トラフィック(‘00)  スティーヴン・ソダーバーグ <「麻薬戦争」という名を借りた、それなしに生きられない「脆弱なる人間の在りよう」>

イメージ 11  欲望の稜線が限りなく伸ばされる、麻薬の需給の接合点で 

 

「麻薬戦争」の底なしの闇の深さを描いた本作は、物語の二人の男の言葉の中に凝縮されている。

一人は、カリフォルニアの麻薬密売人のルイス。

ルイスは、国境の街、カリフォルニア州サンディエゴで、激しい銃撃戦の結果、DEA(麻薬取締局)の捜査官ゴードンとカストロの二人に捕捉され、麻薬組織の情報を洩らしたことで、DEAに保護されていた。

この男の告発によって逮捕された、麻薬王カール・アヤラへの裁判での証言を約束されたルイスは、組織からの報復を怖れる苛立ちの感情が、男の言葉を挑発的に補完していた。

「北米自由協定が密輸を楽に。お前らは敗戦を知らずに孤島にいた日本兵だ。政府は、とっくに麻薬戦争に負けた」

この言葉は、麻薬漬けと化している社会の現実の認知に鈍感であるか、或いは、社会の現実を直視することから回避している政府が、口先だけで「麻薬撲滅」を唱道しても、麻薬の密売を生命線にしているが故に、鋭角的な「戦争」をも辞さない「組織」との「戦力」の差は決定的であるという由々しき事態を暗示している。
 
更に、1990年代後半、アメリカ、カナダ、メキシコの3国で締結されたFTA(自由貿易協定)である北米自由協定(NAFTA)が、物やサービスの流通を自由にすることで通商上の障壁を取り除く経済的利便性の間隙を縫って、麻薬の垂れ流しを可能にしてしまった現実は、充分にアイロニーをも突き抜けている。

それは、この北米自由貿易協定によって、アメリカとメキシコ間の国境地域の都市、即ち、ルイスが捕捉された国境の街、サンディエゴの交通網やインフラが整備されるに至り、「サンディエゴから重武装した軍隊がティファナの貧しい郊外の一連の家を襲撃して11人の売人を逮捕、その際に没収した134トンものマリファナ」(ブログ・Gigazineより)が没収されるという、「麻薬戦争」の底なしの闇の深さを物語る戦慄すべき実態をも惹起させる劇薬と化したと言っていい。

男が語ったのはこれだけではない。

「俺が持っていたヤクが世間に出回って何が悪い。何人かがハイになって、お前の相棒は生きている。お前らがやっていることは無意味だぜ。空しいだけ。最悪なのは、無駄と知りつつ、捕まえている点だ。道化ってことだぜ。よく聞け。組織の拡大を狙う組織の密告で俺を捕まえた。手助けしている。麻薬組織の手先と同じだぜ」
 
既に、「麻薬戦争」の泥沼の渦中で、相棒のカストロを殺された取締官に向かって、嫌みたっぷりに放たれた言葉である。

いよいよ証言台に立つその朝、ヤクの売人としてDEAに匿ってもらっていたルイスの言葉には、前述したように、国民国家の懐深くに蔓延している由々しき事態を挑発するだけでなく、「麻薬撲滅」に挺身する「正義漢」をも揶揄し、その無意味さを嘲笑する毒素が詰まっていた。

需要があるから供給がある。

その需要を、モンスターの如く膨れ上がった腹部を満たすための再生産によって、麻薬の生産水準を継続的に拡大していくアメリカ社会の闇の部分が、ルイスの弄(ろう)する挑発的言辞の中に拾われていたのである。

国境の街、サンディエゴこそ、カリフォルニアを基点にアメリカ全土で蕩尽され、欲望の稜線が限りなく伸ばされる、麻薬の需給の接合点なのだ。

「我々の強欲な需要が違法な麻薬取引を焚き付けている」

これは、「ウィキ」から拾ったアメリカの国務長官ヒラリー・クリントンのコメントである。

アメリカ全土で蕩尽され、欲望の稜線が限りなく伸ばされる国民国家の内部で出来している現実を、当該国家の国務長官も認知せざるを得ないようであるが、その問題意識が、「ガラスの天井」(女性の昇進の障壁となる「見えない壁」)に弾かれていると嘆息する件のタフな長官の内側で、どこまで継続力を有しているかについては不分明である。

余計なことだった。

ともあれ、急転直下、朝食に含まれていた本物の毒を食べたルイスの死によって、証言台に立つことなく裁判は終了し、カール・アヤラは釈放されるに至ったのである。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/トラフィック(‘00)  スティーヴン・ソダーバーグ <「麻薬戦争」という名を借りた、それなしに生きられない「脆弱なる人間の在りよう」>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/12/00.html