アルプススタンドのはしの方('20)   迸る熱中に溶融する「しょうがない」の心理学

1  「頑張ってたんだけど、結果としてさ、上演できなければ意味ないもの。だから、そこまでのもんだったんだって。しょうがない」

 

 

 

埼玉県立東入間高校の夏の高校全国野球大会の一回戦。

 

強豪校との対戦で、夢の甲子園球場に、バスで応援に駆り出された生徒たちが、必死に声援を送っている。

 

演劇部に所属する安田あすはと田宮ひかるも、アルプススタンドの端で観戦しているが、犠牲フライの意味も分からず、頓珍漢な会話をしている。

 

そこに、元野球部の藤野が遅れてやって来て、一番端の方に座る。

 

5回裏のグランド整備の時間となり、藤野も交えて3人の会話が始まるが、そこに、今年赴任して来た英語教師の厚木が、「もっと前の方で応援しろ」と、離れ離れに座っている生徒たちに熱く呼びかけるのだ。

 

一人ポツンとアルプススタンドの後方に立っている、帰宅部の宮下恵にも声をかける厚木。

 

「皆と気持ちを一つにして、一生懸命、声を出す。そうやって友情が深まるんだよ。それがベースボールの醍醐味だよ」

 

厚木は端に座る3人のところにもやって来て、いきなり藤野を応援団長に指名する。

 

安田は、まだ一回戦にも拘らず、夏休みに応援に狩り出され、野球だけ特別扱いされていることへの不満を、田宮にぶつける。

 

「野球部の人って、何か偉そうじゃない?『俺、野球部です』けどみたいな。嫌いだわぁ。野球部ってだけで自動的に嫌い」

「藤野君、野球部だよね?」と田宮。

「え?」

「今、それ言う?」と藤野。

「いやあれよ、嫌い嫌い言っといて、内心、実は好きなんだよ」

「てか、俺もう野球部じゃないし。辞めてるし。だいぶ前に」

「そうなの?」

「偉そうにするよな、野球部の奴って」

「うん、園田君とか」

「園田君って、ピッチャーの?そうかな」

「ちょっとプロのスカウトに目つけられたくらいでな」

 

今度は演劇部の話題となり、安田が脚本を書き、関東大会まで行ったことを話すが、田宮はその話には乗らず、落ち着かない様子。

 

5回裏のグランド整備の時間で、田宮が飲み物を買いに行き、藤野と安田は受験の話となる。

 

「でもさあ、高校3年の夏って、こんななのかな」と安田。

「どんななの?」と藤野。

「もっと、何か、青春みたいなさ」

「青春って何なの?」

「何だろ。まあでも、甲子園は青春なんじゃない」

「演劇はさ、青春じゃないの?関東大会出たんでしょ?」

「厳密に言うと、出てはない。本番、部員がインフルエンザ罹(かか)っちゃってさ。出れなかったんだよね」

「それは悔しいね」

「まぁ、しょうがないよ」

「でも、脚本書いてさ、頑張ってたんでしょ?ちゃんと評価してもらいたかったんじゃないの?」

「頑張ってたんだけど、結果としてさ、上演できなければ意味ないもの。だから、そこまでのもんだったんだって。しょうがない」

 

そこに、また厚木がやって来て、応援しない二人を怒鳴りつけ、説教に及ぶのだ。

 

「まったく分かってない!いいか、人生ってのは送りバンドなんだよ。バッターは塁に出られないよね。バッターが気持ち込めてプレーすることで初めて、ランナーが走ることができるんだよ」

「でも、さっきは空振り三振って言って…」

「バカ!応援だっていっしょだぞ。お前らが腹から声を出す。それが、選手たちの力になるんだよ。なあ、宮下」

 

スタンドの後ろの宮下に向かって、言葉を放つ厚木。

 

そんな熱血教師の厚木は、「お前、演劇部だから、腹から声を出せ」と安田を促すが、逆に安田に指摘されてしまう。

 

「あの、それ、腹から出てませんよ。完全に喉から出ちゃってるんで、それずっとやってたら、喉痛めますよ」

 

案の定、「頑張れ!」と大声を出して咳き込み、喉を痛めてその場から去って行く厚木。

 

そこに戻って来た田宮が、厚木が血を吐いていたと聞き、「野球部の先生って大変だね」と言うと、安田が厚木は茶道部の顧問であることを明かす。

 

気がつくと、宮下がいなくなっていた。

 

今度は、宮下についての話題となる。

 

宮下は常に学年トップの成績だったが、最近、吹奏楽部の部長の久住智香(くすみちか)に一位の座を奪われたらしい。

 

「でも、宮下さん、どう思ってるんだろ。高校入って、初めて負けたんでしょ?」と田宮。

「気になるよね。でも宮下さん、話しかけづらいオーラ出てるから」

 

自販機でお茶を買い、独りぼっちでいる宮下に気を使って声を掛ける厚木。

 

「あの、すみません。無理させてしまって。気使ってますよね。あたしがいつも一人でいるから。友達、いないといけませんか?」

 

そこに吹奏楽部の久住たちがやって来て、立ち所に離れていく宮下。

 

再び、アルプススタンドでの安田たちの会話。

 

「外野の人って、いる必要あるの?」

「エラーしたときとか」

「最悪じゃん」

 

そこで、藤野は矢野の話を始める。    

 

「今も、ベンチに座ってると思うんだけど、試合に出ることなんて、まずないんだよ」

「なんで?」

「下手だから」

「はっきり言うね」

 

藤野は、矢野のバッティングのスイングと、本当のスイングを必死にやって見せるが、二人には違いが分からない。

 

宮下がトイレから出て来ると、久住ら吹奏楽部の3人が目の前を歩いて来た。

 

その一人が、宮下に、この前の模試の結果を残念だったと声をかける。

 

「知らなかった。順位とか、確認したことなかったから」と宮下。

 

それだけだった。

 

試合が動き、園田が連続ヒットを打たれ、スコアは3対0となった。

 

安田と田宮がゴミを捨てに行くと、宮下が野球部だった藤野に話を聞いてくる。

 

「園田君って、野球以外に何が好きなの?」

「直接聞いたらいいじゃん。よくそれ、聞かれるんだけど、ないと思うよ。野球のこと以外、考えてないヤツだから」

 

田宮が戻って来て、試合の様子を聞く。

 

ツーアウトランナーなしで、園田に打順が回ると、吹奏楽部の演奏する曲が変わり、田宮が「(園田は)この曲が好き」と吐露する。

 

藤野が園田も好きだと言うと、立ち上がって去ろうとしてた宮下が、また椅子に座った。

 

そこで、田宮が園田と久住が付き合っているという話になる。

 

「久住さん、張り切ってるな…あの二人、付き合ってんだよ」

 

驚く藤野に対し、田宮は必死で、この話を否定する。

 

それを聞いた宮下は、落胆のあまり、腰が抜けて歩けなくなり、田宮と藤野に担がれて運ばれていく。

 

宮下の感情が透けて見える。

 

その宮下に、藤野が好意を持っていることが、序盤のシーンで明らかにされている。

 

ここで、園田と久住の関係が、映像提示される。

 

園田はヒットを打つが、久住は暗い表情でLINEのやり取りを見ている。

 

久住は試合前にコメントを入れ、電話をしてもいいかと聞くが、断られ、その後のメッセージへの反応もなかった。

 

