道('54)  「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽

 

1  【粗筋】

 

 

 

旅芸人のザンパノは体に巻いた鉄の鎖を切る大道芸を売り物にしていたが、芸のアシスタントだった女が死んでしまったため、女の故郷へ向かい、女の妹で、頭は弱いが心の素直なジェルソミーナをタダ同然で買い取る。ジェルソミーナはザンパノとともにオート三輪で旅をするうち、芸を仕込まれ、女道化師となるが、言動が粗野で、ときに暴力を振るうザンパノに嫌気が差し、彼のもとを飛び出す。

 

あてもなく歩いた末にたどり着いた街で、ジェルソミーナは陽気な綱渡り芸人・通称「イル・マット」の芸を目撃する。追いついたザンパノはジェルソミーナを連れ戻し、ある47・2747・0747・27する。そこにはイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは旧知であるうえ、何らかの理由(作中では明示されない)で険悪な仲だった。イル・マットはザンパノの出演中に客席から冗談を言って彼の邪魔をする一方で、ジェルソミーナにラッパを教える。

 

ある日、イル・マットのからかいに我慢の限界を超えたザンパノは、ナイフを持って彼を追いかけ、駆け付けた警察に逮捕される。この事件のためサーカス団は街を立ち去らねばならなくなり、責任を問われたイル・マットとザンパノはサーカス団を解雇される。ジェルソミーナはサーカス団の団長に、同行するよう誘われるが、自分が足手まといになると感じた彼女は街に残ることを選ぶ。それを知ったイル・マットは、「世の中のすべては何かの役に立っている。それは神さまだけがご存知だ。ジェルソミーナもザンパノの役に立っているからこそ連れ戻されたんだ」と告げ、ザンパノのオート三輪を駆って、彼が留置されている警察署へジェルソミーナを送り届け、立ち去る。釈放されたザンパノは、イル・マットが勝手にオート三輪を使ったことをさとり、渋い表情を見せる。

 

ジェルソミーナとザンパノは再び2人だけで大道芸を披露する日々を送る。ある日ザンパノは、路上で自動車を修理するイル・マットを見かけ、彼を殴り飛ばす。自動車の車体に頭をぶつけたイル・マットは、打ち所が悪く、そのまま死んでしまう。ザンパノは自動車事故に見せかけるため、イル・マットの自動車を崖下に突き落とし、ジェルソミーナを連れてその場を去る。それ以降、ジェルソミーナは虚脱したまま何もできなくなり、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなる。ザンパノはある日、居眠りするジェルソミーナを置き去りにする。

 

数年後。ある海辺の町で鎖の芸を披露するザンパノだったが、年老いた彼の芸はかつての精彩を欠いていた。ザンパノはそこで、地元の娘が耳慣れた歌を口ずさんでいるのを聞く。それはかつてジェルソミーナがラッパで吹いていた曲であった。ザンパノはその娘から、ジェルソミーナと思われる女がこの町に来て、娘の家にかくまわれ、やがて死んだことを聞き出す。いたたまれなくなったザンパノは酒場で痛飲し、大暴れしたあげく、町をさまよう。海岸にたどり着いたザンパノは、砂浜に倒れ込み、嗚咽を漏らした。/ウィキ引用】

 

人生論的映画評論・続: 道('54)  「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽  フェデリコ・フェリーニ

 

 

 

宝島('25)  肉弾の言語の滾りを宙吊りにする男、観念の虚妄の要塞を喰い千切る男

 

1  粗筋(公式ホームより)

 

 

 

 1952年、沖縄がアメリカだった時代。

 

米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。

 

そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オンは“予定外の戦果”を手に入れ、突然消息を絶つ…。

 

残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながらそれぞれの道を歩み始める。

 

しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。

 

やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出す――。

 

消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とは――。(公式ホーム)

 

 

 

2  コザ暴動は、それ以外にない沖縄の怒りが爆発した蜂起だった

 

 

暴力描写の多用にうんざりさせられたが、誰かが手掛けねばならない沖縄のリアルを実写したドラマだった。

 

以下、拙稿「沖縄狂想曲」からの部分的引用である。

 

歴史を遡さかのぼること1450年代。

 

琉球王国は他国と親密な関係を築き、世界の架け橋となって繁栄したと言われている。

 

1879年、日本が琉球を併合し、450年続いた琉球王国(成立は1429年)が消滅して沖縄県となった。

 

沖縄では14世紀に琉球王国が誕生し、中国や東南アジアなど周辺諸国と交易しながら、「大交易時代」と呼ばれる一時代を築いた。

 

1609年に薩摩藩の武力侵攻を受けて以降は、薩摩の支配下に置かれたが、諸外国との交易は続き、日本や中国の文化も吸収しながら、独自の琉球文化を形成していくことになる。

 

琉球文化には、三線(三味線の起源の一つ)の伴奏によって踊る沖縄民謡、盆踊りのエイサー、獅子舞などが知られている。

 

当時の王府があった首里城など県内の9か所の遺跡は、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録され、当時の繁栄を現在に伝えている。(グスクとは城塞的遺構)

 

しかし、その琉球王国も、1879年に明治維新の余波を受けて幕を閉じ、沖縄県が誕生する。

 

1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲し、沖縄県民も徴収され、戦争に巻き込まれていくようになった。

 

1944年10月10日、米軍による沖縄本島への空襲・1010(じゅうじゅう)空襲。

 

1944年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸。国民は「生きて虜囚の辱はずかしめを受けず」と教えられていたため、多くの住民が集団自決するに至った。 

 

米軍の残虐な仕打ちを怖れ、肉親同士が殺し合う。

 

そこは、まさに地獄だった。

 

丸木位里(いり)、丸木俊(とし)の大作『沖縄戦の図』

 

この洞窟への避難者約140人のうち83人が非業の最期を遂げた、チビチリガマの集団自決。

 

