2016-01-01から1年間の記事一覧

人はなぜ、分ったつもりになれるのか ―― 或いは、現代心理学の最前線・その風景の広がり

1 ヒューリスティックとバイアスに埋め尽くされている 私たち人間は、記憶から容易に呼び出せる情報を、相対的に重要だと評価する傾向があるが、私たちのこの「呼び出しやすさ」は、メディアに取り上げられるかどうかで決まってしまうことが多い。 頻繁に報…

マルタのことづけ(‘13) クラウディア・セント=ルース<「『母性代行者』=マルタ」との出会いと別れの物語>

1 メキシコの海で、存分に弾け回る「5人プラス1人」の疑似家族 メキシコにある中米屈指の世界都市・グアダラハラ。 スーパーに勤務するクラウディアが、4人の子を持つマルタと運命的な出会いを果たしたのは、彼女が虫垂炎で入院するに至ったことが契機だ…

心の風景 「『ピーク・エンドの法則』で読み解く映画『カサブランカ』のロマンスの構造」

1 虚しく揺曳する、運命的な再開を果たした男と女の寒々しい風景 「終わりよければ全てよし」 この言葉は、惚れ抜いた貴族出身の男を、手練手管の限りを尽くした果てにものにした貧しい医者の娘が、最後に語った台詞であり、同時に、シェイクスピア喜劇の戯…

果敢なる戦士・小池都知事は、「コンコルドの誤謬」を食い止められるか 「2020年東京オリ・パラ」に寄せて

1 メディアが恣意的に垂れ流す偏頗な情報連射を蹴散らせるか 「長沼落選に地元落胆 小池劇場に振り回された」 これは、11/29(火)22:04配信の毎日新聞の記事の見出しである。 「劇場」という言葉を自ら作り出したにも拘らず、そのポピュリズムを…

失われた週末(’45) ビリー・ワイルダー <アルコール依存症は「死に至る病」である>

1 「そばにあると思うだけで心強い。一度、回転木馬に乗ったら簡単に降りられない」 ―― アルコール依存症者の悶絶 「金曜から月曜まで、のんびり田舎暮らしだ」 「長い週末だ」 「お前の体のためだ」 10日も禁酒している33歳の売れない小説家・ドン・バ…

冬冬の夏休み(’84) ホウ・シャオシェン <児童期後期から思春期への通過儀礼を鮮やかに描いた一級の名画>

1 「毎日、色んなことがあって、思い出せません」 ―― 少年の夏が弾けていく 「残されたのは数々の思い出だけです。離れがたい思いのまま、私たちを6年間育んでくれた学校を後にします。深い悲しみに、涙がこぼれます。けれど、私たちは学業を終えたのです」…

悪魔のいけにえ(’74) トビー・フーパー <ホラー映画の王道から逸脱した不条理ホラーの独立峰>

1 チェーンソーが空を切り、一人の殺人鬼だけが置き去りにされていく 「これは 5人の若者の身に起きた悲劇の物語だ。サリーと、兄・フランクリン、友人たちの若さが、一層、哀れさを感じさせる。だが、たとえ彼らが長生きしたとしても、かくもおぞましき恐…

珈琲時光(’03) ホウ・シャオシェン <「日常性」は、ほんの少し更新されていくことで、自在に変形を遂げていく>

私の大好きな「珈琲時光」。 肩ひじ張らず、ゆったりとした時間が流れる映画が切り取った、「日常性」の静のリズムの心地良さ。 上京して来た父のために、アパートの向かいの大家さんの家に、一青窈が酒とグラスを借りに行くシーンは、ヒロインのおおらかな…

イロイロ ぬくもりの記憶 (’13) アンソニー・チェン <児童期反抗と、その思いを吸収する異国のメイドの物語 ―― その濃密さ>

1 「アジア通貨危機」の影響下にある、シンガポールを舞台にしたヒューマンドラマ 「アジア通貨危機」(1997年、 タイの通貨・バーツの暴落を契機に、アジア各国で起こった金融危機)の影響下にあるシンガポールを舞台にしたこのヒューマンドラマは、わ…

デリカテッセン(’91) ジャン=ピエール・ジュネ <ブルーオーシャンの映像の構図の輻輳的なアナーキー性、或いは、デフォルメ化された物語のセンスに満ちた異世界性>

1 チェロとノコギリのハーモニーに収斂される生存競争の着地点 近未来の荒廃したフランスの某都市の一角で、核戦争を想定させる人類の危機を経て、生き残った者たちは食糧を求めて漁(あさ)り合っていた。 「人は靴まで食っちまう。危ないぜ」 タクシード…

