ラブレス('17)   

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<「否認」の「トラウマ」が自我の底層に固着し、感情処理の出口が完全に塞がれてしまっていた>


1  漏れる嗚咽を必死に押し殺す少年


ズビャギンツェフ監督の最高傑作。

英当局によって特定された「在英ロシア人元スパイ毒殺未遂事件」(2018年/有毒な神経剤「ノビチョク」による毒殺未遂)に象徴される、現代ロシアのきな臭い政治状況の心理圧にめげず、これほどの映像を構築する映画作家が存在することに救われる思いを持つ。

ハネケ監督と共に、次回作を最も待望して止まない映画作家である。

この監督の映画を観たら、邦画を観る気が完全に失せる。

感傷過多の邦画界は、何とかならないのだろうか。

―― 以下、梗概。

離婚を前提にした夫婦の毒気満点の会話から起こしていく。

「君は例の件、考えた?」
「何を?」
「女親が引き取るべきだ」
「最低な人ね」
「母親が必要だ」
「あの年頃には父親の方が。あなたじゃダメかもね。寄宿舎なんて、サマーキャンプと同じよ。軍隊に入る時の練習だと思えばいい。私に何を期待してたわけ?また、失敗の尻拭いをさせる気だった?もうゴメンよ。前に進ませてもらう」
「責められるぞ」
「あなたがね。でも誰に?」
ソーシャルワーカーとか児童心理者とか、行政監察官」
「じゃ、自分で引き取れば?」
「母親の方が責められる」
「心配してくれるわけ?優しいこと。ソーシャルワーカーは大喜びでしょうね。子供を救えるんだもの。親がどんなに傷ついていても、お構いなし」
「もう一度、お義母さんに相談を」
「自分の両親の霊に相談すれば?母にはキッパリ断られた。子供を心配していると思った私がバカね。あなたがクビになったら、笑える。子供を施設に送るなんて、キリスト教徒らしからぬ行為。まったく情けない人」
「もう、うんざりだ」
「ムカつく」
「あの子には、いつ?」
「知らないわ。あの子には、あんたが話すの。いつでもどうぞ。今、起こせば?さっさと行って」

妻ジェーニャは夫ボリスを置き去りにし、その部屋を去っていく。

トイレに行き、「話はもう終わりよ」と言い放つ。

あろうことか、リビングの外の扉の陰に隠れ忍んで、両親の言い争いを、一人息子アレクセイが耳に入れてしまった。

口を手で押さえて、漏れる嗚咽を必死に押し殺すアレクセイ少年。

トイレから戻って来ても、両親の激しい言い争いが続く。

「何も言わないで。顔も見たくない!今すぐ、出て行って!邪魔なのよ!」
「俺の家でもある!」
「売れたら、半分あげるわよ!」

遣り切れない映画の、遣り切れない夫婦の、遣り切れない会話の一部始終である。

この遣り切れなさは、この会話を耳にした一人息子・アレクセイの〈生〉を決定づけることで、ピークに達する。

その夜、アレクセイはモスクワ郊外のマンションにある自分の部屋に戻り、泣き続けるだけだった。

この夫婦の会話で判然とするように、二人には愛人がいて、既に、売りに出している自宅マンションに帰宅しない日々を繋いでいた。

夫ボリスの愛人の名は、妊娠中の恋人マーシャ。

妻ジェーニャには、留学中の娘を持つ47歳の恋人アントン。

今や、アレクセイの養育義務を、夫婦のどちらが負うかというテーマだけが喫緊の課題だった。

翌朝、母が作った朝食を、もう食べられないというアレクセイ。

「残りは捨てろとでも?何よ、具合悪いの?」
「違うけど…」
「まあ、いいわ。“ごちそうさま”は?」

この間、母親ジェーニャは、ずっとスマホをいじり続けている。

ノモフォビア(スマホ依存症)を印象づけるほど、スマホを手離せないのだ。

無言で着替え、家を出て、何ものも視界に収めることを拒絶するかのように、階段を走り去っていくアレクセイ。

2012年10月10日の出来事である。

 

以下、人生論的映画評論・続: ラブレス('17)   アンドレイ・ズビャギンツェフ」('17) より

「バスキアのすべて」('10) 

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<「防衛体力」の欠如によって、最強の毒素に壊されていく>