【3か月間に及んだ地上戦で20万人を超す死者を出した「沖縄戦」。そのうち9万4千人は、沖縄の住民だったとされています。

 

大湾千代さんは、米軍の上陸地点となった沖縄本島中部・読谷村に住んでいました。当時、読谷村には住民総動員で作られた陸軍の北飛行場がありました。大湾さんは、およそ140人の地元住民とともに洞窟、「チビチリガマ」に潜んでいましたが、米軍につかまれば残酷な方法で殺されると言われていたことから集団死が発生しました。家族の手によって殺されるという悲劇で、幼い子供を中心に83人が命を落としました。

 

大湾さんはかろうじて集団死を逃れることができましたが、防衛隊に参加させられた47歳の父と兄そして、姉を沖縄戦で失いました。

 

戦後、読谷村の大部分は米軍に土地を奪われ、村の面積の95%が米軍施設となり、生きるために八重山に開拓民として移り住んだ人もいました。また、村内では、不発弾処理がひんぱんに行われた上に、演習による死亡事故が起こり、人々を苦しめました。いまも、村土の半分が米軍施設という状況が続き、生まれ育った土地に住むことのできない人々が少なくありません。

 

大湾さんは、戦争の記憶と家族を失ったこと、チビチリガマで多くの人が亡くなったことにいまも苦しんでいます。また、飛び交う米軍機を見たり、その轟音を聞いたりすると、昭和19年10月の「十・十空襲」を思い出すと言います】(「NHK 沖縄戦 心の傷 ~戦後67年 初の大規模調査~」)

 

 

人生論的映画評論・続: 宝島('25)  肉弾の言語の滾りを宙吊りにする男、観念の虚妄の要塞を喰い千切る男  大友啓史

聖なる犯罪者('19)   暴力と暴力の狭間に挿入された似非・司祭の「物語」

 

1  「楽園は遠く離れた場所ではなく、今、ここにある」

 

 

 

実話に基づく映画。

 

看守の目を盗んで、暴力が荒れ狂う少年院。

 

トマシュ神父説教から開かれる。

 

「ミサを始める前に言っておきたいことがある。私は形式的に祈りに来たのではない。君たちもそうであることを願っている。渋々ここにいるのなら運動場に行けばいい。神は共におられる。この場にいる必要がないのなら。なぜ私たちはここにいるのだろうか?重要なものを思い出し、忘れずにいるためだ。私を含め、君たち1人1人がキリストの代弁者であり、絶えず祈るべきだ。“祈り”とは、すなわち“神との対話”だ。怒りや不安、恐怖などの今の感情を神に打ち明けるんだ。犯した罪についてでもいい。理解を得られる。聖歌でも?ダニエル」

 

トマシュ神父の言葉に頷くダニエルが呼ばれて、聖歌を歌う。

 

ダニエルの仮退院の日、トマシュ神父に「もし、僕に神学校の入学資格があれば…」と思いを漏らすと、「犯罪歴があるから無理だ。良い行いをしたいのなら、他にも、たくさん道がある。できることをやれ」と言って激励する神父。

 

ダニエル小さな田舎町の製材所で働くことになった。

 

聖職者に憧れる彼は田舎町の教会に立ち寄るが、その教会にいた一人の少女マルタに「僕は司祭だ」と嘘をつくダニエル。

 

司祭服は?」と聞かれ、司祭服を見せるのだ。

 

マルタに礼拝所の管理責任者である母リディアを紹介され、トマシュを名乗るダニエルは村の司祭に歓迎され、ウォッカをストレートで飲み、宿泊も許されるのである。

 

翌朝、町の司祭の代わりに、告解を引き受けることになる。

 

携帯で“告解の手引き”を参考に、町民の罪の告白を聞き、説教を垂れるのだ。

 

(こっ)(かい)とは、カトリックで信徒が神と司祭の前で罪を告白すること】

 

最初の女性信徒の告解は、タバコを吸う12歳の息子に禁煙させる方途が問われ、「強いタバコを買いなさい。それを吸えば、すぐやめます」と答えるダニエル。

 

昔、大罪を犯したと悩む町の司祭から、自らの治療のために数日間、代わりをやって欲しいと頼まれ、有無を言わせず、引き受けることになった。

 

ミサの日。

 

辞書を調べて、最後の晩餐を記念し、祈りや聖体(せいたい)拝領(はいりょう)を行うミサを執り行うダニエルに緊張が走る。 

 

【聖体拝領とは、ミサでパンとぶどう酒を受け、キリストの体と血にあずかるカトリックの儀式】

 

「形式的に祈るつもりはない。君らもそうだと思う。神は外におられる。では、なぜ我々はここにいるのか。こういうことだ。我々は教会へ来て…彼(イエス)の姿を見る。とても真似できない。すごく純粋な存在だ。塵にすぎない私たちに、どうして、あなたの代わりが務まるだろうか。では祈りを。心の底から祈るのです。今、神と対話してください。では、聖歌を」

 

聖歌を歌うダニエル。

 

斉唱する信徒たち。

 

「楽園は遠く離れた場所ではなく、今、ここにある」

 

ダニエルの説教を耳にして、教会は町民らの拍手と笑いに包まれていた。

 

聖水を信徒らにかけ、自らも聖水を浴びる。

 

司祭の常識を外れたダニエルの振る舞いは、(かえ)って町民らの心を溶かしていくのだ。

 

町の司祭はアルコール依存症の治療に時間を要するので、ダニエルの滞在期間が延長される。

 

実は町には、去年、発生した悲惨な交通事故が暗い影を落としていた。

 

若者6人が乗る車が中年男スワヴェクの車と衝突し、双方の乗員7人が亡くなったという忌まわしい事故である。

 

町民らは、スワヴェクの飲酒運転が原因だと決め付け、スワヴェクの遺灰を他の犠牲者と共に、町の墓地に埋葬することを拒んでいた。

 