スモーク(’95) ウェイン・ワン <嘘の心理学 ―― 「防衛的な嘘」を溶かし、「配慮的な嘘」が心の空洞を埋めていく>

ハーヴェイ・カイテルとウィリアム・ハートが素晴らしい。 何度観ても感動する。 この映画は、私が観たアメリカ映画の中で、「スケアクロウ」、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、「カポーティ」、「クイズ・ショウ」などと並んで、最も好きな映画の一本で…

サン★ロレンツォの夜(’82) タヴィアーニ兄弟<耳を塞ぎ、呪文を唱える幼女の「再構成的想起」の痛ましさ>

1 「誰の呪い?聖ヨブの腹の虫。雌鶏のフンでお薬作ろ。犬と猫のフンも入れ、朝には元気」 イタリア共和国中部に位置するトスカーナ州は、フィレンツェ(州都)を中心に、文化遺産・自然景観に恵まれている一大観光スポットである。 1944年の夏、このト…

アリスのままで(’14) リチャード・グラツァー <「約束された喪失感」のみが加速されていく恐怖と闘い、なお保持されている機能をフル活用し、尊厳を守っていく>

1 「アリス。私はあなたよ。大事な話があるの。あなたが質問に答えられなくなったら、『蝶』というフォルダを開くこと」 「僕の人生を通じて、最も美しく、最も聡明な女性に」 コロンビア大学(ニューヨーク市 マンハッタン)で教鞭を執り、世界中でも指折…

山椒大夫(’54) 溝口健二<映像化された「語りもの」の逸品が、奇跡的な「復讐・再会譚」として炸裂する>

1 人買いに売られた貴族の悲哀 「人は慈悲の心を失っては、人ではないぞ。己を責めても、人には情けをかけ、人は均しくこの世に生まれて来たものだ。幸せに隔てがあっていいものではない」 父・平正氏(たいらのまさうじ)は息子の厨子王に、「父の心は、こ…

エデンより彼方に(’02) トッド・ヘインズ <光を失ったフィフティーズの薄暮の陰翳が、二つの「違う世界」への架橋を閉ざす>

1 「差別戦線」に呑み込まれ、翻弄されたヒロインが苦悩する基本・メロドラマ アメリカ東海岸、ニューイングランド北東部の6州の1つ・コネチカット州の中央部に位置するハートフォードは、「トムソーヤーの冒険」、「ハックルベリーフィンの冒険」を執筆…

祇園囃子(’53) 溝口健二 <「弱さの中の強さ」が際立つ女たちの応力の強さ>

1 〈状況〉を突き抜け、 ジェネレーションギャップの狭隘なスキームを超え、リセットされた芸妓と舞妓の物語 秀作揃いの溝口健二監督の作品の中で、私は「近松物語」と並んで、本作の「祇園囃子」が一番好きだ。 小品ながら、クローズアップ(大写し)を排…

サイの季節(’12)  バフマン・ゴバディ<「生者」は「死者」となり、「死者」と化していた「生者」は移ろい過ぎ去ることなく、「永遠の詩人」として蘇る>

1 女を求め続けた男の寄る辺なき孤独な魂が、女の幸福を願いつつ、荒野の中枢を彷徨する 「本作は、イランで27年投獄された詩人、S・キャマンガールの実話に基づく。偽りの訃報と墓を前に、家族は悲嘆に暮れた。詩の朗読はクルド人女性による」 冒頭のキ…

未来を生きる君たちへ(’10) スサンネ・ビア<「やられたら、やり返す」 ―― それは、人類が本能的に獲得してきた「生き延び戦略」の結果である>

1 暴力・復讐・悲嘆・許し・親愛・友情・ 理想・喪失 ―― 二つの家族が交差し、負ったものの重さ デンマークの海沿いの町に住むエリアス少年。 そのエリアス少年は、地域医療に従事する内科医の母・マリアンと、年の離れた弟・モーテンと暮らしているが、ア…

真夜中のゆりかご(‘14) スサンネ・ビア <「理想自己」と「現実自己」、「現実自己」と「義務自己」の乖離が哀しみや不安・恐怖を生む危うさ>

1 基本ヒューマンドラマ・一篇のサスペンス映画の鋭利な切れ味 「出勤した先に、昔、逮捕した男がいて、トリスタンっていうクズ野郎だ。奴に息子が生まれてた。その子は自分の糞尿にまみれ、凍えてたよ。それで君に電話したくなって。つい、かけたんだ」 デ…

エル・スール(’82) ビクトル・エリセ <父が失った振り子を繋ぎ、それを自我の確立に変換させ、昇華し、社会的に自立していく娘の物語>

ゼロ年代以前に作られたヨーロッパ映画の中で、ベルイマンとハネケ映像群を別格にすれば、私はこの「エル・スール」が一番好きだ。 オメロ・アントヌッティの僅かなセリフと表情のみで、人間の孤独の極限的な様態を、ここまで抉(えぐ)り出した映像に、唯々…

