本作の主人公であるマイケルの、幸薄き曲折的な人生を思うとき、彼の「絶対経験」の圧倒的な把握力について、複雑な心情に駆られて止まないのである。
決して、彼の優柔不断な人生を責めるつもりは毛頭ないし、その資格もない。
彼は、彼なりに信じた思いを身体化させてきたからだ。
そんな彼の「絶対経験」を、私は「ハンナ体験」と呼ぼう。
彼は、この「ハンナ体験」に呪縛され、その曲折的な人生を繋いで生きてきた。
「ハンナ体験」とは、「ハンナに対する純粋な愛情」と、それと共存する「ハンナに対する贖罪を求める感情」と考えている。
マイケルの、この「ハンナ体験」のスタートの内実は、なお片肺飛行であったが、ギムナジウム時代の15歳の夏だった。
それは、20歳以上も年の離れた女のフェロモンによって誘(いざな)われた挙句、「性愛」に搦(から)め捕られた純朴な初期青春期のこと。
ハンナもまた、その孤独感からか、年下の「坊や」との「性愛」に悦楽を求めていたが、しかし、彼女のモチーフの根柢に横臥(おうが)していたのは、「文学を読んで聞かせてもらう」感情であった。
「3か月間、寝てました・・・退屈でした。本も読めなかった」
ギムナジウムからの帰途、体調異変に襲われたマイケルを介助してくれた女性が、路面電車の車掌を職務にしていたハンナだった。
この言葉は、猩紅熱で病床に伏せていたマイケルが訪ねて来たときに、彼が洩らしたもの。
このとき、ハンナは、アイロンを持つ手を一瞬止めたが、観る者は、この所作が映像を貫流する重要な伏線を張ったものであることなど知る由もない。
忽ちのうちに意気投合し、「性愛」に悦楽を求めるように、激しく睦み合う二人。
「何を勉強しているの?言葉の勉強も?」
やがてハンナは、最も聞きたいことを口に出したのである。
マイケルがギリシャ語を勉強していることを知り、「読んで聞かせて?」と頼まれ、安請け合いする15歳の少年。
ホメロスの「オデュッセイア」から始まって、D・H・ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」、アントン・チェーホフの「犬を連れた奥さん」など、著名な作品が朗読されていく。
後二者ともに、不倫の話である。
しかし、二人の別離は呆気ない形でやってきた。
それは、路面電車の車掌であるハンナが、「事務職昇進」の話を受けた直後だった。
明らかに、動揺するハンナ。
ハンナが、その不安をマイケルにぶつけ、その日のうちに失踪したのである。
茫然自失のマイケル。
帰宅後、マイケルの父は、「帰って来ると思った」と一言。
この父の言葉は、既に、狭い町で二人の関係が噂になっていたことを暗示するものだ。
それが原因でハンナは失踪した、とマイケルは考えたのかも知れないが、未だ自我が確立していない彼には、40近い女の行動心理が把握し切れない。
だから、「裏切られた」という思いが、塒(とぐろ)を巻いていたのだろう。
彼らの「ひと夏のハネムーン」は、こうして終焉したのである。
それは、「性愛」と地続きな「愛を読むひと」という、「ひと夏のハネムーン」の終焉だった。
決して、彼の優柔不断な人生を責めるつもりは毛頭ないし、その資格もない。
彼は、彼なりに信じた思いを身体化させてきたからだ。
そんな彼の「絶対経験」を、私は「ハンナ体験」と呼ぼう。
彼は、この「ハンナ体験」に呪縛され、その曲折的な人生を繋いで生きてきた。
「ハンナ体験」とは、「ハンナに対する純粋な愛情」と、それと共存する「ハンナに対する贖罪を求める感情」と考えている。
マイケルの、この「ハンナ体験」のスタートの内実は、なお片肺飛行であったが、ギムナジウム時代の15歳の夏だった。
それは、20歳以上も年の離れた女のフェロモンによって誘(いざな)われた挙句、「性愛」に搦(から)め捕られた純朴な初期青春期のこと。
ハンナもまた、その孤独感からか、年下の「坊や」との「性愛」に悦楽を求めていたが、しかし、彼女のモチーフの根柢に横臥(おうが)していたのは、「文学を読んで聞かせてもらう」感情であった。
「3か月間、寝てました・・・退屈でした。本も読めなかった」
ギムナジウムからの帰途、体調異変に襲われたマイケルを介助してくれた女性が、路面電車の車掌を職務にしていたハンナだった。
この言葉は、猩紅熱で病床に伏せていたマイケルが訪ねて来たときに、彼が洩らしたもの。
このとき、ハンナは、アイロンを持つ手を一瞬止めたが、観る者は、この所作が映像を貫流する重要な伏線を張ったものであることなど知る由もない。
忽ちのうちに意気投合し、「性愛」に悦楽を求めるように、激しく睦み合う二人。
「何を勉強しているの?言葉の勉強も?」
やがてハンナは、最も聞きたいことを口に出したのである。
マイケルがギリシャ語を勉強していることを知り、「読んで聞かせて?」と頼まれ、安請け合いする15歳の少年。
ホメロスの「オデュッセイア」から始まって、D・H・ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」、アントン・チェーホフの「犬を連れた奥さん」など、著名な作品が朗読されていく。
後二者ともに、不倫の話である。
しかし、二人の別離は呆気ない形でやってきた。
それは、路面電車の車掌であるハンナが、「事務職昇進」の話を受けた直後だった。
明らかに、動揺するハンナ。
ハンナが、その不安をマイケルにぶつけ、その日のうちに失踪したのである。
茫然自失のマイケル。
帰宅後、マイケルの父は、「帰って来ると思った」と一言。
この父の言葉は、既に、狭い町で二人の関係が噂になっていたことを暗示するものだ。
それが原因でハンナは失踪した、とマイケルは考えたのかも知れないが、未だ自我が確立していない彼には、40近い女の行動心理が把握し切れない。
だから、「裏切られた」という思いが、塒(とぐろ)を巻いていたのだろう。
彼らの「ひと夏のハネムーン」は、こうして終焉したのである。
それは、「性愛」と地続きな「愛を読むひと」という、「ひと夏のハネムーン」の終焉だった。
(人生論的映画評論/愛を読むひと('08) スティーヴン・ダルドリー <「あなたなら、どうされます?」 ―― 残響音のエネルギーを執拗に消しにくくさせた、観る者への根源的な問い>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/05/08.html