理由なき反抗('55)  ニコラス・レイ <「父に迫る息子、頭を抱える父」から「縋りつく息子、受容する父」への変容>

  1  「古き良き時代」の映画の範疇を逸脱しない健全さ



 誰が観ても分りやすいシリアスな映画が、量産された時代があった。

 主題も、それに対する答えも同時に表現される「映像」に馴染んだ時代があったのだ。

 「フィフティーズ」(「古き良きアメリカ」の原点と言われる、1950年代のアメリカ文化)の時代の只中で作られた本作もまた、その例外ではない。
 
 戦勝気分も手伝って、人々が押し並べて裕福な生活を渇望し、家族のために消費することが社会の安定に直結するという「家族主義の時代」である「フィフティーズ」は、同時に、「暴力教室」(1955年製作)や、本作で描かれた「青春の反抗」をも分娩したゴールデンエイジでもあった。

 エルヴィス・プレスリー等によるロックンロールを生み出した、件のゴールデンエイジは、リーバイ・ストラウス社のジーンズと、軍人経由のスーベニアジャケットによるファッションで「武装」=自己主張する、華やかなりし若者文化の先駆でもあったのだ。

 しかし、どれほど「尖った若者の反抗」を描こうと、ヘイズコードに縛られたニューシネマ以前のハリウッドムービーには、なお「古き良き時代」の映画の範疇を逸脱しない健全さが保持されていた。



 2  「父親不在」を象徴するシークエンスとしてのファーストシーン



 本作の主題は、「フィフティーズ」を特徴づける「家族主義の時代」下にあって、「家族主義」の欠損の典型的様態である「父親不在」である。

 その「父親不在」を象徴するシークエンスがある。

 ファーストシーンである。

 某警察署内に3人の高校生がいる。

 一人は、真っ赤な口紅をつけ、赤いコートに身を包んだ少女。

 名前はジュデイー。

 夜間外出の故に、警察に保護された少女である。

 「私の何もかも気に入らないのよ。汚らわしい不良娘ですって。実の父親が」

 少年課の刑事の質問に、ジュデイーが答える。

 「本気だと思うか?」と刑事。
 「ノー」

 そう答えた後、ジュデイーは言葉を繋ぐ。

 「本気でないにしても、そんな顔つきでした。一家で揃って復活祭に行く予定でした。私は無理して新しい服を着ました。すると、父が私を捕まえて、口紅をこすり落としました。それで家出を」

 しかし、刑事が少女から聞いた住所に電話して、父親に来てもらおうとしても、母親が来ることを知って、更に少女は怒りの感情を露わにするばかりだった。

 2人目は、子犬を銃で殺した罪で補導された少年。

 名前はプレイトー。

 両親の不仲で、母は家を出て精神を病み、父親も帰って来ることがない家庭環境下にある少年だ。

 今は広い自宅で、送付されてくる養育費によって、黒人のお手伝いさんに面倒を見てもらっている。

 少年課の刑事に全く心を開くことなく、不貞腐れた態度をを見せるのだ。

 拳銃を自分の手元に置いているという事態こそ、この少年の屈折した心情を説明するものだった。

 そして3人目は、本作の主人公であるジム少年。

 泥酔で補導されたジムは、刑事に家族のことを聞かれ、少年はそこだけは明瞭に答えた。

 「パパは僕も好きなことは好きなんですよ。だから苦しませたくないけど、死ぬしか道はなさそうだ。パパにママを殴る勇気があったら、却ってママも幸福になる。皆がバカにして、パパを小突き回してる。あんな人にはなりたくないんだ。あんな家じゃ、育たないよ」

 実の息子にここまで言われた当の本人は、部屋の外で、耳を澄ましてこの話を聞いているが、簡易的な取り調べが終わって、息子が部屋から出て来ても、不問に付すという態度に終始していた。

 以上、3人の高校生の非行の実態をフォローするファーストシーンこそ、本作の主題である、「父親不在」を象徴するシークエンスであったと言えるだろう。



 3  「父に迫る息子、頭を抱える父」から「縋りつく息子、受容する父」への変容



 物語の展開が、「理由なき反抗」を具現化していく中で、本作の主題である、「父親不在」を象徴する会話がある。

 本作の主人公であるジム少年と、この息子から、「苦しませたくないけど、死ぬしか道はなさそうだ」とまで言われた父親との会話である。

 元々、ジムの喧嘩三昧の日々が原因で、引越して来たばかりのこの家族だが、案の定、ジムはこの町の高校でも不良学生に眼をつけられ、遂に“チキン・ラン"と称するチキンレース(衝突寸前まで車を走らせること)を競う羽目になった。

