マリウポリの20日間('23)   善人は善行を尽くし、悪人は悪行に手を染める

 

1  「プーチンにこれを見せろ。この子供の目を見れるか。医師たちも泣いてる。これが奴の大義の犠牲だ」

 

「こちら112.応答してくれ。“Z”のマークが描かれた戦車が第2病院の周辺にいる」とウクライナ

「目視したか?」

「ああ、この目で見た。第2病院から見える位置にいる。教会の向かい、バス所だ。“Z”マークの戦車が現れた」

「カメラに収める」

 

ここで、戦車の画像が現れる。

 

「この時、“Z”の印を初めて見た。ロシアの戦争符号だ。病院が包囲されている。病院には医師たちや数百人の患者と我々もいた」(AP通信の取材班/以下、記者のナレーション)

「ああ。記者と一緒だ」

「ロシア軍に捕らえられたら終わりなのは理解している」(記者のナレーション)

 

1日目

 

2022年2月24日

 

「街に異常がない。ある人が言った。“戦争は爆発ではなく静寂から始まる”と。ロシアの侵攻が間近に迫る中、我々はマリウポリに入った。標的になるのは確実だからだ。だが国全体が攻撃を受けるとは思ってもいなかった」(記者のナレーション)

 

「特別軍事作戦を実行することを決断しました。ウクライナの占領は考えておらず、何かを強制するつもりもない。これは現在進行中の脅威に対する自衛行為にすぎないのです」(プーチン

 

マリウポリ到着の1時間後、郊外に爆弾が落ちた。防空システムを有する基地は破壊された。ロシア軍は戦闘機を飛ばしてくる。巨大な港を持つ工業都市はクリミアにも近い要衝だ。我々はクリミア危機の際もこの街に来た。ロシアは再び支配を試みるだろう。街で最もロシアに近い左岸地区に向かった」(記者のナレーション)

 

「息子が仕事に行っていて、私は独りきりよ。私はどこに隠れたらいいの?誰か教えて。家に帰り、地下に隠れて」(老婦人)

 

「今日、初めて話した市民だ。撮影をやめてなだめるべきか迷った」(記者のナレーション)

 

結局、取材班が降りて、説得する。

 

「家に帰ってください。民間人は攻撃されない。自宅で待機して」(記者のナレーション)

「息子がもうすぐ帰るの」(老婦人)

「早く帰って。彼は自力で戻れる」

「爆撃されない?」

「それはない。地下にいてください」

 

しかしまもなく、爆撃を目の当たりにした記者。

 

「僕が間違っていた。1時間後、砲弾が民家を直撃した」

 

消火活動するウクライナ消防団

 

「何かが当たり、家が燃えた」と初老の民間人。

マリウポリがロシアの支配下に置かれる可能性があると?」(記者)

「あり得るだろう。絶対に嫌だがね」と初老の民間人。

「どうして?」(記者)

ウクライナ人として生きたい。プーチンの演説を見たよ。あのクソ野郎め。自国民をとんでもなく美化したうえで、ウクライナを攻めることは必然だと語っていた。でなければ逆にやられると。イカれてる」と初老の民間人。

 

ウクライナの国民の皆さん。戒厳令が敷かれました。我が国の安全と勝利のために必要な措置です。冷静に行動し、軍や当局の指示に必ず従ってください。偽情報に翻弄されないようにに」(公共放送)

 

避難指示が出ていなかったが、他の地区に避難する人々。

 

「窓ガラスが割れた」と一人の幼児。

「全てを壊され、略奪された。なぜ、こんな形で家を出なきゃならないの」と老婦人。

 

記者が質問しても、却って避難民を怒らせるだけだった。

 

「怒りは理解できる。祖国が攻撃されているのだ。僕の祖国でもある。だからこそ伝えねば」

 

ここで、取材班の記者が作り手のミスティスラフ・チェルノフ監督である事実が判然とする。

 

避難民はマンションの地下に身を隠す。

 

突然の停電で不安を生むが、すぐに電気が復旧した。

 

蹲(うずくま)る女の子に、「どうしたの?」と尋ねる記者に、「私、死にたくない。こんなの早く終わってほしい…爆弾の音で目が覚めたの。戦争が始まちゃった」

 

最後は泣き声に変わってしまった。

 

「戦争が始まったのだ」(記者のナレーション)

 

「19万にも及ぶロシア兵が北東、南の国境から侵攻。ロシアは容赦しません。プーチンの演説と共に空爆が始まりました。東部のハルキウと南部のマリウポリが攻撃を受けています」(ウクライナ公共放送)

「人々は憤慨し、プーチンへの憎しみを募らせています」(BREAKING NEWS/ニュース速報)

 

3日目

 

ウクライナ軍はロシア軍に対し徹底抗戦しています」(ウクライナ公共放送)

 

「2月26日。街に緊急放送が響き渡る。ロシアが街を包囲し始めた。郊外の街を占拠し、道路を封鎖している。だが街を出た市民は4分の1。大半が残った。ここは街にあるジムだ。今や街で最大規模のシェルターになっている。鏡にテープを貼るのは、飛び散る破片を減らすためだ」(記者のナレーション)

 

「私は平気だけど子供が心配よ。まだ小さいこの子に何か起きるのが怖い。どうしてこんな目に遭うの?私たちが何か罪を犯した?まったく理解できない。こんなのは無意味よ」と母親。

 

「彼女は初日に、僕が家に帰るように伝えた人だ」(記者のナレーション)

「“民間人には攻撃しない”と言ったでしょう?だけど家に帰ったら爆撃を受けたわ」(先の老婦人)

「僕は謝罪した。無事で何よりだ…子供たちの姿を見て、自分の娘たちを想った。国中で報じられている事態を知り、嫌な予感がしていた。この街で最悪の事態が起こるのではないかと」(記者のナレーション)

 

「民家が砲撃を受けていますが、ロシアは“民間人は標的外”と主張。“民間人への攻撃”が強まる。恐ろしい事態を前に、大勢が国外避難を試みています。街に残った人々は爆撃を恐れ、シェルターに身を隠します。マリウポリを守る勇敢なウクライナ兵たち。この港湾都市は経済を支える拠点で、ロシアまで50キロと戦略的にも重要です。両国の攻防が広げられるのは必至です」(BREAKING NEWS/ニュース速報)

 

4日目 

 

2月27日。

 

「兵士たちが第2救急病院の周辺を巡回。前線は数キロ先にまで迫っている。しかし、ロシア軍は攻めあぐねていた…マリウポリで、初めて戦闘機の音を聞いた。兵士たちは撮影されるのを嫌がった」(記者のナレーション)

「悪いが、撮らないでくれないか?」

「だけど、この戦争は歴史的なものだ。記録しないわけにはいかない」(別の記者)

「そこに救急車が飛び込んできた」(記者のナレーション)

 

「心肺蘇生が必要だ」と叫んで救急隊員が走って来て、心臓マッサージをする。

 

子供の患者である。

 

母親は「助けてやって」と泣き続けるのみ。

 

「連中が民間人を殺してる様子を撮影しておけ。プーチンにこれを見せろ。この子供の目を見れるか。医師たちも泣いてる。これが奴の大義の犠牲だ。記者は全員、撮影してくれ」

 

怒りを露わにする救急医。

 

