キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩('21)   誰にも奪えない少女のイノセンス

 

1  「見捨てるのか」「渡すものですか。ただ怖いだけ」

 

 

 

ウクライナの監督によるウクライナの文化と、他国の子供たちの命をも守らんとする必見の映画。

 

「映画では、現在のウクライナソ連に占領されているときはロシア語、ナチスに占領されているときはドイツ語を話すようにウクライナ人たちは強要されました。本作は、母国の言葉、文化や音楽を維持することの大切さを映し出しています」

 

オレシア・モルフレッツ・イサイェンコ監督のインタビューでの言葉である。

 

―― 以下、本作の梗概と批評。

 

 

“キャロル 世紀の歌声 1971年2月24日 カーネギーホールにて”と書かれたポスター。

 

ニューヨーク 1978年12月

 

そのポスターにある歌手が、鏡の前に置かれた古い3家族の写真を見つめている。

 

ポーランド スタニスワヴフ(現ウクライナ イバノフランコフスク) 1939年1月

 

ユダヤ人の一家が住むアパートに、店子(たなこ)としてウクライナ人とポーランド人の一家が移り住んできた。

 

「イサクさん、なぜ部屋を貸すことに?」と家政婦のマリア。

「NYのヨセフが決めた。半分はあいつの家だ」

 

二家族が同時に到着し、初めて会ったウクライナ人一家の娘・ヤロスラワがポーランド人一家の娘・テレサに声をかけ挨拶する。

 

ユダヤ人一家の娘・ディナが玄関から出て来て、ピアノの先生であるヤロスラワの母・ソフィアに抱きつく。

 

「毎日歌って、ピアノが弾ける」

「私もうれしい」

 

その様子を窓から、ディナの妹のタリアを抱きながら見ていたイサクの妻・ベルタは、遠くまでレッスンに通わずに済むと喜んだ。

 

マリアがソフィアの夫も軍人かと訊ねると、「元軍人だ。今はレストランで演奏を」とイサクが答える。

 

ヤロスラワは新居を気に入り、父・ミハイロと母・ソフィアと3人は喜び合う。

 

一方、ポーランド人一家の妻・ワンダは、一階が弁護士事務所で人の出入りが多いことや、隣人が演奏家であることを聞いていなかったと不満を漏らす。

 

「音楽は好きだけど、こういう雑音は嫌い」

 

それに対し、夫である軍人のヴァツワフ少佐は、「仮の住まいだ、我慢してくれ」と宥める。

 

早速、ディナの歌のレッスンが始まった。

 

廊下ではヤロスラワとテレサは仲良く歌を歌っているが、レッスンの歌声で読書に集中できないワンダがテレサを部屋に呼び戻した。

 

その様子を見ていたベルタがイサクに相談する。

 

「どうかしたのか」

「店子の家族よ。お互いにピリピリしてる」

「私たちには友好的だ」

「そうだけど鉢合わせしても、挨拶もしないのよ」

「どうしろと?ポーランド人とウクライナ人の歴史だ」

 

ソフィアはヤロスラワを寝かしつけていると、「明日は公現祭(エビファニー)イブ?」と聞いてきた。

 

ソフィアが子供の頃の公現祭の様子を話す。

 

【公現祭とは、ロシア正教会ギリシャ正教会など東方教会の祭りで催されるキリスト降誕祭で、1月6日。 クリスマスの12日後に当たる】

 

「お祖母ちゃんの家に集まったわ。夜にはいろんな物でおもしろい仮装をするの…ママもおばあちゃんのショールを巻いて、近所を回って聖歌(キャロル)を歌い、お菓子をもらった。夕食には隣人を招いてみんなで願いごとをしたわ」

「願いは叶った?」

「ええ。ママの願いは、みんなに歌を教えることだったから」

「“鐘のキャロル”を歌ったおかげ?」

「あの歌を聴いたのは、ずっとあと。ママのお父さんが働くキーウの大ホールだった。編曲したのはレオントヴィチさん。とてもいい人で、父さんの友達だった。あの歌のおかげでね。音楽家になろうと思ったのは」

「明日私も、そのショールを巻いて、“鐘のキャロル”を歌う…私の願いごとも叶う?」

「叶うわ」

 