一人戻っていた安田の元に、田宮が宮下の飲み物を取りに来た。

 

宮下が体調を崩したことを聞き、安田も行こうと言うが、田宮は大丈夫だと引き止める。

 

「あのさ、そういうの、もう止めない?そういうにされたらさ、逆に申し訳ないし」

「別にそんな…」

「別にいいじゃん、もう。半年以上経ってるんだし」

「いや…」

「別にひかるのせいじゃないじゃん。インフルエンザなんかさ、罹るときは誰でも罹るもんだし」

「でも…」

「もし私が罹ってたら、ひかるは私のこと責める?」

 

横に首を振る田宮。

 

「でしょ?だからさ、しょうがないんだって」

「でも、せっかく頑張ったのに」

「人生はさ、送りバントなんだって」

「どういう意味?」

「だから、自分が活躍できなくても、諦めて、他の人の活躍を見てろってことじゃない。ひかるもさ、早く、気持ち入れ替えてやって行こうよ。受験勉強とかさ。大事なこと、もっといっぱいあるんだし。もう止めよう。そういうの引き摺んの」

 

ここで、田宮がインフルエンザに罹患したことで、関東大会に出場できなかったことが明かされ、そのことが田宮の心の傷になっているようだった。

 

そこに藤野が飲み物を取りに戻って来て、無言だった田宮は、自分が行くと言って去って行く。

 

「こんな田舎の公立高校がさ、甲子園常連校と戦うっていうのが、まず無茶だよね」

「だいぶ」

「しょうがないって思って、受け入れなきゃいけないことってあるよね」

「うん、あると思う」

「藤野君はさ、何で野球止めたの?」

「矢野って、すっげぇ下手なんだよ、野球。下手だから、試合なんか出られるわけないんだよ。でもまあ、出られるわけないのに、すっげぇ練習すんの。俺、それ見て、何でそんなに練習するんだと思って。俺はさ、ピッチャーじゃない。だから、園田がいると、試合で投げられることなんて、まずないんだよ。どんな頑張っても。でも、最初の頃はさ、頑張って、こいつに負けないように頑張ろうって思ってたんだけど、もう、全然違くて。同じ練習してても、あいつばっか上手くなるんだよ」

「ムカつくね」

「だから、俺は野球止めた。矢野は続けてるけど。俺の方が正しいよな」

「うん。正しいと思う」

「だよな。3年間練習しててもさ。試合にも出られない。誰からも褒められない。それだったらさ、別のことやって、その時間使った方が有意義じゃん」

 

二人の会話には違和感がないようである。

 

  

人生論的映画評論・続: アルプススタンドのはしの方('20)   迸る熱中に溶融する「しょうがない」の心理学 城定秀夫  より

歓待('10)  群を抜く、「決め台詞」と叫喚シーンを捨て去った映像 ―― その鉈の切れ味

1  「大事なのは、腹割ることです。僕は、奥さん、助けたいんですよ」

 

 

 

下町の河川敷に建てられたみすぼらしい破(やぶ)れ屋。

 

人の気配はない。

 

そんな下町で印刷業を営む小林家には、主人の幹夫(みきお)と妻・夏希(なつき)、そして前妻の娘・エリコと出戻りの妹・清子(せいこ)が住んでいる。

 

父の三回忌の法事から帰ると、町内会の敏子が、「犯罪防止キャンペーン」の回覧板を持って、幹夫のところにやって来た。

 

「ほんと、増えてるらしいんで。空き巣とか犯罪。ほら、外国人のとか。危ないんですよ」

「本当ですかぁ?」

「知らないけど、そうなんじゃないんですか」

 

更に、ホームレスが増えている河原(先の河川敷の破れ屋)の美化運動の署名を求められ、幹夫はサインする。

 

エリコは、最近いなくなったインコのピーちゃんを探す張り紙を幹夫に印刷してもらい、清子と一緒に町内会の掲示板に貼りに行く。

 

その直後、一人の男がその張り紙を剥(は)がし、小林家を訪ねて来た。

 

駅の広場でインコを見たというその男は、かつて、小林印刷に資金援助してくれた資産家の加川の息子、加川花太郎であると名乗る。

 

それは、あまりに唐突だった。

 

従業員の山口の体調が悪いために、この加川が住み込みで働くことになったのだ。

 

町内会の見回りから帰って来た清子が、幹夫に不服を言う。

 

「ずいぶん急じゃない」

「今のアパートが立ち退きで、部屋探してるらしいんだよ、ちょうど。あれ、嫌?」

「いいけど、相談してよ。私だってこの家住んでるんだから」

「ああ、ごめんな」

「あたしの部屋だって、勝手に夏希ちゃんの部屋になってるし」

「だって、2年で戻って来るって思わないだろ、普通」

「でも、女住まわせるなら、一言あってもいいんじゃないの?普通」

「女とか、言うなよ…」

 

山口の入院見舞いの帰りに3人でスーパーに寄ると、幹夫は生後8か月の子供を連れた元妻・章江(あきえ)とばったり出会(でくわ)す。

 

久々に再会したエリコは章江の家へ行き、小林と夏希が家に戻ると、突然、外国人の女性がタオルを巻いた姿で風呂から出て来た。

 

これも唐突だった。

 

加川が帰って来ると、彼女は妻のアナベルで、ブラジルから来日して5年になり、サルサラテン音楽)のダンスを教えていると、夕食の団欒の場で、加川は小林家の一同に紹介する。

 

章江が送りに来たエリコを、幹夫を清子が玄関に迎えに行くと、出し抜けに、加川が夏希に話す。

 

「僕たちね、実は偽装結婚なんすよ…ウソ、ウソ、冗談ですよ。嫌だな、真に受けて、もう…まあ、一つよろしくお願いします。迷惑かけないから」

 

呆気に取られる夏希。

 

その夜、隣の部屋から加川とアナベルの喘ぎ声(よがり声)が聞こえてくる。

 

喘(あえ)ぎ声で眠れない幹夫は、今日会った章江が夏希を見て安心したという話をしながら、夏希に迫って来るが、「やめて!」と大きな声で拒絶されるのだ。

 

翌朝、洗面所で清子が歯磨きをし、続いて幹夫が歯磨きを始める。

 

【リピートされるこの構図は、小林家の日常性として記号化されている】

 

留学資金を溜めるためにパートを始めるという清子は、本当ならもっと楽になっていたと金銭的な不満を漏らす。

 

「俺が再婚したのが悪いのか」

「そうは言ってないでしょ」

 

そこに夏希がやって来て、清子と朝の挨拶をして歯磨きを始める。

 

出勤する清子と挨拶する敏子は、小林家の2階の窓際に立っている上半身裸のアナベルを、驚きながら見上げるばかり。

 

アナベルが外でダンスを教えてもらっているエリコに、英語のレッスンを呼びかける夏希。

 

夏希はエリコに「先生」と呼ばれ、以前より英語を教えているのだが、夏希が2階に上がった隙に、代わってアナベルが、エリコに発音を教えていた。

 

繰り返される不意打ち。

 

一週間休みを取りたいという加川の申し出を許可したことに、夏希は幹夫に不満を垂れるのだ。

 

