月('23)  武装可能なゾーンを広げ、虚実の境界を破壊していく

 

1  「きーちゃんには何が見えてる?見えてるんだよね。私は自分の子供が死んで、何にも見えなくなったよ」

 

 

 

世間の目に触れないスポットと化す、深い森の奥にある重度障害者施設。

 

この施設で非正規の職員として働き始めた堂島洋子(以下、洋子)に惹かれ、相談に乗っていく坪内陽子(以下、陽子)。

 

処女作で文学賞を受賞した洋子が著名な作家であると知ったからである。

 

自らも小説家を目指しても思うようにならず、酒で鬱憤を晴らす陽子は坪内家の日常に馴染めず、ストレスを溜めるばかりだった。

 

「さっきパパ、私の仕事、誇らしいと言った。そういって簡単に嘘がつける人なのよ。見たことある、施設の中?見たことないのに、なんで分かるの?」

 

繰り返し浮気しても怒らない母を誹議するのだ。

 

食前の祈りを唱えるクリスチャンの欺瞞に我慢できないのである。

 

一方、堂島洋子・昌平夫婦が共有するトラウマは深甚だった。

 

トラウマを共有しながら助け合っていくものの、時には抱えているものの辛さが耐え切れず軋轢を生んでしまう。

 

先天性心疾患の我が子・昌一(しょういち)を3歳で喪い、堪(たま)らずに我が子の写真を大画面で見ている夫・昌平。

 

その部屋に入って来た洋子に、昌平は嗚咽含みで「ごめん」と答える。

 

「何で謝るの」

「俺は大きい画面で見たくなって…でも、師匠(洋子をこう呼ぶ)のことは分かんないから」「気遣いのつもり。その方が嫌なんだけど」

「そういうんじゃないよ。それより仕事の方はどうなった」

「大変に決まってるでしょ。代えができない人、相手にしてるんだから。いいよね、あなたは夢を追いかける時間があるから。自由でいいわ。いつも無責任で。ヘラヘラ笑って、好きな時にすぐ逃げられるから」

 

この遣り取りで、洋子が小説家を廃業としたことが判然とする。

 

その洋子は徘徊する障害者に暴力を振るいながら部屋に押し込める職員に対して、「いいんですか?」と小さく問うが、返ってきた言葉は「いいんですかも何も、これがここのやり方ですから」 ―― これだけだった。

 

「陽子ちゃんには、話せそうな気がする」 

「何でも話してください」 

「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こるっていう言葉があるんだけど」 

「知ってます。旧約聖書(注)ですよね」 

「あたし、子供がいたんだけど、生まれつきの病気があって、また、同じようなことが起こる予感がして、怖い。夫には、言えない。これ以上、辛い思いさせたくないから」

 

嗚咽含みの洋子の告白を受け止める施設職員の陽子。

 

こういう時、一番頼りになるのは程ほどの心理的距離にあって、物理的距離が近接する特定他者の方が図りやすいのだろう。

 

定職に就くのも覚束(おぼつか)ない夫・昌平との紐帯(ちゅうたい)が堅固であっても、喪失感の大きさと42歳の高年齢出産で迷う洋子には、却って緊張感が増し、心の安らぎが得られないから辛いのだ。

 

(注)旧約聖書における教訓の書「知恵文学」(「ヨブ記」「箴言」「伝道の書」、「詩篇」の一部)として知られる「コヘレトの言葉」より。

 

体が全く動けず、光にも反応せず、目も見えないし音も聞こえないきーちゃんの話をする陽子の思いも寄らない告白。

 

「やっぱり、この仕事嫌いなんです。小説のためになればいいなと思って無理してるんですけど。洋子さんもそうですよね…知ってました?きーちゃんは、この園に来るまでは歩けたんです。でも、暴れるからって、身体縛り付けて拘束して、それが10年以上続いて、足が動かなくなったそうです。元々は目も少し見えていたんで、でも、暗くした方が落ち着くって、誰かが勝手に決めて、ああやって窓を塞いだんです。それから、高城(たかひろ)さんっていう人の部屋は外から鍵をかけて、ずっと閉じ込めてます。誰も近づいちゃいけないんですって。そういうのって隠蔽されるじゃないですか。この社会にとって不都合なことは、全て隠蔽です。そういう施設の闇が事実としてあるんです。私はここで色々見てしまいました」

 

深刻な表情でその話を受け止める洋子。

 

その直後、陽子は両親に施設での虐待の実態を語り始めた。

 

