the son/息子('23)   無知と恥は痛みを引き起こす

 

気迫の映像に絶句する。

 

前作の「ファーザー」同様、秀逸な構成力と抜きん出た映像構築力。

 

人間の心の病へのケアの難しさを、ここまで精緻に描き切った傑作に言葉を紡げない。

 

観る者の心を抉(えぐ)ってくるのだ。

 

ヒュー・ジャックマン、完璧な表現力だった。

 

 

 

1  「…お前が傷つくと、私も傷つくんだ」「父さんは母さんを傷つけ、僕も傷つけた」

 

 

 

ニューヨークの一流弁護士のピーターは、妻のベスと産まれたばかりの息子セオと仲睦まじく暮らしている。

 

そこに突然、元妻のケイトが息子ニコラスの不登校の相談に訪れた。

 

「ニコラスがひと月近く登校してない…それだけじゃない。様子が変なの。ニコラスと話してあげて。父親が必要なのよ。ピーター、あの子を見捨てないで」

「見捨てるだと?またそう言うのか」

「分かった。聞いて。この前、あの子に頼んだの。確か、お皿を下げてとか。そしたら、あの子、私を見る目が…憎しみに満ちてた。まるで私を…あの子が怖いの」

「分かったよ。明日会いに行く。仕事終わりに寄ろう」

 

翌日、仕事を終えピーターは、ニコラスを訪ねた。

 

「お前がつらくて、私に怒るのは分かるが、話すくらい、いいだろう。なぜ学校に行かない?」

「分からない」

「分からない?学校に行かない選択肢はない…問題が?なぜ、溜息を?」

「理由はない」

「あるはずだ。言ってみろ」

「話したくない」

 

ニコラスは立ち上がり、自分の部屋へ行った。

 

「黙ってたら手を貸せない。毎日、何をしてどこへ行ってた?」

「歩いてた」

「歩いてた?一人でか…大学の適性試験が始まるんだぞ。退学の可能性もある」

 

ピーターはニコラスの横に座り、肩に手を置く。

 

「母さんは、もう限界だ。全寮制がいいのか?」

「嫌だ」

「何とかしろ。このままじゃダメだ」

「僕には何もできない」

 

学校に問題があるのかなどと問い詰めるが、ニコラスは答えられない。

 

「…うまく言えない」

「自分の言葉でいい」

「人生だよ。潰されそうだ…変えたいけど、何か分からない」

 

涙ながらに吐露するニコラス。

 

「だから、たまに考えるんだ。できれば…父さんといたい…母さんとうまくいかない。母さんには無理だ。ここにいると、悪いことばかり考える。弟と暮らしたい」

「それは…」

「寮なんて気が変になる…僕は本気だ。頭が爆発しそうだ…たまに頭がおかしくなりそうなんだ」

「バカな」

「本当だよ。自分でもわけが分からない」

 

ピーターはニコラスを抱き締めた。

 

「大丈夫だ。何とかしよう。任せろ」

 

家に帰ったピーターは、ベスにニコラスとの同居について話し合う。

 

ベスの反応は否定的で、ピーターはニコラスへの思いをぶつけた。

 

「傷痕だ。腕にあった。ショックだった。大事な息子だ。君の言うとおりだ。罪悪感がある。無関係のふりはできない。出て行ったのは私だ」

「彼の不調の責任はない。難しい時期にいるのよ」

「だが他に手はない。放っておけない」

「分かったわ。いいのよ。分かったから」

 

ニコラスは荷物をまとめ、ケイトに別れを告げ、ピーターの家にやって来た。

 

「来てくれてよかった。一緒に過ごせる」

「ベスは僕が来ても平気なの?」

「もちろん彼女も喜んでる。ここはお前の家だ」

 

ニコラスは新しい学校に転入したが、授業中に不安な表情に襲われる。

 

ピーターは上院議員の選挙活動の新たな仕事で忙しくなる中、ニコラスが心配になり電話をするが返事はない。

 

翌朝、ニコラスを起こそうと何度も声をかけても返事がなく、ベスは苛立つ。

 

突然、部屋から出て来たニコラスは、ソファで下を向いて辛そうにするので、ベスが優しく手を掛けるが、それを振り払い立ち上がる。

 

振り返ったニコラスがベスに質問する。

 

「父さんは既婚者だった。知ってた?」

「ええ。でも彼に言われたの」

「何て?」

「お父さんと話して」

「母さんは、父さんが家を出てから、ものすごく苦しんだ。父さんをののしり続けたけど、僕はずっと父さんを尊敬してた。体が2つに引き裂かれるようだった」

「分かるわ。難しい状況だった」

「やめなかったね」

「何を?」

「父さんに妻子がいても、あなたはやめなかった」

「何て言ってほしいの?」

「何も。くだらない話だね」

「いいえ」

「行かなきゃ。またね」

 

ニコラスはピーターが依頼したセラピストの診療を受ける。

 

「同世代と合わないと言ってたね」

「みんなバカみたいだ。パーティーとか遊ぶことだけ。僕は興味ない」

「何に興味が?」

 

ニコラスはその質問に鼻で笑う。

 

「今の年齢が嫌いか?」

「いや、そうじゃなくて…」

 

ケイトはニコラスに会いたいとメッセージを送るが返事がなく、心配になってピーターに会って様子を聞くことにになった。

 

「あの悲壮感は何が原因なの?」

ティーンエージャーだぞ。幸せいっぱいだと思うか?」

「でも、あの子は、他の子たちと違う」

「何を根拠に?」

「特には…」

「愛に失望したんだろう」

 

ベスの様子を聞かれたピーターは、最初は戸惑ったようだが慣れてきたと答える。

 

「あの子は彼女を困らせてない?」

「いや、いい子だ。努力してる。弟がかわいいようだ」

「よかった」

「ああ、きっとうまくいく…君を傷つける気はなかった」

 

見る見るうちにケイトの表情が曇っていく。

 

「私は母親失格よね…息子が家を出ると思わなかった。息子まで…あなたの元へ」

「あいつに頼られるとは意外だった」

「私のせいよ…私と住みたがらないし、電話にすら出ない」

「落ち着け。時間が必要なだけだ」

 

ケイトはコルシカ島へ家族で行った時の、幼いニコラスの写真を見せる。

 

「あの子に泳ぎを教えたわね。あの子の顔…すごくおおらかで日の光のようだった。私の小さな太陽…今思うと、あの頃の私たち家族は、輝いてたわ。何が起きたの?あの子を愛してた。あなたも。あなたを愛してた。どれだけ愛してたか」

「感情的になるな。君は立派な母親だ。息子の苦しみは君のせいじゃない。きっと、すぐに元の生活に戻れる。必ず戻る。信じてくれ」

 

ニコラスは数学でAを取り、パーティーにも呼ばれ、少しずつ新しい生活に慣れてきたことにピーターは安堵し、ジャケットを買いに連れ出す。

 

試着したニコラスは笑顔を見せる。

 

そのジャケットを着てパーティーに行くように言うと、ニコラスは踊れないので行かないと話すので、家に帰ってピーターはニコラスにダンスを教える。

 

その姿が可笑しくてニコラスは大笑いし、ピーターを真似して一緒に踊り、ベスも加わって溌剌とした笑顔でダンスに興じるのだ。

 

しかし、最後には浮かない表情のニコラスだった。

 

ベスに対する違和感を感受したからである。

 

ジョギング中にベスから連絡を受け、家に戻ったピーターは、ニコラスがベッドの下に隠していたナイフを確認する。

 

それをニコラスに問い質すと、「念のために置いておいた」と返答。

 

ピーターは腕を見せろと命じ、嫌がるニコラスを捕まえて袖を捲(めく)る。

 

「なぜなんだ?自分を傷つけるのはやめろ」

 

詰め寄るピーター。

 

「逆だ。和らぐんだ…痛いと、その時は、苦痛を実感できる」

「何の苦痛だ?どんな苦痛を言ってる?…もうやらないでくれ。今後は一切禁止だぞ。いいか?」

「はい…ベスが見つけた?」

「…荒れたベッドを整えたんだ」

「…護身用のつもりだった」

「何から身を守る?まったく道理が通らない」

「父さんも銃を…洗濯機の後ろに銃がある」

 

ピーターはだいぶ前に、狩り好きの父から贈られたものだと説明する。

 

「狩りも道具も大嫌いだ…お前の気持ちが分からない」

「だよね」

「…お前が傷つくと、私も傷つくんだ」

「父さんは母さんを傷つけ、僕も傷つけた」

 

そう言って、ニコラスは部屋に戻った。

 

ピーターは会議中も全く上の空で、仕事に身が入らない。

 

ピーターは、DCに住む父を訪ね、予備選に立候補する議員の選挙戦の手伝いを頼まれたが、チームに参加するかどうかを迷っているという話をする。

 