救急医の必死の治療虚しく絶命したエヴァンゲリーナ。

 

4歳だった。

 

アメリカ政府の高官がロシアの攻撃を非難。街を包囲して民間人やインフラを標的にしています」(ウクライナ公共放送)

「砲撃や空爆による被害が拡大。マンションに降り注ぐ爆撃で、大勢が死亡。大学の校舎は燃えています。“これをプーチンに見せろ”と医師は言います。“この子供の目を見れるか。医師たちも泣いてる”と。マリウポリから出られるのは明日まででしょう。その後は、全ての道路が封鎖されます」(BREAKING NEWS/ニュース速報)

 

 

人生論的映画評論・続: マリウポリの20日間('23)   善人は善行を尽くし、悪人は悪行に手を染める  ミスティスラフ・チェルノフ

天国の日々('84)  約束された悲劇の哀しい物語の収斂点

 

1  「マジックアワー」という技法が映像を埋め尽くす

 

 

 

際立つ映像美によって、最も印象に残る鮮烈な映画。

 

とりわけ、自然の情景描写が抜きん出ていて、殆ど溜め息が出るほどだった。

 

だから繰り返し観る。

 

その撮影手法は、日の出前と日没後の僅か数十分間、太陽光が淡い紅色になり、色相が暖かく、黄金色に輝いて見えることで作り手自身が命名した「マジックアワー」と呼ばれ、空が幻想的な色彩に染まる最も美しい風景を見せてくれるので、何より観る者へのギフトとなっていた。

 

「マジックアワー」という技法が画面を埋め尽くすのだ。

 

―― 以下、画像。

 

見渡す限りの大農場には、黄金色の麦の穂が大きく揺れ、遥か地平線の向うでは、日没の赤がいつもと変わらぬ律動性の中に燃えている。

 

朝靄の川面には、周囲の風景と調和したかのような淡い黄葉が映えていた。

 

広大な農園の中心に、そこだけがオアシスのようにぽつんと天に向かって聳(そび)え立つ孤高の館。

 

そこに差し込む季節の光彩が目眩(めくるめ)く変化し、芸術的な輝きの中で踊っている。

 

一幅の絵画である。

 

森には多くの種類の鳥が棲み、其処彼処(そこかしこ)で生命の鼓動を伝えている。

 

自然は緩やかに、今までもそうであったような素朴な律動を刻みつつも、しばしば、悠久なる時間と戯れるかのようにして暴れて見せる。

 

しかし、そんな尖った振る舞いも、彼らにとっては自然なる生命展開の極めて日常的な様態でしかないのだ。

 

イナゴが一匹、二匹、三匹…

 

次第に数えられない位の群れが、城砦と化した邸の中に侵入し、農園の収穫期に襲いかかってくる。

 

やがてそこに火が放たれ、小麦畑が無残に散っていった。

 

この壮絶な自然への屈服のさまを、まるでドキュメンタリーのように手慣れたカメラが、パンフォーカスな映像を鮮烈なまでに表現して見せた。

 

高度な芸術表現の域に達したこの構図の連射を、スクリーンのパノラマで堪能することができなかった無念さ。

 

それが悔やまれるほど素晴らしい映像美だった。

 

この映像美を創り出したのは、孤高の映画作家テレンス・マリック

 

地獄の逃避行」という鮮烈なニュー・シネマでデビューして、これが二作目となるアメリカ映画界のカリスマ監督。

 

そのカリスマ性は、本作の公開から二十年後の作品、「シン・レッド・ライン」(ガダルカナル島の戦い)という最高傑作が放つ衝撃の大きさに震えが走った。

 

アクション軽視で、内的言語を静かに繋いでいくのだ。

 

ある者は自分に問い、ある者は愛する者に問い、また狂気の前線を去る者は「あなた」という名の神に問うていく。

 

極限状態に捕捉された兵士の精神を描き切って、史上最強の戦争映画に昇華した「シン・レッド・ライン」が内包する哲学性の重量感覚。

 

正気と狂気の境である「一本の細く赤い線」 ―― 即ち、「シン・レッド・ライン」を超えた者たちの、苦悩や絶望や危うさに答えられる者など果たしているだろうか。

 

シン・レッド・ライン」における「神の沈黙」のイメージこそ、テレンス・マリックの哲学的テーマの重量感を弥増(いやま)していくのだった。

 

だから、テレンス・マリックの作品は最も重い映画になった。

 

それは、瑣末な事態に悩み、煩悶する裸形の人間の実存的感覚の乾きを露わにしつつも、それを晒すときの奥にある、容易に答えの出ない人間の根源的問題を継続的に、己が内的行程の時間のうちに収斂させていくのだ。

 

しかし、どれほど偉そうなことをレクチャーしても、所詮、人間は、その人格総体が包含する能力の範囲の中でしか「時間」を切り拓くことが困難であるということ。

 

そして、その人格総体の能力の落差など高が知れているということ。

 

それ以外ではなかった。

 

あとは全て、単に「運不運」の問題に過ぎないのだ。

 

「原始なる自然」の世界と切れて築いた文明の、未知なる輝きを目眩(めくるめ)く放つ快楽装置に身も心もすっぽり嵌ってしまった以上、もう私たちには、その世界からの自覚的離脱は相当の覚悟なしに殆ど困難であるということだったのか。

 

それが人間であり、「進化」を求めて止まない人間の哀しき性(さが)と言うのか。

 

だからと言って、声高に文明批判を叫ぶことをしないテレンス・マリック監督の客観的な視座は、内的言語による語りの中でのみ、怖れを知る者の心象世界を静かに、或いはしばしば、絶対孤独の際(きわ)にある者の集積された懊悩の深さを刻んでいくのだ。

 

そんなテレンス・マリック監督が描く悠久の自然は、あまりに寛容であった。

 

何もかも呑み込み、何もかも、あるがままに推移する。

 

そんな自然に則して生きる南太平洋の原住民たちが、そこに呼吸を繋いでいたのだ。

 

殺戮に走る者も走らぬ者も、そして彼らを包む大自然もまた、神の創造物ではなかったのか。

 

ハリウッドのスターたちをして、「シン・レッド・ライン」に低報酬覚悟で集合させた求心力のルーツは、世界で絶賛された、この「天国の日々」という秀逸な作品にあった。

 

 

人生論的映画評論・続: 天国の日々('84)  約束された悲劇の哀しい物語の収斂点  テレンス・マリック

 

 

ハーヴェイ・ミルク('84)  防壁を穿ち、銃弾に斃れた男の魂の斗い

 

1  「私が暗殺された時に、これを公開してほしい。私のように目立つゲイの活動家は、臆病な人間にとって、格好のターゲットだという事はよく承知している」

 

 

 

「市政執行委員の長として発表します。マスコーニ市長とハーヴェイ・ミルク委員が殺害されました。容疑者はダン・ホワイト委員です」

 

ダイアン・ファインスタイン市長代行の発表でドキュメンタリー映画は、騒然たる雰囲気を漂わせていた。

 

「1978年11月27日。サンフランシスコ市長とミルク委員が市庁舎内で暗殺された。ミルクの在職はわずか11ヵ月だったが、すでに職を越えた存在だった。暗殺の1年前、彼は遺言を録音している」(ナレーション)

 