1  「激情的習得欲求」の自由人 ―― その中枢を動かす推進力


「最初は拾ってきた窓に描いていた。窓枠を額縁に見立ててガラスの部分に描く。拾ったドアにも描いた」

ジャン=ミシェル・バスキアの言葉である。

「(絵の説明について)どう説明したらいいか、分らないよ…ほとんど自動的なんだから」
これもバスキアの言葉。

「ほとんど自動的なんだから」と言うアメリカの画家に、絵画のモチーフを問うことは意味がない。

「激情的習得欲求」の自由人 ―― それこそが、バスキアの中枢を動かす推進力になっている。

だから、彼の作品には「無題」が多いのだ。

そのジャン=ミシェル・バスキア

1960年に、ニューヨーク市ブルックリンで、二人の妹を持つ兄妹の長男として生まれ、スラムの臭気とは無縁だった。

ハイチ系移民の父親は裕福な会計士。

プエルトリコ系移民の母親マチルダは、精神を患っていたと言う。

聖書を絵にするほど美術好きの母親が、幼いジャンを美術館に連れて行った。

この恵まれた環境が、ジャン・バスキアを一代のアーティストを育む大きな要因になっていく。

既に6歳で、母の助力でブルックリン美術館の会員になっていたが、7歳のとき、車に撥(は)ねられ、入院中に、母から「グレイの解剖書」(「人体の解剖学」として知られる医学書)を贈られ、バスキアの絵画にその影響を留めている(「無題(頭蓋骨)」)。

翌年、両親が離婚するに至る。

詳細な事情は不分だが、離婚後、精神病院に入院するに至る母親マチルダ精神疾患と関与すると思われる。

父親に引き取られた17歳のバスキアが、「思春期スパート」の洗礼を受け、裕福な環境を自ら捨て去った。

ブルックリンの家を出たのだ。

その行き先は、「ロウワー・マンハッタン」。

マンハッタン島の最南端に位置するダウンタウンである。

多くのギャラリーが集中する「ソーホー」に「拠点」を持つが、殆ど根無し草だった。

このダウンタウンで、スザンヌ・マロックという名の恋人を持ち、彼女のアパートに転がり込み、アトリエとした。

「SAMO」(セイモ)というユニットを作ったバスキアの、天衣無縫な非合法なストリート・アートは、やがて、詩的なグラフィティの制作で名を馳せていく。

でも、なぜ、裕福な環境を捨ててまで、バスキア少年は、バンクシーより遥か以前に、「サブウェイ・ドローイング」(地下鉄の広告掲示板に絵を描く)で知られるキース・ヘリングのように、スプレーペインティングなどで壁に落書きする、ストリート・アートのグラフティの最前線に立ったのか。

恐らく、その性格も相似していたであろう、無名な「画家」でもあった母のDNAを継承したバスキア青年は、父親との折り合いの悪さを「自己解放」する。

多くの青少年がそうだったように、バスキア青年の「一念発起」のルーツは、この辺りにあるだろう。

そこに垣間見える、秀でた父親への承認欲求の情感濃度の高さ。

これは、「ドッグイア―」(変化の激しさ=犬の1年は人間の7年)の如き青春を、一気に駆け抜けた彼の「晩年」に、否が応でも検証されることになる。

しかし、バスキア青年を後押しした推進力が、当時の時代状況のうねりと無縁であったとは、とうてい考えられない。

「70年代後半のNYは不況で犯罪が溢れていた。クスリ中毒者に売春婦にポルノ・ショップ。
当時のNYは怪しい魅力を放っていた。マンハッタンのダウンタウンは、美大生や家出した若者を引きつけた。そうした状況が渾然一体となった暗くドラマティックに輝く世界は、想像とインスピレーションに満ちていた」

映画で語られた、ナレーション含みのブリーフィングである。

感受性豊かな青春が、この渾然(こんぜん)とした時代状況の一角で咆哮(ほうこう)し、目眩(めくるめ)く解放系のスポットを占有するのだ。

 

以下、人生論的映画評論・続: バスキアのすべて('10)   タムラ・デイヴィスより

エレナの惑い('11) 

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<お金の臭気に蝟集し、屯するパラサイト家族は済し崩し的に自壊する>

1  「あなたは夫を案じる妻を見事に演じてる。それが本性よ」


野鳥の囀(さえず)りと犬の鳴き声。

これがなければ静止画像だった。

これ以上、望むべくもないと思われるような、モスクワの高級マンションに、緩やかに、たおやかな旭光(きょっこう)が画面一杯に差し込んできた。

一人のふくよかな中年女性・エレナがベッドから起き、昨日もそうであったような日常が開かれていく。

まるで、フェルメールの室内画のように、絵画的な構図を印象づける。

隣室で寝ている夫ウラジミルを起こし、朝食をとる。

悠々自適な日々を送るウラジミル。

下半身の処理と家政婦を「兼務」する、中年女性の名はエレナ。

エレナのその日の行動を、カメラが追っていく。

団地に住む息子の家族を訪ねるのだ。

「旦那の援助だけが頼りだ」

平然と言い切る息子のセルゲイ。

孫のサーシャの進路の助力を求めたいのだ。

以下、母子の会話。

「あの人の気持ちも察して」とエレナ。
「サーシャを知っているし、他人じゃないだろう、友達も同然だ」とセルゲイ。
「誰にでも優しいけど、社交的じゃないの」
「ケチなだけだろ」
「彼の気分を害したら、それこそ援助は無理よ」
「はっきりさせて。将来がかかってる。大学に入れなければ、軍隊に行けとでも?」
「大学に口利きできる人に、20日までに払わないと。時間がないの」

