障害者の「全人格的な生存権」と、「人間の尊厳」の完全破壊の悍ましさ

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1  「意思疎通がとれない人間を安楽死せるべきだと考えております」
 
 
2016年7月26日未明、その事件は起き
 
事件の現場は、自治体の施設運営を民間委託する「指定管理者制度」を導入した、「津久井やまゆり園」という知的障害者福祉施設だった。
 
神奈川県にある件の施設に、柳刃包丁(5本)やナイフなどの刃物を所持した一人のが侵入し、あろうことか、僅か1時間の間に、入所し、寝ていた19人の障害者(19歳から70歳)を刃物で次々と刺殺したばかりか、施設職員も含めて、26人に重軽傷を負わせた大量殺人を犯したのだ。
 
男の名は、植松聖(うえまつさとし・以下、植松)。
 
26歳(当時)の元施設職員である。
 
植松による陰惨な事件の本質は、2003年から翌年にかけて韓国で発生した、「柳永哲ユ・ヨンチョル)事件」(ソウル20人連続殺人事件)のように、冷却期間を置いて複数の殺人を繰り返す「シリアルキラー」による犯罪ではなく、「犯行の一貫性・合目的性」において、「目標指向的行動」を心理的背景に持つ「大量殺人」であると言える。
 
犯行時、裏口から敷地内に侵入し植松の目的は、ただ一つ。
 
この世に有害であると決めつける「障害者の存在」そのものの、全人格的な完全破壊である。

だから、障害者を抹殺する。
 
「意思疎通ができない障害者は、生きていても仕方がない」
植松の供述である。
 
以下、「クローズアップ現代」のスタッフが、拘置所の植松と交わした手紙の一端を紹介する。
 
「三年間勤務することで、彼らが不幸のもとである確信を持つことができました。殺そうと考えたきっかけは、勤務しているときに観たニュースが始まりです」

更に、書き添える。
 
「逮捕されることを覚悟していたのですが、時折、外の生活が恋しくなることもございます」

この一文だけで、植松には「反省の念」どころか、罪悪感の一片の欠片(かけら)もないことが分る。
 
植松は、ここまで言い切った。
 
「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」
 
また、どこまで本気だったか不分明だが、中学校の元教員が、「人懐っこい感じがしていた」と語ったように、近所の「やまゆり園」の行事にも地域ぐるみで参加していた植松は、「障害のある子供を支えたい」と考え、教員を目指していたのは事実だったらしい。
 
しかし、次第に大学の授業についていけなくなり、教員の免許を取得できなかった。
 
植松のこのエピソードが、この男の〈生き方〉に、どれほどの影響を与えたのかについても不分明だが、大学卒業後に勤めた「やまゆり園」の仕事を通して、障害者に対する差別的な思想が胚胎(はいたい)したのは、以下の植松の手紙で判然とする。
 
「(障害者の)支援をする中で嫌な思いをしたことはありますが、それが仕事でしたので、殺意を持ったことはございません。しかし、3年間勤務することで、彼らが不幸のもとである確信を持つことができました」
 
経験が感情を形成したのだ。
 
その感情に、「優生思想」が張り付いてしまったのである。
 
施設での仕事に意欲を失っていくのは、時間の問題だった。
 
「障害者と意思を通わせることへの限界を感じるようになり、入所者を叩いて言い聞かせることもあった」
 
物理的に近接したことで、障害者への差別意識が植松の脳裏に深く染み込み、こんな供述に結ばれるのだ。
 
短期間で差別意識を強めていった男の内面を、極端な「優生思想」が埋め尽くしていく。
 
「殺そうと考えたきっかけは、やまゆり園で勤務しているときに観たニュースが始まりです。世界には不幸な人たちがたくさんいる。トランプ大統領は真実を話していると思いました」
 
植松の手紙が、「移民の排除」を訴える、「オルトライト」(過激な右派)のトランプ大統領の差別的言辞に反応し、自らの「正義」の思考に、「障害者排除」⇒「障害者の抹殺」という、濁り切って救いようのない犯罪の臭気が膨張していくのである。
 
「優生思想」に起因するヘイトクライムを惹起させた植松の、その貧弱な「思想的背景」には迷いがなく、紛れもない確信犯であると言っていい。
 
何より驚かされるのは、衆議院議長公邸を訪れ、大島理森(ただもり)衆議院議長に手紙を届けた行為である。
 
そこには、具体的な「犯行予告」のみならず、事件後の自らの自由な人生の確約を求めるという、信じ難い要望が臆面もなく記述されていた。
 
「日本国と世界平和のために、何卒よろしくお願い致します」
 
この一連の行為が内包する感情ラインの発現は、当然ながら、精神鑑定という、医学的フィールドでの専門的な技術導入を不可避とする。
 
かくて、その精神鑑定の結果、主に、「自己愛性パーソナリティ障害」がコアになって、そこに幾つかのパーソナリティ障害が複合的に絡んだ、精神医学的障害が疑われるに至る。
 
人より優れていると信じる感情異様な強度が、他者からの称賛を常に期待する(刑事責任能力には全く問題がない)歪んだ価値観を生むのである。
 
この歪んだ価値観が、全人格的に劣っていると一方的に決めつける他者に対して、驕傲(きょうごう)な態度を剝(む)き出しにし、表出させてしまうのだ。
 
非常勤職員として採用された植松は、4カ月の勤務で常勤職員として採用され、3年以上、「津久井やまゆり園」で働くことになるが、半グレ集団(暴力団に所属せずに犯罪を繰り返す集団)・右翼関係者とも交友を持ち、大麻・危険ドラッグを使用していたという経緯があるためか、「悪(わる)目立ち」の性癖も印象付けられ、結局、素行の悪さによって「やまゆり園」を解雇されるに至る。
 
この一件のうちに、「やまゆり園」への恨みと、意思疎通ができない障害者に対する「抹殺」を目論(もくろ)む植松の、尖(とが)り切って屈折した「正義」の心理的風景が垣間(かいま)見える。
 
ここで私たちは、植松の「正義」心理的基盤に根付いた、偽りの障害者観を崩ねばならない。
 
「片言でも単語は話せるし、何かしてほしいというときには、自分から身を乗り出してくるし、目と目が合えば、だっこしてほしいんだなと分かる。(植松被告の言葉)それだけは否定します。大きなお世話だと思います」(「クローズアップ現代」2017年7月25日)

これは、植松によって殺害された女性の父親の言葉である。
 
全ての入所者とは言わないが、「意思疎通ができ障害者」という植松の決めつけが、如何に「主観の暴走」であることが判然とするだろう。
 
ともあれ、およそ「共有言語」になり得ない、障害者の抹殺を言語化する植松の特異な言動と、血液・尿検査での大麻陽性反応は、精神保健法」第29条(指定医の診察及び措置入院)が法的根拠となって、精神保健指定医自傷他害の怖れがあると診断・判定し、都道府県知事の命令の下に、当人を強制的に「措置入院」させるという由々しき顚末(てんまつ)を惹起する。
 
2016年7月26日に惹起する、凄惨を極めた事件の5カ月前だった。
 
措置入院」は一種の行政処分であが故に、本人に告知した上で施設入院を履行するが、その後の事件の重大性を考慮して、僅か1ヶ月の短期間で退院させた、相模原市北里大学東病院への批判が集中した経緯は、メディアを介して報道された。
 
(因みに、「医療保護入院」は「保護者」の同意があれば入院可能で、我が国の精神科病院への入院形態の大半を占めている)


時代の風景「障害者の「全人格的な生存権」と、「人間の尊厳」の完全破壊の悍ましさ」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/04/blog-post.html