大谷翔平 ―― そのパイオニア魂に限りなし

 

1  想像を絶するプレッシャーを撥ね除けたアスリート

 

 

 

大谷翔平について書くにあたって、何にも増して驚かされる事件がある。

 

複数の経歴について疑問を投げかけられている現在、日ハム時代から球団通訳を務めてきた水原一平が、カリフォルニア州では違法とされるブックメーカーで野球以外のスポーツ賭博に手を染め、およそ26億円を不正に送金したなどとして、「銀行詐欺の罪」と「虚偽の納税」の申告をした罪でアメリカの検察から起訴されている事件である。

 

耳を疑うような事件が発覚し、矢面に立たされた大谷は記者会見するに至った。

 

2024年3月26日のことである。

 

【大谷が騒動を知ったのは、韓国での開幕戦後(2024年3月21日)のミーティングの場である】

 

以下、会見の要諦。

 

「数日前まで、彼(水原一平)がそういうこと(スポーツ賭博)をしていたのも全く知りませんでした。結論から言うと、彼が僕の口座からお金を盗んでいて、尚且つ、皆に彼はウソをついていたというのが…結論から言うと、そういうことになります」

 

率直な思いを吐露した10分間に及ぶ記者会見で、そこに虚偽を読み取れなかった。

 

この間、ウォルト・ディズニーが所有する米スポーツ有線局「ESPN」は、水原のコメントを報じている。

 

「翔平はもちろん、怒っていました。しかし彼は、私が二度と(ギャンブルを)しないように、という意味も込めて(借金を)払ってくれました」

 

ところが、翌20日になって彼は、「翔平はギャンブルの借金について、何も知らなかった。翔平がお金を送金したこともない」と前日のコメントを撤回したのである。

 

事もあろうに、この前言撤回の情報が駆け巡ったことで、俄(にわ)かに「大谷翔平・共犯説」がSNSなどで拡散されていったのは周知の事実。「(大谷選手が)知らなかったはずはない」「勝手に人のお金を送金できるはずない」という類いの憶測である。

 

同年4月12日、連邦検察は水原を刑事訴追したと発表すると同時に、「大谷選手は被害者である」と明言したのである。

 

それでも、止まない批判コメントの嵐が大谷を強襲するから厄介だった。

 

「英語ができないから今回のことが起こった」

「海外に来るんだからその国の言語ができないと!」

「(大谷選手は)もっと大人にならなくてはいけない」等々。

 

また、「『オオタニはウソをついている?』 米メディアの冷めた視線」によると、ニューヨーク・ポスト紙は、大谷選手の今の(記者会見での)説明を考えてみると、彼は要するに、自分が騙されやすく、バカだと言っているのだ」と決めつけ、水原氏が何をしているか全く気づいていなかった大谷選手は愚か者だと断罪し、大谷選手の潔白という説明は納得がいかないと述べている。

 

とりわけ問題になったのは、記者会見の場において質疑応答の時間が設けられていなかったこと。

 

本人の説明のみの会見への苛立ちが、徹底的に追及する米メディアの批判的論調が殺到したのである。

 

その批判的論調を覚悟の上で、大谷は会見の最後に言い切った。

 

「気持ちを切り替えるのは難しいですけど、シーズンに向けて、またスタートしたいです」

 

こんな苛酷な状況下で大谷翔平の「特別なシーズン」の幕が切って落とされた。

 

97%が後払いながら、10年総額7億ドル(約1000億円)という破格の契約と絶対的人気を背景にして、鳴り物入りで入団したMLB屈指の名門球団・ロサンゼルス・ドジャースナ・リーグ)にワールドチャンピオンを目指す優勝請負人として迎えられたのである。

 

だから、外部からの圧力は尋常ではなかった。

 

増して、スポーツ賭博に関わる米メディアの批判的論調を全身で受けているから、その外圧に押し潰されるわけにはいかないのだ。

 

「気持ちを切り替えるのは難しい」と正直に吐露したアスリートが負うプレッシャーは、殆ど想像を絶するほどだった。

 

並みの人間なら責任感の強さや、分かっていても最悪の結果を予期するネガティブシンキングに捕捉されたりして、自らを過剰に追い込んで、本来の力を発揮することが叶わなくなるだろう。

 

面白いことに、私たちはしばしば自己の未来の感情を過大評価する傾向がある。

 

敢えて良くない事例を挙げれば、何かに失敗したら、もう自分は何をやっても成功しないだろうとか、恋人との別離を経験したら、もう二度と恋愛できないだろうなどと考えてしまう傾向があり、これを心理学で「インパクト・バイアス」と呼んでいる。

 

実際はバイアスに過ぎないにも拘らず、極端に振れやすくなるのだ。

 

ところが、大谷翔平は違った。

 

気持ちを切り替えることの難しさのトラップに嵌らなかったのである。

 

想像を絶するプレッシャーを撥ね除(はねの)け、結果を出したのである。

 

影響が心配される中でも変わらない大谷に、チームの指揮官ロバーツは称賛を贈ったのだ。

 

米スポーツ専門局「FOXスポーツ」は、「デーブ・ロバーツは今季のショウヘイ・オオタニの落ち着きを高く評価している」と記し、ロバーツ監督のコメントを紹介している。

 

「逆境を経験するまでは、本当に人となりを知ることはない。フィールド上のことでも、今回のフィールド外のことでもね。私は彼がうろたえないということを学んだよ」。

 

こう言い切ったのである。

 

大谷の精神力に感服する指揮官の称賛がリップサービスではないことは、大谷の長いシーズンを通しての驚くべき躍動が証明している。

 

何より大谷翔平の存在が、組織(ドジャース)が目標(ワールドチャンピオン)を達成するために必要な能力を構築・向上させる「キャパシティ・ビルディング」を遺憾なく発揮した事実が如実に物語っている。

 

このことは、仲間同士の信頼関係の結束力が強化される「集団凝集性」の高さの証左でもある。

 

「大人ではない」と揶揄されながら、被害者ぶることなく警察の捜査に協力しつつ、本業に集中して結果を出していった一人の若者の行動様態に、度肝を抜かれた次第である。

 

これほどまでに難しい時期を克服したことで、彼に対する様々な誹議(ひぎ)を払拭したのである。

 

スポーツ賭博事件が「ワールドシリーズ勝利を目指すドジャースに支障を与えるかもしれません」と書いた、ウォール・ストリート・ジャーナルに次ぐ発行部数を誇るUSA Today紙を沈黙させという顛末だった。

 

大谷翔平というアスリートは並みのMLBの選手ではなかったのである。

 

【「賭博推進に回った米プロスポーツ界 『非合法』の日本は世界で少数派」(朝日新聞デジタル 2024年6月4日)によると、「スポーツベッティング」(スポーツの賭け)は欧米を中心に世界に広がっていて、合法化されている現状がある。米国でも野球・サッカー・バスケ・アメフトなどが賭けの対象になっていて、2012年に、税収増を狙うニュージャージー州が世論の後押しを受け州法を成立させ、2018年にスポーツベッティングが解禁されるに至った。但し、合法化の議論の過程において、米国人が40兆~50兆円レベルで海外や違法なブックメーカーを通じて賭けていることも明らかになり、業者にライセンスを付与し、健全な範囲で楽しむ。それに対して課税をする。すべてガラス張りにして、誰が、いつ、どこで、いくら賭けたかも分かるようにする。反社会的勢力の資金源になるよりは、合法化して管理する方がいいという方向に進んだわけである。但し、米国では50州のうち約40州で合法化されている】

 

 

スポーツの風景: 大谷翔平 ―― そのパイオニア魂に限りなし