「ある入所者はね。夜、フクロテナガザルみたいな声を上げるよ。すごい声でね。勿論、虐待もある。ある職員は、身動きが取れない入所者の肛門の中に、ネジ入れたって噂もある。金属のネジだよ。信じられる?」  

「この前の(小説の)コンテストがまだショックなんだろ」と父。 

「最近少し、飲み過ぎだしね」と母。 

「でもね。施設の中より、こっち側の世界の方がよっぽど狂ってるかも。躾(しつけ)と称して、あれだけ私を体罰で苦しめたパパも、今じゃ、隠れてこっそり色々やっちゃってるみたいだし」 

「やっぱり、最近変よ」

 

一方、若い職員の“さとくん”(便宜的にサト君と表示)は、意思疎通ができない患者たちに手作りの紙芝居を読み聞かせる熱心な青年だったが、それを見せられる障害者たちの反応が鈍かった。

 

そのサト君を含めて、洋子の家に招かれた陽子は、酔った勢いで、洋子の小説の批判をする。

 

「結構、いいと思いました。でも、刺さりはしませんでしたね。結構、何て言うか、奇麗ごとが多い気がして…震災を描いているのに、実は、震災に向き合っていない感じがしたんです。現にネットの評価では、嘘っぽくて、好きじゃないっていう意見が多かったですし。震災のこと、ちゃんと取材しました?」

「被災地に行ったよ」と洋子。

「何で震災を書こうと思ったんですか?ウケると思ったから?」

「出版社からの要請があって」

「あたしも、震災直後に被災地に入って、小説のために取材しました。津波で流された後に匂い、凄かったですよね。正直、臭かったです。ですよね?でも、この匂いは、本には書かれてませんでした。洋子さん、それであたし、見たんですよ。夜の闇に紛れて、津波流された後の遺体に覆いかぶさるように蠢(うごめ)く影。何かなと思って見たら、遺体の指から指輪抜いている人の影でした。あと、瓦礫ってほんとに色んなものがあるんですよね。写真とか、家財道具とか。でも、素敵なものばかりじゃない。私はピンクローター(バイブレータのこと)が落ちてるの見ました。でも、それだって人間の事実じゃないですか。洋子さん、あなたの小説には、そういう人の暗部が全く書かれてませんでした。気持ちは分かりますよ。そういう表現が許されなかったんでしょうね、色んな意味で。でも、都合の悪い部分を全部排除して希望に塗り固めた小説書くって、それ実は、善意じゃなくて、善意の形をした悪意なんじゃないんですか?…新しく子供ができて、どうだったんですか?もう、堕ろしたんですよね?なかったことにしたんですよね?すいません。酔ってます。嘘が許せなくて」

「確かに、私は都合のいいものだけを見たことにした。その他は、すべて排除した」(洋子のモノローグ)

 

その洋子は編集者から、もっと感動的に、読者を励ますような小説を書くようにと忠告を受けていたのだった。

 

「それから、何も書けなくなった」(洋子のモノローグ)

 

もう一つ、この4人の親睦会の中で、死刑執行の際の死刑囚について語るサト君の話が気になった。

 

「あと臭いもかな。死刑執行の際はやっぱり糞尿を撒き散らしてしまうそうなんです。昌平さん。だから人が死ぬ時の音とか臭いには拘(こだわ)った方がいいです。それが人の事実ですから。どれだけ恰好つけても、音とか臭いには嘘をつけません」

 

陽子の話の文脈とオーバーラップするものの、そこに死刑執行に対するリアルな言辞が含まれていることは看過できなかった。

 

実際、他者とのコミュニケーションが成立しないで生きる重度な知的障害者(注)の世話をするサト君は、共に世話をする看護師に向かって言い放つ。

 

「これで、ただ栄養入れて、ただ漏らしていくばっかり。ただベッドの上で。可哀想ですよ」

 

この話に反応しない看護師に苛立つ男は、今度は障害者に言い放つ。

 

「あんたは何なんだ。何のために生まれてきた。何で生きてるの。なあ、何のために生まれてきた。可哀想に…」

 

男の思考が直截(ちょくさい)に言語化されていくのだ。

 

(注)成人のIQの平均値が90~109程度に対して、知的障害者のIQは70未満とされる。またIQが70~84の場合は「境界知能」と呼ばれる。

 

洋子は今、きーちゃんのベッドに行って、静かに語りかける。

 

「きーちゃんには何が見えてる?見えてるんだよね。私は自分の子供が死んで、何にも見えなくなったよ」

 

きーちゃんの顔が、いつものように写し出されていた。

 

人生論的映画評論・続: 月('23)  武装可能なゾーンを広げ、虚実の境界を破壊していく  石井裕也