アラビアのロレンス・完全版('88) デヴィッド・リーン <溢れる情感系のアナーキー性を物語る抑制機構の脆弱さ>

 1  自分で運命を切り開く男の英雄伝説の第一歩



 T.E.ロレンスの自伝(「知恵の七柱」)で書かれたロレンス像とどこまで重なり合っているか定かでないが、明らかにデイヴィッド・リーン監督は、本作の主人公を「英雄譚」として描き切っていない。

 何より、その辺りが私の興味を引くところなので、本稿では、映像の中の主人公の「心の風景」に言及したい。

 自己顕示欲と自己有能感、加えて鼻っ柱も強いこの男は、この時代の大英帝国の英軍将校が、ごく普通に武装し得た冷厳なリアリズムの域に届くことすらなかったが、持前の行動力によって、周囲を煙に巻く「変人性」において際立っていた。

 そんな「変人」が「アラブに生まれたということは、辛い思いをしろということだ」(ハウェイタット族の長、アウダの言葉)と言わしめた、苛酷なる砂漠の世界の懐の只中に、情報将校として踏み込んでいった挙句、アラブの部族の信頼を得るに至ったのは、自分の部隊に所属するベドウィン族のガシムを奇跡的に救出する冒険行によってだった。

 ロレンスのガシム救出の冒険行を、「ガシムはもう死んだ。彼の死は運命」と言い放ったベドウィン族のアリと、「運命などない」と毅然と答えるロレンスとの差異は、苛酷なる砂漠の世界に生きる者の「自然の掟」に対する受容度の違いである。

 アラブ人を率いて、艱難(かんなん)なネフド砂漠を横断し、オスマン帝国支配下にある港湾都市アカバ攻略への行軍中に惹起した事態だった。

 「偉大な人間は、自分で運命を切り開く」

 これは、ガシム救出の成功後、アリから贈られた称賛の言葉。

 そのアリからアラブ民族の伝統の白い装束を贈られ、それを身に纏(まと)う男が、そこにいた。

 後に、毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする「伝説の英雄」、「アラビアのロレンス」という「風のヒーロー」を立ち上げた瞬間である。

 然るに、この冒険行を貫徹し得たのは、机上の学問を広汎に会得しながらも、未だ実感的に砂漠の恐怖の本質にまで届き得なかった男の無謀さであると言っていい。

 しかしアラブの民が、男の無謀さを「類稀な勇敢さ」と解釈することで、英雄伝説の第一歩が開かれていったのだ。



(人生論的映画評論/アラビアのロレンス・完全版('88)  デヴィッド・リーン  <溢れる情感系のアナーキー性を物語る抑制機構の脆弱さ>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/12/88.html