「私が暗殺された時に、これを公開してほしい。私のように目立つゲイの活動家は、臆病な人間にとって、格好のターゲットだという事はよく承知している。いつか殺されるかもしれないから、考えを誰かに伝えておきたい。今まで自分の事を、ただの候補者であると思った事はない。運動の一部であると常に思ってきた。今までの活動は、ゲイ運動の見地から行ってきた」(ミルク)

 

サンフランシスコ 1970代。

 

「私も彼のカメラ店で初めて会いました。ここに移って来て、1年半ほど経った時、あの店は現像が上手いと聞いて行ってみたんです。彼は荒れていました。理由はわからなかったけど、誰かを怒鳴っていました。少し怖かったし、変な男だと思いました」(ミルクの補佐官 アン・クローネンバーグ)

 

「本当に知り合いになったのは75年…流産した時です。私はショックを受けてました。心身ともに参ってました。退院して間もなくの事で彼は噂を聞いたんでしょう。ノックの音がするので、フラフラしながらドアを開けると、彼がバラを抱えて立ってました。それから『“欲しい物はない?買い物行ってこようか』って”。名前は知ってても、それほど親しくはなかったんですよ」(政治顧問 トリー・ハートマン)

 

「いろいろな面を持った人で、特にユーモアが好きでした。深刻な時も気分を楽にしてくれました。一緒にいると違和感を抱かず、気持ちが救われました。私が女っぽくて喋り方が変わってても、下品な事を言っても『ゲイの評判を落とす』なんて言わず、温かかった」(教師 トム・アミアーノ)

 

「子供の頃は、後の経歴を物語る兆候はなかった。1930年5月22日、ユダヤ人の中流家庭に生まれ、ロングアイランドのウッドメアで育った。耳の大きな子は平凡な高校生になり、いたずら好きな普通の青年になった。友人たちには、そう見えた。大学卒業後、海軍入隊。ウォール街証券アナリストになった。同性愛の事は黙っていたが、14歳の頃から自覚していた。60年代になると、彼は別の生き方を始めた。前衛劇団を世話し、ブロードウェイで芝居製作の仕事に就いた。70年代初頭、反戦デモに参加し、クレジットカードを焼き、サンフランシスコに移住。恋人スコットとカストロ通りカメラ店を構える。静かな地区は“カストロ”として有名になった。ミルクは住民運動に専念し、カストロ通り(注)の市長だと自認していた。73年、ミルクはサンフランシスコ市政執行委員選に出馬した。多くの人々はお遊び(・・・)だと思っていた」(ナレーション)

 

【サンフランシスコにあるカストロ地区は、the gay capital(ゲイの首都)」とも呼ばれていて、ハーヴェイ・ミルクはその象徴だった】

 

「彼の事を知ったのは労働者協議会の時です。どの候補者を支持するか決めるために、他の組合の代表者たちろ話し合っていました。決まったのがハーヴェイです。話し合いの最中、誰かが“彼はゲイ”だと言いました。組合や仕事場に戻り、『ホモを支持する』と報告するなんて労働者も落ちたものだと思いました。でも、すぐに彼がゲイバーからクアーズ(注)を締め出したと知りました。全米中でボイコットを呼びかけていたけど、シスコの労働者街ではできなかったんです」(自動車工 ジム・エリオット)

 

【(注)アメリカのビールのブランドで知られるクアーズは、4代目社長(ピーター・クアーズ)の時、同性婚禁止のための憲法改正を支持したことに起因する。共和党から立候補したことでシカゴのゲイ・コミュニティを中心にボイコット運動が起こり、ハーヴェイ・ミルクがこの活動を担った結果、会社に数百万ドルの損失を与えた。それ以来、クアーズは、同性愛者のコミュニティとうまくやっていく努力を続けてきたと言われる】

 

「彼については、よく聞いてましたが、初めて会った時、変わった人だと思いました。だって彼は人類の調和だとか、非現実的な事を喋り、それを実現すべきだと考えてました。シスコのみならず、全米です。私は『不可能だ』ってつぶやきました」(中国人雇用平等促進会理事長 ヘンリー・ダー)

 

「73年から76年にかけて選挙に出馬し、3回とも落選した。しかし、回ごとに票数を増やし、地区やゲイ・コミュニティの相談役となった。75年、ミルクは強い味方を得た。マスコーニ新市長である。彼は市の総合的発展という信念を掲げていた」(ナレーション)

 

「サンクエンティン刑務所(シスコの最古の刑務所)の看守だった父を訪ねた時、電気イスの使用目的を聞かされました。この国は最も効率的だと教えられてきたのに、暴力を行使する唯一の方法が人殺しであり、政府も認めてるなんて」(マスコーニ市長)

 

「ミルクを含む協力者と共に、彼(マスコーニ新市長)は住民の手による市の運営計画に着手した。市全体の規模ではなく、各地区で市政委員を選ぶ地区別選挙である」(ナレーション)

 

「政治制度の改革というクレイジーな案でした。(略)みすぼらしいカメラ店の裏部屋はお世辞にも奇麗とは言えなかった。そこに彼はいました。立派な身なりなどしてなくて、労働者のようでした。人の扱い方が上手く、感情的になっている人をなだめ、1つにまとめていました。感心しました。カストロ地区で新しい政治が始まった。ゲイライフを送るため、多くの男女が集まった。毎夏、ミルクはカストロ祭を後援した。それは住民の祭である。(略)77年、彼は4回目の出馬を決めた」(自動車工 ジム・エリオット)

 

「候補者が多すぎて人々が混乱してしまいます。過去5年間、私は常にあらゆる問題に対して意見を述べてきました」(ミルク)

 

「出馬を決めた時、彼が電話してきて会いに行き、すぐに気が合いました。そして選挙運動を頼まれたんです。23歳です。選挙運動に無知なパンク・キッドですよ。でも機会を与えてくれました」(ミルクの補佐官 アン・クローネンバーグ)

 

「47歳の時、4度目の出馬でサンフランシスコ市政執行委員に当選した」(ナレーション)

 

「皆、歓喜そのものでした。単に当選したというだけでなく、今まで意見を言えなかったレズビアンやゲイが代弁者を得たのです」(ミルクの補佐官 アン・クローネンバーグ)

 

「ミルクのためのお祭り騒ぎです。おめでとう。すごい騒ぎですね」

「町中、こうですよ」

「委員になった目的は?ゲイが市を乗っ取ると人々は心配してます」

「私の使命は、市のあらゆる問題を解決する事です。全市民のために働く事です」(ホワイト委員のインタビュー)

 

「会ってみると、とても雄弁な人で、深く感動し、良い取材ができました。(略)委員会に、これほど新顔が揃ったのはかなり久しぶりです。これは初めて地区別に委員を選出したためでしょう。同性愛者ミルク、初の女性擁護者シルバー、初の中国系米国人ラウ、初の黒人女性ハッチ、選挙のため、消防署を退職したホワイト、宣誓式の後、委員長にファインスタインを選出。6対5でラウで負けました。そこで提案されたのは、満場一致で彼女を選出する事でしたが、ミルクとシルバーはラウに固執。拍手が湧きました」(TVレポーター ジーニン・ヨーマーズの吐露とレポート)

 