「時期が悪い。ニコラスは難しい年頃だ。17歳になった。うちに来てマシになったが、まだ危うい。だから、あまり離れるのは…」

 

その話を聞いた父親は、笑い出す。

 

「自分はいい父親だと言いに来たか。明らかだ。私より倫理観が優れていると示したいんだろ。息子のために野心を捨てると見せつけに来た。私と逆だとな」

「違います」

「まだ固執してるのか。私を責めるが、40年も前のことだぞ…いいかげん成長したらどうだ。情けないぞ。50歳の男が、10代の過去に引きずられてる。助言してやろう、ピーター。さっさと乗り越えろ。まったく」

 

久々の外出でベスがドレスを着て、イヤリングを探しているがどこにも見つからず、ニコラスに見なかったかと訊ねる。

 

「人生を楽しみたきゃ、子供は要らない」

 

ベスはルージュを塗りながら思わず口にした言葉を、「冗談よ」と否定するがニコラスは真に受け止める。

 

そこに、ピーターがベビーシッターが来られないと連絡が入ったと言い、ベスは「やっと出かけられるのに」と嘆くのを見て、ニコラスが「僕が見ようか?」と申し出る。

 

「いえ、その気持ちは本当にうれしいけど…」

「いいのか?フランクにキャンセルを」

 

ニコラスは「じゃあいい」と部屋に戻る。

 

ピーターはニコラスの親切を断ったことに対し、ベスに不満をぶつけた。

 

「何だ?君はいつも悪いほうばかり見る」

「悪い面をまるで見ないよりマシよ」

「悪い面?言ってみろ」

「ニコラスはうつで不安定だし、悪いけど、息子をあんな…」

「何だ?セオを預けない理由を言え」

「彼は気味が悪いのよ。あの視線はゾッとする。認めてよ。彼は頭がおかしい」

 

そこにニコラスが立って話を聞いていた。

 

慌てたピーターは、お前とは関係ないと誤魔化すが、ニコラスはベスに近づき、廊下に落ちていたと、イヤリングを渡すのである。

 

不穏な空気が収まらないのだ。

 

人生論的映画評論・続: the son/息子('23)   無知と恥は痛みを引き起こす  フローリアン・ゼレール

 

 

 

だれのものでもないチェレ('76)   母の迎えを待つナラティブが壊れゆく

 

1  「母さん、キリストに伝えて。私にも贈り物を届けてって。誰も私にプレゼントをくれないの」

 

 

 

1930年、ホルティ独裁政権下のハンガリー

 

富農に引き取られた孤児のチェレは服も与えられず、学校へ通わせてもらうことなく、牛追いや荷役をさせられている。

 

いつものように牛のボリシュを追っていると、近隣に住む前線から戻ったピスタに性的な悪戯されたチェレは、泣きながら足を引きずって養家へ戻る。

 

「あの男。ピスタの奴…」

「ピスタか。あいつはケダモノだ。地獄へ落ちろってんだ」

 

養父母の会話だが、チェレを気にかけることはない。

 

ある日、川の泥で部屋の床の塗り替えをしているチェレを、子供たちが母親に言いつけると口喧嘩になるが、「いつだって悪いのはそっちなのに」と強気に反発するチェレ。

 

帰って来た母親は、それを見て「誰も頼んでいない」と言い放ち、良かれと思ってやったチェレを叱るのみ。

 

ある時は、スイカを割って食べたチェレが、スイカの半分を帽子として被っていると、子供の一人が欲しがるので、着ている服と交換する。

 

今度は服を盗んだと怒り、母親は服を脱がせて娘に着せるのだ。

 

夕食の際、母親は食事を拒むチェレが抱えているスイカの帽子を取り上げ、畑で勝手に食べたと知り、「とうとう盗みを働いたよ」と父親に訴える。

 

怒った父親は、「二度と盗みを働かんように、性根をたたき直してやる」と言うや、焼けたコークスを思い切りチェレの手に握らせた。

 

泣きながら焼け爛(ただ)れた掌を見つめるチェレ。

 

父親が出て行くと、母親は「やりすぎだよ」と言って、湿布をチェレの手に巻いて手当てをする。

 

「よくお聞き。盗みは何にも増して重い罪なんだよ。いいこと?この家には、お前の物なんてないの。この家の中にある物は、うちの子たちの物だ。私が産んだ子たちだからね。お前とは違う。この世にお前の物は何ひとつない…お前が持っている物は、ひとつだけ。その体だけなの」

 

それに対し、チェレは「シャツもよ」と答えた。

 

その瞬間、母親は狂ったように怒り出し、チェレを叩く。

 

「何て図々しい…こんな恩知らず、引き取るんじゃなかった!」

「あのシャツは私のよ。スイカと交換したの」

 

どんなに叩かれても泣きながら訴えるチェレ。

 

子供たちが通う学校について行こうとするチェレに対し、「シャツが狙いでしょ」、「また手のひらを焼かれちゃうわよ」と、意地悪く言う女児ら。

 

「母さんは私のこと愛してくれてるわ」

「バカ言わないで。母さんの子でもないくせに」

 

子供たちは、「孤児院に帰れ、チェレは親なしっ子」と声を合わせて囃し立てるのだ。

 

「うちに引き取ったのは、(政府から)お金が支給されるから。それだけよ」

 

チェレの立ち位置が判然とする嫌味だった。

 

【ホルティ政権下では孤児たちを養育費付きで養子に出し、富農たちは労働力確保のために孤児を引き取っていた/ホルティ・ミクローシュは1919年、ハンガリー革命を弾圧して独裁政治を行い、ナチスドイツと協力するが失脚し、戦後、ポルトガルに亡命した】

 

そんなチェレはボリシュを追いながら、学校へ向かう。

 

教室から九九の唱和が聞こえ、チェレはそれを遠くで眺めるだけ。

 

「みんな服を持ってる。私以外は。どうして?もうイヤ」

 

チェレは掌に巻かれた包帯を外し、ボリシュに別れを告げ、草原を歩き始めるが、ボリシュも付いてくる。

 

「来ちゃダメ!二度と戻らないんだから。私は殴られない場所へ行く…まったく…好きなようにすればいいわ。ついて来るのも帰るのも、お前の自由だよ」

 

途中、赤ん坊を抱いた女性が歩く姿に見入るチェレ。

 

暗くなるまでボリシュと歩いて行くと、牛の群れを放つ農家に辿り着く。

 

その家の夫婦がチェレを中に入れ、服と食事を与える。

 

名前は”チェレ“と言うと、「本当の名前は?」と聞かれたが答えられない。

 

チェレは母親の名前も、家がどこかも答えられないのである。

 

【”チェレ“とは、孤児に対する蔑称である】

 

「どうやって、ここまで来たんだ?」

「迷ったの」

「どこで?」

「母さんを探してるうちに」

「母さんはどこへ?」

「森へ。お家を建てに行くって、出ていったの。家ができるまでは、留守番してなさいって」

 

明日、町に出て母親を捜してもらうと言われ、小さな笑みを浮かべるチェレ。

 

役所に連れて行かれたチェレは、再び多くの孤児たちに交じり、里親を待っていると、若い夫妻が訪れ、チェレはその女性が気になり、その女性もチェレを選んで抱き上げた。

 

チェレは嬉しそうにその母親に寄り添うが、かつて孤児院に預けた6歳になる子供を探していたその夫婦は、記録からチェレが7歳になる捨て子だったと分かり、チェレを手放して去って行った。

 

それに代わって金目当ての乱暴な女がチェレを強引にジャバマーリの家へ連れて帰り、馬小屋で寝泊まりすることになった。

 

そこには、老いたヤーノシュという下男が寝泊まりしており、焼いたイモを与えようとするが、いらないと断るチェレ。

 

ヤーノシュが寝床につくと、チェレは鍋の中のイモを漁り、家を出ようとして犬が吠え、養家に見つかってしまうが、ヤーノシュが庇ってチェレを寝かしつけた。

 

翌朝早く、ジャバマーリにアヒルを追う仕事を言いつけられるが、粗相(そそう)をして厳しく折檻される。

 

ヤーノシュと一緒に庭仕事をして、ヤーノシュの昔話を聞かされた。

 

「村に二階建ての大きな家を持ってた。一回が住居で、二階は作業場だ。地域一帯の紡績糸がわしに届けられた。わしが生涯に作った服の布を合わせれば、教会一つを余裕で覆い尽くすだろう…しかし手が震えては、もう針仕事はできない」

 

チェレは楽しそうに花を摘み、歌いながら踊ってみせる。

 

「上手だ。誰に教わった?」

「母さん、いつも森から合図してくれるの。いつでも声が聞こえる。今建ててる家が完成したら、私を迎えに来てくれるのよ。私を殴った仕返しに、ジャバマーリを懲らしめてくれるって。大きなスリッパでね。母さんの特大のスリッパで、跡形も残らないくらい殴ってもらうの」