これは、セルゲイの妻ターニャの言葉。

「相談してみるわ」とエレナ。

そんな会話を残して、自宅マンションに戻るエレナ。

夜になって、夫婦は隣接する別々の部屋で、別々のテレビを観て、就寝する。

いつものように朝がきた。

「メモを読んだ。事情は分った。だが、あの成績では大学は無理だ。軍隊に入るのが一番だと思うが。君の息子の家族を養う義務など、私にはない。冗談じゃない。私は君と暮らしているんだ。君の親族とじゃない。3年前に貸した金はまだ返してもらってないぞ」

ウラジミルの正当な意見に、本音を吐露するエレナ。

「それはそうだけど、息子の事情も考えて欲しい」
「もう甘やかさん。今の状況を教訓に、自分で乗り切ることだな」
「自分の娘にも、その“教訓”を押しつけてみたら?」

どうやら、これがエレナの、それ以外にない稚拙な切り札のようだった。

ウラジミルの癇(かん)に障(さわ)るのは、自明だった。

「娘は関係ないだろ!なぜ、娘のことを持ち出す!…私だって、精一杯努力したさ。でも娘は、母親そっくりになった。楽しいことにしか関心がない。快楽主義者にな」

ここまで激昂した後、涙ながらのエレナの表情を見て、結局、エレナの言う通りになった。

翌日、スポーツジムに通い、トレーニングを行うウラジミル。

ところが、これが裏目に出る。

直前でのエレナとのセックスで、体力を消耗し切ったことが原因か、ウラジミルは心臓麻痺で水泳中に倒れ、救急入院するに至る。

搬送先の病院に、慌ててエレナがやって来た。

「覚えているか?君と、こうして出会った。…戻りたいよ。ここでも、今でもなく、10年前にな。今は、それだけが望みだ。…君は根っからの看護師だ。おかげで助かった。君が看護してくれたから」

このウラジミルの言葉は本音である。

看護師であったエレナと、大富豪のウラジミルが、階級の壁を超えて見知りになり、再婚するに至った心理的経緯が、この言葉に凝縮されていた。

そんな夫婦が今、10年の歳月を経て、今や、穏やかな夫婦生活の印象が、先の二人の会話を通して、階級の壁を乗り越えられず、一方(エレナと息子の家族)が他方(ウラジミル)に完全依存しているというシビアな現実を炙(あぶ)り出していた。

このシビアな現実に大きな不満を持つ女性がいる。

ウラジミルの一人娘であるカテリナである。

エレナから連絡を受け、そのカテリナが父の救急入院を知り、夫を看病するエレナのもとにやって来て、敵対的な会話を繋いでいく。

「カテリナ、お願いがあるの。彼には安らぎが必要よ。愛情を示してあげて。今はそれだけでいいの。あなたたち、めったに会わないでしょ。電話もしないし、よくないわ。今回のことは…」

この会話は、エレナから開かれた。

「親不孝な娘の罪ね…いいこと、エレナ。あなたは夫を案じる妻を見事に演じてる。それが本性よ」

いきなり、最も言いたいことを、カテリナは言い放つ。

「愛してるわ」
「死んだら忘れるくせに。元看護士だからって、上から目線で、お説教?ほっといて」
「お父さんが、気の毒だと思わない?」
「答えは、“クソ喰らえ”よ」

この発展性のない会話の後、エレナは正教会で祈りを捧げる。

一方、父の病室を見舞ったカテリナは、その自堕落な性格を露わにする。

「私の娘だとは思えん時がある」

辛辣な父の言葉である。

「その目が節穴でよかった。自慢の娘になれなくて、最高に幸せよ。パパは、お金が唯一の生きがいだった」
「そうやって、私の人生を査定するつもりか?金は大切だ」
「そうでもない」
「自分が稼がないから、そう言えるんだ」
「私を甘やかしたせいよ。何もかも与えて」
「責めているのか」
「いいえ。これからもよろしく」

「依存的自由」を謳歌する娘と、それを放置し、悔いを残す父との会話は、恐らくいつものように、諧謔に流して閉じていく。

以下、人生論的映画評論・続: エレナの惑い('11)   アンドレイ・ズビャギンツェフ より

「スポットライト 世紀のスクープ」('15)

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<ジャーナリズムの役割とは何か ―― 「記事にしない場合の責任」を衝く大傑作>

 

