雨月物語('53)  溝口健二 <本来の場所、本来の姿――「快楽の落差」についての映像的考察>

 1  夜の琵琶湖の不吉



 「『雨月物語』の奇異幻怪は、現代人の心にふれる時、更に様々の幻想をよび起す。これはそれらの幻想から、新しく生まれた物語です」

 これが、映画「雨月物語」の導入となった。
 
 「戦国時代、ある年の早春。近江国琵琶湖の北岸・・・」というキャプション(映像字幕)で、物語が開かれていく。

 信長死後、秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の合戦(注1)が近江の国を舞台に激しく争われていた。それは戦国乱世がまもなく終わろうとする頃の、最も激しい時代の息吹を伝える、殆ど最後の戦いでもあった。しかし民衆たちはまだ戦乱の中にあって、生活のため、立身のために、それぞれの思惑で時代と関わりあって生きていたのである。


(注1)1583年、賤ヶ岳付近で羽柴(後の豊臣)秀吉と柴田勝家が、織田信長亡き後の覇権を賭けた戦い。この戦国乱世の権力闘争の結果、柴田勝家が敗れて自害し、秀吉の全国制覇への基礎が築かれた。


 近江の陶工源十郎は、生活のために自ら作り貯めた陶器を売り捌(さば)く目的で、町に出て行こうとしていた。しかし彼の義弟藤兵衛は、まさに立身のために、女房の阿浜(おはま)が止めるのも聞かず、地道な生活を捨てようとしていた。時はまだ、兵農未分離の時代だったのである。

 「大きな望みを持たずに、出世ができるか!望みは大海の如しか・・・俺もつくづく貧乏が嫌になったんだ。兄貴、俺も一緒に連れて行ってくれ、頼む!」
 「まだ言っているのか。つまらない望みは捨てろ」

 源十郎も制止するが、籐兵衛の気持ちは変わらない。

 二人は結局町に出て行き、源十郎はまもなく、大金を持って笑顔の帰宅をする。家には、妻の宮木(みやぎ)と息子の源市が待っていた。家族の団欒がひらかれるが、籐兵衛は侍になる志を遂げられず、惨めな帰宅をしたのである。侍になるには、「具足(注2)と槍が必要だ」と言われて帰って来たのだ。惨めな帰宅を果たした夫を、妻の阿浜は詰るだけだった。

 一方、濡れ手で泡のような大金を手にした源十郎は、金の亡者になっていた。彼は来る日も来る日も、陶器を作り上げていく。もう一度大金を得るためだ。そんな夫を横目にして、妻の宮木は不安でならない。

 「まるで人柄が変わったように気ばかり焦って、私は夫婦共働きで気楽に働いて、三人楽しく日を過ごすことができればと、そればかりを願っているのです」

 籐兵衛もまた、義兄の仕事を手伝って、懸命に働いている。彼は再び町に出て、侍になる思いを遂げたいのである。
 

(注2)色々な意味があるが、ここでは単に、武具としての甲冑(鎧や兜)のこと。


 そんな中、彼らの部落に柴田の残党が押し入って来た。

 源十郎たちは山に避難し、陶器の破壊も運良く免れた。この一件があって、遂に彼らは部落を出ることを決心したのである。

 
(人生論的映画評論/雨月物語('53)  溝口健二 <本来の場所、本来の姿――「快楽の落差」についての映像的考察>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/53.html