2013-01-01から1年間の記事一覧

夢売るふたり(‘12)  西川美和<人間が複雑に絡み合うときの、複層的なイメージを存分に想起させる逸品の切れ味>

1 人間が複雑に絡み合うときの、複層的なイメージを存分に想起させる逸品の切れ味 「良い映画」と「良くできた映画」。 「私の中の秀作」を勝手に分類すれば、この二つに収斂される。 「良い映画」とは「心に残る映画」であり、「良くできた映画」とは「完…

ソーシャル・ネットワーク('10)  デヴィッド・フィンチャー <「夢を具現する能力」にシフトした「夢を見る能力」が負う、「具現した夢を継続する能力」が内包する責任の重大さについての物語>

1 自らが拓いた前線で手に入れたものと、失ったものの価値の様態① 時代の風穴を穿(うが)つことに、全神経網を集中的、且つ、継続的にフル稼働させていく能力において抜きん出た若者が、自らが拓いた前線で手に入れたものと、失ったものの価値の様態を、観…

しゃべれども しゃべれども('07) 平山秀幸 <「ラインの攻防」 ―― 或いは、「伏兵の一撃」>

1 絶対防衛圏 「噺家(はなしか)の名前を何人知っているだろう。テレビによく出ているので3、4人。そんなもんじゃないだろうか。東京で450人あまり、上方も合わせれば600人以上。それが現役の噺家の数だ。寄席は都内でたったの4軒(注1)。そう仕…

大いなる西部(‘58)  ウィリアム・ワイラー <西部劇という名の、二つの「攻撃的正義」の虚しい争いの様態を描き切った一級の名画>

1 強いメッセージ性を内包する名画 「大いなる西部」は、ニューシネマ以前に作られた西部劇の中で、フレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」(1952年製作)と双璧を成すほどに、強いメッセージ性を内包する名画である、と私は考えている。 「西部劇」…

カティンの森('07) アンジェイ・ワイダ <乾いた森の「大量虐殺のリアリズム」>

1 オープニングシーンンで映像提示された構図の悲劇的極点 「私はどこの国にいるの?」 これは、説明的描写を限りなくカットして構築した、この群集劇の中でで拾われている多くのエピソードを貫流する、基幹テーマと言っていい最も重要な言葉である。 この…

小さな恋のメロディ('71)   ワリス・フセイン <「秩序破壊」の向こうにある「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉>

1 「秩序破壊」のメッセージを持った「子供共和国」=「お子様映画」 爆弾マニアの少年が投擲した自動車爆破に象徴されるように、如何にも70年代初頭の映画らしく、「秩序破壊」のメッセージを持った「子供共和国」=「お子様映画」の典型的一篇。 「大人…

阿修羅のごとく(‘03)  森田芳光 <鋭角的な前線の果てに待機していた、家族という名のとっておきの求心力の物語>

1 「人間は『阿修羅』の如き存在である」ばかりではない 「阿修羅。インドの民間信仰上の魔族。外には礼義智信を掲げるに見えるが、内には猜疑心が強く、日常争いを好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口を言いあう。怒りの生命の象徴。争い…

甘いものを摂取して肥満になった責任を、社会に押し付けるなかれ ―― 映画「裸の島」から学ぶもの

故・新藤兼人監督の最高傑作と、私が勝手に評価する「裸の島」(1960年製作)は、忘れられない映画である。 映画の舞台は、瀬戸内海に浮かぶ、僅か周囲四百メールの小島。 この狭い限られた土地はボタ山のように、天に向って遠慮げに突き出していて、し…

「日本人の死生観」の底の浅さ ―― 映画「おくりびと」、その幻想の収束点

1 アニミズム的死生観という幻想 「なげーこさ、ここさいっとつくづく思うべの。す(死)は門だなって。す(死)ぬってことは終わりってことでなくて、そこを潜(くぐ)り抜けて、次へ向かう、まさに門です。私は門番として、ここで沢山の人を見てきた。行…

「サーファー青年に予約された、心的外傷の恐怖のリアリズム」 ―― 映画「地獄の黙示録」が問いかける、もう一つの根源的提示

1 「名の知れたサーファー」という「栄誉称号」を、「殺人マシーン」という一兵士に変換し得ない者の防衛戦略 フランシス・F・コッポラ監督 の「地獄の黙示録」(1979年製作)の中で、私の心の中に最も鮮烈な印象を与えた人物は、マーロン・ブランド演…