「ちょっと勝手なんじゃないんですか?」

「そうかな」

「それに奥さん、アナベルもちょっとね。目立ちすぎるのよ。近所で噂になってるんだから。ちょっと言いにくいけど、辞めてもらうか、せめて、家を出て行ってもらった方がいいんじゃないですか?」

「そんな急に住み始めたばっかりで、言えないよ。アナベルだって、いい人じゃないか」

「何かねえ」

 

そこに加川が2階から降りて来ると、二人は愛想よく挨拶する。

 

残されたアナベルが、輪転機を回している幹夫を誘い出す。

 

そこに、インコを探しに行って、鳥籠を持ってエリコと帰って来た夏希は、2階から声が聞こえてくるので上がっていくと、幹夫がアナベルにダンスを習っているところだった。

 

夏希に代わって英語を教そわるエリコを、インコ探しに誘い、夏希が鳥籠を持って出て行くと、旅行から帰って来た加川も後を追って探しに行く。

 

双眼鏡でインコを探す加川は、小林の家の方を覗くと、幹夫とアナベルが裸で抱き合っているところだった。

 

何か見えるかを聞く夏希に、面白いものが見えると勧めるが、それを断られた加川は、双眼鏡を見ながら言い放つ。(既に夏希には、「面白いもの」の正体を把握している)

 

侵入者の奇襲が止まらない。

 

「奥さん、会社の金、横領していますよね」

「え?」

「小林印刷の帳簿とか、色々調べさせてもらったんですけどね、計算が合わないんですよ。毎月10万ぐらいずつ、どっかに消えてる。幹夫さんは知らないでしょうね。会計は奥さんが全部、管理してんだから」

「あたし、知りません」

「奥さん、時々家抜けて、人と会ってますよね」

「知りません」

「いえいえいえ、本間タカヒロ29歳。無職。婦女暴行で服役歴あり」

 

幹夫に報告するという加川に、「奥さん次第です」と言われた夏希は逃げようがなく、重い口を開いていく。

 

「あの男は兄です」

「お兄さん、いたんですか?それは、幹夫さんは?」

「知りません」

「それはまた何で?」

「恥ですから」

「ああ、分かりますけどね。あれだけ立派な経歴だから」

「でも、違うんです。彼とは腹違いで、育ってきた場所も全部。だから、違うんです。あたしたちとは」

「はははは、OK、OK。大事なのは、腹割ることです。言ってしまえば、大したことないでしょ。僕は、奥さん、助けたいんですよ…よし、じゃぁ、行きましょ」

 

夏希は喫茶店で腹違いの兄と会い、用件を話す。

 

「もう、お金払いたくないんです。ごめんなさい」

「ちょっと、夏っちゃん、止めてよ。ごめんね。俺も悪いと思ってんだけど、ほんと、ごめん」

「もう、連絡してこないでくれますか」

「分かった。もう行かない」

「本当?」

「でも、僕も今、お金ないし、借金もあるし、悪いとは思うけど、君しか頼れないんだよ…これが最後。最後に、もう10万だけ」

 

5万円しかないという夏希が、財布からお金を出そうとするところで、加川が本間の前に現れた。

 

隣の席に座って脅し、話をつけると言って、夏希を先に返すのだ。

 

帰路、夏希に好意を持っている仕事の客から声をかけられ、ライブのチケットをもらう。

 

家に戻ると、加川から電話が入り、「二度と脅さない、借金も自分で何とかするという、誓約書にサインする」と約束させたと連絡を受けた。

 

ところが、加川は兄を小林家に連れて帰り、仕事がないので、印刷所で働かせると言うのだ。

 

困惑する幹夫に対し、加川は妻と寝たことを質し、有無を言わせない状況に追い込んでいく。

 

「とにかくあなたは、私の妻と姦通した。そういうことですよね」

「すいません、すいません、あの、妻には…」

 

夏希もまた、兄が働くことになり、困惑が広がるばかり。

 

翌日から加川は、自分が社長のように振舞い、勝手に原料を増量して業者に発注するのである。

 

主従関係が反転してしまったのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: 歓待('10)  群を抜く、「決め台詞」と叫喚シーンを捨て去った映像 ―― その鉈の切れ味 深田晃司 より

醉いどれ天使('48)  時代遅れのヤクザに対峙し、町医者の憤怒が炸裂する

1  「俺はお前の肺に巣食ってる結核菌に用があるんだ。そいつを一匹でも多く殺したいんだ」

 

 

 

眞田病院という小さな町医者に、ドアに手を挟まれて包帯を巻いた男・松永がやって来た。

 

釘が刺さったと言うが、眞田(さなだ)が取り出したのは銃弾だった。

 

「迷惑はかけねぇ。つまらない出入(でい)りがあってね。駅前のマーケットで、松永と聞きゃぁ、誰でも知ってるぜ」

 

麻酔なしで手荒く手術される松永は、苦痛に悶える。

 

「前もって言っとくが、医療代は高いよ。無駄飯食ってるヤツからは、できるだけぼることに決めてるんだ」

 

治療が終わった松永は咳き込み、風邪薬を要求するが、眞田は結核の可能性を疑い、その病気の恐ろしさを話す。

 

「怖いのか?」

「怖い?黙ってりゃ、つけ上がりやがって」

 

イキがる松永は、「じゃぁ診てみろ」と啖呵を切り、眞田が聴診器を当てると、案の定、結核の兆候が見られた。

 

「お前、どっかでいっぺん、レントゲン撮ってみな」

「どうなんだって聞いてるんだ!」

「レントゲンで診ねぇと、はっきりしたことは言えねぇが、まず、これくらいの穴が開いてるね」

 

そう言って、松永は右手で穴の大きさを示す。

 

「このまま放っときゃ、長いことないね」

 

その診断に腹を立てた松永は、眞田の体を抑え込むが、そこに美代という女性が入って来て、松永は不貞腐(ふてくさ)れて帰って行った。

 

「あいつは気にするだけ上出来さ。まだ少しは、人間らしいところが残ってる証拠だよ」

 

眞田は、医院の傍らにあって、悪臭を放つ澱んだ沼地で遊ぶ子供たちに怒鳴りつける。

 

「こら!チフスになるぞ!」

 

松永のことが気になる眞田は、マーケットの飲み屋で働くぎんから、ダンスホールにいると聞きつけた。

 

そのホールで、愛人の奈々江と踊る松永。

 

「どうしたの?少し影が薄いわよ。バリバリしてないアンタなんか大嫌い」

「暑いんだ、黙ってろ!」

 

そこに眞田が訪ねて来た。

 

「何の用だ」

「人の勘定踏み倒しやがって。大きなツラすんな!」

 

ここでも口が悪い眞田は、松永に勘定の代わりに酒を無心をする。

 

「仲直りだ」と言って、極上の酒を振舞う松永。

 

眞田は上手そうに酒を飲み、松永が飲もうとするボトルを取り上げる。

 

「お前の分まで、俺が飲んでやる。肺に風穴が空いている奴が酒を飲むなんて、自殺も同然だ」

 

それを聞いて、深刻な表情になる松永。

 

再び、レントゲン撮影を勧める眞田。

 

「レントゲンなんて、糞くらえだ」

 

そう言い放って酒を飲み、咳き込む松永。

 

「お前なんかどうなろうと構わない。しかしな、俺はお前の肺に巣食ってる結核菌に用があるんだ。そいつを一匹でも多く殺したいんだ。お前が今すぐここでくたばって火葬にしちまえば、一番、世話ねぇんだが」