だから、スワヴェクの未亡人は村八分のような状況に置かれていた。

 

そのスワヴェクの未亡人の家を訪ねるダニエル。

 

「あなたは死なない」

 

未亡人の手がダニエルの手に伸ばされて、ダニエルはそう慰撫(いぶ)する。

 

事故の犠牲者が眠る献花台。

 

「目を閉じて、彼らの方に手を伸ばして。私たちの存在や声が届くかもしれない。彼らも私たちのハグを求めているかもしれない。彼らは私たちの心の中にいる。息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。すべてを吐き出します」

 

大声を出して、繰り返す。

 

それを見る少女マルタ。

 

カルトの如きダニエルのパフォーマンスに、ラインを成して動く町民たち。

 

「なんか恥ずかしいわ」という女性に、「誰に恥じることが?」と答えるダニエル。

 

この田舎町では、鮮度の高いダニエルのアドリブ全開の説教は極めて効果的だった。

 

 

 

 人生論的映画評論・続: 聖なる犯罪者('19)   暴力と暴力の狭間に挿入された似非・司祭の「物語」  ヤン・コマサ

 

彼女が選んだ安楽死~たった独りで生きた誇りとともに~('25)  完璧な準備をしてきたことの自律的な行為の凄さ

 

1  「一生懸命生きてきたし、悔いはないんです。幸せな人生だったと思いますよ」

 

 

 

「すごい奇麗。ほら透き通っているでしょ。夏は気持ちいいのよ、足を入れて。何でも夢みたい、また来て。嬉しい。幸せ」3・00

 

「迎(むかい)田(だ)良子(りょうこ)さんはこの2日後、2022年12月15日、スイスで安楽死を遂げた。64年の生涯だった」(字幕)

 

タイトルが出る。3・30

 

「2022年1月。当時、ロンドン特派員として安楽死の取材を続けていた私のもとに、日本にいた迎田良子さんから突然、メ-ルが届いた。迎田さんは進行性の難病・パーキンソン病を患い、呼吸不全や耐え難い苦痛の末、スイスで安楽死する決意を固めていた。日本では認められていない安楽死の法制化を訴え、自身の最後の姿を通して、安楽死について多くの人々に考えて欲しいと希望していた」(西村匡史(まさし)監督のナレーション)4・10

 

2022年11月 東京

 

室内を整理して外に出る迎田さん。7・02

 

「歩くのはどんな感じですか?」と監督。

「あのねえ、見ても分かるように膝(ひざ)が曲がっちゃって、前屈(まえかが)みになって、お年を召した方みたいになっちゃって。何か辛いっていうか…歩くのが大変。でも歩きたい」7・07

「長時間、歩くと、結構疲れる?」

「何て言うんだろう。身体では辛いけど、歩くのは好きです」

「運動は好きだった?」

「もう、スポーツマンですよ。バレーボール、キャプテン。サーフィンもやったし、スキューバダイビング。あとゴルフ」

「ご病気になって、運動は控えざるを得ないってことですか?」

「歩くだけですね。それがいいリハビリだと思ってるんで」

 

「迎田さんが患ったパーキンソン病は、手足が震え、徐々に体が動かなくなるほどの難病だが、それ自体が死に至る病ではない」(字幕)

 

「最初にパーキンソン病の兆候があったのはいつ頃ですか?」

「ドクターに話したら、それもそうだよって教えてくれたので、自分としてはその時、気にも留めなかったんですけど、2012年以降かな。ソファーがベッドになるってありますでしょ。あれで寝てたんですよね。ちょうどこうなってるから、背中が痛くなって、それが原因かなって思ってたら、ドクターが言うには違うんですね。でも気にも留めなかったんですね」8・33

 

この間、体や両手の痺れが絶え間なくて、必死に両手で握り合っている迎田さん。8・48

 

「そのあと、左足が何か違和感を感じて、震えるようになって、数秒ほどなんですけど。よくストレッチをやってたんで分かるんですけど、何か神経が鈍いなあって感じがしてきて、2013年辺りですね。震えが目立ってきたのは2015年ですかね。電話の仕事やってたんですけど、急に血の気が引いて、息苦しくなってきて、眩暈(めまい)と吐き気がして、早退したんですね。1時間くらいで治ると思ったら、やはり1時間、横になって回復したんで。でもドクターが言うには、それもそうだって言うんですね。私がおかしいなって病院行ったのは、2016年の2月で、その前から何かおかしなのがあって。最初は整形外科に行こうと思ったぐらい背中や節々(ふしぶし)が痛くて、一番は頭痛と吐き気ですかね。左足の筋肉が硬直するんですね。脳に繋がってるのが分かるんですね。それで不快で眠れなくて、ドタバタして、明け方頃、寝入りするっていうか、背中が曲がっているので腰をこうやらないと(立てないと)辛くなる」9・51 10・11

 

帰宅した迎田さんはアルバムを見せる。

 

「父がよく大工仕事が趣味で、よく褒められたんで、それを本職にしてしまったんですね。工務店開いて…でも仕事がなかったみたいで大変そうだったんで、気がついてみたら引っ越してみました。続けましたんだけど、段々、父と母の仲が悪いのが目立って、子供心に分かるので、私と父が話すと母が嫉妬するので、悪循環でしたね。恥ずかしい話なんですけど、私が学校から帰って来ると若い男の人がいて、いつも来るようになったんですよね。父がいない時に泊まってたり、異様でしたね。今言えるのは、段々、自分が社会人になって感じるのは、(母は)敵。母の愛人からひっぱかれたこともありますし、だから家族に頼ろうという気持ちはなかったですね」12・40

 