 

そのヤーノシュに連れられ、チェレは花を持って教会へ行く。

 

初めて来た教会で、真剣な眼差しで祭儀を見つめるチェレ。

 

合唱が始まると、ヤーノシュは具合悪そうに椅子にもたれるのを見て、「おじいさん、大丈夫?」とチェレは心配する。

 

「キリストはどこ?見せてくれる約束よ」

「そうだな。見せよう」

 

ヤーノシュは、聖母マリアに抱かれたキリスト像を前に祈りを捧げる。

 

「我が罪を許したまえ。私が逝っても、この子にご加護を。アーメン」

「キリストなの?」

「そうだ」

 

チェレはキリスト像に近づき、花を供えた。

 

二人が帰り道を歩いていると、馬車に乗ったジャバマーリがチェレに向かって大声で怒鳴りつける。

 

「なぜ家にいないの!家畜を餓死させる気?この役立たずが!」

 

馬車が過ぎ、ヤーノシュがチェレを励ます。

 

「なんて汚い言葉だ。だが恐れるな。若さがあれば必ず生き抜いていける。何にでも耐えられる。そして、いいことも必ず起きる」

 

憲兵がヤーノシュに声をかけ、挨拶を交わすのをジャバマーリ夫婦が見ていた。

 

憲兵だ。ウソだろ」と夫。

 

帰宅するとジャバマーリがチェレを捕まえ、憲兵と何を話していたかを詰問する。

 

「私の悪口を言ってたんだろ。正直に言わないと、この手で殺すよ」

 

何も答えないチェレを、さっさと仕事しろと突き飛ばし、その後も執拗に問い詰め、まじめに仕事していないと言って、スリッパで頭を叩き続けるのである。

 

「お前なんか地獄へ落ちればいい。いやしい捨て子め」

 

その挙句、ジャバマーリは毒入りのミルクをチェレに持たせるのだ。

 

「渡して。告げ口をしなくなる薬よ」

 

チェレは言われた通り、告げ口をしなくなる薬だと言ってヤーノシュに渡す。

 

ヤーノシュは血を流すチェレの頭を手当てし、優しく寝かしつけ、渡されたミルクを飲んで横たわった。

 

衰弱がひどくなっていたヤーノシュの、全て理解した上での死のようだった。

 

翌朝、ジャバマーリにミルクのカップを取りに行かされ、ヤーノシュが死んでいるのを発見する。

 

ジャバマーリはチェレから受け取ったカップを思い切り床に叩きつけた。

 

ヤーノシュの葬儀が行われ、涙を浮かべるチェレ。

 

程なくして、憲兵が町役場の依頼でやって来て、ジャバマーリに「この土地に関する書類」を見せるよう指示した。

 

慌てるジャバマーリは憲兵たちを家に入れ、しばらくすると憲兵らは帰って行った。

 

チェレは彼らを追い駆け、自分の母親を探して迎えに来て欲しいと伝え、懇願するのだ。

 

憲兵は分かったと言って帰って行った。

 

その様子を見ていたジャバマーリは、何を話していたかが気になり、豚の世話をしているチェレに昼食を届けて聞き出そうとする。

 

美味しそうに食べているチェレは何も答えないが、ジャバマーリは憲兵に告げ口したと邪推する内容を自ら話し始めた。

 

「私が彼の土地を奪ったと?ええ、奪ったわ。でも面倒を見て、汚れた服も洗濯してやったのに…彼は何て言ってた?彼の屋敷に私が放火したと?そう密告したの?」

 

興奮して激昂するジャバマーリは、何も話していないと言うチェレの首を絞めつけ、突き放して帰って行った。

 

暗くなって納屋に戻ると、ジャバマーリがヤーノシュの衣類や所持品を燃やしていた。

 

その恐ろしい様子を窓から覗くチェレ。

 

「母さん、迎えに来て。一緒にいたいの。母さん、怖いよ。早く来て」と暗がりの中で呟く。

 

ジャバマーリは、昼食のパンと毒入りミルクをチェレに渡し、早く食べるように言った。

 

赤ん坊が泣き出したので、チェレは自分のパンにミルクを浸して与えると、それに気づいたジャバマーリは「人殺し!」と叫ぶや、チェレを激しく突き飛ばす。

 

「殺そうとしてたわ。毒を盛ったミルクを飲ませて!この子を殺す気だったのよ」

 

半狂乱のジャバマーリは赤ん坊を抱きながらチェレを激しく蹴り続けるが、その暴行を家族が止めるに至った。

 

チェレは、「母さん!母さん!」と呼びながら走って逃げて行くと、湖の畔で、死んだ女性が運ばれるのを目撃し、「死んでる?」と恐々と尋ね、「そうだ」と言われる。

 

「母さん…」と呟いてチェレは、来た道をまた戻って行った。

 

クリスマスの日、豚を捌(さば)き、皆でお祝いする席に入れてもらえないチェレは、テーブルのパンを盗んで出て行った。

 

馬小屋に閉じ込められたチェレは、一人で蝋燭の火を枝に灯しながら、クリスマスの願い事を祈る。

 

「母さん、キリストに伝えて。私にも贈り物を届けてって。誰も私にプレゼントをくれないの。母さんが死んでから…父さん、神様、無名の兵士。どうか、あなたの国に、私を迎い入れて…」

 

いつしか、部屋は炎に包まれて、馬小屋が火の海になり、やがて全てを燃やし尽くしてしまったのだった。

 

【本作の原作は、 投身自殺をしようとした19歳の少女の話を聞いたハンガリーの作家ジグモンド・モーリツが、 その少女の話に沿って小説にしたものである】

 

 

人生論的映画評論・続: だれのものでもないチェレ('76)   母の迎えを待つナラティブが壊れゆく  ラースロー・ラノーディ

怪物('23)  抑圧と飛翔

 

1  「ちゃんとしろよ!あのさ、皆さん、さっきから目が死んでるんですけど。私が話してるのは人間?」

 

 

 

夜、自宅のベランダから、雑居ビルの火事を見ている麦野早織(むぎのさおり 以下、早織)と息子の湊(みなと)。

 

「豚の脳を移植した人間は、人間?豚?」

「何の話?」

「そういう研究のがあるんだって」

「誰がそんなこと言ったの?」

「保利(ほり)先生」

「最近の学校は変なこと教えんだね。それは人間じゃないでしょ」

 

シングルマザーの早織は、小学5年生の湊を学校へ送り出し、勤務先のクリーニング店で、昨夜の火事で全焼したビルのガールズバーに保利先生がいたという話を、店に来た湊のクラスメートの母親から聞く。

 

仕事から帰ると、洗面室に湊の切ったくせ毛が散らばり、何事かと早織が聞くと、湊はシャワーを浴びながら「校則違反」と答えるのみ。

 

亡くなった父の誕生日にケーキを買って来た早織は、湊の運動靴が片方しかないことに気づく。

 

二人は仏壇で父の誕生日祝いをする。

 

朝、ベッドから起きられない湊に学校へ行くことを確認し、水筒に麦茶を入れようすると中から泥水が出てきた。

 

「実験。理科の」と湊。

 

夕飯の時間になっても帰って来ない湊を車で探して、自転車が乗り捨てられた場所で車を止め、古びた鉄橋の下の真っ暗闇なトンネルを進んで行くと、「かいぶつ、だーれだ!」と叫ぶ湊の声が聞こえてきた。

 

湊を見つけた早織は、走って抱き締め、車に乗せて帰る。

 

「ごめん。僕ね、お父さんみたいには…」

「…お父さんに約束してんだよ。湊が結婚して家族を持つまでは、お母さん頑張るよって。いいのもう。どこにでもある普通の家族でいいの。湊が家族っていう一番の宝物を手に入れるまでは…」

 

突然、湊はシートベルトを外し、走っている車から飛び降りてしまうのだ。

 

慌てた早織は車を止め、湊を追い駆け、怪我をした湊を病院へ連れて行った。

 

CTを撮っても異常はなく、安心した早織だったが、湊の様子がおかしい。

 

「学校でなんかあった?」

 

耳の怪我を触ると、湊はビクッとして後ずさりする。

 

「豚の脳なんだよね。湊の脳は豚の脳と入れ替えられてるんだよ!」

 

走りながら、「そういうところ、なんか変っていうかさ。化け物っていうかさ…」と言う湊を追い駆ける早織。

 

「それ誰に言われたの?蒲田君?蒲田君でしょ?」

 

逃げる湊の肩を掴み、真剣に見つめ、誰に言われたかを問い詰める。

 

「保利先生」

 

早速、早織は小学校へ行き、伏見校長に湊が虐められている事実について問いかけた。

 