「彼がダイアンを推(お)さなかったのは、『このゲイの委員は余計な事をしている。政治的自殺行為』だと思いましたから。でも彼は信念を曲げませんでした。ハーヴェイ・ミルクは改革を断言したんです。他の保守多数派委員とは違いました」(中国人雇用平等促進会理事長 ヘンリー・ダー)

 

【ダイアンとは、ダイアン・ファンスタインの事で、後にサンフランシスコ市長を経て民主党上院議員に選出された】

 

「ゲイの当選騒ぎの中で、別のタイプであるダン・ホワイトは見落とされていた」(ナレーション)

 

「ミルクの地区とソフトボールの試合をします。彼らが優勝チームです。古い価値観がこの社会を作ったのです。困ってる人を助ける世の中にしなくては」(ダン・ホワイト委員)

 

「ホワイトとミルクは新制度の象徴になった。片や土地っ子の消防士。片やよそ者(・・・)のゲイ。ミルクの勝利は支持者を満足させ、市庁舎に吹き込む新風を意味した」(ナレーション)

 

米国で一気に知られるようになったミルクは、カーター大統領と握手までするが、妹のルス・カーターは宣教シスター(女性修道士)でゲイを認めず、ユダヤ人のミルクに「クリスチャンになれば同性愛が消える」と言われた際に、「あなたが私の手を握って下さるなんて!何を触っていたかご存じないのに」と言い放ち、ルスを唖然とさせたエピソードが、政治顧問のトリー・ハートマンによって明かされるのである。

 

まさに怖いものなしのゲイの王道を征く男の、面目躍如たる活動に脱帽する。

 

人生論的映画評論・続: ハーヴェイ・ミルク('84)  防壁を穿ち、銃弾に斃れた男の魂の斗い  ロブ・エプスタイン

 

冬の旅('85)   「絶対の自由」へ侵入する覚悟

 

序  魂の彷徨を捨てられない若者の旅

 

 

 

私には、それを聞くだけで心に沁み込んでくるようなクラシックの名曲が、少なくとも3曲ある。

 

あまりにポピュラーな旋律だが、フォーレの「夢のあとに」、パヴロ・カザルスの「鳥の歌」、そして、シューベルトの「冬の旅」である。

 

前2曲はチェロの名曲、そして「冬の旅」は独唱の名曲。

 

その中から一曲選べと言われたら、それを切に求めるような、極めて情緒的な心境下にあるとき、私は「冬の旅」を選ぶだろう。

 

中でも、「辻音楽師」の震えるようなリリシズムがたまらない。

 

魂の彷徨を捨てられない若者の旅が、いつか辻音楽師に誘(いざな)われて、心が揺蕩(たゆた)う未知の世界に踏み入れようとしている。

 

自由に生きる青春には、常にそんな危うさが纏(まと)っているのだ。

 

その危うさが、青春の旅を妖しく彩っているのである。

 

既に甘美なるタイトルのうちに、「若き魂の彷徨」というイメージが永遠にテーマ化されているからである。

 

 

 

1  容赦のない迫真のリアリズムで抉っていく

 

 

 

梗概の要所を公式ホームから引用する。

 

【冬の寒い日、フランス片田舎の畑の側溝で、凍死体が発見される。 遺体は、モナ(サンドリーヌ・ボネール)という18歳の若い女だった。モナは、寝袋とリュックだけを背負いヒッチハイクで流浪する日々を送っていて、道中では、同じく放浪中の青年やお屋敷の女中、牧場を営む元学生運動のリーダー、そしてプラタナスの樹を研究する教授などに出会っていた。 警察は、モナのことを誤って転落した自然死として身元不明のまま葬ってしまうが、カメラは、モナが死に至るまでの数週間の足取りを、この彼女が路上で出会った人々の語りから辿っていく。 人々はモナの死を知らぬまま、思い思いに彼女について語りだす】(公式ホーム)

 

アニエス・ヴァルダ監督の「冬の旅」の世界には、序で触れた、魂の彷徨を捨てられない若者の旅のような精神の遍歴を濃厚にイメージさせる主題性がない。

 

一切の形而上学的なテーマを突き抜けて、そこには、自らの放恣な思いを生身の身体でなぞっていくというような生き方しかできない、ある種の壮絶なる身体彷徨の記録しかないのだ。

 

精神の彷徨には、常にそれに似合った形而上学が立ち上げられるが、身体の彷徨には、飢えを充たすに足るだけのパンと雨露をしのいでくれる小屋、そして束の間のゲーム・パートナー以外には特段に必要とされることがないのである。

 

ここでの身体彷徨者である少女モナには、ひたすら、「絶対の自由」だけが求められているかのようなのだ。

 

映画「冬の旅」の少女モナは素性を語らない。

 

意味がないからだ。

 

素性を語ることは、関係を開くことである。

 

少女にはその意思がないのである。

 

少女は又、生きるために労働をすることがある。

 

相手の要請に最低限応えるが、何より女には、定着の意思がないのだ。

 

〈愛〉は少女を定着させる力を持たないのである。

 

加えて少女には、自らの移動という観念に明瞭な目的を含ませているようには見えないのだ。

 

それでも移動する。

 

移動することだけが、自らの〈生〉の証であるかのように、空間を移ろっていく。

 

苛酷な冬の夜を野外で過ごし、そして翌朝、一個の死体と化したのである。

 

警察がやって来て、彼女の身元を調べるが、中々要領が得られない。

 

誰も女のことを、断片的にしか知らないからだ。

 

その断片も全て主観の集合で、それを集めても特定の人格像を結べないのだ。

 

多くの証言は、常に自分の都合のいいように語られるから、その人物像は、結局、世俗から忌避されるイメージに固まっていくのである。

 

この映画の秀でているところは、ここにある。

 

旅の女の内側にどっぷりと潜り込んだら、情緒の洪水に流されて、却ってリアリズムを失ってしまう。

 

嘘話を如何にも本当らしく見せるハリウッドの描写のリアリズムに対して、ヨーロッパ映画のリアリズムは、如何にもありそうな話を、更に容赦のない迫真のリアリズムで抉っていく。

 

人生論的映画評論・続: 冬の旅('85)   「絶対の自由」へ侵入する覚悟  アニエス・ヴァル

 

 

 

ふつうの子ども('25)  そこだけは逃げてはならない負のスポットで言葉を絞り出す

 

他の追随を許さないワンランクアップの域を超えてきた。

 

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」で9年ぶりに復活した呉美保監督の映画構築と演出力の凄みに圧倒された。

 

前半は子供たちの奔放な行動を手持ちカメラが長回しで追い、大人が出てきて事態が緊迫する後半はカメラを固定し、彼らの表情に迫っていく。

 

 

1  「陽斗の言う通りかもしれないの。大人の意識を変えるには、何か行動を起こさなきゃいけないんだよ」「そうそうそう!俺が言ったの、あいつに…ホントだよ!」

 

 

 

小学校4年生の上田唯士(ゆいし)は、朝、登校する前に友だちと合流して、雑木林で虫探しをする。

 

生き物係にも拘らず、探しているワラジムシとの違いが分からず、ダンゴムシを虫かごに入れて、親友の颯真(そうま)に注意される唯士。

 