女相続人(‘49)  ウィリアム・ワイラー<「過剰学習」なしに突き抜けられなかった女の自立と再生の物語>

1 心理描写に優れたウィリアム・ワイラー監督の傑作群の一つの極点 本作は、紛れもなく、一級の名画である。 常に高い水準の作品を世に出してきたウィリアム・ワイラー監督の傑作群の中で、「ローマの休日」(1953年製作)や「ベン・ハー」(1959年…

「対象喪失児の『悲哀の儀式』の大切さ」 ―― 映画「禁じられた遊び」が問いかけるもの

1 両親の死という悲痛のルーツに辿り着くするまでの物語 映画「禁じられた遊び」から、「対象喪失児の『悲哀の儀式』の大切さ」の重要性について考えてみたい。 テーマの具体的副題は、「ポーレットは、なぜ叫んだのか」。 ―― 以下、物語の梗概を簡単にフォ…

映画「普通の人々」に見る、「PTSDの底知れない破壊力」

1 この世に厳然としてある、どうしても、なるようにしかならない人生の危機 普通の人々の日常性は、概して退屈である。 そのときは極端に緊張し、膨大なストレスを溜め、逃げ出したくなった人生の日々のように見えたとしても、後になってそれを思い起こすと…

観念としての「差別意識」と、身体表現としての「差別行為」を、厳として分けることの大切さ

例えば、知人の子弟が東大に合格したとき、その子弟を賞賛する者の儀礼的な言葉のうちには、既に大学のレベルを序列化する優劣意識が含まれている。 或いは、自分の瞳の美しさを褒められても、少し鼻が上向きであることをからかわれて怒ったとすれば、その者…

リービング・ラスベガス(‘95) マイク・フィギス <約束された大いなる破綻と、掬い取られた純愛譚>

1 「奈落の底」に閉じ込められた男の極限的様態を描き切った傑作 登場人物の心理をフォローするようなBGMの多用に些か滅入るが、しかし、この映画は悪くない。 相当程度において上出来である。 この映画が高い評価に値するのは、女の純愛の強さが、「死…

ノーカントリー('07) コーエン兄弟  <「世界の現在性」の爛れ方を集約する記号として>

1 恐怖ルールを持つ男 個人が帰属する当該社会に遍く支持されている規範(ルール)、それを「道徳」と呼ぶ。 この道徳的質の高さを「善」と定義しても間違いないだろう。 しかしそれらは、どこまでも「やって欲しいこと」と「やって欲しくないこと」を内的…

アーティスト(‘11) ミシェル・アザナヴィシウス <男の「プライドライン」の戦略的後退を決定づけた、女の援助行為の思いの強さ>

1 今、まさに、防ぎようがない亀裂が入った「プライドライン」の防衛的武装の城砦 特定のフィールドで功なり名遂げた者が、そのフィールドで手に入れた肯定的自己像を放棄することが困難であるのは、その者が拠って立っていたフィールドの総体を否定するこ…

ジャッカルの日(‘73) フレッド・ジンネマン <「仕事」の頓挫が約束された疑似リアルの物語の途轍もない訴求力>

1 完璧な映画の、完璧な構成の、完璧な構築力 完璧な映画の、完璧な構成の、完璧な構築力。 長尺なのに飽きさせないのは、殆ど無駄な描写が削り取られているからだ。 完璧なプロなのに、最も肝心なところで認知ミスを犯してしまう。 完璧なプロもまた、人間…

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(‘11) フィリダ・ロイド<「正しいと信じ切る能力の強さ」を具現化していった代償としての、支払ったものの大きさ>

1 「差別の前線」での「たった一人の闘争」を必至にする、「鉄の女」の誕生秘話 多様な経験の累加によって、自らの感情・行動傾向が継続力を持つ、構造化された安定的な認知に関わる確信幻想 ―― これを、私は「信念」と呼ぶ。 一切が幻想であると考える私に…

