2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

人格変容

人は死別による喪失感からの蘇生には、しばしばグリーフワーク(愛する者を失った悲嘆から回復するプロセス)を必要とせざるを得ないほどに記憶を解毒させるための時間を要するが、裏切り等による一時的な内部空洞感を埋める熱量は次々に澎湃(ほうはい)し…

ハンナとその姉妹('86) ウディ・アレン <えも言われぬ滑稽が醸し出す空気感>

国境による隔たりがあっても、人間がそれぞれ固有の人生の中で迷い、悩み、傷つく問題には、それに対する対処法において、文化的且つ個人的差異が認められるだろうが、「愛」、「性」、「健康」、「家族」、「不倫」等々と言った問題が抱える普遍性の中では…

パピヨン('73)   フランクリン・J・シャフナー  <「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語>

この波乱万丈に満ちた、アンリ・シャリエールの実話をベースにした映画の中で、最も重要なメッセージは、以下の言葉に尽きるだろう。 「お前は、人間が犯し得る最も恐ろしい犯罪を犯したのだ。では、改めて起訴する。人生を無駄にした罪で」 この言葉の主は…

憎悪の共同体

人は自分が嫌っている者に対して、他の者も一緒に嫌ってくれることを切望して止まない厄介な側面を、多かれ少なかれ持っている。(写真はアウシュヴィッツ強制収容所) 自分がある人間を嫌うには、当然の如く、嫌うに足る充分な根拠があると確信し、その確信…

嘘の心理学

嘘には三種類しかない。 「防衛的な嘘」、「効果的な嘘」、それに「配慮的な嘘」である。己を守るか、何か目的的な効果を狙ったものか。それとも相手に対する気配り故のものか、という風に分けられよう。 「ウソの研究」(酒井和夫著 フォー・ユー 日本実業出…

雨月物語('53) 溝口健二 <本来の場所、本来の姿――「快楽の落差」についての映像的考察>

大溝の城下町(注3)。 その市に、源十郎は自信作の陶器をずらりと並べていた。次々にそれを求める町の民。源十郎は満足げに、自らの商売に身を入れている。そこに笠を被った一人の美女が現われた。傍らの老女が陶器を注文したあと、言い添えた。 「この山陰…

ラスト・ショー('71)  ピーター・ボグダノヴィッチ <青春映画のコアを包括的に吸収した「風景の映画」>

この映画が秀逸なのは、「風景の映画」としての包括力を持って、「青春映画」のコアの部分を巧みに吸収する表現力を構築し得たからである。 「風景の映画」―― それは「土地の風景」であり、「時代の風景」であり、その時空で呼吸を繋ぐ「若者たちの心の風景…

不幸という感情

なぜ自分ばかり、こんな目に遭うのか。なぜ自分だけが、こんな不運なのか。なぜ自分だけが、と無限に続く、この種の被虐観念の強い人々に共通するのは、「全てが公平ではないと我慢できない」という感情と、普通の人の普通の経験ですら、不幸で不運な出来事…

物語のサイズ

「難しい理想を、正しく生きるために到達しなければならない理想のように掲げるのは、多くの人を無理な努力に追い込み、結果的にはかえってよくないんじゃないですか」(「心はなぜ苦しむのか」朝日文庫)という岸田秀(注)の指摘に、私は我が意を得たとい…

闇の子供たち('08) 阪本順治 <「象徴的イメージを負った記号」の重量感に弾かれて>

ここに、6人の日本人がいる。 1人、2人目は梶川夫婦。拡張型心筋症の息子(8歳)を持ち、近々、タイで心臓移植を計画している夫妻である。① 3人目は、買春目的でタイに行き、非合法でペドフィリア(小児性愛)を愉悦し、それを動画サイトに投稿する男。…