「ダメダメ!ダンゴムシ入れないでくれる?言ったじゃん。ダンゴムシ、ダメだって」と颯真。

「なんで?」と唯士。

「だから、今探してるのはワラジムシ。カナヘビのエサを探してんの」と颯真。

「なぜダンゴムシじゃダメなの?」

カナヘビのエサだからワラジムシは!」

ダンゴムシじゃダメなんですか?」

「はい」

「なんでですか?」

ダンゴムシは殻が固いんで!」

 

登校時間が近づき、慌てて走って学校へ向かう唯士たちは元気いっぱいである。

 

【画像はワラジムシを食べるカナヘビカナヘビとトカゲは似ているが、カナヘビはトカゲに比べて尻尾が長い。ワラジムシ以外では、ハエ・クモ・コオロギ・バッタなどを食べる】

 

授業では、担任の浅井が、宿題に出した“私の毎日”というテーマの作文を一人ひとり発表させていく。

 

皆、自分の日常生活で気づいたことや、感じていることを読み上げ、唯士は、母親の恵子に褒められた、「ぼくの毎日で気づいたこと」を発表した。

 

「…ウンチをしたら流す、紙で拭くのも忘れずに!」

 

教室中の爆笑を誘うが、浅井からは「ふざけるのと自由は違うかな」と言われてしまい、唯士はがっかりして席に座り、俯(うつむ)く。

 

続いて発表したのは三宅心愛(ここあ)。

 

「私は大人の言うことを聞きたくない」という題で、突然、地球温暖化について刺激的に語り始めた。

 

「地球が温暖化して、そのせいで災害が起きていると、ニュースで見ました。二酸化炭素の排出が主な原因だと言っていました。排出された二酸化炭素は空にたまったままで、地上の熱を閉じ込めるんです。それは、誰が出したものですか?私たち子どもが生まれる前から、二酸化炭素を出し続けているのは、大人たちです」

 

ここで心愛は、浅井を垣間見て睨み、唯士は、堂々と読み上げる心愛を凝視し、釘付けになる。

 

「それなのに大人たちは、今日も車で走り回るし、夜遅くまで遊んでいて街は明るいし、誰も悪いと思っていません。私たちは、家でも学校でも怒られて、いろいろなルールを守るように言われているのに、大人は地球をめちゃくちゃにしたくせに、反省もしていない。もう、やめて!二酸化炭素を出さないで!空にたまった二酸化炭素をなくして!」

 

激しい口調で読み終えた心愛に対し、浅井は、「先生まで怒られちゃいそうだなぁ」と茶化して、皆の笑いを誘う。

 

「なんで笑うんですか?大人が私たちの未来をめちゃくちゃにしてるのに!…IPCC気候変動に関する政府間パネル)は、人間活動が“温暖化を加速させたことは、疑う余地がない”って言ってるんですよ」

「環境問題の話は、SDGsの授業の時にまたやるね」

「世界中の数千人の科学者の意見を集めた報告書に、“疑う余地がない”って、結論を出したんですよ!」

「大人が悪いとか、誰が悪いとか、言わない方が…」

「じゃぁ、子どもが悪いんですか?」

「極端だなぁ…」

 

唯士は、まだ心愛を見つめ続けている。

 

【現在、小学校5、6年生の「総合的な学習の時間」(課題解決能力を主体的に育む時間)に、SDGs教育を取り入れる学校が増えている。またSDGs(エスディージーズ)とは、国連サミットで採択された「持続可能な開発目標」のこと】

 

淡い恋に目覚めた唯士は、鼻歌混じりに帰宅すると、恵子に地球温暖化について知ってるかと訊き、自分でも調べ始める。

 

恵子に選んでもらった「こども環境総合局」というサイトを開き、温室効果ガスについて学んだ表面的知識で、教室で環境問題の本を読んでいる心愛に話しかけていく。

 

「三宅さん、あの…牛から出るメタンガスっていうのが、なんか問題らしいよね」

「そうだよ。牛肉1キロのために出る温室効果ガスは23キロ。お店に並ぶまでに、さらに3キロも出してるから。私は野菜と魚しか食べない」

「そうだよね、まあ、うん。お魚もおいしいよね」

「何言ってんの?」

 

唯士は、心愛が図書館で借りて本を読んでいるのを知り、早速、市立図書館へ行って心愛を探し、偶然を装って隣の席で本を読むが、相手にされない。ピクチャー

 

家では恵子にゴミの分別の間違いを指摘し、借りてきた「こども環境学」の本を読んだりテレビを観たりして、懸命に知識を得ようと努力する唯士を、恵子は息子の成長として肯定的に受け止めている。

 

一方、心愛はベッドで、スウェーデンの環境活動家として知られるグレタ・トゥーンベリの英語のスピーチの動画を観ている。(後述)

 

心愛が唯士の机に、読みやすいと言って数冊の本を置いた。

 

早速、家で恵子と一緒に読んで、すぐに心愛に返却して、「おもしろかった」と知ったかぶりをし、心愛は本当に読んだのかと訝(いぶか)る。

 

「いいよね。カーボンニュートラル温室効果ガス、ゼロにしたいよね」

 

二人が話していると、突然、橋本陽斗(はると)が机の上の本を払って落とした。

 

そのまま他のゲームをしている子たちの邪魔をして抗議される陽斗に、唯士は「拾えよ!」と強い口調で呼びかけるが、陽斗は「やだね」と言って反応する。

 

唯士は思わず、「拾えよ!」と本を思い切り隼人にぶつけた。

 

怒った陽斗が逃げる唯士を追い駆けて騒然となるが、二人は浅井に引き離された。

 

噴水公園で同じ生き物係のメイと話していると、陽斗が走って来て、「唯士!唯士!唯士!」と、背後から唯士に纏(まと)わりつき、心愛と“何かやってるのか”と聞いてくる。

 

「“何か”って?」

「なんかさ…滅茶苦茶になってるんだろ?大人のせいでさ」

「うん、まあね」

「じゃあ、“何か”やれよ」

「“何か”って?」

「いや、わかんねぇけど…お前は?わかんねぇの?」

「えっと…まず、誰もいない部屋の電気を消して、無駄な電力を使わないようにしたりさ…」

 

唯士はキックボードに、陽斗はスケートボードにそれぞれ乗りながら、話の続きをする。

 

「もう一回言って」

「“カーボンニュートラル”っていうのは、二酸化炭素の排出量をゼロにするってこと」

「そんなの無理だろ。息吐いたらさ、二酸化炭素出るじゃん」

「そういうのは植物が吸ってくれるから…」

 

二人は図書館へ行き、陽斗は窓を叩いて、本を読んでいる心愛を呼び出す。

 

「何?」

「これから、どうすんの?なんか、二酸化炭素でやべぇんだろ?」

 

唯士は心愛が、無駄な電力を使わないことを言っていたと説明するが、陽斗は、そんな細かいことやって意味あるのかと問い、唯士は意味があると言う。

 

心愛は嬉しそうな表情で、「もっと強く言わないと、誰も変わらないっていうか…」と、陽斗の言うことに同調する。

 

「なんか全然、意味わかんないんだけど、何?結局、三宅(心愛)はどうしたいの?全部、大人が悪いんだろ?」

「うん、そうだよ。でも、全然しっかり考えてくれてない…」

「いや、でもほら、いいんじゃない?少しずつでもさ」と唯士。

「何だよ、そんな感じ?お前ら、何かやるつもりなのかと思って来たのに…」

 

