春爛漫(その3)

 神代植物公園

 有料の都立公園の中で、新宿御苑と共に、私が最も通った花と樹木の植物公園である。

 晩秋の新宿御苑には、日本庭園の紅葉の魅力も手伝って何度か通ったが、神代植物公園への撮影行は殆ど春季限定と言っていい。

 3月のウメから5月のツツジシャクナゲ、バラで閉じる春爛漫の季節を、丸ごと体験できる魅力が、私の中で春季限定の公園というイメージが結ばれていったのだろう。

 「武蔵野の面影が残る園内で、四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができます。この公園はもともと、東京の街路樹などを育てるための苗圃でしたが、戦後、神代緑地として公開されたあと、昭和36年に名称も神代植物園と改め、都内唯一の植物公園として開園されました。現在、約4,800種類、10万本・株の樹木が植えられています。園内はバラ園、ツツジ園、ウメ園、ハギ園をはじめ、植物の種類ごとに30ブロックに分けており、景色を眺めながら植物の知識を得ることができるようになっています」

 これが、神代植物公園の公式HPの一文だが、残念ながら、この公式HPにはハナモモ園についての紹介が皆無だった。

 あまりに小規模であるからだろう。

 しかし私には、多くの人たちが最も訪れるサクラの季節より、それより少し遅れて満開になるハナモモ園こそが、最もお気に入りの花園であった。

 山梨県一宮の桃の里にも繰り返し通っているように、私はピンクの花の色をつける樹木が最も好きなのである。

 このことは、花木の写真を撮るようになって気づいたこで、今でも理由はよく分らない。

 小さい頃から色彩への拘りを持たなかったそんな私が、ピンクの樹木が爛漫の春を表現するビュースポットには、労を惜しまず出かけるようになった。

 悔やまれてならないのは、福島市の花見山公園にとうとう足を運ぶ機会を持てなかったこと。

 実は、私が受傷した2000年には、綿密に計画を立てていたのである。

 まさに「桃源郷」と呼ばれるほどに、モモの花が満開になる季節には、春爛漫の風景美を鑑賞することができるということを知っていたからだ。

 それほど私は、ピンクの花をつける樹木が好きなのだ。

 だから、ミツバツツジの名所と言われる場所には、殆ど足を運んだと思う。

 長瀞の岩根神社のミツバツツジの園には3回通い、時期を微妙にずらしたことで見せる想像以上の風景美に嘆息したものである。

 ピンクの花をつける樹木が好きな私は、当然、淡いピンクの花をつける枝垂れ桜に強く惹かれて、色々調べ尽くした上、川越の中院や、青梅の金剛寺等々の、枝垂れ桜の名所の満開時を確認してから繰り返し訪ねた。

 そして、私のかつての西大泉の自宅近くにある寺院には、大抵、貫録十分な枝垂れ桜の樹木が植林されていたので、それを見逃すはずはなかった。

 そして何より、大本命は陽春の平林寺。

 サクラの葉が新緑になり、普段は静かな禅道場が陽春の眩い色彩に変容し、拝観者が引きも切らないほどの混雑ぶりを見せていた。

 紅葉の平林寺と並んで、春爛漫の平林寺の素晴らしさは言葉に言い表せない魅力があるのは、このブログでは度々言及してきたところである。

 平林寺は東京都ではないが、私の中では東京・埼玉という、下流多摩川が形成した扇状地を基盤とする、武蔵野の洪積台地が繰り広げる絢爛な風景美に存分に嵌っているので、わざわざ遠出をしてまで、他県の花名所を訪ねる強い意欲が湧いてこなかったのも事実。

 武蔵野は素晴らしい。

 東京は美しい。

 そんな武蔵野の一角である、清瀬という静かな街で暮らせる思いの中枢には、古い病院街の一隅に咲く季節の花々に強く惹かれていて、その思いが、この町への深い愛着の念に繋がっていると思うのだ。

 下町で生まれ、下町で育った人間が、多摩の一角で呼吸を繋ぐ人生は、非常にミニマムで自己完結的な世界のうちに閉じていく、近未来の現実を限りなく受容できると信じたいのは、「我が町・清瀬」に対する深い愛着があるからに違いない。

 そう思う自己防衛戦略もまた、どこまでもミニマムだが、一つの生き方なのだろう。(トップ画像は、百草園のウメ)

 
[ 思い出の風景  春爛漫(その3)  ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2012/01/blog-post.html