「体操着を廊下に捨てられたり、授業の支度が遅れただけで給食を食べさせてもらえなかったり、そういうことがあったって…耳から血が出るくらい引っ張られたり。“先生、痛いです”ってお願いしたら、“お前の脳は豚の脳なんだよ。これ痛い目に遭わないと分かんないだろ”って」

「はい」

 

メモを取る伏見は、入って来た教頭の正田、湊が2年の時の担任だった神崎(かんざき)、学年主任の品川らと入れ替わって校長室を出て行った。

 

話を聞いた校長が何も言わず出て行ったことに驚く早織。

 

正田から再び用件を聞かれ、校長に話したと言うと、校長は所用で出かけたと答える。

 

「生徒のことなんですよ…」

「校長は先日、お孫さんを事故で亡くされたばかりでして」

 

後日、改めて早織は小学校へ行った。

 

前回の4人と、今度は担任の保利が席に着いた。

 

伏見は問い合わせの件について、保利が謝罪すると伝える。

 

正田に促されて立った保利は、虐めについて何も答えることなく、たどたどしく謝罪する。

 

「このたびは…私の指導の…結果?麦野君に対して…対しましての…誤解を生むこと…ことになりましたことと、非常に残念なこと…思っております。申し訳ございませんでした」

 

保利が頭を下げ座り、他の4人が立つと保利も再び立って、5人揃って深々と早織に頭を下げた。

 

「え?違います。違いますよ…息子はね。この先生から実際ひどいこと言われて傷ついたんです。誤解っていうんじゃないんです」

「指導が適切に伝わらなかったものと考えております」と伏見。

「指導ってどれのことですか?」

「慎重を期すべき指導があったものと考えております」

「確認していいですか?息子に暴力をふるったんですよね?」

 

保利はティッシュで鼻をかみ、何も答えない。

 

「誤解を招く点があったかと思われます」と伏見。

「…この先生に叩かれて、息子は怪我したんです。分かってます?」

「ご意見は真摯に受け止め、今後適切な指導をしてまいりたいと考えています」

 

伏見は決まり文句を繰り返すのみ。

 

早織は、殴ったか殴らなかったか、そのどちらかの答えを保利に求めると、保利は顔を左右に背(そむ)け、落ち着かない様子で何も答えない。

 

再び伏見がバインダーを覗きながら、教員の手と湊の鼻の接触があったことは確認できると言い、のらりくらりとかわそうとし、横では保利が飴を口に入れるのを見て、早織は呆れ果てる。

 

「今さ、何の話してるか分かる?」

「まあ、こういうのって、母子家庭にありがちっていうか…」

 

慌てて正田が保利を止めようとする。

 

「シングルマザーがなんですか?」

「親が心配しすぎるっていうか、母子家庭あるあるっていうか」

「私が過保護だって言うんですか…」

「ご意見は真摯に受け止め、今後はより一層適切な指導を心がけてまいります…ご理解ください」と伏見。

 

再び立ち上がって全員が頭を下げる。

 

早織は涙を浮かべる。

 

3度目の早織の学校訪問。

 

玄関から入ったところで、早織は保利が女の子に手を引かれているのを目撃する。

 

伏見が改めて事実確認すると話すと、「今、確認してって言ってるの!」と早織が苛立つ。

 

「こんなの転校するしかないじゃん…謝って欲しいんじゃないよ。保利先生呼んでください」

「あいにく保利は外出中で…」

「さっきいました…」

「外出というのは、出かけているという意味ではなく…」

「ちゃんとしろよ!あのさ、皆さん、さっきから目が死んでるんですけど。私が話してるのは人間?答えてもらえます?私の質問に」

「人間かどうかということでしょうか」

「違うけど、いいやそれで、それでいい。答えて」

 

伏見が品川の差し出すバインダーに目を向けると、早織はそれを取り上げる。

 

「紙見ないと分かんない?」

「人間です」

「でしたらね、こっちだって子供のこと心配して来てんだし、一人の人間として向き合ってもらえますか?」

「ご意見は真摯に受け止め、今後、より…」

 

逆上する早織は、思わずバインダーを投げ捨てた。

 

孫と校長が写る写真立てにぶつかって落ちたので、それを拾い、伏見に渡す早織。

 

「ごめんなさい」

「ありがとうございます」

 

そこに正田が校長室を覗き、早織がいることを目視し、随行していた保利を連れ、慌てて引き返した。

 

それを見た早織が追い駆けると、正田の手を振り払い、保利は再び早織に深々と頭を下げて謝罪する。

 

「どうもすみませんでした」

「こんな先生がいる学校に、子供預けられないでしょ。この人、辞めさせてください!」

 

伏見に向かって訴えると、保利が笑う。

 

「私、なんか面白いこと言ったかな?」

「そんな興奮しないでください」

「興奮してないよ。私はただ当たり前のことを…」

「あなたの息子さん、虐めやってますよ」と保利。

「君、何言ってんの?」と正田。

「麦野湊くんは、星川依里(より)って子を虐めてるんですよ」

「そんな事実はありません」と正田。

「保利先生、訂正して」と神崎。

「麦野君、家にナイフとか凶器とか持ったりしてません?」

 

この保利の発言にキレた早織。

 

「何デタラメ言ってんの。駅前のキャバクラ行ってたくせに。あんたが店に火つけたんじゃないの?頭に豚の脳が入ってんのは、あんたの方でしょ」

 

夜、自室に籠った湊にスイカを持って入ると、乱雑に散らかった部屋の中でうずくまっている湊。

 

そこで、早織はバッグから出て来た着火ライターを見つけ、不安げに湊の背中を見つめる。

 

早織は星川依里の家を訪ね、学校から帰って来たばかりの依里が家に案内する。

 

依里は風邪で休んでいる湊に手紙を書き始めるが、「み」の字が鏡文字になってると早織に言われると、突然止めてしまった。

 

【鏡文字とは、上下はそのままで左右を反転させた文字のこと】

 

腕に傷があるのを見つけた早織が、学校で虐められていないかを問うと依里の目が泳ぐ。

 

校長室で早織が見守る中、依里は保利を前にし、湊から虐められていることを否定し、逆に保利が湊を叩いていると話す。

 

「なんだよ、それ」

「皆も知ってるけど、先生が怖いから黙っています」

 

慌てて正田と神崎が、依里を教室に戻す。

 

続いて、品川、保利が部屋を出て、伏見も席を立って逃げようとするので、早織は孫が亡くなって悲しかったかを訊ね、私と同じ気持ちだと言って顔を覗き込む。

 

学校は保護者会を開き、生徒の親たちの前で保利が湊に暴力を振るい、暴言を吐いたことを認め謝罪した。

 

その会見の内容が掲載された新聞記事を読む早織。

 

辞めたはずの保利が学校へ来て、接触した湊が階段から落ちたと騒ぎとなり、連絡を受けた早織は学校に駆け付けたが、湊は無事だった。

 

台風が来るので、窓に段ボールを張り付けるなど、暴風雨に備える早織と湊。

 

翌朝早く、湊の部屋を覗くと、ベッドは空だった。

 

外から保利の「麦野!麦野!」と叫ぶ声がして、窓を開けると風で机の上のカードが飛ばされる。

 

ここで、回収されるべき複数の伏線を残してフェードアウトしていく。

 

【この章で可視化されたのは、虐めの真相を求めるだけの6度に及ぶ早織の学校訪問に対する学校サイドの対応が、終始、事態を大事にしないための防衛的態度に固執したことで、謝罪に納得がいかない保利の不自然な振る舞い(この時点で「変人性」を印象づける)が浮き彫りになったこと。かくて、それを由(よし)としない早織がモンスターペアレントと化していく硬直した姿勢が顕在化していく経緯が、物語総体が覆う冥闇(めいあん)の広がりの中で映像提示され、観る者を疲弊させていく初発点になっていく。

 

何より気になるのは、性犯罪歴の有無を確認する新制度「日本版DBS」の成立に象徴されるように、教育機関に対する外部圧力によって学校サイドの対応が過剰なまでに防衛的に振れるダークサイドな側面が切り取られていること。更に言えば、公立教員残業代ゼロ(「教員給与特別措置法=給特法」)という、苛酷な教育環境で疲弊する教員の実情が観る者に届かない構成力の脆弱性が読み取れる。攻撃的なモンスターペアレントvs.防衛的な学校当局(「学校権力」にあらず)という構図を単純に般化してはならない。この章での学校サイドの描き方が信じ難いほどリアリティを蹴飛ばして、執拗にコミカライズされているのだ】

 

人生論的映画評論・続: 怪物('23)  抑圧と飛翔  是枝裕和

 

 

 

民主主義は犯罪ではない

 

中国の司法・国家安全当局は、2024年6月21日、台湾独立をめざす勢力による「国家分裂」行為を取り締まるための新たな指針を発表し、施行した。

 

他国と接触して独立への賛同を求める行為などに対し、最高刑として死刑を適用する。

 