「何かって?」と心愛が陽斗に訊くと、「分かんねぇけど…あっ」と、何か閃いた様子だったが、「うん、ないわ!」と言って、去って行く。

 

心愛は、唯士に本の見張りを頼んで、「何々?教えて!」と走って陽斗を追い駆けて行った。

 

明らかに陽斗を気に入っている心愛が楽しそうに話しているのを図書館から見ていた唯士は、堪らず二人の元へ走っていくと、ちょうど陽斗は帰ったところで、心愛に二人が何を話していたかを訊ねた。

 

「陽斗の言う通りかもしれないの。大人の意識を変えるには、何か行動を起こさなきゃいけないんだよ」

「そうそうそう!俺が言ったの、あいつに…ホントだよ!」

「じゃあ、話し合う?3人で」

「ああ3人?うんうん、いいね」

 

こうして、3人による温室効果ガス排出に無頓着な大人たちを啓発する活動が始まっていく。

 

 

人生論的映画評論・続: ふつうの子ども('25)  そこだけは逃げてはならない負のスポットで言葉を絞り出す  呉美保

 

 

カティンの森('07)  乾いた森の虐殺のリアリズム

 

【1939年8月23日 ドイツとソ連は不可侵条約を結ぶ  9月1日 ドイツ軍がポーランドに侵攻  17日 ソ連軍もポーランドに侵攻する  本作品は、クラクフからソ連占領下のポーランド東部まで、将校である夫を追ってきた妻アンナの物語から始まる】

 

 

1  オープニングシーンンで映像提示された構図の悲劇的極点

 

 

 

「私はどこの国にいるの?」

 

これは、説明的描写を限りなくカットして構築した、この群像劇の中で拾われている多くのエピソードを貫流する、基幹テーマと言っていい最も重要な言葉である。

 

この言葉を放ったのは、物語終盤で挿入された、「ワルシャワ蜂起」の生き残りの女性であるアグニェシュカ。

 

彼女については後述するが、この言葉を最も象徴的に挿入された描写 -――  それがオープニングシーンであった。

 

ポーランドの西方から侵略したナチス・ドイツ軍に追われる人々と、ソ連軍によって東部から追われた人々が群塊と化して鉢合わせした。

 

場所は、ポーランド東部のブク川に架かる橋梁。

 

このブク川は、ポーランドを流れるヴィスワ川を遡上すると、ワルシャワの北の一地点で分岐する大河である。

 

ここで出てきたヴィスワ川こそが、東欧をドイツとソ連が分割支配する独ソ不可侵条約の秘密議定書第2条にある、ポーランド条項で取り決められた大体の境界線の一つであった。

 

1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約は、全世界に深刻な衝撃をもたらした国際条約であることは周知の事実。

 

多くの国際条約に秘密議定書が作成されるという事実が一般的な時代状況下にあって、この秘密議定書にあるポーランド条項の苛酷さこそが、そこから開かれる「ポーランドの悲劇」を決定的に鏤刻(るこく)する現実を集中的に表現するものだった。

 

なぜなら、この秘密議定書が作成されてから約一週間後に、第二次世界大戦の勃発を告げる、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻が開かれたからである。

 

1939年9月1日のことだ。

 

そして、この秘密議定書を、スターリン政権下のソ連が忠実に実行したその日こそ、同年の9月17日。

 

即ち、映像のオープニングシーンで描かれた、ブク川に架かる橋梁での混乱だったのである。

 

独軍が迫ってくるのに、ソ連軍が侵攻してきた。引き返したほうがいい」

 

ポーランド東部に向かう大勢のポーランド人の中から、男の叫びがブク川の橋梁で炸裂する。

 

その中にアンナと娘ニカがいた。

 

夫アンジェイを探しに橋を渡っていたのである。

 

既に、この時点で、中国大陸への侵略戦争で膠着状態を迎えていた日本が、ソ連軍によって蹴散らされたノモンハン事件(1939年5月)が起こっていて、更に、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告(9月3日)するという時代状況の趨勢は、欧州戦争の枠組みを超え、第一次世界大戦の凄惨なイメージをも胚胎しつつあった。

 

オープニングシーンの構図が象徴するのは、まさに、地政学的リスクの高さに加えて、軍事的に弱体化された国家の悲哀そのもののリアルな活写であった。

 

ロシア革命に対する干渉戦争(ポーランドソビエト戦争)の歴史的経緯を想起するとき、ソ連による侵略の危険性を全く予測していなかったとは思えないが、当時のポーランドの軍事的弱体性を考えると、愛国精神に根差した、ポーランド陸軍における高級将校の質の高さに象徴される、ポーランド騎兵旅団の評価の高さは、常に「戦力的限定性」の瑕疵を抱えていて、たとえ優秀な人材を具備したと言っても、ドイツ空軍に比べ圧倒的に不利だったポーランド空軍や、小規模なものでしかなかったポーランド海軍の「戦力的限定性」の瑕疵と同様に、少なくとも、常に「ポーランドの歴史的仮想敵国」でありながら、当時、2000両以上の軽戦車を主力とし、鉄壁の装甲師団保有する陸軍や、爆撃機を含む戦闘機で武装した空軍を誇る、独軍との戦力の差の歴然たる事実は、ポーランド政府の欧州情勢の読みの甘さを露わにするものだった。

 

その結果、一月も満たないうちに、独軍ソ連軍によって、ポーランド全域が完全制圧され、降伏を潔しとしないポーランド政府は、残存兵力を伴ってルーマニアハンガリーに脱出するに至った。

 

この状況が本作の背景となっている事実を認知したうえで、物語の世界に這い入っていきたい。

 

オープニングシーンンに戻ろう。

 

そこで、映像提示された構図の悲劇的極点 ―― それは、人間の死をも政治利用することを止めない国家によって屠られた男たちの、その凄惨な最期を冷厳なまでに映し切った、15分間にも及ぶラストシークエンスで描かれた、銃の発砲音と機械音だけが響く「カティンの森」の風景だった。

 

スターリンプーチンに変わっただけで、ロシアは昔も今も変わらないのだ。

 

本作は、この事件によって、地中深く埋められた男たちの生還を、ひたすら待ち続ける女たちの物語であると同時に、このラストシークエンスを撮るために、50年間もの、気が遠くなりそうな時間を待ち続けた男の内側で、瞋恚の焔(しんいのほむら)が激発的に噴き上げることを抑制しつつ、徹頭徹尾、冷厳な筆致で映し切った物語でもあった。

 

男の名はアンジェイ・ワイダ

 

言わずと知れた、ポーランドを代表する映像作家である。画像・映画監督 アンジェイ・ワイダ – 国立映画アーカイブ

 

そのアンジェイ・ワイダ監督が創り上げた映像は、本作をライフワークと考えていたに違いない作り手が、そこだけはどうしても流し切れない澱が張り付いてしまった印象を拭えない強烈な一篇だった。

 

自らの両親をモデルにした冷酷なる群像劇だったからである。

 

人生論的映画評論・続: カティンの森('07)  乾いた森の虐殺のリアリズム  アンジェイ・ワイダ

フロントライン('25)   未知なる敵と戦う者たちの、人道という名の静かな正義

 