【レオントヴィッチとは、ウクライナの作曲家マイコラ・レオントヴィッチのことで、英語圏でよく知られ、よく演奏されるクリスマスソング「クリスマスキャロル」として有名な「キャロル・オブ・ザ・ベル」は、彼がウクライナ民謡の『シュチェドルィック』を合唱用に編曲・紹介した曲に、英語で原曲と異なる歌詞を付けたものである。1921年にソビエト連邦のスパイに暗殺され、ウクライナ独立正教会の殉教者としても名を連ねている/ウィキより】

 

翌日、ユダヤ人一家とポーランド人一家の前で、“鐘のキャロル”を歌うヤロスラワ。

 

そして、「夕食会に来てください」と誘った。

 

テレサは喜んだが、ワンダは「今日はカトリックの祭日じゃないわ…招くほうがおかしいのよ」と、「行くべきだろうな」と言うヴァツワフの考えを否定する。

 

ミハイロは「どうせ来ない」と言い、イサク一家と夕食会を始めたが、意外にもヴァツワフ一家が訪ねて来た。

 

テレサ!」と声を上げ喜ぶヤロスラワは、子供たちを別の部屋へ呼んでひそひそと準備をする。

 

ヴァツワフとワンダが食卓の席に着くが、ワンダがナイフを落としてしまい、気まずい空気が流れる。

 

そこに、子供たちが仮装をして現れ、大人たちの笑いを誘い、ヤロスラワが“鐘のキャロル”を歌いながら3人で食卓を回る。

 

三家族は打ち解けていくのである。

 

以降、ワンダが付き添い、テレサはソフィアから歌のレッスンを受けることになった。

 

1939年9月

 

ナチスドイツによるポーランド侵攻が始まった。

 

第二次世界大戦の戦端が開かれたのである。

 

ポーランド将校であるヴァツワフは、隊の様子を見に出て行き、他の家族は地下に避難する。

 

外では砲撃の音が鳴り、家族は歌を歌ったり、祈りを捧げたりして身を寄せ合う。

 

ワンダがヤロスラワの家に遊びに行ったテレサを迎えに行くと、二人で眠っているので、そのまま寝かしてワンダが家に戻るが、そこにはソ連兵が立って待っていた。

 

15分以内の身支度をするよう命令されたワンダは、ソ連兵に頼み、隣人に鍵を預かってもらう許可を得る。

 

ワンダが再びソフィアの家を訪れ、ドアを開けるとソ連兵は部屋の中まで入り、子供たちが眠っているのを見つけた。

 

「誰の子だ?」

「私です」

 

ワンダは泣きながらミハイロに鍵を預け、娘のことを頼んでソ連兵に連行されていった。

 

目を覚ましたヤロスラワは、窓からワンダが車で連れて行かれるのを目撃した。

 

ソフィアはワンダの家で隠されたテレサの出生証明書を探し出し、荷物をまとめさせてしばらく一緒に暮らすことを告げる。

 

恐らくヴァツワフは、ポーランド東部を占領したソ連軍の捕虜となり、収容所に送られた後、1940年4月に起こった「カチンの森事件」で殺害されたと思われる。(映画「カチンの森」を参照されたし)

 

【この間の歴史的背景を補足していく。/1939年8月23日、ドイツのヒトラーソ連スターリンの間で相互の不可侵を要点とする「独ソ不可侵条約」が締結されたが、秘密協定でポーランドの東西を両国が分割占領することを決めた。直後の1939年9月1日、ナチス・ドイツポーランド侵攻し、第二次世界大戦が始まった。一方、1939年9月17日、ソ連軍のポーランド侵攻の根拠となったのは、西ウクライナのロシア人住民の保護という侵略者の常套句で、現在のウクライナ侵略の大義名分と同じもの。1940年4月、ソ連軍のポーランド侵攻の際、多数の将兵がNKVD(内務人民委員部)によって殺害された「カチンの森事件」が発生する。そして1941年6月、スターリンの予測を超えて、共産主義の絶滅を標榜するナチス・ドイツが「独ソ不可侵条約」を破ってソ連に侵攻し、独ソ戦が開かれ第二次世界大戦が拡大するに至った】

 

1941年7月

 

ドイツ兵が街にやって来て、鍵十字の旗が掲げられた。

 

イサクの一家が占領当局に呼び出された。

 

「なぜ家族全員呼ばれたの?」

「登録のためかな。悪い事にはならんだろう」

「胸騒ぎがする」

 

出がけに、ミハイロ一家に対して当局に呼ばれた事実を話す。

 