「高校時代って、どんなお嬢さんでした?」

「多感な時代で、将来を夢見ながら、よくお友達と喋ってました」

「この頃の夢って、何かありますか?」

「映画の翻訳、戸田奈津子さんに憧れてました」

「海外に行ったんですか?」

「音楽が好きで、西洋の音楽、歌。ポップスとかクラシックとか好きでした。これは20歳頃(の写真)で、パルコ(ショッピングセンター「PARCO」のこと)にいました」15・39 15・55 

「色んなご職業をやってらした?」

「そうですね。あれをやりたいとか、特にないんですけど。生活のための収入が必要だったんで、可能な限り働きました。日本語教室養成所に入って、半年働いてオーストラリアで9か月日本語教室で行きました」

「いい思い出ですか?」

「いい思い出ですね。自分がこんなことできたんだなって。日本で働いてた自分と違う自分が発見できました」

 

食事の支度をする迎田さん。

 

「パーキンソン病になって料理などの制限がありますか?」

「仕事が長くできませんでしたね。あと手指を動かして作業をしていると、1時間ほどすると眩暈がしてくる。段々、体が動かなくなってきてるんで、早く見切りをつけないと飛行機も乗れなくなっちゃう」

「今、この体調で、このタイミングで安楽死を選択することに繋がっていますか?」

「そうですね。何ていうか、寿命ですよ。自分の人生の寿命だって思うくらい。後悔はないんですよね。何でも好きなことしてきたし、一生懸命働いたし、貯金も作ったし。でも色んなことが重なってこういう病気になったと思うのでね。一つが原因でないと思うんだなぁって思います」19・19

「これが大きかったことってありますか?」

「ありますね。結婚してた時に流産したんですよ。手術しなければいけないってことになって、麻酔を打ったんですけど、量が多すぎたらしくて、一晩中苦しんで、脳が浮いたような形になっちゃって、それが関係あるんじゃないかって思う。30代後半ですかね。それから脳が痛くなるようになって、最悪」

 

戸外でのインタビュー。

 

「8年間、結婚生活あった中で、その後、離婚をされて、安楽死を決めたのはいつ頃ですか」

「自分が本当の難病にかかってるんだなって認識した時ですね」

「認識したのはいつ頃ですか?」

「2018(年)頃ですね。侵食されてるんだなあ、何やっても。何とか生きたいけど、でも選択肢は用意しとくっていうか、まあ、何とか生きなきゃいけないと思ったんでしょうね。父がいますし、将来のことを想定し、父がいなくなったら完全に私は独りだなっていうのがありましたし、じゃあお墓をどうしようっていうのを考えたり…」

「お父さんを看取(みと)るまでいなきゃいけないって思うんですか?」

「そうですね、任されたので」

「お父さんが亡くなった時には、ご自身の安楽死と関係すると思うんですけど、お父さんを看取った時にはどう思われました?」

「うーん…やれやれと思いました。というのも、私の体もパーキンソン病が進行してましたので、一体、将来どうなるのかなぁって思いました」

 

再び、食事の支度をする迎田さん。

 

「もし安楽死が認められてなかったら、どういう風に考えます?」23・03

「多分、辛くって体の痛みが続きますから、段々、動けなくなって首を吊って死んだかも知れない。紐を用意してあるんですよ。人生が嫌だとか、そういうんじゃなくて息を止めたい。病気を止めたいっていうのかしら。そういう言い方ですね。でも元気な時は、夜とかレストラン行ってね、友だちと色んなもの食べましたけど、もう、公の場に出られないんで、これじゃ(震える手が止まらない)。友だちが誘ってくれる人がいたんですけど、私は障害者だからダメだよって断って。だから最後にレストラン行ったのは2年前かな。もう、その頃から、こっちの手(右手)も震え出して。だからレストランとか行かない。ここで食べてても、フォークとかナイフがこうなちゃって(震える手が止まらない)、食べ物が飛んじゃうんですよ。」

「そんな状態で、お店とかで嫌な思いをされたことがありますか?」

「ドトールコーヒー入って、あれってできたもの持っていかなきゃならないじゃないですか、テーブルまで。大変でしたね、バーッて零(こぼ)れちゃって。隣の人が異様さを感じたのか、席離れて、あたしの後ろに立って座らないんですよ。これはもう、スタバとか行けないなと思って」

「お友だちで、迎田さんの決断を知っている人はいるんですか?」

「います」

「どんなご意見ですか?」

「付き合いが20年くらい経つんですけど、再婚も考えた仲なんですね。フランス人なんですけど、私のことボルドーに連れて行って、皆に紹介してくれて、いい線までいったと思ったら喧嘩しちゃって。その繰り返しできたんですけど」

 

戸外で。

 

「まあ彼もどうやって一緒に住めるかっていうことで、日本に来たことがあったんですね。やっぱり人の世話ができない人が傍にいると疲れてしまう。もうダメだなって思いました」26・54

「もし彼と新しい家族を築いていたとしたら、今この段階で、安楽死をすべきかどうかということは思わなかったんですよね?」

「パーキンソン病だったけど、まだ今ほど重症ではないので…でも色んな選択肢を作らなければいけないなと思ってスイスのことは見てましたね」

 

自宅で。

 

「彼に言いましたね。だけど、彼も考え出して…できない。彼も肺の難病なんですよ。だから結局、一緒に結婚できなくて。友だち関係になっていったんですけど。肺が苦しくて長旅ができないし。パスポートのコピーも送ってくれたんですよ。ああ、行けるかなと思ったんですけど、結局ダメで。療養生活ですね、彼は」 28.34(散骨場所に決めてある)

「このままこのご病気で生きるとしたら、いずれはお兄さんに頼らざるを得ないリスクもあるから…」

「それも一つありますね。そこまでして生きていたいと思わない。頭下げてまで。重要性がないと思いますよ、そこまでして。じゃ、生きて、ヘルパー頼んで、眼だけ開いて、それが何なのって感じ。自分で選択肢も、権利があると思います。自己責任を持ってね…たとえ、母と父が生きていて、お金があるとか、ヘルパーなるよって言われても、こういう不快さ、体の痛みを代わってくれるわけじゃないんで。進行性の難病なので、私は安楽死を選びますね」

