稲妻('53) 成瀬巳喜男 <離れて知る母の思い>

 1  あまりに人間的で、嘘臭い装飾を、一切剥ぎ取ったそれぞれの生きざま



 ごくありふれた日常性を丹念に描く映像作家、成瀬巳喜男のその膨大な映像群の中で、私にとって最も愛着の深い作品は「稲妻」である。

 「稲妻」は、私が「成瀬巳喜男」を「再発見」する契機となった思い出深い作品だった。

 この映画を初めて観たときの衝撃は、まるで今まで探しあぐねていたものと出合ったときの青っぽい興奮にも似て、決して忘れることのできない一作として、その後繰り返し舐めるように鑑賞するに値する絶対的な何かとなっていく。とにかく素晴らしい。何もかも素晴らしいのだ。

 この国に、これほどの映像を創り出す男がいて、その男によって率いられたプロフェッショナルなスタッフがいて、そして、その男によって演技指導を受けた俳優たちがいた。まるでそれは、ディティールにもその魂が吹き込まれた匠の世界からの創造物だった。そこで生み出された奇跡的な映像宇宙は、専属会社の看板監督としての枠組みから逸脱することのない仕事振りとは到底思えないほどの独自の表現世界を、この国の映画史に刻み付けてしまったのである。

 映画「稲妻」の中で、私の中で特に印象深かったのは、通俗性の極みとも言える母親を演じた浦辺粂(くめ)子の存在だった。

 とにかく、彼女の演技が最高に冴え渡っていて、私はこの一作で浦辺粂子の虜になった。その位素晴らしかった。恐らく、個性的なバイプレーヤーの一人でしかなかった彼女にとって、殆ど主役に近いこのような役どころを得たことは僥倖だったに違いない。

 彼女は、翌年製作の「あにいもうと」(1953年)でも重要な母親役を演じていたが、それは個性を減じた感のある慈母観音の如き役どころだった。

 ところが、「稲妻」では違っていた。

 それはまさに、このような母親役を演じたら他の追随を許さないという印象を与える嵌まり役だった。無教養で、少し頼りないが、思いが深くて、その生き様は際立って人間的な母親像。そのイメージは、この国の庶民のある種の母親像を代表しているに違いない。そんな母親を、浦辺粂子という稀代の個性的女優が演じて、見事に成功したのである。

 その時代に生きる市井の人々の日常性を、しばしば突き放したようなリアリズムで描いたら、恐らく、成瀬の右に出る映像作家はいない。その成瀬が、朝鮮戦争の暗雲が立ち込める時代のただ中に世に送ったのが、「稲妻」だった。

 時代はやがて、この国の高度成長の先駆けともなっていく朝鮮特需の潤いの中で、人々の生活意識の内には、少しでも人並みの生活を手に入れようとする慎ましやかな欲望が芽吹き始めていた。それは、時代の変遷の小さな胎動だったが、戦後史の流れに於いて一つのターニング・ポイントになったと言える。

 しかし「稲妻」に描かれた市井の人々の観念には、時代とダイレクトに接続する律動感が稀薄で、何か時代に取り残された者たちの哀れさと滑稽感が、ドロドロの肉親の絆の破綻性の内にだらしなく露呈されていた。それでも作品には、時代の息吹を伝える描写が随所に嵌め込まれていて、やはり成瀬は時代と繋がることを拒んだ映像作家でないことを確認できるのである。

 彼は確かに時代の新しいイデオロギーやその動向と無縁な映像作家だったが、しかし、どこまでも市井の人々の視線を曲解することなくリアルに抉り出した、ある意味で冷徹な観察者だったと言えようか。

 それでも彼には節度があった。

 彼の作品が人間の生き様を残酷な筆致で描いたとしても、他の映像作家がそうであったような過剰さがなかった。そこには、ごてごてと必要以上に描写を塗りたくることのない節度があったのだ。

 そんな時代に作られた「稲妻」という作品の生命は、全篇に渡って貫流されている登場人物たちのあまりに人間的で、嘘臭い装飾を一切剥ぎ取ったそれぞれの生き様を、容赦ない表現で、そのモノクロのフィルム(恐らく、可燃性のニトロのナイトレート・フィルム)に刻み付けたところにある。人間はかくも愚かで、だらしなく、冷血、且つ、強欲な存在であることに付き合わされて確かに閉口するが、しかし、ここに私たちの日常性の裸の姿が露呈されているのだ。

 この作品は、成瀬芸術の真骨頂が見事に表現された大傑作である。とりわけこの作品の中で圧巻だったのは、ラストシーンでの母娘の情感溢れるやりとりだった。そこでクロスした会話の見事な律動感に、私はただ感服した次第である。



(人生論的映画評論/稲妻('53) 成瀬巳喜男 <離れて知る母の思い>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/53.html