1 「ちゃんとしろよ!あのさ、皆さん、さっきから目が死んでるんですけど。私が話してるのは人間?」
夜、自宅のベランダから、雑居ビルの火事を見ている麦野早織(むぎのさおり 以下、早織)と息子の湊(みなと)。
「豚の脳を移植した人間は、人間?豚?」
「何の話?」
「そういう研究のがあるんだって」
「誰がそんなこと言ったの?」
「保利(ほり)先生」
「最近の学校は変なこと教えんだね。それは人間じゃないでしょ」
シングルマザーの早織は、小学5年生の湊を学校へ送り出し、勤務先のクリーニング店で、昨夜の火事で全焼したビルのガールズバーに保利先生がいたという話を、店に来た湊のクラスメートの母親から聞く。
仕事から帰ると、洗面室に湊の切ったくせ毛が散らばり、何事かと早織が聞くと、湊はシャワーを浴びながら「校則違反」と答えるのみ。
亡くなった父の誕生日にケーキを買って来た早織は、湊の運動靴が片方しかないことに気づく。
二人は仏壇で父の誕生日祝いをする。
朝、ベッドから起きられない湊に学校へ行くことを確認し、水筒に麦茶を入れようすると中から泥水が出てきた。
「実験。理科の」と湊。
夕飯の時間になっても帰って来ない湊を車で探して、自転車が乗り捨てられた場所で車を止め、古びた鉄橋の下の真っ暗闇なトンネルを進んで行くと、「かいぶつ、だーれだ!」と叫ぶ湊の声が聞こえてきた。
湊を見つけた早織は、走って抱き締め、車に乗せて帰る。
「ごめん。僕ね、お父さんみたいには…」
「…お父さんに約束してんだよ。湊が結婚して家族を持つまでは、お母さん頑張るよって。いいのもう。どこにでもある普通の家族でいいの。湊が家族っていう一番の宝物を手に入れるまでは…」
突然、湊はシートベルトを外し、走っている車から飛び降りてしまうのだ。
慌てた早織は車を止め、湊を追い駆け、怪我をした湊を病院へ連れて行った。
CTを撮っても異常はなく、安心した早織だったが、湊の様子がおかしい。
「学校でなんかあった?」
耳の怪我を触ると、湊はビクッとして後ずさりする。
「豚の脳なんだよね。湊の脳は豚の脳と入れ替えられてるんだよ!」
走りながら、「そういうところ、なんか変っていうかさ。化け物っていうかさ…」と言う湊を追い駆ける早織。
「それ誰に言われたの?蒲田君?蒲田君でしょ?」
逃げる湊の肩を掴み、真剣に見つめ、誰に言われたかを問い詰める。
「保利先生」
早速、早織は小学校へ行き、伏見校長に湊が虐められている事実について問いかけた。
「体操着を廊下に捨てられたり、授業の支度が遅れただけで給食を食べさせてもらえなかったり、そういうことがあったって…耳から血が出るくらい引っ張られたり。“先生、痛いです”ってお願いしたら、“お前の脳は豚の脳なんだよ。これ痛い目に遭わないと分かんないだろ”って」
「はい」
メモを取る伏見は、入って来た教頭の正田、湊が2年の時の担任だった神崎(かんざき)、学年主任の品川らと入れ替わって校長室を出て行った。
話を聞いた校長が何も言わず出て行ったことに驚く早織。
正田から再び用件を聞かれ、校長に話したと言うと、校長は所用で出かけたと答える。
「生徒のことなんですよ…」
「校長は先日、お孫さんを事故で亡くされたばかりでして」
後日、改めて早織は小学校へ行った。
前回の4人と、今度は担任の保利が席に着いた。
伏見は問い合わせの件について、保利が謝罪すると伝える。
正田に促されて立った保利は、虐めについて何も答えることなく、たどたどしく謝罪する。
「このたびは…私の指導の…結果?麦野君に対して…対しましての…誤解を生むこと…ことになりましたことと、非常に残念なこと…思っております。申し訳ございませんでした」
保利が頭を下げ座り、他の4人が立つと保利も再び立って、5人揃って深々と早織に頭を下げた。
「え?違います。違いますよ…息子はね。この先生から実際ひどいこと言われて傷ついたんです。誤解っていうんじゃないんです」
「指導が適切に伝わらなかったものと考えております」と伏見。
「指導ってどれのことですか?」
「慎重を期すべき指導があったものと考えております」
「確認していいですか?息子に暴力をふるったんですよね?」
保利はティッシュで鼻をかみ、何も答えない。
「誤解を招く点があったかと思われます」と伏見。
「…この先生に叩かれて、息子は怪我したんです。分かってます?」
「ご意見は真摯に受け止め、今後適切な指導をしてまいりたいと考えています」
伏見は決まり文句を繰り返すのみ。
早織は、殴ったか殴らなかったか、そのどちらかの答えを保利に求めると、保利は顔を左右に背(そむ)け、落ち着かない様子で何も答えない。
再び伏見がバインダーを覗きながら、教員の手と湊の鼻の接触があったことは確認できると言い、のらりくらりとかわそうとし、横では保利が飴を口に入れるのを見て、早織は呆れ果てる。
「今さ、何の話してるか分かる?」
「まあ、こういうのって、母子家庭にありがちっていうか…」
慌てて正田が保利を止めようとする。
「シングルマザーがなんですか?」
「親が心配しすぎるっていうか、母子家庭あるあるっていうか」
「私が過保護だって言うんですか…」
「ご意見は真摯に受け止め、今後はより一層適切な指導を心がけてまいります…ご理解ください」と伏見。
再び立ち上がって全員が頭を下げる。