中国の習近平指導部は台湾が自国の一部という「一つの中国」の原則を掲げ、台湾の頼清徳(らい せいとく)総統を「独立分裂分子」と敵視している。

 

所謂、中国サイドが一方的に決めつける、中国と台湾の双方が確認したとされる「92年コンセンサス」を根拠に、このコンセンサスを認めない与党の台湾民進党を敵対視して、常に恫喝しているのは周知の事実。

 

【「92年コンセンサス」とは「九二共識」(きゅうにきょうしき)と言われ、中国国民党主席などを歴任した連戦元副総統が胡錦濤(こきんとう)総書記に伝えたとされる合意の通称】

 

思えば、2024年1月には、中国でスパイを監視・摘発する国家安全省は、「台湾独立」の活動家に対して照準を合わせていた。

 

対話アプリ「微信」(ウィーチャット)の公式アカウントに1月17日、「台湾独立分裂勢力と断固闘う」と投稿し、過去数年間で台湾によるスパイ行為を、数百件摘発したと説明した。

 

台湾総統選で勝利した与党・民主進歩党民進党)の頼清徳・副総統(当時)を牽制する狙いがあるのは明白だった。

 

「戦争メーカー」

 

頼清徳・副総統に対する習近平の独断言辞である。

 

投稿では、中国の国家安全当局が近年、台湾の工作員らを取り締まる特別作戦を展開し、「台湾による多くのスパイ情報網を壊滅させた」と明らかにした。

 

浙江省温州市(せっこうしょうおんしゅうし)の当局が2022年8月、台湾の独立活動に長年関わったとし、台湾人男性を拘束したことにも言及し、民進党政権を支えてきた米国などを念頭に「台湾海峡問題における外部勢力の干渉に断固として対抗する」と記したのである。

 

「外国情報機関の浸透と破壊工作を粉砕する」とも表明。

 

同省当局の投稿では、台湾独立阻止を目的に2005年に制定した「反国家分裂法」を取り上げ、台湾の平和統一の可能性が完全に失われた場合、武力を含む非平和的手段を行使できるようにする規定などを解説し、そして今、冒頭の2024年6月21日の「最高刑として死刑を適用する」という、中国の司法・国家安全当局による物騒な発表になったというわけだ。

 

この発表に対して、台湾当局の対中政策を担う特別行政機関「大陸委員会」は、「北京当局は台湾に対して一切の司法管轄権をもっていない。中国共産党の定める法律や規範は何の拘束力もない」というコメントを返したのは当然のこと。

 

中国サイドの指針は最高人民法院最高裁)、最高人民検察院最高検)と公安、国家安全、司法の3省が連名で発表し、台湾の独立阻止などを目的とした「反国家分裂法」や刑法に基づき、処罰する行為や量刑の内容を定めていく。

 

住民投票や法整備により、台湾の法的な地位や「一つの中国」の原則を変更しようとする行為を摘発すると明記したのである。

 

台湾独立に向けた組織の設立や計画の策定・指示・実行も処罰の対象になる。

 

主権国家で形成される国際機関への台湾の加盟を推進したり、「一つの中国」の原則に反する教育や報道をしたりした場合も罰する。

 

その対象には、「台湾を中国から分裂させようとするその他行為」という曖昧な内容も含まれるから厄介なのだ。

 

被疑者や被告人が中国外にいて不在の場合でも、起訴して裁判をできると定め、刑法に基づきこのような行為には、無期懲役または10年以上の懲役刑を科す。

 

「国家や人民に対する危害が特に重大な場合」や、「情状が特に悪質な場合」は死刑になるという相当物騒なもの。

 

台湾独立の主張や扇動に対しても、5年以下の懲役刑や刑事拘留を科す。

 

犯罪が重い場合は5年以上の懲役刑になるのだ。

 

頼清徳総統はこの指針に反発し、「中国は(中台の)境界を越えて台湾の人々を訴追する権力を持たない」と指摘した後、強い口調で言い切った。

 

「民主主義は犯罪でなく、専制主義こそ罪悪だ」

 

まさに、それ以外にない決定的な声明である。

 

これほど感銘を受けた言葉を、私は知らない。

 

台湾の与野党に向けて「共にこの問題に立ち向かい、協力するよう願っている」と結束を呼びかけたのだ。

 

中国に対しては、「中華民国(台湾)の存在を直視し、台湾の民主的に選ばれた政府と交流や対話をするよう求める」と訴えた頼清徳総統。

 

正真正銘のリアリスト、頼清徳総統は信念を曲げることなく、信義を重んじる政治家であると信じ、大いに期待したい。

 

【以上の小論は、日経新聞の「中国、台湾独立派に照準 スパイ行為『数百件摘発』」、「中国『台湾独立行為に死刑適用』 指針公表、頼政権威圧」、「台湾頼総統、中国新指針に反発『民主主義は犯罪でない』」をベースに引用・参照・付記して投稿したものです】

 

(2024年7月)

 

時代の風景: 民主主義は犯罪ではない

 

Winny('22)  出る杭は打たれる文化の脆さ

 

圧巻の法廷劇のリアリティ。

 

際立つ東出昌大の表現力。

 

真っ向勝負の社会派映画の傑作である。

 

 

1  「そもそもこの裁判がおかしいのは、警察が原告になっていることですよ」

 

 

 

2002年

 

東大大学院情報理工学系研究科の特任助手をしているプログラマー金子勇(以下、金子)が、薄暗い自室で2ちゃんねる掲示板にハンドルネーム47でコメントを書き込んでいる。

 

「暇だからfreenetみたいけどP2P向きのファイル共有ソフトつーのを作ってみるわ。もちろんWindowsネイティブな。少し待ちな―。」

 

【P2Pとはピアツーピアのことで、ネットワークに接続されたコンピューター同士がサーバーを介さずに直接通信する方式だが、ウイルスがネットワーク全体に拡散しやすいことや、感染源を特定するのが困難な点などが指摘されている】

 

程なくして、金子はそのソフトを2ちゃんねる掲示板に掲載した。

 

早速、テレビでは、このWinnyの問題点が報道される。

 

「今、大量の映画や音楽、ゲームなどがインターネット上で不法にやり取りされています。使われているのは、Winnyと呼ばれるファイル交換ソフトで、全国に200万人以上のユーザーがいると言われています…このソフトを使用することで通常はコンテンツの利用に必要な料金を支払うことなく、自由に映像や音楽をダウンロードすることができるため、著作権保護の観点からも規制を求める声が高まっています…」

 

2003年11月26日 大阪府大阪市

 

サイバー犯罪専門の弁護士・檀俊光(以下、檀)が他の弁護士たちを集め、ピア・ツー・ピアについて講義をするが、年配の弁護士はついていけない。

 

2003年11月27日 東京都文京区

 

金子の住むマンションの前に、物々しく数台の車が乗りつけられた。

 

その頃、群馬県高崎市では、京都府警によって、著作権法違反の疑いでWinnyユーザーの井田正弘が逮捕され、愛媛県松山市でも、同じくWinnyユーザーの南恭平が逮捕された。

 

京都府警ハイテク犯罪対策室警部補の北村文也(以下、北村)らが、金子の部屋に捜査令状を持って入り込み、金子が使っているパソコン複数台を押収した。

 

大阪府大阪市

 

Winnyユーザー逮捕のニュースを居酒屋で聞きながら、檀は、この事件を担当することになった同僚の奥田弁護士から弁護のサポートを頼まれた。

 

「もし開発者が逮捕されたら弁護しますよ。ま、逮捕は絶対ないですけど…技術に罪はない。結局、個々人の扱い方の問題やから…」

 

アメリカでも似たような事件で、いずれも開発者は逮捕されていないと断言する檀。

 

「出る杭は打たれるっちゅうことか」と奥田。

「出過ぎた杭は打たれないとも言いますけどね」と檀。

「そんなスゴイ?Winny作った人って」と浜崎弁護士。

「ネットやと、神のように崇められてる。Winnyはまさに未来を先取りした技術や。いつか、世界を変えるような」

 

一方、事情聴取された金子は警察の事情聴取に眠そうに答える。

 

「なぜ、Winnyを作ろうと思ったんですか?」

freenetっていう別のソフトウェアの技術が画期的だったので、それに感化されて作りました。あの、さっきから何回も同じこと言ってません?」

著作権侵害の蔓延が目的だったんちゃうか?」(因みに、この「蔓延」の言葉が法廷で問題になる)

「ですから…」

 

そこに北村が部屋に入って来て、Winnyのホームページの閉鎖を求めると、金子は構わないと答えたが、それだけでは根本的な解決にならないと、誓約書を書いて欲しいと手を合わせて頼んできた。

 

Winnyの開発を止めるっていう宣言をね」と北村。

「はあ…はい、分かりました。私にできることなら、なんでも協力しますので」と金子。

 