 「ヒヨッコ」と罵られたら、「売られた喧嘩は買う」しかないというのが、不良少年ジムの「ルール」なのだ。

 しかし父親との会話の時点で、本人はチキンレースの詳細についての情報を持っていなかった。

 そんなジムが、思い余って、父親に相談したのである。

 「あることをしなければならない時、あるところに行き、あることをする。しないと名誉に関わることになる。そんなときは、どうしたらいいのです?」

 既に、不良学生のリーダーと喧嘩済みの息子のシャツに血痕を視認した父の反応は、ここでも曖昧なものだった。

 「そういう問題に、すぐ答えろというのは無理だ。考えて分らないときは、誰かに相談する」

 息子は、父親の日和見的な反応に満足せず、憤怒の思いを吐き出した。

 「男になるためだ。はっきり答えてくれ!」

 命の遣り取りを覚悟している息子の心情が、この一言に込められていた。

 逃げられない父親と、追い詰める息子の緊迫した構図が、そこに生まれた。

 「お前は一番良い年頃だ。10年経つと分る」
 「今、知りたいんです!」
 「お前が考えていることは、実にバカげたことだ。年を取って、今を振り返れば、可笑しくなるさ。そんなに真剣に悩んだことが。悩むのはお前だけじゃない。誰しもだ」

 日和見的な反応を重ねる父親の態度に嫌気がさして、息子は怒り狂ったように外に飛び出した。

 「決闘」に向かったのだ。

 「決闘」とは、海岸の崖の上で、不良学生のリーダーとジムの二人が車を並走させて、崖に車が転落する前に車外に飛び出すという、文字通りのチキンレースだった。

 この「決闘」の結果、不良学生のリーダーはチキンレースにしくじって、海へ飛び込み、落命してしまった。

 危ういチキンレースから生還したジムの衝撃は、甚大だった。

 ジムは再び、父親に向かっていく。

 「お父さん。今度だけは答えて下さい!困っているんです!」

 今度は縋るような心情が、息子の心を支配していた。

 その傍らには、少年の母もいた。

 ジムは、チキンレースと崖の事故の話を、正直に吐露したのだ。

 「僕もいた。盗んだ車で競争したんです」
 「まあ、私たちに恥をかかせるんですか?」

 母はそう言った後、夫に向かって不満をぶつけた。

 「なぜ、止めなかったんです?」
 「ママは駄目だな」とジム。
 「命を賭けて、この子を産んだのに」と母。

 今度は父に向かって、息子は自分の思いを語っていく。

 「名誉に関わる問題って言いましたね。ひよっこと呼ばれた。臆病のことです。だから、行った。行かないと、皆に二度と顔向けできないから・・・僕は間違ったことばかりして、いつも騒ぎを起こしてきました。今度もこんなことになってしまった。勇気があることを見せるなんて、くだらないことだ。考えていることと、やることとが・・・」

 息子の話に耳を傾けていた父親は、事態を穏便に済まそうとして本音を吐いた。

 しかし、父の言葉に憤怒した息子は、それを遮った。

 「警察に知らせてきます」
 「バカ正直はよせ。誰の為にそんなことをする!」と父。
 「自分のためです!」と息子。
 「行っては駄目よ。なぜ、お前だけが罪を着るの?」と母。
 「僕の責任だ!皆の責任だ!」と息子。
 「もう少し大人になると分る」と父。
 「そんなのは、分りたくない!どうすべきか、早く答えて下さい!」

 父に迫る息子。

 頭を抱える父。

 突然、息子は父の胸倉を掴み、「立つんだ!」と叫んで、て床に押し倒したのだ。

 父親の首を絞めた後、その手を放して、息子はそのまま家を出て行った。

 その後の物語の展開は、悲劇への行程だった。

 簡単に書いておこう。

 ジムを含むファーストシーンの3人(ジュディ、プレイトー)が空き家に籠り、警察への密告を恐れた不良学生の連中が、彼らを追って、空き家内で直接対決するに至るが、既に恋愛関係に発展していたジムとジュディは、プレイトーと離れて一室で睦み合っていた。

 置き去りにされたと決め付けたプレイトーは、不良学生たちと対峙していたのである。

 プレイトーは自宅から持ち出した拳銃で、彼らの一人を撃ったが、空き家を包囲する警察網の存在を知ったジムは、恨みを抱かれたプレイトーから拳銃を向けられ、一発の銃丸を放たれた。

 完全に常軌を逸していたプレイトーを制止しようとしたジムの行為も実らず、プレイトーは警官に射殺されるに至ったのである。

 全てを失って嘆き悲しむジムが、そこにいた。

 彼は思わず父親に縋りついた。

 縋りついて来た息子を受容する父。

 「今度こそ、私を頼りにしなさい。どうなろうと、二人で戦おう。私が傍にいるぞ。お前が望み通り、強くなって見せる」

 これが、息子を抱く父親が、映像の中で初めて放った覚悟の言葉。

 「父親不在」をテーマにする物語は、このカットを刻んで閉じられた。


(人生論的映画評論/理由なき反抗('55)  ニコラス・レイ  <「父に迫る息子、頭を抱える父」から「縋りつく息子、受容する父」への変容>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/10/55.html