クレイマー、クレイマー('79)  ロバート・ベントン  <男女の役割分担が崩壊することで開かれた、新しい文化の様態>

この映画から、私が感じ取った率直な感懐を書いていく。 それは、我が子の親権を巡って、人事訴訟を起こすに至った元夫婦が、相互の弁護士による攻撃的でハードな応酬によって出来した局面にインボルブされながらも、「息子の幸福にとって、どちらの親が養育…

諦めの哲学

不可能な状況にあって、意識の枠組みを変える方法の中で著名なのは、「酸っぱいブドウ」の戦略である。高いところにあるブドウを、遂に努力しても獲れなかったキツネは、「あれは元々、酸っぱいブドウなんだ」と考えることで、不可能な状況を諦める方法論を…

確信という快楽

分らなさと共存することは、ある意味でとても大切なことである。 自分は常にぼんやりとしか分っていない。それでも少しは、そのぼんやりとした部分を晴らしたい。別に、果てしなき進化の幻想に憑かれているわけではない。分らなさに居直りたくないだけであ…

僕の村は戦場だった('62)  アンドレイ・タルコフスキー <「非日常」の「現実」の風景と被膜一枚で隣接する、「回想」の柔和な風景の壊れやすさ>

この映画は、二つの風景によって成っている。 一つは「日常性」の風景であり、もう一つは「非日常」の風景である。 前者は「回想シーン」で、後者は「現実」の風景である。 そして、この二つの風景の人格主体である少年の「視線」は決定的に乖離しているのだ…

バグダッド・カフェ('87)  パーシー・アドロン  <「日常性」の変りにくさに馴染んできた者たちによる、「第二次オアシス革命」への過渡期の熱狂>

1 疲弊し切った二人の女の邂逅の象徴的構図 本作の作り手が、構図に拘る事実を印象付ける象徴的なシーンがあった。 ブレンダとジャスミンの、初対面のシーンである。 まるで商売っ気がなく、鈍重な夫を追い出し、ハンカチで涙を拭うブレンダと、反りが合わ…

プレッシャーの心理学

プロ野球の勝敗の予想は、かつてのシンボリ牧場(注1)の名馬たちのように、絶対の本命馬を出走させた年の有馬記念を予想するよりも遥かに難しい。確率は2分の1だが、野球には、何が起るか見当つかない不確定要素が多すぎるのだ。 野球のゲームの展開の妙…

精神的孤立感

「影響力の武器」(ロバート・B・チャルディーニ著 誠信書房刊)という著名な、古い本がある。 その中で、朝鮮戦争の折、中国軍の捕虜となったアメリカの軍人が、いとも簡単にコミュニストになったことが報告されている。古くて新しい洗脳のテクニックの問題…

エレニの旅('04)  テオ・アンゲロプロス <極点まで炙り出す「悲哀の旅」の深い冥闇のスティグマ>

アンゲロプロスの映像世界の本質が、20世紀という、人類史上にあって、そこだけは繰り返し語り継がれていくであろう特段の、しかし際立って尖った奔流が、脆弱なる抑制系を突き抜けて垂れ流した爛れの様態の中枢に、鋭利な作家精神によって深々と切り込ん…

集団スリーピング

世の中に危機が目前に迫っているのに、一向にそれに対処しない人がいる。 洪水が足元にまで及んでいるのに、まだ大丈夫だと考える人の発想を支配しているのは、決して単純な楽天思考ではない。 かの人々は、地元の河川の氾濫で町に水が溢れても、「我が家は…

七人の侍('54) 黒澤 明 <黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画>

この映画から、私が受け取った感懐の二つ目。 それは、本作が集団を描いたドラマでありながら、それぞれの人物描写が細密に描かれていて、人間ドラマとしての完成の域に達している部分を内包しているということである。しかし残念ながら、それぞれの人物描写…

カポーティ('05) ベネット・ミラー <「恐怖との不調和」によって砕かれた、「鈍感さ」という名の戦略>

1959年11月15日 グレートプレーンズの中枢に位置する、小麦畑が広がるカンザス州西部のホルカムで、その事件は起きた。平原の一角の高台にある、富裕なクラッター家の家族4人が、惨殺死体で発見されたのである。 「間違いは正直に認めなきゃ」 「正…