早織は涙を浮かべる。
3度目の早織の学校訪問。
玄関から入ったところで、早織は保利が女の子に手を引かれているのを目撃する。
伏見が改めて事実確認すると話すと、「今、確認してって言ってるの!」と早織が苛立つ。
「こんなの転校するしかないじゃん…謝って欲しいんじゃないよ。保利先生呼んでください」
「あいにく保利は外出中で…」
「さっきいました…」
「外出というのは、出かけているという意味ではなく…」
「ちゃんとしろよ!あのさ、皆さん、さっきから目が死んでるんですけど。私が話してるのは人間?答えてもらえます?私の質問に」
「人間かどうかということでしょうか」
「違うけど、いいやそれで、それでいい。答えて」
伏見が品川の差し出すバインダーに目を向けると、早織はそれを取り上げる。
「紙見ないと分かんない?」
「人間です」
「でしたらね、こっちだって子供のこと心配して来てんだし、一人の人間として向き合ってもらえますか?」
「ご意見は真摯に受け止め、今後、より…」
逆上する早織は、思わずバインダーを投げ捨てた。
孫と校長が写る写真立てにぶつかって落ちたので、それを拾い、伏見に渡す早織。
「ごめんなさい」
「ありがとうございます」
そこに正田が校長室を覗き、早織がいることを目視し、随行していた保利を連れ、慌てて引き返した。
それを見た早織が追い駆けると、正田の手を振り払い、保利は再び早織に深々と頭を下げて謝罪する。
「どうもすみませんでした」
「こんな先生がいる学校に、子供預けられないでしょ。この人、辞めさせてください!」
伏見に向かって訴えると、保利が笑う。
「私、なんか面白いこと言ったかな?」
「そんな興奮しないでください」
「興奮してないよ。私はただ当たり前のことを…」
「あなたの息子さん、虐めやってますよ」と保利。
「君、何言ってんの?」と正田。
「麦野湊くんは、星川依里(より)って子を虐めてるんですよ」
「そんな事実はありません」と正田。
「保利先生、訂正して」と神崎。
「麦野君、家にナイフとか凶器とか持ったりしてません?」
この保利の発言にキレた早織。
「何デタラメ言ってんの。駅前のキャバクラ行ってたくせに。あんたが店に火つけたんじゃないの?頭に豚の脳が入ってんのは、あんたの方でしょ」
夜、自室に籠った湊にスイカを持って入ると、乱雑に散らかった部屋の中でうずくまっている湊。
そこで、早織はバッグから出て来た着火ライターを見つけ、不安げに湊の背中を見つめる。
早織は星川依里の家を訪ね、学校から帰って来たばかりの依里が家に案内する。
依里は風邪で休んでいる湊に手紙を書き始めるが、「み」の字が鏡文字になってると早織に言われると、突然止めてしまった。
【鏡文字とは、上下はそのままで左右を反転させた文字のこと】
腕に傷があるのを見つけた早織が、学校で虐められていないかを問うと依里の目が泳ぐ。
校長室で早織が見守る中、依里は保利を前にし、湊から虐められていることを否定し、逆に保利が湊を叩いていると話す。
「なんだよ、それ」
「皆も知ってるけど、先生が怖いから黙っています」
慌てて正田と神崎が、依里を教室に戻す。
続いて、品川、保利が部屋を出て、伏見も席を立って逃げようとするので、早織は孫が亡くなって悲しかったかを訊ね、私と同じ気持ちだと言って顔を覗き込む。
学校は保護者会を開き、生徒の親たちの前で保利が湊に暴力を振るい、暴言を吐いたことを認め謝罪した。
その会見の内容が掲載された新聞記事を読む早織。
辞めたはずの保利が学校へ来て、接触した湊が階段から落ちたと騒ぎとなり、連絡を受けた早織は学校に駆け付けたが、湊は無事だった。
台風が来るので、窓に段ボールを張り付けるなど、暴風雨に備える早織と湊。
翌朝早く、湊の部屋を覗くと、ベッドは空だった。
外から保利の「麦野!麦野!」と叫ぶ声がして、窓を開けると風で机の上のカードが飛ばされる。
ここで、回収されるべき複数の伏線を残してフェードアウトしていく。
【この章で可視化されたのは、虐めの真相を求めるだけの6度に及ぶ早織の学校訪問に対する学校サイドの対応が、終始、事態を大事にしないための防衛的態度に固執したことで、謝罪に納得がいかない保利の不自然な振る舞い(この時点で「変人性」を印象づける)が浮き彫りになったこと。かくて、それを由(よし)としない早織がモンスターペアレントと化していく硬直した姿勢が顕在化していく経緯が、物語総体が覆う冥闇(めいあん)の広がりの中で映像提示され、観る者を疲弊させていく初発点になっていく。
何より気になるのは、性犯罪歴の有無を確認する新制度「日本版DBS」の成立に象徴されるように、教育機関に対する外部圧力によって学校サイドの対応が過剰なまでに防衛的に振れるダークサイドな側面が切り取られていること。更に言えば、公立教員残業代ゼロ(「教員給与特別措置法=給特法」)という、苛酷な教育環境で疲弊する教員の実情が観る者に届かない構成力の脆弱性が読み取れる。攻撃的なモンスターペアレントvs.防衛的な学校当局(「学校権力」にあらず)という構図を単純に般化してはならない。この章での学校サイドの描き方が信じ難いほどリアリティを蹴飛ばして、執拗にコミカライズされているのだ】
人生論的映画評論・続: 怪物('23) 抑圧と飛翔 是枝裕和