「スイスに行く日程が決まって、生活の過ごし方が少し変わったりしましたか」

「やっと決まったんだなという喜びと、却(かえ)って目的ができて、最後の日まで、これをやっておこう、あれをやっておこうで、却って充実してます…お世話になった人に手紙を書いておくとか、気持ちの中でも、あの人にこういうことしちゃって悪かったなとか、そういうのが出てきた。感謝の気持ち。だから、そうやって出会いもあったし、一生懸命生きてきたし、一生懸命やってくれた人もいたんで、悔いはないんです。幸せな人生だったと思いますよ。プロポーズもたくさん受けたし、こう言っちゃなんだけど、いい人生だったと思います」

 

【パーキンソン病は、主に60歳代以降、神経伝達物質であるドーパミンの減少によって、1000人に1人程度の有病率で、何らかの遺伝子異常を起因に発症する。ドーパミンの減少によって震え(静止時振戦(しんせん))が発現し、体の動きが悪化していくという運動症状が顕著になっていく。また自律神経症状(便秘、頻尿、めまいや発汗)、嗅覚障害、睡眠障害などの非運動症状が見られることもある。パーキンソン病の発症のメカニズムについては、少しずつ研究が進んでいるものの、確実に証明された環境因子は存在しないと言われる】

 

 

人生論的映画評論・続: 彼女が選んだ安楽死~たった独りで生きた誇りとともに~('25)  完璧な準備をしてきたことの自律的な行為の凄さ  西村匡史

ツォツィ('05)   少しずつ変容する心の旅の物語

 

アフリカ映画初のアカデミー賞外国語映画賞受賞した傑作。

 

 

1  乳母車にするために車椅子を狙う少年

 

 

 

南アフリカ最大の都市ヨハネスブルク。

 

その一角にソウェトと呼ばれる最悪なスラム街がある。

 

【南ア最大の黒人居住区だったソウェトは、アパルトヘイト体制の廃止後も、多数派黒人の中にあって富裕層との格差が顕著で、派手な車や豪壮な邸宅が存在する一方で、貧民街や高い失業率の場所でもあり、治安は悪化したままとなっている。人種差別どころか、奪う側も黒人ならば、奪われる側も黒人という、究極の構図の悲惨さを炙(あぶ)り出している】

 

少年ツォツィ(不良というスラングで、本名は分からない)は、この日も悪事を企(たくら)んでいた。

一人の富裕な男性から金銭を奪うために、満員電車に乗った男性を複数の仲間が囲い込み、刃物で刺殺してしまうのだ。

 

ソーキの店。

 

「今夜はやりすぎだぞ」

 

そう言って、「先生」と呼ばれるボストンが、仲間を指弾する。

 

「ツォツィ、名前は?」

 

睨み返すツォツィ。

 

「“不良”じゃないだろう」とボストン。

「こいつに聞くなよ」とアープ。

「半年も一緒だ。知りたい。誰だって、本当の名前がある。生まれつきの…“品位”って言葉、知ってるか?俺にはある。だから吐いた。あのネクタイ姿の男。彼にもあった。だが今は?死んでる」

「座れよ。頭を冷やせ」とブッチャー。

 

このブッチャーが男性を刺殺した張本人で、極めて残忍な少年である。

 

刺殺事件を起こしたことで怒りがおさまらないボストンが、自らを傷つけながらツォツィに向かって言い放つ。

 

「今夜、あの男を殺した時、心が傷ついた。お前に分かるか。例えば女だ。付き合ってた女にフラれたら傷ついたろ。心が血を流したろ。お前の父親はどこにいる?両親はどこにいる?お前は捨て犬か?」

 

ここまで言われたツォツィは切れて、ボストンを蹴り上げ、殴られ、血塗(ちまみ)れの惨状を呈した。

 

直後、その場から離れたツォツィは雨中の中、疾走するのだ。

 

土管(どかん)を住処(すみか)にしている二人の仲間は、既に戻っていた。

 

疾走の果て、眼についたのは1台の乗用車。

 

車の主が離れている間に、カージャックをするツォツィ。

 

車を運転していた女性が戻って来るが、銃で撃ち、車を運転して逃げ去ろうとする。

 

ツォツィの視線が捉えたのは泣き叫ぶ赤ん坊。

 

迷いの末、赤ん坊ごと盗んで、その場を離れていくのだ。

 

二人と住処を別にしてスラムの荒家(あばらや)に住むツォツィは、赤ちゃんのオムツを替え、ミルクを飲ませ、何とか泣き止ませる。

 

そこに、ブッチャーとアープがやって来た。

 

ソーキの店でボストンを預かっているという報告をしてから、今夜の“仕事”の話をして帰っていく。

 

ツォツィは待ち合わせの場所には行かず、一人の車椅子の障害者に狙いをつけて追い、車椅子を奪う算段なのだ。

 

車椅子を乳母車にしようと考えているのである。

 

全てを察知した障害者は金で解決しようと、金を放擲するが、それを蹴飛ばすツォツィは、相手の目線になって語りかける。

 

「犬みたいになっても、なぜ生き続ける?」

「俺は…太陽の光を感じたい。こんな手でも温かさは分かる」

「…金を拾え」

 

そう吐露し、帰っていくツォツィ。

 

スラムに戻ったツォツィは、赤ん坊に飲ませるミルクを与えても、ミルクの臭いで蟻の群れが赤ん坊の顔を覆ってしまうのである。

 

赤ん坊には母乳が必要なのだと考えたツォツィは、思い切った行動に打って出た。

 

スラムにいる女性を探り、赤ん坊を背負った女性の後を追って脅し、自ら運んで来た大きな袋に入れた赤ちゃんに乳を飲ませようと強いて、実行に及ぶのである。

 

