄った登美子は、庭に出て海を見ている母絹代に声をかけた。
「どうしたの?」
「ちょっと、外の様子をね」
春男からもらった魚を捌(さば)いてから、海が見える高台の自宅に戻る登美子。
「ただいま」と家の中に呼びかけても誰もいない。
玄関に持たれて遠くの海を見つめる登美子。
看護師の田村奈美(以下、奈美)が、元町長の入江の家を訪ねて来た。
「この島は、昔から行方不明者が多かったんですわ」
奈美は夫が2年前に失踪し、その相談にやって来たのだが、妻が寝たきりとなった今、あまり動けないと話す入江。
そこで入江は、奈美にチラシを配り、夫を懸命に探している登美子の昔のビデオを見せ、彼女なら手伝ってくれるだろうと紹介する。
早速、奈美は春男の案内で登美子の家に連れて行ってもらう。
壁一面に、失踪に絡む新聞記事や写真などを貼っている登美子の部屋。
「拉致されたのかもって」と奈美。
「どうして、そう思うの?」と登美子。
「私、在日三世なんです。帰化してるんですけど、自分で。だから、夫が韓国語に興味を覚えたのかなって。あの、この島、何度か不審船が漂着したことありますよね?夫が声をかけられて、親しみか何か感じて、連れ去られた可能性もあるのかなって思って」
「最近は、どうでしょうね。特別失踪人とか認定されても、それで状況が変わるとか、あまり期待しない方がいいと思うんだけど」
「理由が欲しいんです。いなくなった理由です。自分の中で何か、決着がつけられればって」
「そう」
奈美は夫の写真を登美子に見せる。
「田村洋司、40歳、中学校教師。2年前の3月24日土曜日の午後、散歩に行くと言って家を出た。帰ってこなかった…」
登美子は自分のノートに書き留めた。
機織りをする春男の母千代が、飲んだくれて帰り、畳の上に寝転んだ春男に毛布をかける。
「情けねえ」
翌日、加工場で掃除をしている登美子の元に千代がやって来て、春男との結婚を頼み込む。
「あいつと、一緒になってくんねぇか。自分の世話してもらいたいとか、そういうことで言ってんじゃないよ…ただ、あいつのこと考えるとさ、死んでも死にきれないんだよ。このまま一度も結婚もしないで、何の楽しみもなくて、毎日魚獲って、酒飲んで一生終わっちまうんだよ。自分の息子じゃなくても、不憫だと思うんだよ。登美ちゃんは、ずっと旦那さん待ってるかしんないけど、あいつだって、ガキの頃からずっと登美ちゃんのこと、待ってんだ。考えてくんねぇか?」
「おばちゃん、春男ちゃんがどうのこうのっていうよりもね、私、まだ結婚してるの。夫婦なの。何の届け出も出してないのよ」
「何で…だめなの?」
登美子は返事をせず、無言で作業を続ける。
帰宅した登美子が、古いラジカセでカセットテープを再生し、録音された若かりし日の夫の諭(さとし)と自分の声を聴く。
「“何してんのよぉ”」
「“録(と)ってんだよ。こっちこいよ”」
「“今、手ぇ離せないって”」
「“いいからさぁ。声、録ってんだよ。自分の声、聞いたことないだろ”」
「“イヤよ。恥ずかしいわよ…わっ!”」
「“ふふっ、なんだよ、それ。おい、こっち来いって”」
奈美が物憂げな表情で、自宅マンションから外を見ていると、登美子がやって来た。
理科の教師だった洋司の部屋を見て、浜辺の散歩で拾ったたくさんのシーグラスの一つを手に取った。
子供が産まれたら必要になると買った大きな冷蔵庫を見て、洋司が変なことを言ってたことを思い出すと話す。
「冷蔵庫の中に入っているものって、僕らに食べられるのをビクビクしながら待ってるんだろうなって。夜中に…変な人でしょ」
「田村洋司。失踪当時の年齢、38歳。身長175cm、血液型O型…」(登美子のモノローグ)
二人はマンションを出る。
昨日、洋司がアパートの前にしゃがんでいる夢を見たと奈美が話す。
「声をかけたら、いなくなってしまって。若松さんは見ますか?」