1  「カトリック教会の性的虐待事件」の真実を剔抉した、緊張感漲る真摯な映像


ニューヨーク・タイムズ社の傘下に入った「ボストン・グローブ」社。

150年の歴史を持ち、ボストンで最大の部数を発行する日刊紙である。

2013年に、この「ボストン・グローブ」が、親会社のニューヨーク・タイムズの経営方針によって、MLBの名門であるボストン・レッドソックスのオーナーに売却することが発表されたが、センセーショナルな報道内容で、2003年にピューリッツァー賞の公益報道部門を受賞した功績は、今でも変わらぬジャーナリズム精神で、ボストン市民に読まれ続けている事実によって検証されるだろう。

ピューリッツァー賞を受賞した報道の内実は、ただ一点。

常に現在的テーマになっている、「カトリック教会の性的虐待事件」の真実を剔抉(てっけつ)したこと。

思うに、このテーマは、ボストンでは禁忌だった。

マサチューセッツ州ボストンには、1840年代後半に惹起した「アイルランド・ジャガイモ飢饉」で、アメリカに移民して来たアイルランド系と、その後のイタリア系移民が多く、当然、その宗教的風土はローマ・カトリックが主流を占める。

カトリックの人口比が、全米平均で約20%に過ぎないにも拘らず、ボストンの場合、その人口比が約50%と言われている。

更にボストンは、13植民地(アメリカ大陸のイギリス植民地で自治を実行)の中で、植民に成功したバージニア植民地(1607年設立)と共に、「プリマス植民地」(1620年設立)をルーツに持ち、アメリカ合衆国で最も古いエリアであるニューイングランドにあって、「ニューイングランドの首都」と称されるほど、アメリカ合衆国北東部の6州(北から南へメイン州ニューハンプシャー州バーモント州マサチューセッツ州ロードアイランド州コネチカット州)の中枢都市である。

治安も良く、米国内でも最も安全な都市の一つとされる歴史的な地域で、あってはならない犯罪が惹起した。

「神の代理人」である神父による児童虐待事件の発覚である。

それを報道する「ボストン・グローブ」。

その衝撃は、多くのボストン市民の心を痛めた。

しかし、その報道は見紛(みまが)うことのない事実だった。

それでも、ボストン市民は「ボストン・グローブ」を読むことを止めない。

信頼されているのだ。

以下、「ボストン・グローブ」の「スポットライト」のチームによって暴き出された実話を、緊張感漲(みなぎ)る真摯な映像をフォローしながら再現していきたい。

以下、人生論的映画評論・続  スポットライト 世紀のスクープ('15)   トム・マッカーシー より

裁かれるは善人のみ('14) アンドレイ・ズビャンギンツェフ

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<「聖」と「俗」が共生すれば最強の「正義」になり、頑固な抵抗者を完全解体する>


1  途轍もなく、観る者に迫ってくる映像の峻厳さ


寒風吹きすさぶ、バレンツ海に面する、ロシア北部の入り江のある小さな港町。

自動車修理工場を営むコーリャは、若い妻リリア、亡妻との間に生まれた息子ロマと共に、住み慣れた家で質素に暮らしている。

一方、1年後に選挙を控えた権力的な市長ヴァディムは、大規模な土地開発計画のため、自らが掌握する力を誇示し、ごり押し手法で、コーリャの土地を廉価(れんか)で買収しようと画策し、プレッシャーをかけていく。

「自分の人生のすべてだ」

そう吐露し、土地買収のための取り壊しを厳(げん)として拒絶する、コーリャの中枢にある感情の強さは、祖父の代から継いでいる住処(すみか)が、都市での生活を望むリリアと切れて、彼のアイデンティティそのものだったからである。

そんなコーリャが、行政に対する強硬な態度に抵抗し、軍人時代の後輩・ディーマを頼り、モスクワから呼び寄せる。

裁判に持ち込むための援助行動に踏み入っていくディーマの存在は、法的抵抗力を持ち得ないコーリャ一家にとって、誰よりも頼り甲斐がある男だった。

ディーマの戦略は、過去に犯した市長の悪事の情報を世論に公開するという、古典的な恫喝手法。

この恫喝に怯(おび)え切ったヴァディム市長が全人格的に頼るのは、ロシア正教会の司祭のみ。

この関係は、行政(権力)と宗教(権威)の癒着(ゆちゃく)の構図を端的に示している。

これが巨大なパワーに膨張するモメンタムは、法的抵抗力を持ち得ない弱者にとって、威圧的なモンスター以外ではなかった。

だから、このモンスターとの闘いの澱んだ風景は、絶望的に振れていくネガティブな情態を露わにするばかり。

人間の脆弱性・非力さ・邪知深さ・そこに依拠するしかない「聖なるもの」の不在、そして、生きとし生けるものを威圧するほどに映像提示された、圧倒的な自然の凄み。

それらを、ここまで描き切った映画の根源的メッセージに触れ、脱帽した。

肥大化した権力と闘う圧倒的弱者・コーリャと、その家族・友人らの運命の苛酷さ。

全知全能の唯一神によって、峻烈(しゅんれつ)な試練を被弾し続けて復元したヨブのように、映画の主人公もまた、サタンに唆(そそのか)されて、未知のゾーンに放擲(ほうてき)され、課せられた「試練」に如何に向き合い、膨れ上がった煩悶を解き放つことが、どこまで可能であったか。