 

その悪態を耳にするや、松永は真田の胸倉を掴み、乱暴に店から追い出した。

 

病院に戻った眞田は、腕の傷を洗いながら、謗(そし)りが止まらない。

 

「畜生、人の気も知らないで…もう、知らねえぞ、あんな野郎」

「そんなこと言っても、ダメよ。先生はね、自分が見た患者となると、自分のことより心配なんだから。傍(はた)から見てると、バカらしいくらいだわ」

 

美代は、眞田が本当のことをずけずけ言い過ぎると忠告するが、「大きなお世話だ」と返して聞く耳を持たない。

 

ここで眞田は、刑務所から近々出所する美代の情夫・岡田のことで、美代の気持ちを確かめる。

 

「私がどんなにあの人のことを憎んでいるか。体が震えるくらいだわ。あたしの一生を盗んだんじゃありませんか」

「まだ、半分残ってるよ」

 

その夜になり、岡田と一度会ってみようかと言う美代を、眞田は叱り飛ばす。

 

翌日のこと。

 

眞田は、結核に罹患している17歳の女学生のレントゲン写真を見ながら、だいぶ良くなったと、真面目な治療への取り組みを褒める。

 

そして、「結核ほど、理性を必要とする病気はない」と諭(さと)そうとすると、その言葉を女学生にトレースされてしまう。

 

この物言いは、医師としての中年男の確たる持論である。

 

少女と入れ替わって、松永が病室に入って来た。

 

「俺に言わせれば、お前たちほど臆病者はいないよ」

 

相変わらず悪態をつくが、しばらくは黙って眞田の言葉を聞く松永。

 

「お前なんか、今出て行った小さな女の子の方が、どれだけ土性骨があるか分からねえ。あの子はな、病気と面と向かってしゃんとしてらぁ」

 

ここで松永は我慢の限界を超え、眞田の胸倉を掴んで押し倒そうとするが、美代がそれを阻止する。

 

「しかし、何だって来たんだろうな」

 

そう漏らし、傘も差さずに帰っていく松永を見る。

 

そんな折、眞田が往診に向かって歩いていると、かつての同級生で、大病院の医師の高濱(たかはま)に声をかけられ車に乗り、3日前に松永がレントゲンを撮りに来たことを知らされる。

 

右の肺が酷(ひど)く、そのフィルムを持って、「命を預けるつもりで頼んでみろ」と眞田のところへ行くように話したと言うのだ。

 

早速、眞田はダンスホールの松永を訪ね、今や対面儀式の如く、互いに悪態をつく。

 

「黙って、レントゲン写真を持って来て見せたらどうだ。バカ野郎!」

 

病院で待ってると告げ、眞田は帰っていく。

 

その後、泥酔した松永が、眞田の家に転がり込んで来た。

 

酔い潰れて畳に寝込んだところで、上着のポケットに入っていたレントゲン写真を美代が見つけて渡すと、眞田は深刻な表情に変わる。

 

起き上がって水を飲んだ松永は、コップを割り、「おい、本当に治るか」と眞田に肉薄するのだ。

 

「治る」

「今からでもか」

「治るよ」

「いい加減なこと言うと、承知しねぇぞ」

「その代わり、俺の言う通りにするんだぞ」

 

立ち上がった松永は、「どっちみち死ぬんだ」と言って、再び倒れて伏してしまう。

 

毎夜、澱んだ沼地の傍らで、男がギターを奏でる音が聴こえてくるが、その日は別のメロディーが流れてきた。

 

美代は岡田の出所を直感する。

 

かつて岡田が弾いていた曲だからである。

 

出所した男が弾いたのは、岡田曰く「人殺しの歌」。

 

ここから、風景が一変していくのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: 醉いどれ天使('48)  時代遅れのヤクザに対峙し、町医者の憤怒が炸裂する 黒澤明 より

夕凪の街 桜の国(’07)  被曝で壊された〈生〉なるものを拾い集め、鮮度を得て繋いでいく

1  「生きとってくれて、ありがとな」

 

 

 

昭和三十三年 夏

 

大空建研という建築事務所に勤める平野皆実(みなみ/以下、皆実)。

 

復興が進む広島の街の一角にあるスラムで、母フジミと穏やかに暮らしている。

 

皆実には、疎開先の伯母の家に養子に入った弟の旭(あさひ)がいる。

 

その旭からのハガキを読みながら、疎開先の水戸へ、フジミに随行し、迎えに行った6年前のことを思い出していた。

 

7年間、離れ離れに暮らした旭は、友達も死んでしまった広島へ戻りたくないと吐露し、皆実に謝罪する。

 

「うちらは姉弟じゃけん。それは変わらんけぇ。伯父さんと伯母さんを、本当のお父さんとお母さんと思うて、大事にするんよ。ええね」

「うん、また会えるよね」

 

そんな折、事務所の同僚の打越(うちこし)が、会社を休んだ皆実の家を訪ねて来た。

 

皆実が振舞った雑草料理を美味しいと褒める打越。

 

「平野さん、きっと、ええ嫁さんなるで」

 

その言葉を聞いた瞬間、皆実は原爆で苦しんで逝った妹の翠(みどり)の声がフラッシュバックする。

 

「“お姉ちゃん、お姉ちゃん、熱いよ、熱いよ”」

 

突然、皆実は立ち上がって、打越に言い放つ。

 

「うちは、嫁なんぞ行かん。帰って下さい」

「何か、悪いこと言うたんじゃろか」

 

反応しない皆実に明日は出て来られるかと尋ねて、打越は帰って行った。

 

翌日、皆実は会社を出たところで、大きな契約を獲った打越に「おめでとう」と言って、昨日の行為の謝罪に代える。

 

打越はブティックに行き、好きな人へのプレゼントの見立てを皆実に頼み、ハンカチを選んでもらうのだ。

 

早々に帰る皆実を追い駆けて来た打越は、そのハンカチを皆実に渡すのだった。

 

気持ちが通じ合う二人だったが、皆実の耳元に、またも翠の呼ぶ声が侵入してくる。

 

「ごめんなさい。うち、ごめんなさい」

 

皆実は堰堤を駆け下りて、転んで手をつき、目の前の川を見詰める。

 

「お前の住む世界は、そっちではない、と誰かが言っている」(モノローグ)

 

ここでも、フラッシュバック。

 

「“翠!翠!お母さん、翠、翠、どこ?”」

 

そこに追い駆けて来た打越に声を掛けられ、我に帰るのだ。

 

「打越さん、教えてください。うちは、この世におってもええんかね」

「話してくれんか?」

 

以下、皆実の告白。

 

「13年前、うちは5人家族じゃったんです。両親と妹の翠と弟の旭がいて。旭はまだ小さかったから、伯母さんのところに疎開に行っていて、8月6日、あの日は朝から眩しいくらいに晴れていた。父は前の日から会社に泊まとった。うちと翠は、いつものように学校に行ったんです。ピカが落ちたのは、学校に着いてすぐじゃった。あの一瞬で、街は変わってしもうた。いいや、消えてしもうたんじゃ。家も人も、何もかも。まるでおもちゃみたいに飛ばされて、焼かれて、溶けた」