「見ないの。出て来ないの」
奈美にどんな人かと聞かれ、遠洋の船員だったと答えた登美子。
「船に乗ったまま、帰ってこないんですか?」
「帰って来て、いなくなったの…この浜で無理やり船に乗せられたのかなって、思ったこともある。だったら、何か落ちているかも…波にさらわれて、どこかでうちあげられてるかもって、探したこともあったな」
「理由が知りたいです」
「どうしていなくなったのか、どこにいるのって、いろいろ考えてしまう。夜中に電話がかかってきたことない?」
「あります。黙ってるんです…“あなた”って言ったら、ブツって切れました」
「何なんだろうね。あとで、本人だったんじゃないかって思いたがってる」
「あの…悲しくないですか?待ってるのって。自分だけ置き去りにされて」
「昔はね、そう思ってた。だから、気持ちは分かると思う」
「今は?」
「帰って来ない理由なんかないと思ってたけど、帰ってくる理由もないのかも知れない。もういないかも知れない。人って、呆気ないから」
登美子が奈美を警察署に連れて、身元不明の遺体情報と似顔絵の掲載データをパソコンで閲覧する。
帰り際、登美子は「もう少し調べてみる」と奈美に告げる。
登美子は洋司の同僚だった教師から、話を聞いてノートに取る。
「少なくとも、いなくなる理由があるとは思えないな」
「悩んでいたとか?」
「自分をさらけ出すタイプじゃなかったから…夢の話したな…デジャブって。いつも同じ町が出てくるんだって。知らない街なんだけど、見る度に懐かしい気持ちになるって」
帰り道、酔っ払った春男と遭遇し、歩道に倒れ込む春男は、登美子に「面倒をみさせてくれ」と頼み込み、諭の当時の様子を話す。
「前の日に岬で見かけた時さぁ、どこかへ行くようなそぶり見せてたじゃんか」
「聞いてない」
「言ったさ」
「言ってない!」
登美子は踵(きびす)を返し、走って家に戻る。
登美子は図書館で、洋司が失踪した日の新聞記事や天気を調べ、拉致の可能性が低いことをノートに記す。
座卓で居眠りする登美子は、久し振りに諭(さとし)が夢に出て、追い駆ける。
実家に行くと、母が登美子に死んだ父のことを話す。
「いろいろ、すまなかったね。謝ったおかなきゃ。お父さんのこと。酒飲んで、手ぇ上げて、お前のこと守れなかった…あんな人じゃなかったんだよ。片脚なくして、戦争から戻ってきたら、違う人になってて…何かあったんだよ、きっと」
漂着船に乗っていた男が捕り、病院へ搬送されたと知った登美子は、夜、男に面会しようとして阻止される。
当直の奈美が男の病室へ連れて行くと、登美子は目を覚ました男に、諭の顔写真の行方不明のチラシを見せ、情報を得ようとした。
男が騒ぎ出し、警察沙汰となるが、入江が迎えに来て署から出て来る。
「若松さんは激しいな。昔を思い出しましたよ」
「腹が立ってるんですよ、自分に。あの人のこと、忘れそうになるんです。もう、意識しないと思い出せない」
夜勤明けの奈美を待つ同僚の看護師・大賀(おおが)を、自宅のマンションに連れて行く。
「旦那さんを、待ってるの?」
「分からない。あの人…夕べの。もう30年くらい待ってるの…」
「奈美さんはどうなの?」
「できないと思う。」
登美子が実家へ行くと、母が父の義足を抱いて死んでいた。
葬式で、親族側に一人ポツンと座り、参列者に頭を下げる登美子。
突然、「佐護おけさ」を皆が歌うので、驚いて見上げる。
荼毘に付した後、妙子から「佐渡おけさ」を歌うことを頼まれていたらしいと聞かされる。
「肝心な事、何も言わないから…何も言わずに、皆、いなくなっていくからさ。置き去りにして忘れて行くからさ。勝手だわね」
母を喪って、孤独を噛みしめる登美子の思いが伝わってくるようだった。
人生論的映画評論・続: 千夜、一夜('22) 強靭なナラティブを繋ぎ、今日という一日を生きていく 久保田直 より