途轍もなく、観る者に迫ってくる映像の峻厳(しゅんげん)さ。

言葉を失うほどだ。

 

以下、人生論的映画評論・続: 裁かれるは善人のみ('14)   アンドレイ・ズビャンギンツェフより

「浮世絵革命」のアーティスト ―― 「画狂人」北斎の「激情的習得欲求」が炸裂する

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1  享楽する町人文化 ―― 浮世絵は我が国特有の絵画文化の結晶である

 

大和絵」という、絵画の様式概念がある。

中国風の絵画「空絵」(からえ)の影響を受けた新様式の日本画に対して、「源氏物語絵巻」に代表される、平安文化の時期に発達した伝統的な様式による絵画 ―― これを「大和絵」と呼ぶ。

この「大和絵」の流れを汲み、武家の支持した漢画系の狩野派とは対立するが、様式の創造的な展開のために、その狩野派を筆頭に土佐派、洋画派などの他派の絵画性向を吸収・消化し、当代の風俗を描いて江戸庶民の心を掴み、発展していった絵画のジャンルとして歴史に名を残す、総合的な絵画文化がある。

言うまでもなく、浮世絵である。

この絵画文化には、手描きの「肉筆浮世絵」もあれば、1765年に誕生した、版元、絵師、彫師、摺師という、複雑な工程の分業体制によって完成された浮世絵木版画である「錦絵」もある。
当初は遊里(遊郭・花魁)を主なテーマにしていたが、次第に、美人画、役者絵、風景画、花鳥画、芝居絵、名所絵、春画など、多岐の分野に広がっていった。

手描きの「肉筆浮世絵」は一点ものなので高価であるが、木版画は、多く摺り上げることができるので安価であった。

だから、後者は、当時の江戸庶民の需要を充分に満たし、現在の「クールジャパン」(漫画・ アニメ文化)を彷彿(ほうふつ)させて、爆発的に売れていく。

性的な描写だけでなく、ユーモア(「笑い絵」)も溢れていたので、春画の人気は、18世紀後半以降の江戸時代にピークを迎える。

武士も庶民も大らかに楽しんでいたのだ。

我が国特有の絵画文化の結晶である浮世絵は、19世紀後半、1862年ロンドン万博、67年パリ万博、73年ウィーン万博を起点に、純粋に視覚的な造形を求めていたヨーロッパの画家たちの心を捉え、フランスを中心に欧米諸国で日本美術ブーム、即ち、「ジャポネズリー」(日本趣味)を吸収した「ジャポニスム」(仏語)を興す。

自身の絵画の背景にまで取り入れるほど浮世絵収集で際立ち、クロード・モネが憑かれた「ジャポニスム」は、幕末期に最晩年の歌川広重が制作した、江戸末期の名所図会の集大成「名所江戸百景」(119枚の図絵)をゴッホが模写するなど、印象派アール・ヌーボーに影響を与えるが、アンリ・マティスアンドレ・ドランらによって興された20世紀最初の絵画革命、即ち、感覚重視の「フォービズム」(野獣派)などの前衛美術の出現によって、1910年代に終息するに至る。

50年続いたとしても、文化は根付かなければ、単なるブームで終わってしまうのである。

これは、クールジャパンでも同じこと。

単なる「点」でしかない「ブーム」と、「線」として発展的に継承されていく「文化」とは異なるのである。

日本の「浮世絵文化」は多様性を内包しつつ、江戸から幕末・明治にかけて、一つの太い幹を有する「線」として発展を遂げた紛れもない「文化」であった。

それでも、欧米の美術運動に大きな刺激を与えた歴史的事実を否定すべき何ものもない。

浮世絵の確立者・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)、錦絵誕生に決定的な役割を果たした浮世絵師・鈴木春信(美人画)、鳥居派の代表的な絵師・鳥居清長(美人画)、喜多川歌麿美人画)、東洲斎写楽(役者絵)、葛飾北斎、歌川派の天才絵師(広重、国芳)など、錚々(そうそう)たる絵師の名が並ぶが、いずれも絶大な人気を博す個性派である。