そして、金子は北村が用意した誓約書を書き写し始めたが、「著作権法違反を行う者が出てくることは明確に分かっておりました」との文言に引っかかり、それを北村に確認すると、そのまま書いてくれればいいと返答される。

 

「これ、後で訂正できるんですよね?」

「当たり前がやな」と北村。

 

かくて、金子は最後まで書き写した。

 

6ヶ月後

 

その頃、愛媛県警ではニセ領収書を作成して経費を落とす不正が常態化していた。

 

その不正を唯一人行わない巡査部長の仙波敏郎(以下、仙波=せんば)が、上司の命令でニセ領収書を書いた部下の山本巡査に説教する。

 

「ええか。ニセ領収書を書いたら私文書偽造で3カ月以上の5年以下の罪になる。それを元に公文書偽造すると、1年以上10年以下の罪や。詐欺や業務上横領は10年以下。それだけの罪を犯したもんが、1000円のものを万引きした人間を捕まえて調書取れんのか」

「自分もよくないことやと思うとります。でも、皆がやってることですし」

「そしたら、何のためにするんや」

「組織のためです」

「組織のためなら、何をしてもいいんか?」

「ほじゃけど、どうすればいいです?言いたいことあっても、辛抱して従うのが普通の人やないですか?みんな、仙波さんみたいに、強(つよ)うないんです。堪忍してください」

 

再び京都府警が、今度は逮捕令状を持って金子を捕捉した。

 

奥田からの電話でテレビを点けた檀は、ニュース映像で金子が著作権法違反幇助(ほうじょ)の罪で逮捕されたことを知る。

 

開発者の弁護なら引き受けると奥田に言い切った檀は、早速、事件の検証に入った。

 

プログラマーの中島と名乗る男から檀に電話が入り、2ちゃんねるの住人が金子の力になりたいと弁護費用を集めることになり、弁護士名義で口座を開設して欲しいとの申し出を受ける。

 

檀は弁護士の林と共に、金子に接見しに行く車の中で資料に目を通し、黙読する。

 

著作権などの従来の概念が崩れ始めている。お上の圧力で規制するのも一つの手だが、技術的に可能であれば、誰かがこの壁に穴を開けてしまって、後ろに戻れなくなるはず。最終的には崩れるだけで、将来的には今とは違う著作権の概念が必要になると思う」(檀のモノローグ)

 

金子と初めて会った檀は弁護団を結成し、事件の把握を急いでいる段階であることを説明していくが、裁判で証拠となってしまうので、自分で納得しない調書には絶対に署名しないようにと警告した。

 

次に、裁判所で検事が金子に尋問する。

 

「あなたは、著作権侵害の蔓延目的でWinnyを作ったのですか?」

「そんなこと一度も言ってませんよ」

「でも、警察の取り調べの中でそう書きましたよね」

「あれは、そう書けと言われたのであって…」

 

続いて、五条警察署では何の説明もなく、京都地方検察庁刑事部検事の伊坂誠司(以下、伊坂)から調書に署名を求められた金子。

 

「ねえ、頼むわ。協力して欲しんやわ」

 

そこには、「著作権侵害の蔓延目的でWinnyを開発したわけではありませんと言いましたが、裁判所での発言は嘘です。弁護士に入れ知恵されました」と書かれていたが、金子はそのままサインしてしまう。

 

金子の弁護費用は通帳が複数冊に及ぶほど集まっていた。

 

檀は金子が検察の調書に署名したことを知らされ、警察署の留置所へ行き、金子にその理由を質した。

 

「捜査には協力した方がいいのかと思いまして…」

「協力?デタラメにサインすることが?」

「でも、それは裁判所で訂正すれば…」

「裁判所で訂正すれば、信用してもらえると?」

「はい…」

「…自白調書に署名してしまったら、全部自分が喋ったことになってしまうんですから」

「でも、サインしても訂正できるんじゃ?」

「残念ながら、できません」

 

それを聞いて、項垂(うなだ)れる金子。

 

「金子さん、闘うしかないですよ」

 

檀は、2ちゃんねるの有志が集めた支援金が記帳された通帳を取り出し、金子に見せる。

 

「みんな、金子さんの無罪を信じてますよ。読めますか?」

「はい…47シガンバレ、マケルナ、47フレーフレー、47ハムザイ、イキロ47…ガンバレ…」

 

金子は通帳に記載されたメッセージを自ら読み上げ、涙する。

 

警察署での伊坂による取り調べ。

 

「さっさと罪を認めた方がええよ。認めたらすぐ釈放されて、自由の身や。ずっと閉じ込められるんは、ややろ…お前には責任いうもんがないんか!」

 

机を叩き恫喝する伊坂に対し、金子は腕組みをして黙秘する。

 

テレビではコメンテーターがWinnyの危険性を技術テロ、情報テロと決めつけ、雑誌では金子の自宅から見つかったエロビデオを並べて、変態扱いする始末だった。

 

「そんな横暴許してたら、日本の技術者は誰も新しいことにチャレンジしなくなりますよ」と檀。

 

まもなく金子の保釈が認められ、檀が囮(おとり)となって沸き立つメディアの取材攻勢をかわし、金子はホテルへ到着したがパソコンはなく、最愛の姉など、接触できない人物のリストを渡され、不自由な状態が続くことになる。

 

一方、愛知県警の仙波は、テレビで警察に蔓延するニセ領収書の件を告発する元会計課長のインタビューを、勤務する交番で山本と共に観ていた。

 

弁護士事務所では、検察から公判請求が出されたところで依頼していた刑事事件のスペシャリスト・秋田真志(以下、秋田)弁護士を交えて、Winny弁護団による打ち合わせが行われた。

 

「幇助はただの言葉ですよ。問題は、彼らがなぜ金子さんを逮捕したかです。その裏の意図を理解しないと、結局、検察の掌(てのひら)の上で遊ばれるだけになってしまう…そもそも逮捕までの動きが性急すぎると思いませんか?」と秋田。

「…仮にその裏の意図を掴めたとして、どうすれば?」と檀。

「性急さは命取りです。待つんです。敵が尻尾(しっぽ)を見せるまで」

 

金子は求めに応じて東大に退職願を提出し、自宅へ戻って行った。

 

2か月後

 

金子が事務所に来て、近くの食堂で食事をしながら、檀が金子に今後の裁判闘争について話をする。

 

「これからの道のりは、厳しいものになると思います。私は自分の人生の5年間を金子さんのために使うので、金子さんは日本に生まれてくる技術者のために残りの人生使って欲しいです」

 

金子は、その話を噛み締めながら聞いていた。

 

初公判の日がやって来た。

 

金子の意見陳述。

 

金子は弁護団長の桂から受け取ったペーパーを、辿々(たどたど)しく読み上げていく。

 

Winnyの開発公開は技術的実験であって、著作権侵害の手助けをするといった意図ではありません。Winnyの開発は日本のためになると思ってやったことですから、社会に迷惑をかけるためにやったのではないです。私は無罪です。金子勇

 

愛媛県警のニセ領収書の裏金問題は、テレビや新聞で県警による否定のニュースが流される。

 

事件の推移がパラレルに展開する、その裏金問題の記事を話題にする事務所で、「杭を打つには杭を打つ人、支える人、指示を出す人の3人の協力が必要だ」という秋田の話を耳にした檀が閃(ひらめ)いて、林に捜査関係者の顔と名前をボードに掲示してもらい、捜査のリーダーが誰なのかを皆に問いかけた。

 

直後の公判で、捜査した京都府警ハイテク犯罪対策室の一人である畑中健一を証人として呼び、檀は捜査を指示したリーダーが誰であるかを聞き出そうと尋問する。

 

しかし、検察の異議によって、裁判長は「捜査に関する尋問は打ち切ってください」と尋問を却下してしまう。

 

「ダメだ。全部うやむやにしやがって」と檀がボヤキながら、弁護団は事務所に戻って来た。

 

「そもそもこの裁判がおかしいのは、警察が原告になっていることですよ」

 

事件の本質を衝く秋田の指摘だった。

 

 

人生論的映画評論・続: Winny('22)  出る杭は打たれる文化の脆さ  松本優作

 

コンパートメントNo.6('21)   出会いはいつも唐突にやってくる

 

1  「何て言う?“愛してる”」「“ハイスタ・ヴィットゥ(くたばれ)”」

 

 

 

ロシア語を学ぶためにモスクワへ留学中のラウラは、同性愛の関係にある大学教授・イリーナの仲間たちのパーティーで、恩師に紹介される。

 

フィンランド人の友達よ…明日、ペトログリフ(岩面彫刻)を見にムルマンスクに旅立つの」

「イリーナが熱弁するものだから…」

 

しかし、一緒に行くはずのイリーナにドタキャンされたラウラは、一人で寝台列車のコンパートメントNO.6(寝台列車の6号客室)に乗り込む。

 