劒岳 点の記('09)  木村大作 <「仲間」=「和」の精神という中枢理念への浄化の映像の力技>

序 「誰かが行かねば、道はできない」 ―― 本作の梗概 「誰かが行かねば、道はできない。日本地図完成のために命を賭けた男たちの記録」 この見事なキャッチコピーで銘打った本作の梗概を、公式サイトから引用してみる。 「日露戦争後の明治39年、陸軍は国…

U・ボート(‘81) ウォルフガング・ペーターゼン <奇蹟の生還から、壮絶なラストシーンへの反転的悲劇のうちに閉じる映像の力技>

1 全身全霊を賭して動く人間の裸形の様態を描き切った大傑作 本作は、「戦場のリアリズム」が開いた極限状況の中で、不安に怯え、恐怖に慄きながらも、それでも、生還せんと全身全霊を賭して動いていく以外にない人間の裸形の様態を描き切った大傑作である…

キリング・フィールド('84) ローランド・ジョフィ  <「異文化を繋ぐ友情」 ―― 或いは「現代史が膨らませた負の遺産」>

序 実録映画に対する評価の難しさ この映画ほど、実録映画に対する評価の難しさについて痛感した作品はない。私は基本的にどのような映画作品も、そこに如何なる原作を下敷きにした作品であったにしても、その原作とは無縁に創作された表現作品として、それ…

鉄道員(ぽっぽや/'99) 降幡康男 <聖者の大行進>

「鉄道員」は、感動を意識させた原作と、同じく感動を意識させた映像が結合し、私には些か厭味な映画になった。 映画はとても良くできている。 完成度もそれなりに高いので、日本アカデミー賞を総舐めにした理由も納得できなくはない。 しかし、それらが却っ…

「生き方」とは自己を規定することである

人はなぜ、不安に駆られるのか。 失いたくないものを持ち、それを失ったらどうしようというイメージを作りだすことと、本当にそれを失ってしまうのではないかという思いが、一つの自我の内に共存してしまうからである。 この、失いたくないものを失うのでは…

恋愛ゲームの華麗な物語の残り火

恋愛を無邪気に語る者は、酔うことができる者である。 酔うことができる者は、酔わすことができると信じる者である。 人を酔わすと信じるから、語る者は語ることを捨てない者になる。 語ることを捨てないことによって、語り続けられることを信じる者になるの…

実に厄介なる生物体 ―― その名は「人間」なり

未踏の、豊饒な満足感に充ちた快楽との出会いは、それを知らなかったら、それなりに相対的安定の秩序を保持したであろう日常性に、不必要な裂け目を作るばかりか、それがまるで、魅力の乏しいフラットな時間に過ぎないことを、わざわざ自我に認知させ、自ら…

東京オリンピック(‘65) 市川崑 <オリンピックを人間の営みの一つとして描いた傑作>)より抜粋

1 東京の都市変革をリアルにイメージさせる「破壊」の風景から開かれる映画のインパクト 1964年。 経済協力開発機構 (OECD) への加盟が具現される背景の中で、世銀の融資を受けて東海道新幹線を開通させた年の、異次元的な都市建設の怒涛のラッシ…

父と暮らせば('04)  黒木和雄 <内側の澱みが噴き上げてきて>

1 「見える残酷」と、「見えない残酷」 「見える残酷」と、「見えない残酷」というものがある。私の造語である。 それは危害を加えた者と、危害を加えられた者との距離の概念である。その距離は物理的な落差であると同時に、意識の落差でもある。 その言葉…

ショーシャンクの空に('94) フランク・ダラボン <「希望」という名の人生の求心力、遠心力>

1 アーリー・スモール・サクセスを遥かに超えた、ビギナーズラックという最適消費点 人並みの希望を持ち、人並みの悲哀を味わって、日々に呼吸を繋ぐごく普通の人々が、その日常性の枠内で、心地良い刺激をごく普通に求めるとき、まさにそのニーズを保証す…

細雪(‘83) 市川崑<壊れゆく、ほんの少し手前の風景が一番美しい>

1 「世間智」と「世間無智」のコンフリクトの不毛性 昭和一桁の5年前、大阪市天王寺の上本町(船場から移転)で、古い暖簾を誇る蒔岡家に起こった忌まわしき事件。 それは、末娘で四女の妙子が、船場の貴金属商・奥畑の息子(啓ぼん)と引き起こした駆落ち…