「その時、君はどこにおったん?」

「学校の倉庫に。建物疎開の作業に行く日だったんじゃ。うちは先生に言われて、釘抜き取りに。じゃけん、助かったんじゃ。外におった友達は、皆死ぬか、大火傷して。家は殆ど壊れとった。お母さんは見つからなくって、何時間歩いたか、分からんようになっとった。妹の翠が、瓦礫の中で偶然見つかった。うちは翠を背負うて、当てもなく歩いた」

 

赤トンボを歌いながら、妹を背負って歩く皆実。

 

【「建物疎開」とは、空襲による火災防止のために建物を取り壊して、「防火地帯」を作ること】

 

「妹さん、無事じゃったんか?」

「うちの背中で、そのまんま。熱いよう、熱いよう言うて。最後に、お姉ちゃん、長生きしいねって」

「もうええよ、もうやめ」

 

打越は皆実の肩に手を置くが、皆実は泣きながら話し続ける。

 

「父は仕事に行っとったまんま、会社の建物ごと潰れて、骨も見つからんかった。母に会えたんは、一週間後。漸(ようよ)う救護所で見つけたんじゃ。顔も分からんくらいに腫れあがっとって、その後、一か月も、目、見えんかった。じゃけん、母は、何にも見とらんのよ。あの日のことも。翠がどんな風に死んでいったかも。何にも。うちが忘れてしもうたら済むことなんかも知れんけど、でも、忘れられんのです。何かを見て綺麗だなあって思ったり、楽しいなあって、思うたんびに、どこからか、声が聞こえてくるような気がするんよ。お前の住む世界は、そっちじゃない言うて。だって、うちらは誰かに死ねばいいと思われた。それなのに、こうして生き延びとる。そうじゃろ。打越さん、うちら一番怖いこと、何か分かる?」

 

首を横に振る打越。

 

「死ねばいいと思われるような人間に自分が本当になっとる。それに、自分が気づいてしまうことなんよ。じゃけん、うちは幸せになったら、いけんような気がして。誰かに聞いて欲しかった」

 

嗚咽しながら、もう、言葉にならなくなった皆実を優しく抱き留める打越。

 

「生きとってくれて、ありがとな」

 

「嬉しかった。でも、それきり、力は抜けっぱなしだった」(モノローグ)

 

風邪を引き、会社を休んでいる皆実の家に、打越が見舞いにやって来た。

 

打越を見送り、明日は会社に行きたいと言う皆実だったが、翌日もまた休み、同僚がまた見舞いに来た。

 

皆実は熱が下がらず、咳き込み、髪も抜け始め、もうすぐ要らなくなるからと、父に買ってもらった髪留めを、フジミに渡すのである。

 

「その夜に真っ黒な血を吐いた」(モノローグ)

 

皆実は寝込む日が続き、水戸から旭が見舞いにやって来た。

 

「夏休みだっぺ。だからさ、たまには顔見ろって、母さん…伯母さんがさ」

 

「もう、何も喉を通らない。ただ、生ぬるい塊だけが、駆け上がっていく。ただの血ではなくて、内臓の破片だと思う」(モノローグ)

 

皆実は旭と一緒に、家の前の原っぱに出て、座って旭が川に石を投げる姿を見ている。

 

「お父さんや翠の顔、覚えとる?」

「うん」

「嘘ついて」

「これ、毎日見てっから」

 

旭は子供の頃の5人家族の写真を取り出して、皆実に見せた。

 

「あんたが、水戸へ行く前の日に撮った。懐かしいなぁ。家にあったのは、皆焼けてしもうたんよ。この翠の髪、うちが結うてやってんよ…長生きしいねって、言うたんよ。あれは、自分がもっと生きたいっちゅうことじゃったんじゃろうね」

「何で、広島だったんだ。何で、原爆は広島に落ちたんだよ」

「それは違うよ。原爆は落ちたんじゃなくて、落とされたんよ」

 

皆実は写真を旭に渡す。

 

「これは旭が持っとき。ほいで、うちら家族のこと、忘れんといてね」

「姉ちゃん」

「離れて暮らしてても、名字が違ごうても、たとえ、もう二度と会えんようになっても、うちらは家族じゃ。それは誰にも変えられん」

 

そこに、打越がやって来た。

 

野球好きな二人は、川に石を投げ合って、実況中継の真似事をする。

 

それを後ろで見ていた皆実は、翠のいる大空にハンカチを掲げると、そのまま倒れ込む。

 

「ひどいなぁ。てっきり私は、死なずに済んだ人かと思ったのに。なぁ、嬉しい?13年も経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て、“やった!また一人殺せた!”って、ちゃんと思うてくれとる?あぁ、風?夕凪が終わったんかね。何度、夕凪が終わっても、このお話は、まだ…」(モノローグ)

 

「このお話は、終わりません」(石川七波のモノローグ)

 

【夕凪とは、陸から海に向かって空気が流れる「陸風」のことで、無風の時間になるので「瀬戸の夕凪」と呼ばれる】

 

以下、「桜の国」へと物語は繋がっていく。

 

  

人生論的映画評論・続: 夕凪の街 桜の国(’07)  被曝で壊された〈生〉なるものを拾い集め、鮮度を得て繋いでいく   佐々部清清 より

いつか読書する日('05)   たった一度の本気の恋を成就させる思いの強さ

1  「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に、知られてはならないのです」

 

 

 

「未来の私からの手紙 二中三年四組 大場美奈子 

 

あなたは、十五歳だった時の事を覚えていますか?もうずいぶん昔の事だけど、あなたは、こう思っていました。私は、この町が大好きって。お兄さんやお姉さんたちは、この町を出て行くけれど、私は出て行かない。一生この町で生きていく。みんなともっと知り合えるし、もっと仲良くなれるでしょ。それは、素敵な事じゃない?」

 

現在50歳の大場美奈子が、15歳の時に書いた「未来の私からの手紙」。

 

美奈子の一日は、早朝の牛乳配達から始まる。

 

「あたしには、ずっと気になっている娘がいる。彼女のことは、子供の頃からよく知っている。女学校時代の友人の娘だからだ。娘と言っても、もう50歳だ。結婚もせず、浮いた噂一つなく、毎日判で押したような、傍目から見れば、何が楽しいのか分からないような生活をしている。その娘が、毎朝、我が家の庭先にやって来る」

 

認知症の夫を持つ、皆川敏子の小説の一節。

 

そこに、美奈子が牛乳配達に訪れた。

 

敏子から夫・昌男の通院の付き添いを依頼された美奈子は、快く引き受ける。

 

そして今、「よし」と言って、目指す家までの長い石段を走って上がり、重い病を患う高梨容子のミルクボックスに牛乳を届ける。

 

「高梨槐多(かいた)と結婚して、二十六年と八か月になるのだが、結局この人は、どういう人なのか、はっきりと分かりかねている。どうも、毎日が穏やかでありさえすれば、いいと思っている節がある。だから、このあいだ聞いた話は、少し私を幸せな気分にしてくれた。初めて、秘密に触れたような気がしたからだ」(容子の日記)

 

容子は、訪問の看護師から、牛乳を配達するのが大場美奈子という夫の同級生であると知らされたのだ。

 

美奈子の事を槐多に訊ねたら、「うん」と一言。

 

その牛乳を一口飲んで捨てる槐多は、無駄だから止めるかと、容子に訊ねる。

 

