2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

映画史に残したい「名画」あれこれ  外国映画編(その5)

ゴッドファーザー(フランシス・フォード・コッポラ) 瀕死の重傷から生還した一人の男がいる。 影響力の相対的低下という、自らが置かれた厳しい状況がそうさせたのか、或いは、それ までの自分の生き方を、「愚か者」という風に相対化できるほどの年輪がそ…

映画史に残したい「名画」あれこれ  邦画編(その3)

女が階段を上る時(成瀬巳喜男) 成瀬巳喜男は、自立を目指して働く女性たちを、自らのフィルムに目立つほどに多く刻んだ映画作家だった。中でも、私にとって最も印象深いのは、「あらくれ」と、本作の「女が階段を上る時」である。共に、主演は高峰秀子。言…

セブン(‘95)  デビッド・フィンチャー <「人間の敵は人間である」という基本命題を精緻に炙り出したサイコサスペンスの到達点>

1 映像を支配する男の特化された「心の風景」 一人の男が映像を支配している。 その名はジョン・ドゥ。 無論、仮名である。 アメリカで実施されている「ジョン・ドゥ起訴」(注1)という概念によって表現されているように、「ジョン・ドゥ」とは、単に「氏…

フル・モンティ('97)   ピーター・カッタネオ <日常と非日常の危ういラインで、困難な状況を突き抜けた者たち>

1 肝心の局面で、本気の勝負に打って出た男たちの物語 かつて、淀川長治が産経新聞のコラムで書いたように、「フル・モンティ」とは「すっぽんぽん」を意味するというのが定説である。 また、「20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン株…

日の名残り('93)  ジェームス・アイボリー   <執事道に一生を捧げる思いの深さ ―- プロセスの快楽の至福>

1 長い旅に打って出て 英米の映画賞を独占した「ハワーズ・エンド」の翌年に作られた、米国人監督ジェームス・アイボリーの最高傑作。 また前作でも競演した英国出身のアンソニー・ホピキンスとエマ・トンプソンの繊細な演技が冴え渡っていて、明らかに彼らの…

虚栄の心理学

虚栄心とは、常に自己を等身大以上のものに見せようという感情ではない。自己を等身大以上のものに見せようとするほどに、自己の内側を他者に見透かされることを恐れる感情である。虚栄心とは、見透かされることへの恐れの感情なのである。 同時にそれは、自…

嘘の心理学

嘘には三種類しかない。 「防衛的な嘘」、「効果的な嘘」、それに「配慮的な嘘」である。己を守るか、何か目的的な効果を狙ったものか。それとも相手に対する気配り故のものか、という風に分けられよう。 「ウソの研究」(酒井和夫著 フォー・ユー 日本実業出…

赦しの心理学

人が人を赦そうとするとき、それは人を赦そうという過程を開くということである。(画像は、「赦し」をテーマにした映画・「息子のまなざし」より) 人を赦そうという過程を開くということは、人を赦そうという過程を開かねばならないほどの思いが、人を赦そ…

プレッシャーの心理学

プロ野球の勝敗の予想は、かつてのシンボリ牧場(注1)の名馬たちのように、絶対の本命馬を出走させた年の有馬記念を予想するよりも遥かに難しい。確率は2分の1だが、野球には、何が起るか見当つかない不確定要素が多すぎるのだ。 野球のゲームの展開の妙…

息もできない(‘08) ヤン・イクチュン <インディーズの世界から分娩された、「熱気」と「炸裂」に充ちた「究極の一作」>

1 インディーズの世界から分娩された、「熱気」と「炸裂」に充ちた「究極の一作」 さて、本作の「息もできない」のこと。 この映画のお陰で、私は、主人公のチンピラが、刑務所から出所した直後の父に、血糊が拳につく程の暴力シーンのカットを見て、自らが…

天国と地獄('63) 黒澤 明 <三畳部屋での生活を反転させたとき>

1 緊張感溢れるサスペンスフルな描写の連射 「ナショナル・シューズ」という製靴メーカーの権藤専務は、息子を誘拐したという電話を受けた。ところが、誘拐犯人である電話の男が誘拐した少年は、権藤家の運転手の息子。開き直った誘拐犯人の要求は、運転手…

羊たちの沈黙('91) ジョナサン・デミ  <「羊の鳴き声」を消し去る)より抜粋

1 「構成力」と「主題性」、「娯楽性」、「サスペンス性」がクリアされた一級のサイコ・サスペンス 「The Silence Of Lambs」 これが、本作の原題である。 和訳すると、「羊たちの沈黙」。 この謎に満ちた原題を持つ鮮烈なサイコ・サスペンスは、立場が異な…

靖国 YASUKUNI ('07)   李纓  <強引な映像の、強引な継ぎ接ぎによる、殆ど遣っ付け仕事の悲惨>

1 記録映画作家としての力量の脆弱さ 人の心は面白いものである。 自分の生活世界と無縁な辺りで、それが明瞭に日常性と切れた分だけ新鮮な情報的価値を持ち、且つ、そこに多分にアナクロ的な観劇的要素が含まれているのを感覚的に捕捉してしまうと、「よく…

おくりびと(‘08)  滝田洋二郎 <差別の前線での紆余曲折 ―-「家族の復元力」という最高到達点>

1 情感系映像の軟着点 2007年の邦画界の不調を見る限り、邦画人気のバブル現象を指摘する論調があって、「邦画の再立ち上げは容易でなさそうだ」(「asahi com」2008年03月04日)と書かれる始末だった。 ところが、翌2008年の全国…

チェンジリング('08)  クリント・イーストウッド <母性を補完する“責任”という名の突破力>

1 “責任”という名において 世界恐慌直前の、1920年代のロサンゼルス。 ローリング・トゥエンティーズ(狂騒の20年代)とも称され、ヘミングウェイやフィッツジェラルドに代表されるロストジェネレーション(失われた世代)や、幾何学的様式の美術で有…

ニュー・シネマ・パラダイス(「劇場公開版」、「完全オリジナル版」)('89)  ジュゼッペ・トルナトーレ <「回想ムービー」としての「ニュー・シネマ・パラダイス」、その「ごった煮」の締りの悪さ>

1 編集マジックによって蘇生した「劇場公開版」 「グレートハンティング」(1975年製作)、「ポール・ポジション」(1979年製作)「ウイニングラン」(1983年製作)という、ドキュメンタリー作品を作ったイタリア映画の監督がいる。 彼の名は、…

十二人の怒れる男('57)   シドニー・ルメット <「特定化された非日常の空間」として形成された【状況性】>

序 プロット展開の絶妙な映像構築 「17歳の少年が父親殺しで起訴された。死刑は決定的と見えたが、12人の陪審員のうち8番の男だけが無罪を主張する。彼は有罪の根拠がいかに偏見と先入観に満ちているかを説いていく。暑く狭い陪審員室での息苦しくなる…