中でも、鈴木春信は彫り師との協力の下、菱川師宣が制作した墨一色の「墨摺絵」(すみずりえ)をルーツに、そこに紅・緑などの色版を摺り重ねて到達した「紅摺絵」(べにずりえ)によって、極彩色で摺った「錦絵」を誕生させた革命児であった。

この精緻を極めた美の極致・「錦絵」技法の出現こそ、浮世絵の完成形であると言っていい。

美の極致・多色刷り版画の「錦絵」こそ、西洋人に特に大きなインパクトを与えた技法である。

北斎の師であり、江戸中期の浮世絵師・勝川春章(かつかわしゅんしょう)が晩年に描いた肉筆の美人画は、女性表現の描写の精緻さ・優美さ・純度と、その芸術性の高さにおいて、他の絵師と一線を画すと言える。

「春章の肉筆画がみせる描写の細かさは、(略)女性の毛髪の一本一本、また着物の模様のひとつひとつに執念的ともいえる意欲を注いだ春章の、みずみずしい『生』の表現」

このように、春章の肉筆画を絶賛するのは、出光美術館学芸員の廣海伸彦さん。

勝川春章もまた、その画業の全盛期において、肉筆の美人画を極めた「浮世絵美人画」の極北であった。

そして、美人画の大家・喜多川歌麿

写楽と共にプロデュースし、その歌麿の浮世絵の出版で知られる、吉原生れの江戸時代の版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう=「蔦重」)。

江戸幕府10代将軍・徳川家治側用人田沼意次(おきつぐ)が断行した積極経済政策(重商主義政策)によって、「賄賂政治」が横行しつつも(それを否定する論考もある)、前代の緊縮財政策(吉宗による「享保の改革」)の閉塞感を払拭したの開放的な世情(せじょう)の中で、蔦重が担った出版業隆盛の時代の波動が、曲亭馬琴(きょくていばきん)、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)という無名の読本作者・戯作者ばかりか、写楽歌麿北斎らの浮世絵師の逸材を世に出した、当代髄一の版元だった。

しかし、出版界の天下を取った蔦重の開放的な気風は、田沼意次の失脚後に断行された、老中首座・松平定信による幕政改革(「寛政の改革」)の緊縮財政策のターゲットになる。

浮世絵師でもあった山東京伝(さんとうきょうでん)の洒落本が禁令に触れ、手鎖(てぐさり/両手に手錠をかけられ謹慎処分)50日の処罰を受け、それを出版した蔦重も、風俗矯正政策に抵触した罪で財産半減の処分を受ける。

この時代の変動は、喜多川歌麿をも襲っていく。

美人画の大家と称されながら、生年、出生地など出自が不明な歌麿は、蔦重の強力なサポートを得て抜きん出た才能を発揮し、独自な画風を確立させていく。

女性の肌の質感・微妙な心理・感情をも描き出す歌麿の精緻な画風は、全身を描かず、慣例打破とも言える、上半身をクローズアップさせる「大首絵」(おおくびえ)の手法を生み出し、一時代を画すに至る。

しかし、「浮世絵美人画」を極めた感のある歌麿芸術の影響力の強さが、質素・倹約を江戸町人に求める幕府の風紀取締りの禁令に抵触し、歌麿・蔦重に対する権力の圧力が強化されていく。

それは、「浮世絵」という、我が国独自の文化が、体制に対峙する一つのメディアとして立ち上げられた現象を意味する。

いよいよ強化する幕府の圧力に対し、江戸町人の遊び心の代表格のような、なぞなぞ絵解きの「判じ絵」(絵を読み解く遊び)などで対抗していたが、それでも、美人画を描き続ける歌麿が幕府権力に狙い打ちにされるのだ。

秀吉の晩年に催した花見の宴・「醍醐の花見」を題材にした、浮世絵(「太閤五妻洛東遊観之図」)を描いたこと。

秀吉の遊興が、時の将軍への揶揄と見做(みな)されたのである。

極端な思想統制令によって、定信が課したペナルティは、浮世絵黄金時代を構築した蔦重と同様に、手鎖50日の処罰。

1804年5月のことである。

当然、経済・文化の停滞が顕在化するのだ。

しかし、歌麿が被弾した処罰は、ほぼ過半の財産没収と手鎖処罰を受けても挫けず、次代を担う作家の養成に取り組み、不屈の町人魂を生き切った蔦重と切れ、心身ともに憔悴(しょうすい)し切り、罹患する。

48年の決して長くない人生を生きた蔦重と、遂に再起できなかった歌麿の54年の人生に、いかほどの差異があるのか。

それは、誰も分らない。

ただ、写楽らと共に、浮世絵黄金時代の渦中で、極限的な芸術表現を具現した歌麿の54年の後半生において、勝川春章の肉筆の美人画の芸術性と比肩し得るに足る、作画の表現力の高さは認めざるを得ないだろう。