【ムルマンスクはフィンランドとの国境に近くに位置する北極圏最大の都市】

 

同乗者の男・リョーハはウォッカを飲みながら食べ散らかし、酔っぱらって絡んでくる。

 

ラウラがフィンランド人と分かると、フィンランド語で何というかあれこれ聞いてきて、うんざりするラウラ。

 

「何て言う?“愛してる”」

「“ハイスタ・ヴィットゥ(くたばれ)”」

 

“ハイスタ・ヴィットゥ”と繰り返すリョーハ。

 

「あんた、列車で何してる?売春か?」

「意味がサッパリ…」

 

堪らずラウラは、車掌に客室を替えるよう頼むが、「あらそう。我慢して」と返されるのみ。

 

自ら空席を探してもなく、仕方なく客室に戻りベッドに入り、ビデオで撮ったパーティーの様子を見て溜息を漏らす。

 

翌朝、サンクトペテルブルクに到着のアナウンスを耳にしたラウラは、荷物をまとめて下車し、街でイリーナに電話をかけるが、多忙なイリーナと満足に話もできなかった。

 

列車に戻ると、子供連れの母親が席に座っており、ベッドも子供に占領されていた。

 

食堂で、隣のテーブルに座っているリョーハが話しかけてくる。

 

「何しに行くの?ムルマンスクに」

「体を売りに…ペトログリフを見に行く」

「何だ、それ」

「いわゆる岩絵のこと」

「ピンとこない。何がすごいの?」

「1万年も前に描かれた絵よ」

「だから?」

「大学で考古学を勉強していて興味があるの」

「その岩絵とやらを見たら、何かあるわけ?」

「自分たちのルーツを知ることは大切よ。人間は歴史を学ぶ必要がある。過去を知れば、現在を容易に理解できる」

「じゃあ、岩絵を見るためだけに、わざわざ列車に乗って、あんなシケた町に行くわけか。信じられねえ。マジかよ」

「あなたは、なぜムルマンスクに?」

「仕事だよ」

「仕事って?」

「オレネゴルスクGOKを?…採石して加工する工場だよ。デカい鉱山があるんだ」

「建設業者?」

「まあ、そんなとこだ。自分の事務所を構えるための単なる資金稼ぎ…事業をやる」

「どんな?」

「とにかく事業だよ」

 

何の事業か答えられないリョーハに呆れるラウラ。

 

そこに4人家族が相席を求めてきてラウラと話し始めると、居心地が悪そうにリョーハは食堂を出て行った。

 

客室の親子が下車し、ラウラは部屋のベッドでイリーナへの愛を伝えるビデオメッセージを撮る。

 

ペトロザボーツク(ロシア内のカレリア共和国の首都)で一泊停車するので、知人宅を訪ねる予定のリョーハはラウラを誘う。

 

「相手は老婦人だ。古いものが好きだろ?ほら、あれも…」

ペトログリフ…その女性は誰なの?お母さん?」

「…もっといい」

 

しかし、ラウラは「とにかく興味ないから」と断る。

 

それでもリョーハは、列車を降りてからもラウラを誘い、ラウラはそれを断ったものの、イリーナに電話をかけても繋がらないことで、結局、リョーハの運転する車に乗り込むことになった。

 

雪道を走り、着いたところはユーリイ・ガガーリン(宇宙への最初の有人飛行士)の肖像が描かれた町で、リョーハは、途中で買った土産を持って古い木造の家に入って行った。

 

気後れするラウラも中に入ると、太った陽気な老婦人とリョーハが話をしている。

 

そして、酒を飲みながら老婦人の冗談話を聞いて、3人は笑い合う。

 

リョーハは、「俺は寝るよ。2人は楽しんで」と席を立った。

 

「女性は、とても賢い生き物よ。内なる自分を持ってる。それを信じることが大事。心の声に従って生きるの。両親や娘や夫の声は聞かなくていい…私は15歳で心の声を信じることを学んだ。以来、43年間幸せに暮らしてる」

 

ラウラは「乾杯を」と言って、老婦人のグラスに酒を注(つ)ぐ。

 

「あなたに乾杯。幸多き人生でありますように。内なる自分に乾杯」と老婦人。

 

翌朝、酔いが残る中、ラウラは慌てて起きて、老婦人に別れの挨拶をして、リョーハの車で列車に戻った。

 

その老婦人を「母以上の存在」であると言い切ったリョーハが抱え込むトラウマの一端が可視化され、ラウラの中で何かが大きく変わっていくようだった。

 

人生論的映画評論・続: コンパートメントNo.6('21)   出会いはいつも唐突にやってくる  ユホ・クオスマネン

 

 

 

キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩('21)   誰にも奪えない少女のイノセンス

 

1  「見捨てるのか」「渡すものですか。ただ怖いだけ」

 

 

 

ウクライナの監督によるウクライナの文化と、他国の子供たちの命をも守らんとする必見の映画。

 

「映画では、現在のウクライナソ連に占領されているときはロシア語、ナチスに占領されているときはドイツ語を話すようにウクライナ人たちは強要されました。本作は、母国の言葉、文化や音楽を維持することの大切さを映し出しています」

 

オレシア・モルフレッツ・イサイェンコ監督のインタビューでの言葉である。

 

―― 以下、本作の梗概と批評。

 

 

“キャロル 世紀の歌声 1971年2月24日 カーネギーホールにて”と書かれたポスター。

 

ニューヨーク 1978年12月

 

そのポスターにある歌手が、鏡の前に置かれた古い3家族の写真を見つめている。

 

ポーランド スタニスワヴフ(現ウクライナ イバノフランコフスク) 1939年1月

 

ユダヤ人の一家が住むアパートに、店子(たなこ)としてウクライナ人とポーランド人の一家が移り住んできた。

 

「イサクさん、なぜ部屋を貸すことに?」と家政婦のマリア。

「NYのヨセフが決めた。半分はあいつの家だ」

 

二家族が同時に到着し、初めて会ったウクライナ人一家の娘・ヤロスラワがポーランド人一家の娘・テレサに声をかけ挨拶する。

 

ユダヤ人一家の娘・ディナが玄関から出て来て、ピアノの先生であるヤロスラワの母・ソフィアに抱きつく。

 

「毎日歌って、ピアノが弾ける」

「私もうれしい」

 

その様子を窓から、ディナの妹のタリアを抱きながら見ていたイサクの妻・ベルタは、遠くまでレッスンに通わずに済むと喜んだ。

 

マリアがソフィアの夫も軍人かと訊ねると、「元軍人だ。今はレストランで演奏を」とイサクが答える。

 

ヤロスラワは新居を気に入り、父・ミハイロと母・ソフィアと3人は喜び合う。

 

一方、ポーランド人一家の妻・ワンダは、一階が弁護士事務所で人の出入りが多いことや、隣人が演奏家であることを聞いていなかったと不満を漏らす。

 

「音楽は好きだけど、こういう雑音は嫌い」

 

それに対し、夫である軍人のヴァツワフ少佐は、「仮の住まいだ、我慢してくれ」と宥める。

 

早速、ディナの歌のレッスンが始まった。

 

廊下ではヤロスラワとテレサは仲良く歌を歌っているが、レッスンの歌声で読書に集中できないワンダがテレサを部屋に呼び戻した。

 

その様子を見ていたベルタがイサクに相談する。

 

「どうかしたのか」

「店子の家族よ。お互いにピリピリしてる」

「私たちには友好的だ」

「そうだけど鉢合わせしても、挨拶もしないのよ」

「どうしろと?ポーランド人とウクライナ人の歴史だ」

 

ソフィアはヤロスラワを寝かしつけていると、「明日は公現祭(エビファニー)イブ?」と聞いてきた。

 

ソフィアが子供の頃の公現祭の様子を話す。

 

【公現祭とは、ロシア正教会ギリシャ正教会など東方教会の祭りで催されるキリスト降誕祭で、1月6日。 クリスマスの12日後に当たる】

 

「お祖母ちゃんの家に集まったわ。夜にはいろんな物でおもしろい仮装をするの…ママもおばあちゃんのショールを巻いて、近所を回って聖歌(キャロル)を歌い、お菓子をもらった。夕食には隣人を招いてみんなで願いごとをしたわ」

「願いは叶った?」

「ええ。ママの願いは、みんなに歌を教えることだったから」

「“鐘のキャロル”を歌ったおかげ?」

「あの歌を聴いたのは、ずっとあと。ママのお父さんが働くキーウの大ホールだった。編曲したのはレオントヴィチさん。とてもいい人で、父さんの友達だった。あの歌のおかげでね。音楽家になろうと思ったのは」

「明日私も、そのショールを巻いて、“鐘のキャロル”を歌う…私の願いごとも叶う?」

「叶うわ」

 