乳を飲ませ終わった女性は、「俺の子だ」と言うツォツィに対して、「体を奇麗にしてあげる」と言って、丁寧に清めてくれるのである。

 

その姿を見て、心地良く笑みを浮かべるツォツィ。

 

幼少期を思い起こしているのだ。

 

「誰かに話したら殺す」

 

それがツォツィの捨て台詞だった。

 

そんなツォツィは、すくすく眠る赤ちゃんを見て、病弱な母と暴力的な父親のことを思い出す。

 

その父親から「デビッド」と呼ばれていたから、それがツォツィの本名なのだろう。

 

ツォツィの元にアープが訪ねて来て、閉鎖的なツォツィに変化を感じ、いつものように子分のように下手(したで)に出る。

 

「お前と俺は長年のダチだ。ガキの頃から一緒だろ。やり直そう」

 

そう望んでも、「なんで自分の頭で決めないんだ。今度は本当に終わりだ」と突き放され、関係が途絶されてしまうのだ。

 

今や、彼らの関係性に罅(ひび)が入っているようだった。

 

人生論的映画評論・続: ツォツィ('05)   少しずつ変容する心の旅の物語  ギャビン・フッド

 
 

国宝('25)   悪魔と取引した男の最高到達点

 

1  「あの二人。女型で組ましたらおもろいかもしれんな」

 

 

 

1964年 長崎

 

喜久雄(きくお)少年の歌舞伎演目「関(せき)の扉(と)」の演技を見て、「いやあ、見事なもんや」と驚く上方歌舞伎の名門当主・花井半二郎。

 

「喜久雄、よう見とけ。しっかり、そん目で見とけ」と言って、銃丸を浴び、斃(たお)れていく権五郎。

 

花井半二郎によって守られた喜久雄は、幼馴染(おさななじみ)の春江と背中に彫り物をする。

 

二人の関係の深さを示唆する描写である。

 

また、父の敵(かたき)討ちを図るが、頓挫する喜久雄。

 

【「関の扉(せきのと)」は、逢坂山(おうさかやま)の関を舞台に小野小町(おののこまち)の伝説と大伴(おおともの)黒(くろ)主(ぬし)の陰謀を描く歌舞伎舞踊の代表的名作。ここで喜久雄が演じたのは遊女・墨染(すみぞめ)である】

 

1年後。

 

生みの母・伯父・叔母を原爆症で喪い、天涯孤独となった喜久雄を引き取ったのが先の花井半二郎。

 

そんな喜久雄を半二郎の妻・大垣幸子(さちこ)が迎えるが、極道の息子ということで気乗りがしない。

 

「いきなり困るわ。犬の子、拾うてくるみたいに」

「なんしか、あの墨染(すみぞめ)は今でも、よう覚えてんのや」

「せやかて素人やんな」

 

半二郎夫婦の会話である。

 

そこに喜久雄が入って来て、丁寧な挨拶をする。

 

「不束者(ふつつかもの)ですが、どうぞよろしくお願いします」

「気楽にやったらええがな」

 

半二郎はそう言って、実子の俊介を紹介する。

 

花井東一郎という歌舞伎役者の名前をもらった喜久雄に対して、「俺、半弥やで」と言って、不満を漏らす俊介。

 

「なんで俺が半で、こいつが一やねん」

「あんたはいずれ、三代目・半二郎。二になるやろ」と半二郎。

「せやけど、あれやわ。こんな大きい子の親代わりなんてでけへんし。ずーとうちに暮していくいうのも…なあ?」

「もう、長崎へは帰せへんで。“曽我兄弟”やで。親の仇、討ったんやってな」

「ばってん、しくじったとです」

 

「連獅子」を舞う半二郎を見て感動する喜久雄。

 

【連獅子とは、我が子を谷底に蹴落として這い上がる子を育てるという、獅子(ライオン)の教育の厳しさを描く】

 

連日、俊介と共に厳しい稽古に励む喜久雄には、寧ろ、その厳しさを愉悦するのだ。

 

極道の世界で精神的に鍛えられたのだろう。

 

俊介と二人でも稽古する二人。

 

「あの二人。女型で組ましたらおもろいかもしれんな」

「あんたも、そう思うたん?」

「うん…どっちにしても、喜久雄相手やったら、俊ぼんも稽古に身が入るやろ。なんや甘いとこあんやから、あいつ」

 

夫婦の会話である。

 

「あいつ」とは息子の俊介のこと。

 

その俊介と喜久雄は半二郎に随行し、人間国宝の小野川万菊を訪ね、女形である万菊の「鷺娘(さぎむすめ)」を踊る姿を見て驚く。

 

「化けもんや」と喜久雄。

「せやけど、美しい化けもんやで」と俊介。

 

【鷺娘とは、ウィキによると、鳥である鷺が娘に姿を変じて踊るというもので、歌舞伎および日本舞踊の演目の一つで、現在、3種類あると言われる。坂東玉三郎の鷺娘が有名で、YouTubeで見れる】

 

 

 

2  「俺な、今一番欲しいのは、俊ぼんの血やわ。守ってくれる血が俺にはないねん」

 

 

 

1972年。

 

青年になった喜久雄は化粧に余念がない。

 

酔っぱらって楽屋に入って来る俊介に、「遊び過ぎちゃうか。もう、幕開くで」と声をかける喜久雄。

 

舞台で、二人は「二人(ににん)藤娘(ふじむすめ)」を舞う。

 

【二人藤娘」とは、長唄舞踊「藤娘」をもとに、一人で踊る藤の精を二人の藤の精として演じる歌舞伎舞踊の形式で、藤の花の精が恋心や酒に酔う風情を華やかに踊る演目/AI回答】

 

それを見て、「よくやった」と言って、二人を呼ぶ三友(みつとも)の梅木社長。

 

歌舞伎を仕切っている人物である。

 