そして、蔦重がプロデュースした謎の絵師・東洲斎写楽

1年にも満たない期間に、役者絵などの作品を版行したのち、忽然(こつぜん)と画業を絶った男については、今でも侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が絶えないほどだが、版木に膠(にかわ)をつけて紙に摺り、雲母(うんも)の粉をかけ、画面に輝きを与える技法・雲母(きら)摺り(YouTube参照)の手法による、「役者大首絵」をリアルに描出した写楽の画業の凄みは時代を超えていく革命性を有する。

しかし、残念ながら、私の心奥に鏤刻(るこく)する何ものもない。

それにしても、葛飾北斎

この絵師だけは別格だ。

あらゆる意味で、「全身・画業」で生き切った、寄せ付ける何ものもない独立峰なのだ。

稿を代えて、「画狂人」北斎に言及したい。

以下、心の風景: 「浮世絵革命」のアーティスト ―― 「画狂人」北斎の「激情的習得欲求」が炸裂するより

「傍観者効果」の心理学、或いは、「傍観者」の心理学 ―― その内的メカニズムのリアリティ

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1  38人の目撃者がいながら、キティはなぜ強姦され、殺されたのか


その事件は、決して治安の良くないニューヨークで起こった。

1970年代・80年代に、高い犯罪率が常態化したアメリカ社会において、ニューヨークは、最も暴力的で危険な都市のイメージを有していた。

ニューヨーク市における犯罪の減少と秩序維持ポリシング」という論文によると、1990年代にピークに達する犯罪率は、「ヒッピー文化」を包括する「カウンターカルチャー」の拠点の一つとなったニューヨークの60年代後半には、70年代・80年代に比較すると、それほど高くないのである。

このデータには驚かされたが、多くの若者たちは、「カウンターカルチャー」への自己投企でストレスを発散していたことで、相応のアイデンティティを確保していたということか。

しかし、1964年に惹起したこの事件は、「カウンターカルチャー」の文化の突沸(とっぷつ)とは無縁だが、ニューヨークの治安の悪さとは、少なからぬ関係があるだろう。

「キティ・ジェノヴィーズ事件」。

メディアは、この陰惨な事件をそう呼ぶ。

深夜に自宅アパート前で、一人の女性が殺害された事件であるが、事件の異様性は、そこにはない。

多くの目撃者(38人と言われるが、正確な人数は分からない)がいながら、誰一人、援助行動に振れなかったという一点にある。

この現象が、「リンゲルマン効果」(「社会的手抜き」)と呼ばれる、人間の集団心理の陥穽(かんせい)を炙り出しているので、特定の国家内で起こる事態の範疇に収斂されない、一種、普遍的な人間の心的現象を発現すると言える。

それは、「特定の状況下」で起こる人間の集団心理の陥穽である。

―― 以下、Wikipediaの情報をベースに、事件の概要を詳述していく。

中産階級の人々が多く住む、ニューヨーク市クイーンズのキュー・ガーデン地区。

この閑静な住宅地が事件の発生地である。

被害者はキャスリーン・ジェノヴィーズ(通称キティ)。

28歳の自立的な女性である。

車通勤する別地区で、バーのマネージャーとして明け方まで仕事をしていたキティが、理不尽な事件に遭遇したのは、彼女が帰宅し、自宅アパート近くの駐車場に車を停めた時だった。

