2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧

マグノリアの花たち(‘89) ハーバート・ロス <「対象喪失」の悲嘆を「人間の生命の連鎖という営為」に収斂させた傑作>

Ⅰ 毒舌が連射される女たちの、社交のミニスポットの長閑な風景 時は1980年代。 アメリカ南部・ルイジアナ州の、如何にも長閑(のどか)な小さな町にある美容院。 その美容院に、美容学校でヘアダイの成績が一番と言うアネルが、トゥルーヴィの店に就職し…

死の看取りの大切さ ―― 「予期悲嘆の実行」を描き切った名画「マグノリアの花たち」から

「予期悲嘆の実行」という、心理学の言葉がある。 愛する者の死をしっかり看取りをすれば、「対象喪失」の際の悲しみ・苦しみからの精神的復元が早いという意味である。 臨終に際して、悲しみの感情を無理に抑制する行為を、「美徳」と考える精神主義は葬り…

奇人たちの晩餐会(‘98) フランシス・ヴェベール <悪意なき「突き抜けた愚かさ」の餌食になったリッチな者たちの度し難き「愚かさ」

1 限度なくエスカレートする悪趣味のゲームのペナルティーを受ける男 冒頭に、ブーメラン男が広い公園の中で愉悦していた。 「アボリジニの戦士が使う原始的なブーメラン」(本人の言葉)を投げ、遠くまで飛ばした果てに、自分の額(ひたい)に当たってしま…

人間の「愚かさ」とは何か ―― 映画「奇人たちの晩餐会」が教えるもの

フランシス・ヴェベール監督の「奇人たちの晩餐会」(1998年製作)という、完璧なシチュエーション・コメディに徹したフランス映画を観て、今更ながら、人間の「愚かさ」について、深く思いを巡らせるに至った。 映画の内容は単純である。 「晩餐会」と…

共喰い(‘13) 青山真治 <「漲る殺気」にまで下降できない青春の苛立ちと、その〈生〉の鼓動の「現在性」>

1 「俺は、あの親父の息子ぞ!」 私が観た青山真治監督の作品の中でベスト。 田中裕子と光石研というプロの俳優の凄み満点の演技に喰われることなく、思春期後期の揺動感や情動の炸裂を表現し切った、主役の菅田将暉は出色の出来栄えだった。 全ての描写に…

嘆きのピエタ(‘12) キム・ギドク <「贖罪」という観念を突きつけられ、「失ってはならない絶対的な何か」を失った男の宿命的帰結点>

1 「胎内回帰」を求める男の究極なる感情の体現 電動チェーンブロックを使って、車椅子に乗った障害者が自殺する。 これが、全く台詞のない冒頭のシーン。 このシーンが意味するものは、物語の後半に説明されるが、唐突なシーンの挿入で開かれる映画の持つ…