「バンドのユダヤ人も全員呼ばれた。今日は演奏に来ないと聞いている」とミハイロ。

 

ミハイロの話を聞いたイサクは、一瞬考えた後、ベルタに話しかける。

 

「愛する妻よ。娘たちと残れ。私1人で行く」

「私も一緒に行くわ」

 

そう言って、娘たちをミハイロ夫妻に託していくことになる。

 

ディナは嫌がったがタリアを頼むと言って、二人で当局に向かった。

 

一晩中待っていたが、イサク夫妻は戻らなかった。

 

ベルタの胸騒ぎが当たったのである。

 

マリアが訪ねて来て、「噂では、今夜ユダヤ人は…」と話し、村の親戚の家を頼ることにしたというマリアは、タリアも一緒にと申し出る。

 

しかしソフィアは、「姉妹は引き離せない」と断る。

 

家に戻ろうとしたディナを引き留め、皆で朝食を摂っていると、ドイツ兵が屯(たむろ)しているのが窓から見えた。

 

“本日よりユダヤ人は居住区へ”と貼紙が貼られ、多くのユダヤ人の家族が荷物を持ってドイツ兵に誘導されていく。

 

それを目撃したソフィアは、家に戻って子供たちを集めた。

 

「街中にドイツ兵が。今後、外に出るのは禁止よ。窓にも近づかないで。いいわね?…連れて行かれる」

 

子供たちは「分かった」と頷く。

 

ユダヤ人居住区とは、ユダヤ人を強制移住させたゲットーのこと。最大のゲットーは、ポーランドの首都ワルシャワに設けられていた】

 

街では、“ポーランド人とユダヤ人の集会を禁ず”と書かれたビラが風に舞っていた。

 

ソフィアはディナに「あなたたちを隠さないと。ドイツ兵が家探しを。昨日、3軒先まで来た。今日にもここへ」と告げると、ディナはおじに教わった時計の裏の隠れ場所をソフィアに見せた。

 

その夜、ソフィアはミハイロに「ユダヤ人を匿うと逮捕されるって」と話す。

 

「見捨てるのか」

「渡すものですか。ただ怖いだけ」とソフィア。

 

ミハイロはソフィアを慰め、僅かな稼ぎのためにドイツ兵を相手に店を続けると話す。

 

「奴らの醜悪な顔を見ながら歌うのが楽しいと思うか?…心配するな。ディナは大人だ。力になってくれる」

「戦争はいつか終わる?」

「闘うしかない」

 

いよいよドイツ兵が家探しにやって来たので、急いでディナとタリアを時計の裏に隠し、部屋のタンスなどを探して回るドイツ兵の捜索から身を守ったのである。

 

1941年12月

 

外に出たいとゴネるタリアは、ヤロスラワらに止められるが、隙を見て外へ出てしまった。

 

ディナは探しに行こうとするが、代わりにテレサが外へ出ると、ドイツ兵にユダヤ人と疑われ連れて行かれそうになる。

 

そこに、ミハイロの店から帰って来たソフィアが姪だと主張し、家にある出征証明書を見せることになった。

 

突然、ドイツ兵が家に入って来て、部屋の扉を開けたところで、そのすぐ裏で口を押えて隠れるディナ。

 

テレサとヤロスラワのそれぞれが名前を言わせ、出生証明書と照合したドイツ兵はそのまま帰っていった。

 

直後に叫び声が聞こえ、外に出るとネズミに噛まれたタリアを見つけ、家に戻すことができた。

 

ミハイロは店に遅れたことで、支配人から一週間給料はなし、今度遅刻したらクビだと脅される。

 

ミハイロはドイツ将校を相手に、作り笑いをして“リリー・マルレーン”(ドイツの歌謡曲)をギターの弾き語りで歌うのだ。

 

【「リリー・マルレーン」は、出征した兵士が故郷の恋人リリー・マルレーンへの想いを歌ったもの。反ナチの思想を有するベルリン出身の女優、マレーネ・ディートリヒのレパートリーとしても知られ、連合軍兵士の慰問でも歌われていた】

 

タリアが熱を出して苦しんでいるのを見て、ミハイロは外出禁止令の只中で医者の家へ向かって助けを求めたが、応じてもらえず、帰って来るとタリアは既に死んでいた。

 

極限状態の中で、一人の幼女の命が奪われていったのである。

 

 

人生論的映画評論・続: キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩('21)   誰にも奪えない少女のイノセンス