駐車場にいた怪しい男にキティが気付い時は、もう遅かった。

瞬く間(またたくま)に追い詰められ、背中をナイフで刺され、重傷を負ってしまう。

アパートまで僅か数十メートルの距離だった。

この時点で致命傷ではなかったキティが、悲鳴を上げ、助けを求める。

アパートの幾つかの窓に明かりが灯った。

住人の一人が窓を開け、ジェノヴィーズを離すように、男に怒鳴った。

この行為を、援助行動であると看做(みな)しても特段に問題がないだろう。

だから、男が怒鳴った住民を見上げ、肩を竦(すく)め、ジェノヴィーズから離れ、駐車場の自分の車まで歩いて行く。

ここまでの経緯だけを見れば、この犯罪が、よくある殺傷事件として処理され、記録にも残らないで風化していくはずだった。

しかし事件は、これで終わらなかった。

静寂に包まれた空間に、キティの嗚咽だけが反響する。

不思議なのは、キティが傷を負っている事態が想像できるにも拘らず、誰もキティの傍に寄り添う行動に振れなかったことである。

アパートの住人の誰一人として、キティへの、ごく普通のアウトリーチを身体化しなかったのである。

アパートの住人の援助行動が、男を怒鳴り、退散させた先の行為のみに封じてしまったこと。

従って、警察に通報した者が一人もいなかった事実が示すように、アパートの住人の援助行動は限定的であったというよりも、静観し、見て見ぬ振りを決め込んでしまったのだ。

次々と明かりを消した時点で、住人たちは目を閉じ、耳を塞いでしまう。

厄介なのは、この事態を、犯人の男、即ち、29歳の黒人のモーズリーは想定していたことである。

アパート内に複数の男が住んでいても、アパートの住人はバラバラで、強い結束力で対応できない事態を読んでいたのだ。

かくて、重傷を負ったキティが、犯行現場に置き去りにされた。

モーズリーは向きを変え、激しい痛みと朦朧状態の中で、自分の部屋に帰ろうとしたキティを刺し続けた。

再度、キティの悲鳴が、異様な静寂のスポットを劈(つんざ)く。

アパートの明かりが灯った。

そんな渦中で、車で立ち去ったモーズリーはUターンし、キティの首などを刺し続け、致命傷を負わせた。

アパートの住人が警察に通報した時には、既にキティは絶命していた。

三度、現れて、凶行に及んだたモーズリーの異様な行動に、言葉を失う。

モーズリーは、なぜ戻って来たのか。

レイプするためだった。

意識朦朧のキティをレイプしたモーズリーは金を奪い、そのまま逃走した。

この間、30分。

冷酷非情な犯罪が終焉し、抵抗力を持ち得ない女性の遺体だけが曝された。

結局、最後まで、28歳の女性に対する強姦・殺害事件の現場を目の当たりにしながら、彼女への援助行動は発動されなかった。

Wikipediaによると、このように記述されている。

「38人の目撃者とされた人の中には、声を聞いたけれど何も見えなかった人、犯人は見ずにキティが歩き去る姿だけを見た人、すぐに警察に電話をしたが『すでに連絡を受けています』と言われた人(警察の記録には残っていない)などがいた。事実、当時の報道を疑問視する調査が事件40周年以降発表されている」

また、「キティ・ジェノヴェーゼ事件Murder of Kitty Genovese (アメリカ)」というサイトによると、ここまで克明に書かれている。

6階に住むサミュエル・コシュキンは警察に通報しようとしたが、妻がこれを諌(いさ)めた。

「もう誰かがとっくに通報してるわよ。あまり関わらない方がいいわ」

しかし、実際には、まだ誰も通報していなかった。

その頃には、男は現場から立ち去っていた」

更に、こういうエピソードもあったそうだ。

「最初に警察に通報したのは、キティと同じアパートに住むカール・ロスだった。

午前3時50分頃のことだ。

「うちのアパートの裏口で女性が倒れている。負傷しているようだ」

ところが、その前にロスは友人に電話を掛けて、自分はどうするべきかと訊ねていたのだ。

その前にさっさと通報しろよ。人が死にかけているのだよ。緊急を要するのだよ」

「38人の沈黙」の実態は、前述したように、特定の国家内で起こる事態の範疇に収斂されない、一種、普遍的な人間の心的現象を発現させているように思われる。

「38人の目撃者、警察に通報せず」

事件の2週間後、ニューヨーク・タイムスが掲載した記事のタイトルである。

事件時に、部屋の明かりを灯した人々の数字 ―― それが「38人」という言葉に特化され、禍々(まがまが)しい強姦・殺害事件の「記号」となっていった。

この「記号」に収斂される事件が、映画にもなった。

2015年に、「38人の沈黙する目撃者」というタイトルで、ドキュメンタリー映画として公開されたのだ。

キティの弟が、当時の目撃者を訊ねて、話を聞いて歩くドキュメンタリー映画である。

残念ながら、この映画は未公開で、その著「38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相」(A・M・ローゼンタール著)も未読なので、Wikipediaなどの与えられた情報などを参考に言及したい。

【因みに、ローゼンタールの著書の内容が、映画のリアリティと比較して、その「真実性」において、評価が極端に低いので読むのを諦念した】

事件から6日後、モーズリーを逮捕・起訴した結果、一審で死刑を宣告されたものの、二審では終身刑となった。

その後、モーズリーは、18回に及ぶ仮釈を執拗に求めて、拒否され続け、2016年3月28日に、ニューヨークのクリントン矯正施設で、81歳で獄死するに至る。

「発見者はすぐ窓を締めて寝るだろうと思ったし、その通りになった」

逮捕前にも多数の強姦と、二件の強姦殺人を犯していた、モーズリーの物言いである。

モーズリーは、自らの経験則として、「傍観者効果」の心理を理解していたのだ。

ここが本稿のコアであるが、「傍観者効果」の心理学に言及する前に、Wikipediaで紹介されている「滋賀電車内駅構内連続強姦事件」について言及したい。

以下、心の風景: 「傍観者効果」の心理学、或いは、「傍観者」の心理学 ―― その内的メカニズムのリアリティ」より