【レオントヴィッチとは、ウクライナの作曲家マイコラ・レオントヴィッチのことで、英語圏でよく知られ、よく演奏されるクリスマスソング「クリスマスキャロル」として有名な「キャロル・オブ・ザ・ベル」は、彼がウクライナ民謡の『シュチェドルィック』を合唱用に編曲・紹介した曲に、英語で原曲と異なる歌詞を付けたものである。1921年にソビエト連邦のスパイに暗殺され、ウクライナ独立正教会の殉教者としても名を連ねている/ウィキより】

 

翌日、ユダヤ人一家とポーランド人一家の前で、“鐘のキャロル”を歌うヤロスラワ。

 

そして、「夕食会に来てください」と誘った。

 

テレサは喜んだが、ワンダは「今日はカトリックの祭日じゃないわ…招くほうがおかしいのよ」と、「行くべきだろうな」と言うヴァツワフの考えを否定する。

 

ミハイロは「どうせ来ない」と言い、イサク一家と夕食会を始めたが、意外にもヴァツワフ一家が訪ねて来た。

 

テレサ!」と声を上げ喜ぶヤロスラワは、子供たちを別の部屋へ呼んでひそひそと準備をする。

 

ヴァツワフとワンダが食卓の席に着くが、ワンダがナイフを落としてしまい、気まずい空気が流れる。

 

そこに、子供たちが仮装をして現れ、大人たちの笑いを誘い、ヤロスラワが“鐘のキャロル”を歌いながら3人で食卓を回る。

 

三家族は打ち解けていくのである。

 

以降、ワンダが付き添い、テレサはソフィアから歌のレッスンを受けることになった。

 

1939年9月

 

ナチスドイツによるポーランド侵攻が始まった。

 

第二次世界大戦の戦端が開かれたのである。

 

ポーランド将校であるヴァツワフは、隊の様子を見に出て行き、他の家族は地下に避難する。

 

外では砲撃の音が鳴り、家族は歌を歌ったり、祈りを捧げたりして身を寄せ合う。

 

ワンダがヤロスラワの家に遊びに行ったテレサを迎えに行くと、二人で眠っているので、そのまま寝かしてワンダが家に戻るが、そこにはソ連兵が立って待っていた。

 

15分以内の身支度をするよう命令されたワンダは、ソ連兵に頼み、隣人に鍵を預かってもらう許可を得る。

 

ワンダが再びソフィアの家を訪れ、ドアを開けるとソ連兵は部屋の中まで入り、子供たちが眠っているのを見つけた。

 

「誰の子だ?」

「私です」

 

ワンダは泣きながらミハイロに鍵を預け、娘のことを頼んでソ連兵に連行されていった。

 

目を覚ましたヤロスラワは、窓からワンダが車で連れて行かれるのを目撃した。

 

ソフィアはワンダの家で隠されたテレサの出生証明書を探し出し、荷物をまとめさせてしばらく一緒に暮らすことを告げる。

 

恐らくヴァツワフは、ポーランド東部を占領したソ連軍の捕虜となり、収容所に送られた後、1940年4月に起こった「カチンの森事件」で殺害されたと思われる。(映画「カチンの森」を参照されたし)

 

【この間の歴史的背景を補足していく。/1939年8月23日、ドイツのヒトラーソ連スターリンの間で相互の不可侵を要点とする「独ソ不可侵条約」が締結されたが、秘密協定でポーランドの東西を両国が分割占領することを決めた。直後の1939年9月1日、ナチス・ドイツポーランド侵攻し、第二次世界大戦が始まった。一方、1939年9月17日、ソ連軍のポーランド侵攻の根拠となったのは、西ウクライナのロシア人住民の保護という侵略者の常套句で、現在のウクライナ侵略の大義名分と同じもの。1940年4月、ソ連軍のポーランド侵攻の際、多数の将兵がNKVD(内務人民委員部)によって殺害された「カチンの森事件」が発生する。そして1941年6月、スターリンの予測を超えて、共産主義の絶滅を標榜するナチス・ドイツが「独ソ不可侵条約」を破ってソ連に侵攻し、独ソ戦が開かれ第二次世界大戦が拡大するに至った】

 

1941年7月

 

ドイツ兵が街にやって来て、鍵十字の旗が掲げられた。

 

イサクの一家が占領当局に呼び出された。

 

「なぜ家族全員呼ばれたの?」

「登録のためかな。悪い事にはならんだろう」

「胸騒ぎがする」

 

出がけに、ミハイロ一家に対して当局に呼ばれた事実を話す。

 

「バンドのユダヤ人も全員呼ばれた。今日は演奏に来ないと聞いている」とミハイロ。

 

ミハイロの話を聞いたイサクは、一瞬考えた後、ベルタに話しかける。

 

「愛する妻よ。娘たちと残れ。私1人で行く」

「私も一緒に行くわ」

 

そう言って、娘たちをミハイロ夫妻に託していくことになる。

 

ディナは嫌がったがタリアを頼むと言って、二人で当局に向かった。

 

一晩中待っていたが、イサク夫妻は戻らなかった。

 

ベルタの胸騒ぎが当たったのである。

 

マリアが訪ねて来て、「噂では、今夜ユダヤ人は…」と話し、村の親戚の家を頼ることにしたというマリアは、タリアも一緒にと申し出る。

 

しかしソフィアは、「姉妹は引き離せない」と断る。

 

家に戻ろうとしたディナを引き留め、皆で朝食を摂っていると、ドイツ兵が屯(たむろ)しているのが窓から見えた。

 

“本日よりユダヤ人は居住区へ”と貼紙が貼られ、多くのユダヤ人の家族が荷物を持ってドイツ兵に誘導されていく。

 

それを目撃したソフィアは、家に戻って子供たちを集めた。

 

「街中にドイツ兵が。今後、外に出るのは禁止よ。窓にも近づかないで。いいわね?…連れて行かれる」

 

子供たちは「分かった」と頷く。

 

ユダヤ人居住区とは、ユダヤ人を強制移住させたゲットーのこと。最大のゲットーは、ポーランドの首都ワルシャワに設けられていた】

 

街では、“ポーランド人とユダヤ人の集会を禁ず”と書かれたビラが風に舞っていた。

 

ソフィアはディナに「あなたたちを隠さないと。ドイツ兵が家探しを。昨日、3軒先まで来た。今日にもここへ」と告げると、ディナはおじに教わった時計の裏の隠れ場所をソフィアに見せた。

 

その夜、ソフィアはミハイロに「ユダヤ人を匿うと逮捕されるって」と話す。

 

「見捨てるのか」

「渡すものですか。ただ怖いだけ」とソフィア。

 

ミハイロはソフィアを慰め、僅かな稼ぎのためにドイツ兵を相手に店を続けると話す。

 

「奴らの醜悪な顔を見ながら歌うのが楽しいと思うか?…心配するな。ディナは大人だ。力になってくれる」

「戦争はいつか終わる?」

「闘うしかない」

 

いよいよドイツ兵が家探しにやって来たので、急いでディナとタリアを時計の裏に隠し、部屋のタンスなどを探して回るドイツ兵の捜索から身を守ったのである。

 

1941年12月

 

外に出たいとゴネるタリアは、ヤロスラワらに止められるが、隙を見て外へ出てしまった。

 

ディナは探しに行こうとするが、代わりにテレサが外へ出ると、ドイツ兵にユダヤ人と疑われ連れて行かれそうになる。

 

そこに、ミハイロの店から帰って来たソフィアが姪だと主張し、家にある出征証明書を見せることになった。

 

突然、ドイツ兵が家に入って来て、部屋の扉を開けたところで、そのすぐ裏で口を押えて隠れるディナ。

 

テレサとヤロスラワのそれぞれが名前を言わせ、出生証明書と照合したドイツ兵はそのまま帰っていった。

 

直後に叫び声が聞こえ、外に出るとネズミに噛まれたタリアを見つけ、家に戻すことができた。

 

ミハイロは店に遅れたことで、支配人から一週間給料はなし、今度遅刻したらクビだと脅される。

 

ミハイロはドイツ将校を相手に、作り笑いをして“リリー・マルレーン”(ドイツの歌謡曲)をギターの弾き語りで歌うのだ。

 

【「リリー・マルレーン」は、出征した兵士が故郷の恋人リリー・マルレーンへの想いを歌ったもの。反ナチの思想を有するベルリン出身の女優、マレーネ・ディートリヒのレパートリーとしても知られ、連合軍兵士の慰問でも歌われていた】

 

タリアが熱を出して苦しんでいるのを見て、ミハイロは外出禁止令の只中で医者の家へ向かって助けを求めたが、応じてもらえず、帰って来るとタリアは既に死んでいた。

 

極限状態の中で、一人の幼女の命が奪われていったのである。

 

 

人生論的映画評論・続: キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩('21)   誰にも奪えない少女のイノセンス