【DMAT 災害発生時に、要請に応じて、自らの意思で現場に駆けつける医師・看護師・業務職員からなる組織。隊員の多くは、普段、全国の病院に勤務している。2020年当時、ウイルス災害は活動対象に想定されていなかった】

 

 

1  「このダイヤモンド・プリンセス号災害は、感染症災害ですから、本来我々DMATの出動案件ではありません。でも、私は出動することに決めました。なぜか分かりますか?それが人道的に正しいと思ったからです」

 

 

 

2020年2月 深夜3時45分 日本/横浜

 

横浜港に入港した豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号から、2019年に中国・武漢で発生した新型コロナウイルスに感染した患者の一人が運び出された。

 

船内では既に集団感染が起きており、夜勤で眠りに就いていた神奈川DMAT(神奈川県で組織された災害派遣医療チーム)を統括する医師・結城(ゆうき)の元に、神奈川県庁の対策本部から電話が入り、出動を要請された。

 

現場を指揮するDMATの事務局長の仙道(せんどう)は、旧知の結城とのやりとりで、任務は搬送業務だけであり、船には乗らないと約束させたことを確認するが、結城は搬入先の病院が見つからないとぼやく。

 

県庁の対策本部会議に、厚労省の新型コロナウィルス対策センターから派遣された立松(たてまつ)が到着し、県庁の危機管理対策部長の平沢が対応する。

 

「国内に持ち込まれるなんてことがないようにお願いしますね」と立松。

 

会議で、既に41人の感染者がいるが、結城はどこの病院も受け入れないだろうと断言するが、立松は、既に首都圏の中核病院と交渉して48床を確保し、搬送車も自衛隊と民間救急に話をつけたと言う。

 

「結城先生、一つお願いしてもよろしいでしょうか。DMATの方たちに船に乗り込んでいただけませんか。クルーズ船内に船医は3名しかいないそうです。41名感染となれば、誰かが船に入って治療するしかありません」

「約束が違いますよ。未知のウィルスが蔓延している船の中に、隊員を行かせることはできません」

「勿論、DMATが専門外であることは知っています。ただ、そもそもウィルス対応の専門機関なんて日本にありますか?誰かにお願いするしかないんですよ」

 

結城と立松は、クルーズ船が停泊する横浜港へ赴き、防護服を着用する隊員たちに声をかける。

 

結城は、着替中の旧知の岐阜DMATの真田(さなだ)に、奥さんが船に乗ることを嫌がってなかったかと訊ねた。

 

「どうせ止めても、乗るしかないんでしょと言われました」

「まずは、自分の身を守ること」

「はい」

 

早速、防護服に身を固めた医師らが次々に船に乗り込み、患者の診療に当たる。

 

仙道もまた、船内での指揮を立松から依頼され、船内で指揮をすることになった。

 

「ヤバいよ。38度以上の熱発(ねっぱつ)、100人超えてる」と仙道。

「なんでだ。新型ウィルスの情報が船に入ってから隔離してたなら、増えすぎだろ」と結城。

「部屋から外出禁止にしたのは、検疫が乗り込んでから2日後だって。それまで乗客はレストランやビュッフェで飯食って、酒飲んで、夜遅くまでパーティーを楽しんでた。隔離するのが遅かったね。感染が広がっちゃって」

「それで、どうすんだ」

「陽性者でも症状の軽い乗客は後回しにしたい」

 

【最初に熱症状が出た際は「発熱」で、それが継続している状態の時は「熱発」と言う】

 

味覚障害が起きているフランス人の妻には、深刻な状態ではないので搬送を待つようにとDMATの医師が伝えると、夫が怒り出す。

 

「お前は医者か?お前たちに任せて、大丈夫なのか?なら早く妻を治療しろ」

「奥様は大丈夫です。ここで待って…」

「フランス語を話せる奴はいないのか!」

 

苛立ちをDMATの医師らに叩きつける乗客たち。

 

仙道と結城の会話が本作を貫流している。

 

「言葉も通じない人が多くて、一人降ろすのに、1時間以上かかってんだわ。41人全部降ろせんのは、明日の朝だね。その間に、体調の悪い年寄りは死ぬかもしれない。陽性っつったってさ、大した症状もなくて、ピンピンしてる人もいるんだよ。そんなのより、陰性でもヤバそうなの先に降ろしちゃ、ダメなの?」

厚労省が48床も病床確保してんのは、ウィルス持ってる人間、隔離したいからだぞ。感染者後回しにして、陽性か陰性か分からない乗客、入院させられるか」

「俺たちは、厚労省に満足してもらうために船に乗ったわけじゃないでしょ」

 

溜息交じりに項垂れる結城の背後から、「とにかく、国内に感染を持ち込まないことが第一にお願いしますね」と立松が声を掛けた。

 

クルーズ船を背後に、中央テレビの記者・上野がカメラに向かって、実況レポートをする。

 

「国内での感染拡大を避けるため、“一刻も早い乗客の遺伝子検査を”という声が上がる中、クルーズ船に医師たちが乗り込んでから3時間が経ちました。こうしている間にも、感染が広がっているということも考えられます。船内では一体何が起こっているのでしょうか…」

 

結城は、再び仙道に電話する。

 

「さっきの件だけど、お前のプランが正しい」

厚労省は?」

「怒らせとく」

「さすが結城ちゃんだ」

「お前の言いたいことは分かってたんだよ。みんな感染のことしか考えてない。だけど、それが普通だ。俺たちは昔一回失敗しているから分かるってだけだ。なかなか理解されないぞ、このやり方は」

「理解される必要ある?」

「とにかく頼んだ」

 

仙道は早速スタッフ全員を集め、乗客対応の指針を示す。

 

「ポイントはここ、カテゴリー1。即ち、最優先されるのは、新型コロナウィルスの陽性者ではありません。最優先は、今現在、命の危機にある人、もしくは、リスクの高い基礎疾患を持っている人です。そして優先順位第2位、カテゴリー2は、高齢者、妊婦、子供などです。勿論、新型コロナ陽性で重症なら、カテゴリー1に入りますが、陽性でも発熱だけとか、軽症の人はカテゴリー3で、優先順位は最下位。客室で搬送を待ってもらいます。以上です。よろしくお願いします」

 

ここで、「軽症って言ったって、陽性に違いないんだから、降ろすのがセオリーでしょ!」と、検疫官の田島が声を上げるが、仙道はそれを無視して、把握している情報から、乗客への対応を一つ一つスタッフに指示していく。

 

重症者全員を病院に搬送し終えたが、まだ船内には熱発者がいて、陽性率は50%を超えていると、真田から報告を受けた仙道。

 

「じゃあ、もう検査の必要ないね。疑わしい人の半数以上は、陽性ってことでしょ」

 

ここで、英語でのアナウンスが船内放送される。

 

「“本線は明日、横浜港を離岸し、外洋へと出ます。外洋にて給排水の作業終了後、横浜港へと再び接岸します…”」

 

ここで、真田がクルー(乗組員)の羽鳥(はとり)に訊ねると、3日に一回、排水と水の補給が必要で外洋まで出ないとその作業ができない、との説明を受ける。

 

「港に戻るのは、24時間後です」

 

その報告を受けた結城は危機感を露わにするが、立松は24時間のことなのでそんなに深刻にならなくてもいいと言う。

 