野火(’14) 塚本晋也 <究極のサバイバルスキルに振れていかない男の煩悶の、唯一可能な防衛機制>

1 人間が人間であることの根源性が問われるレイテ島の凄惨さ ガダルカナル島の撤退(1943年2月)などで戦線を押し込まれたことで、大日本帝國が策定した防衛計画・「絶対国防圏」が、サイパン島陥落(1944年7月)によって崩壊した。 今や大本営は…

名もなき塀の中の王(’13) デヴィッド・マッケンジー<「態度変容」の可能性を広げていく、過剰防衛反応としての「定常的構え」という行動様態>

1 「凶暴で反抗的」とラベリングされた青春の、 小さくも確かな変容 19歳のエリック・ラブ(以下、エリック)が英国の成人刑務所に移送され、「要注意人物」として、舎房棟の中の独居房に強制収容されるに至ったのは、少年院で暴力事件を起こしたことが原…

岸辺の旅(’15) 黒沢清<人間の〈生〉と〈死〉、グリーフワークを丹念に描いた秀作>

1 望みが叶って、稲荷神社の祈願書を燃やし、グリーフが完結 する 「楽しい曲だし、何か、曲のリズムと先生のテンポが合っていないっていうか…だから、この子、間違えるんじゃないかって…」 ピアノ講師の仕事で、見過ぎ世過ぎを繋いでいる瑞樹(みずき)の…

さよなら渓谷(’13) 大森立嗣<「レイプトラウマ症候群」 ――  その瞑闇の世界の風景の痛ましさ>

1 男の贖罪意識を試し続けてきた女の、それ以外にない収束点 東京都郊外(奥多摩近辺と思われる)。 夫婦の隣家で起きた幼児殺人事件を契機に、夫婦の関係に亀裂が入る。 夫の尾崎俊介(以下、俊介)が、件の殺人事件の容疑者として、地元警察に逮捕される…

夏をゆく人々(‘14) アリーチェ・ロルヴァケル<歴史の時間と「個人の秘密」が溶融し、人間の営為の「絶対的個別性」を生きた少女の永遠の価値>

1 渺茫たる自然の一角で生業を繋ぐ家族の懐に、異文化が闖入して来た 「エトルリア文化が香る土地。昔ながらに生きる皆さんと、素敵な宵をご一緒に。神秘的な古代墓地で、生と死の狭間で、美味しいハムやソーセージ、チーズを味わいましょう」 「ふしぎの国…

ショート・ターム(’13)  デスティン・ダニエル・クレットン<ロックド・インされた狭隘な出口を抉じ開け、〈状況〉を作り出した中枢点で吐き出し、暴れ狂い、解き放つ>

1 童話の様式をとった少女の「自己開示」 「原則として1年未満。例外として3年以上」 某都市の郊外にある短期児童保護施設、「ショート・ターム12」における児童の入所期間である。 そこに、新人職員・ネイトがやって来た。 大学を1年間休学し、人生経…

時代の風景 「尾木直樹という、『特定他者』を餌食にし、消費させる『メディア暴力』の無頓着な体現者」

1 「正・不正」、「善・悪」をジャッジする領域にまで踏み込んでしまうことへの無頓着さ ―― 「北海道小学生置き去り・行方不明騒動」を総括して その1 尾木直樹(敬称略)については、私が私塾を切回していた関係で、隣町の石神井中学校の教諭だった壮年期…

父 パードレ・パドローネ(‘77)  タヴィアーニ兄弟<仮想敵の「権限的縄張り」を突き抜けた青春の奇跡的飛翔の目映さ>

1 複雑な父子の葛藤を描き切った物語 「彼はガビーノ・レッダ。35歳。読み書きできなかったが、今では言語学者で、人気作家だ。この映画は、彼の自伝を基に作られた。物語は、サルデーニャの小学校から始まる。ガビーノは1年生だ。ある11月の朝、役場…

楢山節考(‘83) 今村昌平<「自然の摂理」によって潰された、反転的な「敬老訓話」>

1 「楢山様に謝るぞ!」 ―― 村の掟を犯した者への苛酷な制裁 「お婆ぁ、いま幾つだったっけ?」 「69だ」 「お婆ぁの歯は丈夫だなぁ。その歯じゃ、マツカサでもヘッピリ豆でも、何でも食えるら。お婆ぁの歯は33本あるら」(注・マツカサは松の種子、ヘ…

心の風景 「『それがどうした』 ―― 死の際(きわ)で青年司祭の放った究極のメッセージが、抑鬱状態を噛み切り、解き放つ」

1 反転思考を、最初で最後の供給源と化す 腹八分程度だが、良い映画は空腹感を満たすほどには観ている。 しかし、枯渇した魂に潤いを補給し、襤褸(ぼろ)に塗(まみ)れた旗を立て、その旗を担いで、「鈍足の一歩」を踏み出すことが可能な作品に出会うこと…