「ものは試しで、今度の京座(みやこざ)に懸けてみようじゃないか」と梅木。

「それはありがたい話でっけど、こんな半人前に大舞台、務まりますやろか」と半二郎。

 

梅木の話を聞いて喜ぶ喜久雄と俊介。

 

二人の表情を見て、梅木のブレーン・竹野が嘲笑する。

 

竹野に腹を立てた喜久雄が文句をつけると、竹野は言い切った。

 

「歌舞伎なんてただの世襲だろ。あんたは所詮よそ者。今は一緒に並べてもらってても、最後に悔しい思いして終わるのはあんただぞ」

 

この言葉に切れた喜久雄は熱(いき)り立つが、竹野は同じことを言い放つ。

 

「悔しい思いして人生終えるのは、あんただぞって言ったんだ」

 

その瞬間、喜久雄は「ノボすんな、わりゃ!」と怒鳴って、竹野の腹を蹴(け)り上げた。

 

ここで二人は取っ組み合いの喧嘩になり、周囲の者たちに止められるという顛末(てんまつ)だった。。

 

【「のぼすんな」とは、「のぼせるんじゃねえ」という意味の方言】

 

二人の念願が叶い、京座(みやこざ)での大舞台が開かれる。

 

演目は「二人(ににん)道(どう)成寺(じょうじ)」。

 

唄方(うたかた)の唄に合わせて二人で踊る趣向の「二人道成寺」。

 

二人の花子が舞い踊る眩いばかりの華やかな世界が披露される。

 

それを見守る半二郎。

 

観客席には、尖(とん)がった喜久雄と喧嘩した竹野もいた。

 

【二人道成寺は、歌舞伎舞踊「娘(むすめ)道(どう)成寺(じょうじ)」を二人の白(しら)拍子(びょうし)(リズムに合わせて歌い舞うこと)が踊る趣向にした演目で、安珍(あんちん)清(きよ)姫(ひめ)伝説を題材とし、長唄に乗せて華やかな所作と衣裳替えを見せる舞踊劇。花子とは、道成寺の鐘供養に現れる白拍子であり、その正体は安珍を追って鐘に執着する清姫の怨霊が姿を変えた存在です。二人道成寺では、この花子の役柄を二人の役者が分け合い、時に一体、時に対照的な二つの相として踊り分ける/AI回答】

 

大成功を収める東半コンビ(東一郎と半弥)がインタビューを受け、答える喜久雄。

 

「なんや。見たことがない光景でした」

 

その夜、俊介を中心に春江が働くキャバレーで騒ぐ役者ら。

 

その中に喜久雄もいる。

 

「喜久ちゃんは芸、見てもらえるんが一番うれしいんよ」

 

その夜、春江のアパートの部屋で愛し合う二人。

 

「結婚しよ」と喜久雄。

「あかんか?喜久ちゃんは役者。今が上り坂の大事な時。うち…うんと働いて喜久ちゃんの一番の御贔屓(ごひいき)さんになろ。楽屋にペルシャ絨毯(じゅうたん)、買(こ)うたろ。そんで、もっと働いて劇場、建てたろ。毎月、喜久ちゃんが主役や。お客さん、みんな喜久ちゃんに、うっとりしっぱなしや」と春江。

 

交通事故で入院することになった半二郎は、自分の代役に喜久雄を指名し、妻・幸子は猛反対をする。

 

「泥棒と一緒やないか。人んちに入り込んで、大事なもん盗みくさって。このこそ泥が」

 

俊介は喜久雄にここまで言い放ち、喜久雄の胸倉を掴むが、本音全開のジョークで済ますのだ。

 

「“実の息子より部屋子の方が芸は上”言うのが、天下の二代目、花井半二郎なら俺も文句ないわ」

「俺に旦那の代役、務まるんやろか」

「まあ、誰にも務まるわけないわな」

 

まもなく、半二郎の病室で、喜久雄は特訓を受ける。

 

「好きな男に一緒に死ねるかどうか聞いてんねんで!」と半二郎。

 

題目は「曽根崎心中」。

 

近松門左衛門原作の最も有名な心中物語として知られる名作である。

 

手代(従業員)の徳兵衛と遊女お初の究極の愛が、徳兵衛の友人・九平次の裏切りに遭(あ)って、心中に至る悲恋の物語である。

 

「残る一つが今生(こんじょう)の、鐘に響きの聞き納め。足で問えば、打ちうなづき、足首取って…」

 

半二郎の面前で自らの頬を強打して、心中に至る心境を唄う喜久雄。

 

そして、当日を迎える。

 

化粧に手が震える喜久雄がいる。

 

楽屋に俊介が訪ねて来た。

 

その様子を見た俊介は、「おう、どないした?」と尋ねる。

 

「幕、上がる思うたら震え止まらんねん」

 

代わって俊介が、喜久雄の顔の化粧をする。

 

「怒らんで聞いてくれるか?…俺な、今一番欲しいのは、俊ぼんの血やわ。守ってくれる血が俺にはないねん。俊ぼんの血、コップに入れてガブガブ飲みたいわ」

 

化粧されながら、喜久雄は本音を漏らすのだ。

 

いよいよ上演の時がきた。

 

「きつう、わしにご執心ゆえ、かねてたくんで徳さまを、深いところへはめたものなるが、証拠なければ理も立たず。この上は徳さまも、死なねばならぬ品(しな)なるが、死ぬる覚悟が…聞きたい…いつまで生きても同じこと。死んで恥をすすがいでは」

「お初は何、独り言、言わるるぞ。よし、まだ死んだら、その跡は、これ、この九平次がねんごろしてやろう。そなたも己(おれ)にほれてじゃけな」(役者)

「ハハハハッ。なんじゃ、九平次がねんごろしょう。そりゃ、かたじけなかろうわいな。さりながら、わしとねんごろさあんすとー。そなたも殺すが合点か。徳さまと離れて、片ときも生きていようか。徳さま、死ぬる覚悟、わしも一緒に死ぬるぞいの」