「ダメよ。飲めるようになるかも知れないし」

「そうだね」

 

そして、「今日、カレーを作る?」と聞く容子に、「いいよ」と槐多が答える。

 

「今の楽しみは、カレー小僧について考えることぐらいだ。カレー小僧は、少し前から、町の噂になっている子供のことだ。夕暮れ時になると、その子はスプーンを握り締めて、町を歩き回る。美味しそうなカレーを作っている家を探して」(容子の日記)

 

日中はスーパーに勤めている美奈子が自転車で出勤すると、店長と若い店員のマリが抱き合っているのを目撃する。

 

レジに戻って来たマリは、後ろめたさから、「悪いことしたみたいじゃないですか」と言って美奈子に絡むと、きっぱりと言い返される。

 

「悪いことです…そういうのは家でやって下さい」

 

役所の児童課に勤めている槐多が、帰路、このスーパーに寄り、カレーの食材の買い物をする。

 

美奈子と背中合わせにレジを済ませると、スーパーの前に男の子が座っていた。

 

槐多が「カレーが好きか」と声を掛けると、走って去って行く。

 

美奈子が書店で本を探していると、17歳の美奈子の記憶が思い出されてきた。

 

書店の外に目をやると、楽しそうに、自転車で二人乗りをする男女が通り過ぎる。

 

自分の母と槐多の父である。

 

そこに、同じく高校生の槐多が美奈子に声をかける。

 

美奈子が迎えに来て、敏子は自分の診察と称して、昌男を「もの忘れ外来」に連れて一緒に受診させると、少し進行が速いと診断される。

 

敏子の家でおでんを食べる3人。

 

大場美奈子は幼い時に、製鉄所の技師だった父親を工場の事故で亡くしている。高校生の時に、母親も喪った。母親の千代は、トラックに轢かれて死んだ。彼女は、高梨という画家の自転車に乗っていた。千代と高梨が、どんな関係だったのか、詳しくは知らない。しかし、夕暮れ時に、山の方へ出かける男と女について、町の人たちが想像を逞しくしたことだけは間違いない。二人の遺体が霊安室に置かれたとき、高梨の妻が、一緒にしないでと取り乱したことを覚えている。息子の槐多と美奈子は、同じ高校だった。後で、二人が付き合っていたことを聞いた」(敏子の小説)

 

その時のことを、美奈子はよく覚えてないと言う。

 

「どうして結婚とかしないの?」

「だって、いなかったもん」

「高校の時、付き合った人いなかった?」

「あたしだって、恋の一つや二つあります。でもね、ダメ。足りないみたい。人に対する気持ちの量みたいなもの」

「何か、歯がゆいのよねぇ。別の違う生活とか、人生とか、あったんじゃないかって」

「おばさん、あたし、そういう風に考えないわ。寂しいと思ったこともないし、おばさんもいるし、おじさんもいるし…」

「うん」

 

スーパーでコロッケを万引きした、槐多が声をかけた例の少年が捕まり、警察へ通報しようとする店長に美奈子が進言し、槐多が引き取りに来た。

 

子供を連れて帰る槐多と恵美子の目が合い、互いに小さく会釈する。

 

少年は家の近くで繋いだ槐多の手を払い、一目散に家に入っていく。

 

槐多がドアを開けると、紐に縛られ、散乱するゴミに埋もれている弟に、少年がコロッケを食べさせている。

 

帰って来た母親に、食事を与えるように言うと、「関係ないだろ」と毒づくや、家に逃げ込む。

 

仕事が終ったロッカールームで、シングルマザーのマリが自らの不安を美奈子に訴える。

 

「寂しくないですか?夜とか」

「いいのよ、クタクタになれば」

「あ、そっか」

「元気、出して」

 

美奈子が退社しようとすると、店長が不躾(ぶしつけ)に聞いてくる。

 

「大場さんて、バージン?」

 

セクハラを受け、無言で帰る美奈子。

 

その夜、ベッドで本を読みながら、涙する美奈子。

 

「私には大切な人がいます。そう思っている私のことを、知って欲しいと思うこともあるのです」

 

ハガキにそこまで書いて、破り捨て、また書き直す。

 

「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に、知られてはならないのです」

 

美奈子は溢れる思いを、いつも視聴するラジオ番組に投稿したのである。

 

セクハラを受け美奈子は今、永く隠し込んできた感情の呪縛から逃げられなくなったのだ。

 

槐多の家。

 

「ねえ、あたしがいなくなったら、どうする?」と容子。

「どうしようかな」

「真剣に答えて」

「考えたくない」と槐多。

「甘えないでよ」

 

一方、昌男の認知機能障害が進み、ついに徘徊が始まった。

 

表を走っていくと、橋の上でスプーンを握り締めたカレー小僧と出くわし、昌男は食堂で二人分のカレーを注文していたところを電話で知った敏子が駆けつけた。

 

元英文学者の認知症の夫との暮らしの体験記を連載することになっていた敏子は、出版社に断りの文章を書き、別の五十歳の恋愛小説の構想を伝える。

 

ラジオのパーソナリティーが、美奈子が投稿したハガキを読み上げる。

 

「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に、知られてはならないのです。どんなことがあっても、悟られないようにするのは、難しいことです。しかし、その人の気持ちを確かめることができないのは、本当に辛いものです。もし、神様が二人だけで話し合う時間を与えてくれるというのなら、丸一日は欲しいと思うのです」

 

そのラジオを聞いていた容子は、リスナーの居住地とイニシャルから、その片思いの相手が槐多であると確信する。

 

槐多が寝た後、容子は点滴スタンドを引き摺り、自ら書いたメモをやっとの思いでミルクボックスに入れる。

 

その朝、美奈子は容子のメモを受け取る。

 

「少し急ぐのですが お暇な時で結構です お会いできませんか  高梨 容子」

 

役所では、万引常習少年の対応について児相を含めて会議が開かれた。

 

結果、一時保護が相当となり、役所の複数のメンバーで家を訪問する。

 

返事がなく部屋に入ると、母親は男と寝ていて、兄弟は紐に縛られぐったりしている。

 

一時保護の通告を提示し、子供二人を保護するが、槐多は居た堪れず、寝たままで無反応の母親を強引に起こし、腕を掴んで叱咤する。

 

「いいのか、本当にいいのか。子供と離されるんだぞ!これは、大変な事なんだぞ!おい!」

 

槐多は車の中でも怒りを抑え切れず、嗚咽する。

 

美奈子は、再び、牛乳瓶に入れられた容子からのメモを受け取った。

 

「早く来て お願いです」

 

美奈子のラジオ投稿がもたらした大きさが、この容子のメモを生み出していく。

 

それは、美奈子の日常に誤作動を出来させる。

 

気持ちが落ち着かない美奈子が、レジ打ちのミスをする。

 

物事に真摯に向き合う美奈子は、もう逃げるわけにはいかなかった。

 

仕事を終えると、急いで容子の元に駆けつけるのである。

 

「あたし、病気でもう長くないんで、槐多さんは一人になります。あの人、あなたのこと、思ってます。あなたも槐多さんのこと、好きなはずです。お願い、ちゃんと聞いて。あたしが死んだら、遠慮しないで欲しいのよ。すぐにとは言わないから、一緒に暮らして欲しいの。お願いします」

 

そう言って、涙ぐみながら重い体を上げ、頭を下げる容子。

 