それに対して、結城は3.11の福島原発事故放射能圏内半径20キロの避難指示の際の、ひばり病院での出来事について話し始めた。

 

避難指示に従い、多くの高齢者を乗せたバスが200キロの道を夜通し走ったところ、翌朝、やっと着いたバスに乗った仙道が見たのは、座席で死んでる年寄りの姿だったと言う。

 

「他のバスも含めると、45人が亡くなった。死因は放射線じゃありません。寒さと持病。それに疲労です。感染症医や現役官は、新型ウィルスが国内に広がらないことを再優先に考えてる。乗客の命は2番目だ。厚労省も同じでしょ…俺たちは、命を最優先に考えてる。この状況で24時間港を離れれば、死人が出るでしょう」

 

【結城と仙道は3.11の際に活動を共にした同志】

 

当日、12時出港を前に、入院勧告のための書類を作り、保健所の職員が横浜までやって来てクルーズ船に乗って直接本人に勧告するという、数日から一週間かかる65人分の作業を法律通りに対応しようとする立松に、結城はルールを変え、「発生届けも勧告もいらない」とすることを強く求めた。

 

船内では、重症化する患者が出始め、クルーの羽鳥が仙道の元に、薬の依頼書2000枚を持って来た。

 

仙道は、一度に揃えるのは無理で、インスリンなど命に関わる者以外は後回し、そのクレーム対応を指示する。

 

早速、アメリカ人の重症化している夫レナードを案じて混乱する妻・バーバラへの対応で呼び出された羽鳥は、病院への搬送を説得し、落ち着かせる。

 

一方、立松は搬入予定の病院に、発生届けも出ており、勧告も終えたと報告し、受け入れを求めた。

 

素早い保健所の対応を訝(いぶか)る結城に、「全部ウソです」と立松。

 

そして、厚労省内で事後申請でいいように調整中だと説明する。

 

「結城先生のプランは、いいアイディアだと思いました…根回しにもう少し時間が掛かるので、とりあえずはウソで乗り切ることにしました。緊急事態です。許されるでしょ」

 

続けて、「結城先生。僕だって、人の役に立ちたくて役人になったんですよ、これでも」と言いって出かける立松を、呆気にとられていた結城はうっすら笑みを零(こぼ)して見送る。

 

予定時間を大幅に遅らせ、何とか陽性者全員を下船させた後、クルーズ船は出港する。

 

対策本部では、ホワイトボードには“搬送完了”、“緊急度の高い薬剤の配布完了”と赤ペンで記された。

 

しかし、船内に残された軽症の3000人の乗客からは、薬の不足や食事内容などの対応への不満の声が出始め、メディアはそれをニュースソースとして、待ってましたばかりに批判的に取り上げる。

 

重症化した夫レナードが搬送されたバーバラの元に、意識を失くしたとの連絡が入り、絶望したバーバラが船から飛び降りようとするところを、羽鳥が必死で止め、携帯番号を手渡して詳しい状況を知らせると約束したが、他の重症患者で手いっぱいの医師たちから、病院への問い合わせを断られてしまう。

 

バーバラには、夫を旅行に誘ったという自責の念がある。

 

テレビで、今度は検疫官が感染したとのニュースで知った結城は、仙道に連絡を取ると、船に乗ったのは、乗客を隔離する前の検疫作業で感染したのではないかと疑う。

 

「DMATから一人でも感染者が出たら、素人集団みたいに言われるぞ、マスコミに。軽く言うなよ」

「軽くなんて言ってないけど。結城ちゃんは何を心配してるの?俺たちの命?それとも、世間の評判?」

「とにかく、気を付けろ」

 

検疫でバーバラの下船を断られた羽鳥が仙道に相談に行き、仕事の第一は命を守ることだと言われてしまうが、真田からも相談を受けていた仙道は、隊員たちが降ろす方法を探させているところだった。

 

対策本部に、関東感染学会(劇中の名称。実在の学会とは名前を変えている)がダイヤモンド・プリンセス号からの撤退すると報告にやって来て、結城が仙道に連絡すると、既に説明を受けていた。

 

「撤退しちゃうんでしょ?危ないってんで。すごいねぇ」

「うちの隊員たちの感染防御は適切にやれてんだよな」

「適切ねぇ。まだ分からないことだらけの新型ウィルス相手に、“適切”って言われてもね」

「揚げ足取るようなこと言って、面白いか?」

 

ここで、仙道は思い切り机を叩き、声を荒げて言い放つ。

 

「じゃぁ、DMATも撤退しちゃうか!」

「何言ってんだ」

「船の外から大丈夫かって聞かれたって、こっちだって分からないんだよ。揚げ足でも何でもないだろ。正直、感染は怖いよ。どれだけ防御したって、すぐ患者が咳き込んだ飛沫を浴びてんだから。そこへ行ってこいって指示出してんのは、俺たちだろ」

 

何も応えられない結城。

 

「俺からも一ついいかな。患者の家族を病院に行かせてくれって、現場から来てんだけど」

「どうすることにしたんだ?」

「連れてってやればって、言っといた。まずかった?」

「いや、そんなことない」

「やれることは、全部やる。でしょ?DMATは。結城ちゃんがいつも言ってるやつだ。俺、好きなんだよ」

 

頭を抱え込んで、考え込む結城。

 

検疫官が許可していない乗客を降ろそうとしていると、担当の田島が抗議に仙道を訪れた。

 

「これは専門外だからとか、これは責任取れないからとか言ってたら、災害下では何もできませんよ」

 

そこに結城から検疫官と話がしたいと連絡が入り、リモートで田島がそれに応じる。

 

「検疫が許可をしていない乗客を降ろすことなんてできないのは、当たり前でしょ。何考えてるんですか!」

「当たり前ですか?…連れ添った夫の最期かも知れないって時に、傍にいられないってのは、当たり前なんでしょうか?」

「それは、検疫が考える仕事ではありません」

「じゃ、誰が考える仕事なんですか?!このダイヤモンド・プリンセス号災害は、感染症災害ですから、本来我々DMATの出動案件ではありません。でも、私は出動することに決めました。なぜか分かりますか?それが人道的に正しいと思ったからです。今回の件も同じです。何を考えてるんだと訊ねられれば、私は、人道的に正しい選択肢はどちらかと考えていました。バーバラ・ブラウンさんの下船許可をお願いします…田島さん、ブラウン夫妻はアメリカ国籍です。それなりの扱いをしなかったってことになれば、国際問題にもなり兼ねない。そんなの、嫌でしょ。DMATが強引に降ろしたってことで結構ですから」

 

結城の説得により、田島はDMATで感染防御の責任を取ってもらえるならと、特別に許可するとし、看護士の高野をバーバラに同行させることになった。

 

この件に関し、対策本部の立松は、感染者と同室の為、陰性であっても偽陰性(ぎいんせい)と判断して入院させたと厚労省に報告したと言われ、安堵する結城。

 

「今後、患者の家族には全て、この対応がいいかも知れません」と立松。

 

結城と立松の方向性が人道的な指針において一致し、その協力的体制が揺るぎなくなっていく。

 

 

人生論的映画評論・続: フロントライン('25)   未知なる敵と戦う者たちの、人道という名の静かな正義  関根光才