 

【九平次は徳兵衛を罪人にするという嘘をつき、極悪非道な油屋として描かれている】

 

ここまで観ていた俊介は居(い)た堪(たま)れず席を外し、館内の一角で塞(ふさ)ぎ込んでいた。

 

追って来た春江が「俊ちゃん」と声をかける。

 

「逃げるんとちゃう」と繰り返し答えた後、春江は「分かっとるよ」と答える。

 

「俺…本物の役者になりたい。なりたいねん」

 

徳兵衛の手を持ち、心中への道をいくお初を描くラストで閉じる「曽根崎心中」は、盛大な拍手の中で幕が下りてゆく。

 

片や、俊介もまた、春江の手に引かれて館外に出て行く。

 

幕が下りた時、周囲には誰もいない静寂の中で、孤独を極める喜久雄の表情の画(え)が鮮烈に映し出されていた。

 

本作を貫流する「血を持ち得ない者が負う、絶対孤独の宿命」という、そこだけは逃れられない人生の命題である。

 

以下、「曽根崎心中」の簡単な粗筋。

 

【一途な恋ゆえの葛藤から心中へ。太平の繁栄に浮かれる大坂の町で「恋の手本」と謳われた愛の物語!遊女お初と醤油問屋で働く徳兵衛は愛し合うが、徳兵衛にはお初を請け出す金はなかった。その上親友に騙されて無実の罪を着せられる。到底この世では結ばれない二人。お初は徳兵衛に愛の証しの決断を迫る…。元禄時代の大坂で実際に起きた心中事件をもとに、近松門左衛門が創作した名作/「歌舞伎演目案内 曽根崎心中」より】

 

人生論的映画評論・続: 国宝('25)   悪魔と取引した男の最高到達点  李相日

 

ワン・バトル・アフター・アナザー('25)   「究極の救出劇」という御伽話を捨てた傑作

 

1  「革命は悪魔との戦いで始まり、自己との戦いで終わる」

 

 

 

「名前は?クソッタレ」とペルフィディア。

「スティーブン・J・ロックジョー警部だ」とロックジョー。

「私はペルフィディア・ビバリーヒルズ。宣戦布告だ。お前らの悪行を正す。ビビってんなら自業自得だ。私のことも、この戦いも知らないだろう。メッセージは明快。国境・肉体・選択の自由・恐怖からの解放だ」

「たまんねえな」

「茶化す気か?」

 

そう言うや、ペルフィディアはロックジョーを移民収容所のフェンスに閉じ込める。

 

「我々は政治組織であり、その正体は謎だ!宿敵・帝国主義やファシスト政権の監視や攻撃をかいくぐる!お前らは“フレンチ75”の政治的捕虜だ。フレンチ75によって囚われた。警察くたばれ」

 

極左暴力集団の「フレンチ75」で、ペルフィディアと共に活動の中枢を担い、爆破物担当のパットのアジテーションである。

 

「今、俺は閉回路を作ってる。そして、静電気を除去するために…これが雷管だよ。いいかい。裁判所に入る時は誤作動防止にシャントを使うこと。これが爆発物だ。これが携帯電話。まず携帯の電源を入れる。雷管をつけずに、誤作動を防ぐため…」

 

【閉回路とは電流が途切れずに流れ続けている回路のこと。雷管とは起爆装置。携帯の使用によって、電波や電気的影響により誤作動を招く怖れがあるため雷管をつけない。シャントとは、回路の電流を検出するためのシャント抵抗器で、回路の誤動作や破壊を防ぐ役割を担う】

 

そんな話をしながら、ペルフィディアと愛し合うパット。

 

「武力革命が唯一の方法」と考えるペルフィディアは、「中絶禁止の警告を無視した」企業等の爆破を実践する。

 

そのペルフィディアを探し続けるロックジョーは彼女を見つけ出し、ホテルで密会する。

 

まもなくペルフィディアは妊娠し、それを知り、黙認するパット。

 

ペルフィディアとパットの間に産まれたであろう赤子の構図が提示される。

 

「私を支配したいのね」

 

そう言い切って、産まれた女児シャーリーンの世話をするパットに愛想を尽かすペルフィディア。

 

パットが正体を知られないために、先月、亡くなったばかりの親子の名を借りて生きていくことになる。

 

パットとシャーリーンの名が、ボブとウィラに代わるのだ。

 

その頃、ペルフィディアは事件を起こし、殺人罪で拘束される。

 

パットの元から離れた彼女を救ったのはロックジョー。

 

「フレンチ75」や昔の仲間・家族との接触を禁じ、いつでも証言に応じて働き、生活費を稼ぐことが条件づけられた。

 

「革命は悪魔との戦いで始まり、自己との戦いで終わる」(ペルフィディアのモノローグ)29・35

 

直後、「フレンチ75」のメンバーが次々に斃されていく。

 

その中心にいるのは、ここでもロックジョー。

 

「フレンチ75を壊滅させた目覚ましい功績と比類なき勇気を称え、スティーブン・J・ロックジョーに対してB・フォレスト勲章を授与する」

 

「証人保護プログラム」で守られたペルフィディアの密告の結果である。

 

そのペルフィディアの棲家を訪ねたロックジョーが目にしたのは、「このプッシー(子猫)はあんたのものじゃない」という貼り紙だった。

 

ペルフィディアはロックジョーをも裏切り、メキシコに逃避するのだ。

 

【証人保護プログラムとは、証言者を守るために身辺警護などの措置を包括的に行う制度のこと。ここではペルフィディアの裏切りの代償だった】

 

人生論的映画評論・続: ワン・バトル・アフター・アナザー('25)   「究極の救出劇」という御伽話を捨てた傑作  ポール・トーマス・アンダーソン