「ずるいです」

「どうして、どうして?」

「ごめんなさい。また来ますから」

「日を置かないでよ。絶対よ」

 

この言葉を受け、動揺を隠せない美奈子は、身辺の変化を大きく感じ取っている。

 

槐多の存在が、否が応でも視線に侵入してくるのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: いつか読書する日('05)   たった一度の本気の恋を成就させる思いの強さ 緒方明 より

親愛なる同志たちへ('20)  他言無用の「赤い闇」が今、暴かれていく アンドレイ・コンチャロフスキー

1  「彼らは政府を恨んでる。何をするか分からない。全員逮捕して法廷で裁くべきです。扇動した者たちには厳罰を」

 

 

 

ソビエト連邦 ノボチェルカッスク

 

1962年6月1日

 

共産党市政委員会(生産担当)に所属するリューダは、上司のロギノフの家で朝を迎えると、すぐに食料買い出しに出かける準備をする。

 

物価高騰と物不足の不満をぶちまけるリューダに対し、男は反駁する。

 

共産党の中央委員会の説明は、こうだ。“この変化は近い将来、生活水準の向上という結果として現れる”」

「疑問だわ。スターリン時代は、物価が下がったのに今は逆。共産主義で物価が上がるなんて。訳が分からない」

 

そう言うや、リューダが店に行くと、多くの市民が押し寄せ、食料を求めて群がっている。

 

リューダは党員特権で裏口へ廻り、必要な物資を受け取るのだ。

 

自宅に戻り、元コサック兵の父にタバコを与え、工場に勤める18歳の娘・スヴェッカに身だしなみについて小言するリューダ。

 

自宅でも物価高騰と物資不足、給料が減らされるという噂など、将来への不安の話題ばかり。

 

市政委員会に出席するリューダが現状報告をしていると、外でサイレンが鳴り、ロギノフが電話を取ると、市内最大の電気機関車工場の操業が止まったことを知らされる。

 

工場でストライキが始まったのである。

 

地区委員会書記のバソフが対策を練ることになるが、自分たちの責任を追及されることを恐れて、ロギノフとリューダらは不安を募らせ、責任をなすり合う始末。

 

「終わりだ。私は党を追われて、田舎の学校長をやらされる…厳しい処罰が下る。全部我々のせいにされるぞ。明日は君も党員資格を剥奪され、僻地の技師に左遷だな」

「犯罪よ。これは犯罪だわ。工場労働者は無知です。何も知らない彼らに、良からぬことを吹き込む輩が大勢いるのよ。我々の見落としです。確認が不十分だった」

「俺は確認した…」

「カフェでおしゃべりだけね」

 

不毛な議論の応酬だった。

 

電気機関車工場に集まった幹部たちを前に、書記のバソフは怒りまくり、罵倒する。

 

「あいつらは暴徒だ!国営工場の労働者がストなど。なぜ社会主義体制下でストが起こり得るのだ!」

 

そこで、ロギノフがバソフに進言する。

 

「労働者に呼びかけを。昨日、賃下げがあったんです。大幅に」

「賃下げだと?何をどう呼びかけろと言うんだ」

「落ち着かせてください…賃下げを見直すと伝えては?」

 

意を決して、バソフはバルコニーに出て、「増産がかなえば、まもなく商店やカフェに畜産品があふれることだろう…」

 

そう呼びかけるが、労働者の抗議の声に掻(か)き消され、バソフは為す術もなく退散する。

 

その直後だった。

 

会議室に石が投げ込まれ、バソフは軍隊を要請するが、更に投石が激しくなり、委員会の面々は建物の奥へ避難するが、労働者に包囲され、外には出られないと言うのだ。

 

一方、KGBのヴィクトル(名前は公式HP参照)は、デモ参加者の写真をチェックしながら扇情者を特定し、逮捕するように指示する。

 

そこに、モスクワから第一国防次官がやって来て、彼らの失態を難詰(なんきつ)する。

 

ニキータ・フルシチョフの命令により、中央委員会のトップが2時間後にここに来る。派遣されるのは、同志コズロフと同志ミコヤン」

 

武器を持たない多数の部隊が到着するという報告を受けるや、国防次官は直ちに武装を命令する。

 

「プリエフ司令官が、銃器の持ち出しはならんと」とフェドレンコ。

「政府の代わりに命じる。兵に銃器を携帯させろ…フルシチョフは仰天している。バソフが向上に閉じ込められて、出られない事態にな」と第一国防次官。

 

閉じ込められていたバソフらは、軍隊が到着し、狭い通路を潜(くぐ)り抜け救出される。

 

中央委員会のトップらとの会議で、コズロフ(注)が口を開く。

 

(注)ソ連共産党幹部フロル・コズロフのこと。 

 

「何か有益な材料はないか?事実を市外に知られたくない」

 

各部門の担当者が報告する。

 

「電波障害を発生させ、周辺を封鎖しました」

「夜間も検問を行い、ハエ一匹、通しません」

「各所を守るために、505連隊を市内に配備」

 

KGBによれば、町にいる半数が服役経験者らしい。犯罪者たちを制圧する策はあるかね?」とコズロフ。

 

横に並ぶ第一国防次官が立ち上がる。

 

「地元企業における離職率は、非情に高い水準にあります。ずさんな経営が続く工場では、労働者の3分の1が、出所したての連中です」

 

ここで今まで黙っていたミコヤン(注)が、譲歩案を提示するが、同意を得られなかった。

 

(注)ソ連共産党幹部アナスタス・ミコヤンのこと。

 

ここで、中央の幹部が仕切る会議を聞く多くの党員らに埋もれていたリューダが、矢庭に発言する。参照

 

「全員、逮捕すべきです」

 

参加者すべてが、リューダを振り返る。

 

「今のは誰だ?」とコズロフ。

 

リューダは立ち上がり、名前と市政委員会の生産部門の担当であると答えた後、持論を続けた。

 

「第20回党大会(注)後に、政治犯が戻って来た時のことを忘れたのですか?彼らは政府を恨んでる。何をするか分からない。全員逮捕して法廷で裁くべきです。扇動した者たちには厳罰を」

「地元の意見は君と異なるようだ。同志ミコヤン」とコズロフ。

 

(注)ソ連共産党第20回大会(1956年2月)のこと。フルシチョフによるスターリン批判が行われ、個人崇拝・暴力革命を否定し、資本主義体制との平和共存を目指す。「雪どけ」と言われ、世界に衝撃を与えた。

 

リューダの提案を受け、発砲を命じるコズロフに対し、プリエフ司令官が反論する。

 

「私は銃器の持ち出しを禁じました。軍による市民への発砲は憲法違反です」

 

このソ連軍の原理原則の言辞を無視し、コズロフは改めて命令を下すのだ。

 

「ただちに、兵士たちに銃器を携帯させろ」

 

コズロフはリューダの意見が正しいと評価した後、「何より、この事実が外に漏れることがあってはならん」と、道路の封鎖を命じた。

 

この一言で、不毛な議論の応酬がハードランディングしていくのである。

 

  

人生論的映画評論・続: 親愛なる同志たちへ('20)  他言無用の「赤い闇」が今、暴かれていく アンドレイ・コンチャロフスキー より

硫黄島からの手紙('06)  「自決の思想」を否定する男の、途切れることのない闘争心がフル稼働する

1  「日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には、意味があるんです!」

 