チェンジリング('08)  クリント・イーストウッド <母性を補完する“責任”という名の突破力>

世界恐慌直前の、1920年代のロサンゼルス。 ローリング・トゥエンティーズ(狂騒の20年代)とも称され、ヘミングウェイやフィッツジェラルドに代表されるロストジェネレーション(失われた世代)や、幾何学的様式の美術で有名なアール・デコというよう…

(人生論的映画評論/ 道('54)  フェデリコ・フェリーニ <「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽>」)より抜粋

「『道』は非常に根深い対立、不幸、郷愁、時の流れ去る予感などを語った映画で、一つ一つが社会問題や政治的責務に還元できるわけではなかった。だからネオリアリズムの熱狂に支配されていた時代に、退廃的で、反動的な否定すべき映画とされてしまった」(…

乱れ雲('67)  成瀬巳喜男 <禁断の愛の畔にて>

一人の女が幸福の絶頂の中で、その持ち前の美貌に磨きをかけるような微笑の日々に包まれていた。 彼女の名は由美子。 新妻である由美子の夫は、通産省輸出促進課に勤務するエリート官僚。その出世も際立っていて、米国派遣の辞令を受け、近く渡米することに…

ザ・中学教師('92) 平山秀幸 <「学校崩壊」の現実をハードボイルド性の内に吸収される危うさ>

本作は、「ゆとり教育」の非合理性を真っ向から指弾する一篇である。 「アンチ詰め込み教育」と「アンチ管理教育」を克服する方略として提示された、魔法の教育方針である「ゆとり教育」全盛の渦中で、この類の映画を立ち上げていくには、「ハードボイルド」…

コックと泥棒、その妻と愛人('89)  ピーター・グリーナウェイ <「暴食」の問題に還元される、「悪」のイメージとしての究極の「黒」の破滅性>

「人は死を思い起こす物を好む」 このリチャードの言葉は重要である。 彼は人の死を思い起こすから、「黒い物は高くする」というのだ。 死をイメージする「黒」は、同時に人の欲望の極点に繋がり、そこには「傲慢」・「嫉妬」・「怒り」・「怠惰」・「貪欲」…

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)('07) 若松孝二 <『実録』の名の下で希釈化され、削られた描写が照射した『事件』の闇の深層>

ここからは、本作の中で確信的に削り取られたと思われる重要な描写に言及する。重厚なリアリズムの映像の継続力の幻想の内に、実は特定的に切り取られた感のある不可避な描写が存在すると考えているからだ。 その一つ。 最高指導者の森恒夫が、永田洋子と共…

ノーカントリー('07)  コーエン兄弟 <「世界の現在性」の爛れ方を集約する記号として>

ここに一人の男がいる。 この男は、「アメリカ」という帝国的な「国家」による外的強制力の一部分を、堅固に守る律儀な性格を持ち合わせていたために、予測し難い交通事故に遭遇し、大怪我をしてしまう。交通ルールをきちんと守って走行する男の車に、一時停…

処女の泉('60) イングマール・ベルイマン <「キリスト教V.S異教神」という映像の骨格による破壊的暴力性>

舞台は、近世を間近にした中世のスウェーデン。 母親のメレータの熱心な督促もあって、信仰深い豪農の娘カーリンが、ローソクの寄進に向かわせる教会への旅程で、親のいない山羊飼いの兄弟たちに凌辱された挙句、撲殺され、その娘の父であるテーレが復讐する…

グレート・ブルー 国際版('88) リュック・ベッソン <「マリンブルー」の支配力だけが弾ける世界の、単純な映像構成の瑕疵>

この映画の基本骨格の特徴は人物造形が類型化されているという点にある。 そして、その一点こそが、この映画の最大の瑕疵であると言っていい。 それを象徴的に示すのは、「海」に対する二人の男の視座の決定的乖離である。 一方は、「ダイバーとしての潜水…