 

 

硫黄島 2005

 

この日、調査隊が入り、地下壕に埋められた重大な資料を発見する。

 

硫黄島 1944

 

「花子、俺たちは掘っている。一日中、ひたすら掘り続ける。そこで戦え、そこで死ぬことになる穴。花子、俺、墓穴掘ってるのかな」

 

硫黄島守備隊に所属する西郷・陸軍一等兵のモノローグ。

 

「本日付で私は、自分の兵が待つ任地へと向かう。国の為に忠義を尽くし、この命を捧げようと決意している。家の整理は大概つけてきたことと思いますが、お勝手の下から吹き上げる風を防ぐ措置をしてこなかったのが、残念です。何とかしてやるつもりでいて、ついついそのまま出征してしまって、今もって気がかりであるから、太郎にでも早速やらせなよ」

 

硫黄島の守備隊を率いる栗林忠道・陸軍中将の機内でのモノローグ。

 

「こんな島、アメリカにくれてやろうぜ。そうすりゃ、家に帰れるぜ」

 

苛酷な環境で、海岸線の塹壕堀りをする西郷は、思わず同僚に本音を語る。

 

その話を聞きつけた谷田大尉に、「貴様、今、何と言った!」と詰問されると、西郷は「アメリカに勝てば、家に帰れる」と言い逃れる。

 

そこに、栗林中将が硫黄島に降り立ち、早速、歩いて島を一周するが、途中、西郷らが鞭で打擲(ちょうちゃく)する現場を見て、谷田を問い質す。

 

「非国民のような、暴言を吐いていました」

 

栗林は体罰を止めさせ、昼飯抜きのペナルティーに変えさせる。

 

「いい上官は鞭だけではなく、頭も使わんとな」

 

更に、米軍上陸を水際で食い止めるため、海岸沿いに塹壕を掘っていることを知り、それも止めさせ、兵士たちに十分な休息を取らせるよう指示する。

 

西郷は、同僚から栗林がメリケンに住んでいたから、メリケン好きで、塹壕を掘らせているんじゃないかと話を聞かされる。

 

メリケンの勉強をしておられるんだよ。だから、どうやって打ち負かせるのか知ってるんだ」

 

夜になり、栗林は伊藤海軍中尉に、現在、使える航空兵力の残数について質問する。

 

「戦闘機41機、爆撃機13機であります」

「それだけか」

サイパンの艦隊を援護するため、先日、66機出動しました」

 

栗林は、海軍が陸軍と情報を共有できていないことを知り、指示を出す。

 

「速やかに陸軍と連係を取りなさい。まず、摺鉢山の防御が第一です」

 

栗林が去ると、伊藤は不満を漏らす。

 

栗林は、島に残る住民たちを本土に戻すよう指示する。

 

そこに、戦車第26連隊長の西竹一(にしたけいち)陸軍中佐がやって来て、栗林と再会する。

 

西は、オリンピックの馬術競技で金メダルを獲った有名人で、「バロン西」とも言われる。

 

その夜、二人はジョニーウォーカーを飲みながら、空の皿を前に語り合う。

 

「しかし、今となっては、連合艦隊の壊滅的打撃(注)は、痛恨の極みですね。戦艦はまだあるにはありますが、もはや我が軍には、制海権、制空権ともなきに同然です」

「どういうことだ、西君」

「やはり、先日のマリアナ沖での一件は、お耳に入っていらっしゃらないんで。小沢提督の空母、艦載機は既に撃退されております」

大本営は国民だけでなく、我らも欺くつもりなのか」

「正直に申し上げてもよろしいですか、閣下。もっとも懸命な措置は、この島を海の底に沈めてしまうことだと思います」

「それでも君は、ここに来た」

 

(注)【1944年6月19日、20日におけるマリアナ沖海戦のこと。日米両海軍の空母機動部隊による戦闘で、日本の連合艦隊は、この海戦で壊滅的な敗北を喫し、この地域の制空・制海権を米軍に奪われてしまった。かくて、米軍は日本本土への B-29の空襲を激化させていくに至る】

 

―― 物語のフォローを続ける。

 

栗林は、米軍が上陸する地点を特定したあと、作戦の変更を部隊長らに言い渡す。

 

「大きく作戦を変更します。元山(もとやま)、東山、そして摺鉢山(すりばちやま)一帯にかけて洞窟を掘り、地下要塞を構築する。地下に潜って、徹底抗戦だ」

 

海岸の防衛線は必要ないと明言すると、それでは勝てる戦(いくさ)も勝てないという異論が出る。

 

「米国が一年間に生産する自動車の台数をご存じか。五百万台だよ。彼らの軍事力と技術力を過小評価したらいかん。米軍は確実に海岸を突破してくる。兵をそこで無駄に失っては勝ち目はない」

 

それでも、部下たちの反対意見が続く。

 

「兵隊が死ぬのは致し方ありません。ですが、島の防衛で海岸を放棄するなど聞いたことがない」

「閣下、今から洞窟を掘るなど、無駄な時間を費やすだけです。できる限り誘(おび)き寄せ、空と海から挟み撃ちにするべきです」

「私もその意見に賛成です。合理的だ」

 

そこで栗林は、連合艦隊が壊滅し、硫黄島が孤立したも同然であること、更に、大本営から残っている戦闘機を東京に戻し、本土防衛に就かせるよう命令されたことを話す。

 

「そんな無茶な。どうしろっちゅうんじゃ!」

「議論の余地はありませんね」

 

こんな調子だった。

 

ここで、新たに硫黄島に配属された陸軍上等兵・清水の手紙が紹介される。

 

「母上、本日か新しい舞台に配属されることになりました。この度の異動については、今はお伝えすることができません。では、お元気で」

 

憲兵の清水が部隊に入って来たことで、警戒感が漂う部隊。

 

西郷は召集前に、妻とパン屋をして、カステラやあんぱんなども作っていたが、そこに憲兵がやって来て品物を奪っていったと、清水を睨みながら親友の野崎に話す。

 

そして、道具も何もかも持っていかれた店に、召集令状が届いた日のことを回想する。

 

「あなたがいなくなったら、私、どうすればいいの?」

「おいおい、俺はまだ棺桶に入っちゃいねぇぞ」

「だって、誰も帰って来ないんだよ。一人もだよ。絶対、返してもらえないのよ」

「大丈夫だって」

「この子だって…」

 

西郷は花子のお腹に顔を寄せ、花子の手を握りながら、お腹の赤ん坊に声をかける。

 

「今から言うことは、誰にも言っちゃいけないぞ。父ちゃんは、生きて帰って来るからな」

 

ここで、硫黄島で惹起している現実に戻る。

 

洞窟戦に意味がないという海軍少将の大杉は、栗林に潔く死ぬべきだと進言するが、栗林は反論する。

 

「日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には、意味があるんです!」

 

そして、大杉に大本営に速やかに支援部隊を送るよう進言して欲しいと、頭を下げるのだ。

 

しかし、大杉は栗林に反発したまま島を離れて行った。

 

それでも意志が変わらない栗林の、厳しく精悍な表情が映し出されるのだ。

 

 

 

人生論的映画評論・続: 硫黄島からの手紙('06)  「自決の思想」を否定する男の、途切れることのない闘争心がフル稼働する クリント・イーストウッド より